「当時の異常を「耳で」仮想体験する映画 是非、音響の良い映画館で観るべき作品 今私たちは何をしているのか?他人事として、ただ映画を観ている自分たち」関心領域 ITOYAさんの映画レビュー(感想・評価)
当時の異常を「耳で」仮想体験する映画 是非、音響の良い映画館で観るべき作品 今私たちは何をしているのか?他人事として、ただ映画を観ている自分たち
あらかじめどういう映画か、さんざん前評判を聴いての鑑賞であるため、どういう映画であるかはわかって観ている。
その意味での驚きは半減である。
それでも、常に何かが塀の向こう側から聴こえてくる。
銃声や悲鳴らしき音だとわかる音。
そして、何なのかわからない音まで。
実に不気味であるが、それが1時間以上続くと、それほど気にならなくなる?
このことこそ、以上に対する慣れをあたかも体験しているよう。
そんななかで生活している家族。
食事、出勤、寝る、ピクニック、パーティ、プール・・・。
あるところからまきあげられて入手した物、戦利品を手にしてすごす毎日。
あることの代償で得られた贅沢な暮らし。
ある日、夫の転勤の話を聞き、せっかく努力して気づき上げた、居心地良くくつろげる安定した生活が失われてしまうことに怒る妻と、小言を聴かされる夫。
壁一枚隔てて営まれている平和な家族の暮らしの日常が怖い。
「関心領域」の狭さ。
無関心でいられる人が、無関心でいようとする人、私たちが恐ろしい。
最後、スクリーンの向こうから、突然こちら側を見られる。
あなたたちも、無関心でいるのか、と。
はるか遠くで、現実に虐殺が行われている、今何をしているのかと。
他人事として映画を観ているのではあるが。
2時間観たから、聞いたから、体験したからこそ、事実とくらべれば、遥かにほんのわずかではあるけれど、身をもって知る「映画」ならではの経験。
是非、音響の良い映画館で観るべき作品。
どうやら、塀の向こうの「音」は、史実にのっとっているらしい。
パンフレットには、当時、何が行われていたか、詳細に説明されているに違いない。
映画製作の動機や経緯も書かれているに違いない。
しかし、
「公開翌日」なのにグランドシネマサンシャイン池袋でパンフレットが売り切れ。
「公開翌々日」の日曜日に、新宿ピカデリーでもパンフレットが売り切れでした。
せっかくの関心を持つ機会を失うではないか。
などという平和ボケしたことしか言えない自分。