「澄まされた不可視の恐怖」関心領域 Tone Rinaさんの映画レビュー(感想・評価)
澄まされた不可視の恐怖
クリックして本文を読む
この映画の関心領域は予告動画でも言及されていたように、人間の無関心だ。アウシュビッツ収容所の隣に住む司令官一家の関心対象はそれぞれで異なっていた。
今作は単調な映像が続くように見えて、ずっと空が晴れていたり、白黒ネガ反転のような演出があったり、一色で画面が潰されたりと印象的な場面が多々ある。その中で、おそらくこの作品において重要なことは、アウシュビッツ収容所にいた人々が映像の中でほとんど直接的に登場しないことであろう。音だけで彼らの行動や声が表現されている。食事中でも会話をしている時でも、この家にいればどんな時でも彼らの音が聴こえている。しかし、その音は観客である私たちにしか聴こえていないのではないかと思うほど、彼らの中ではあまり響いていなかったようだ。私たちにはその存在が見えないからこそ、恐ろしさがどんどん募っていく。目に見えない、関心がないということの凶暴性を音だけで感じさせられる。暗闇の中に迷い込んでしまったかのように錯覚する。終盤で、現代のアウシュビッツ収容所が映された。今では観光スポットであるそこのスタッフであろう人々が掃除をしているシーンでも、そこで映し出される私たちの関心領域は、アウシュビッツにいた人々ではなく、残された大量の靴やさびれた衣服であることを思い知らされる。私たちはずっと人間に目を向けていないのだ。
劇中では登場人物がカメラ目線で演技をすることがほとんどなかったように思う。しかし、最後のシーンでは司令官のルドルフがこちらをずっと見つめていた。
きっと彼はアウシュビッツを出て、新天地に来て気づいたはずだ。ここには音がないことを。
コメントする