劇場公開日 2024年5月24日

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「「退屈だ」と感じることが自らの無関心さを突き付ける、なんとも残酷な映画よ」関心領域 コタツみかんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5「退屈だ」と感じることが自らの無関心さを突き付ける、なんとも残酷な映画よ

2025年3月7日
PCから投稿

怖い

知的

お世辞にも面白いとは言えない映画だが、むしろその「面白くない」「退屈だ」と感じるところにこそ、この映画のスゴさがあるように思う。

というのも、本作には映像の手がかりとなる説明というものが一切なく、カメラもほとんどが固定のロングショットであるため、一定の視点や感情をもって観ることが最初から排除されている。それはおそらく徹底したリアリティーでもって再現したアウシュビッツ横のヘス一家の暮らしを音と映像だけで「観客に体感させる」ことに主眼が置かれているからだろう(実際にいつどのような音がどの音量で聞こえたか、収容所からの音だけで600ページの台本があるらしい)。そら、面白い話になろうはずがない。

が、しかし私たちはホームドラマのように描かれた彼らの恵まれた暮らしの中に、いくつものおぞましい事実を見つける。収容所のユダヤ人から収奪した毛皮を鏡の前で着飾る妻、金歯で遊ぶ子どもたち、そして塀の向こうからは終始、女・子どもの悲鳴や焼却炉の稼働音が聞こえ続ける。「えー、マジか~」「無関心すぎやろ~」と令和に生きる日本人の私は声を上げたくなるが、本当にそうですか?ヘス一家とあなたは何が違うんですか?と、この映画は問うている。

少なくとも本作で描かれる所長のヘスは、仕事熱心で謹厳実直、部下にも慕われ、家庭にあっては子煩悩な良きパパであり、妻とは将来の夢を語り合って結ばれたごく普通の夫婦である(すべて事実らしい)。職業がアウシュビッツの所長であること以外、何らの価値観の相違も見い出せないのだ。産業革命以降の現代社会では職業が人間の唯一の存在形式であり、つまりは巨大な経済的メカニズムの中の歯車としてしか人間が存在しえないことを鑑みれば、自分がもしヘスだったら、ヘス家の住人だったら、違う行動がとれたのか。その答えは、相当に怪しい。

いや、わざわざヘス一家に自分を重ね合わせる必要もないのかもしれない。なぜなら今だって、自分が享受する平和の壁の向こうにはガザやウクライナがあり、もっと言えば7億人もの人間が飢餓線上にあるのだから。そのことを私たちは十分すぎるほど、よく知っている。知っていながら、その事実や悲鳴や誰かの断末魔をヘス一家と同様、都合よくノイズキャンセルしながら生きているのではあるまいか。少なくとも壁の向こうの圧倒的な理不尽により命を落としていく人間から見れば、ヘスも私も大差ない、職務に忠実で無責任な、ただの職業人間に過ぎない。

劇中では、唯一、赤外線カメラで描かれる少女が登場する。これも説明がなく、見るからに怪しく不自然な動きをするので、一瞬、泥棒か何かか?と見まがうが、飢餓で苦しむユダヤ人のために夜間ひそかにリンゴやジャガイモを彼らが見つけやすいように隠している姿らしい。人知れず、リスクを冒しながらも、自らの良心にもとづいて行動する最も人間らしいその少女が、あるいは本来の人間らしさというものが、この社会では赤外線をかざした熱画像でしか見えない(しかも不自然な行為として映る)というのは、なんとも皮肉で、痛烈なメッセージである。

コタツみかん
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