「無人という圧倒的なフィックス」関心領域 たあちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
無人という圧倒的なフィックス
アウシュビッツ収容所の隣で暮らすルドルフ・ヘス所長一家の日常を描く作品なのだが当時この一帯のことをナチ内部で隠語的にこう呼んでいたそうでそれが一家の塀の向こうに対する意識的な「無関心」あるいはドイツ国民の・・あるいは現代のわれわれ自身のに・・ぐさりと突き刺さる優れたタイトルとなった。まず冒頭の3分に及ぶ暗闇と音の問題。アカデミー「音響賞」を獲ったと、蛮行は描かずに音で表現したのだというのだけれど私にはあまりピンとこず小鳥さえずる川辺のピクニックにつなげるには1分で十分。映画を「観に」来た一般庶民にはやりすぎでしょでと思ってしまう(今年は「ファースト・カウ」に始まり「悪は存在しない」と似たような試練的導入が多くてまいる、流行りなの?)。それにしてもピクリとも動かないフィックスショットとシンメトリーの連続には恐れ入ったが鑑賞後に(無人固定カメラを複数台配置して遠隔で撮影)したと知って驚いたというか呆れた。SONYのデジカメをロケセット内にあちこち仕込んで監督もカメラマンもトレーラーの中にいてモニターしてるなんてテレビのバラエティー番組じゃあるまいし。どうりでみんながはしゃいでいる庭のプールで滑り台から滑り降りる少女を真逆からのショットに切り替えて奥に収容所の塀が見える「アクションつなぎ」があまりにも見事に決まっていることよ!メイキング動画を見て驚いたのは旦那の転勤が決まって奥さんと川辺で語り合うシーンでさえ複数のリモートカメラを使って撮っていたこと。そりゃあ微動だにしない安定のフィックスが撮れるわけだわ人間はどうしてもカメラワークしたくなるからカメラマンいない方が良いということか。後付けの感想で申し訳ないが無人の複数カメラの目を意識してサンドラ・ヒュラーが毛皮コートを着てポーズ取ったり、赤ちゃんを抱っこしてお花の名前を教えたりしていたのかと思うとあまりにも芝居があざとくてやるせない。嗚呼映画よどこへ行く?