劇場公開日 2024年5月24日

「戦争虐殺に無関心な俺ら」関心領域 inoTV IKEさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5戦争虐殺に無関心な俺ら

2024年5月26日
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鑑賞方法:映画館

アカデミー賞で録音賞、国際長編映画賞を獲得したジョナサン・グレイザー監督の「関心領域」は、独創的な見せ方で観客を引き込みながらこちらを指さし、ドスンと重いメッセージを突きつけてくる作品であった。

独創的な見せ方というのは、なにも画角や構図のみにならず、ストーリーについてもそうである。なにせこの映画はルドルフ・ヘス一家のホームドラマを淡々と流すのみという構成であり、いわゆる人間ドラマがないのである。もちろん印象的な場所や人間、展開が随所に散りばめられるため1時間半ずっと退屈という訳では無いのだが、ドラマがない以上「つまらない映画」と言われても仕方ないのである。
ではなぜドラマのない「関心領域」が評価されているのか。それは、本作はアカデミー録音賞を受賞しているだけあって、他ならず「音」の使い方が凄まじいからであろう。日本ではこの映画のあらすじを知ってから見に行く人が大半ではあると思うが、一応あらすじを書くと、ルドルフ・ヘスはアウシュヴィッツ収容所の横に住んでおり、ホームドラマが映し出される後ろで人間の断末魔や銃声が絶え間なく聞こえてくる、という映画である。もちろん映画館等の音響が良い環境でないとディテールは分かりにくくなって来るのでぜひ映画館での鑑賞をおすすめしたい。このホームドラマの音と収容所で起きている音の二重性と言おうか、日常に溶け込んでいる環境音としての人間の死にゆく音がとても気持ち悪く不気味なのである。そんな中ルドルフ・ヘス一家はその音を聞きながらも普通に生活をし、普通の家族のやり取りをし、揉め合いをし...という風に、この家族も頭がおかしいんじゃないか?なんて気持ち悪い奴らだ!となるのがこの映画を見て思うところである。
この映画で描かれるホームドラマが、他の映画と比べても淡々と描かれていくものだから「単調でつまらない映画」と評価されるのもまたひとつだが、自分的にはホームドラマの中にギョッとするようなカットが挟み込まれるので、映画として印象には残りやすい映画であった。 またこのようなシーンは抽象的というか、十分な物語的説明がなされないシーンであるため、人によって解釈が見た人の議論の的となるのも面白い。
見た全員が違和感を抱くのは、映画中盤に2回ほど出てくる、サーモグラフィーで映し出された少女だろう。彼女は当時のレジスタンスであり、アウシュヴィッツに収容されている人達にリンゴ等を届けていた、ということであるらしいが、いかんせんサーモグラフィーの違和感とボイスオーバーでルドルフ・ヘスが「ヘンゼルとグレーテル」の物語を語っている中で映し出されるので
、寓話的というか夢の中のようというか、現実とは離れたシーンであるかのようなのである。個人的にこのシーンは、「収容所にリンゴを届けるレジスタンス」=「収容所内に関心を寄せ、アンチ収容所的な行動をする人」を描くにあたって、「収容所に全く関心を寄せず平然と暮らす人達」が普通であるこの映画の中では真反対の存在であるからこそ、色が反転するサーモグラフィーで描かれているのではないかと思う。またアンチ収容所的な行動をとるレジスタンスヒーロー性というか幻想性というか、子供に語り継ぐアンチ体制ヒーロー的な話とこの少女を被せて考えることで、「ヘンゼルとグレーテル」を読み聞かせる中でこのシーンが描かれたのだと考えることも出来るだろう。
また様々な考え方が出来るのはやはりラストシーンだろう。ルドルフ・ヘスが階段を降りる途中、彼が異様な嘔吐感を出し始めたと思えば、シーンは現代の収容所に。博物館となった収容所内を黙々と清掃する清掃員が犠牲者の所有物と共に映される。その後またシーンは過去に飛び、それを見たルドルフ・ヘスは一層嘔吐感を覚え、暗闇に消えていく...というものだ。このシーンも特に説明がない上にラストシーンでもあるので観客に変な余韻を残すのである。その上で自分が考えるのは、ルドルフ・ヘスは収容所横での生活を無関心に過ごしているように見えながら、本能では気にしておりその結果あの嘔吐につながったのではないか。というものである。2014年に「アクトオブキリング」という映画があった。インドネシアで起こった虐殺事件を加害者の視点から描いたドキュメンタリーであり、最初は当時のことを自慢げに語る加害者であったが、ドキュメンタリーが進むうちに激しい嘔吐感を覚えていく...という映画である。「関心領域」のラストもまさにそれで、見ないようにしていた大量虐殺に対する自分の加害者性というものを本能的に感じ、体が拒否していたのではないか。またこうしてみると本作で描かれるルドルフ・ヘスは違う部署へ変えようとしていたり、(妻に拒否されるが)日常パートでは笑顔を見せずつねに厳しい顔をしていたりと、本音ではやはりこんな場所での生活が嫌だったのではないか?と見ることもできるのである。そして現代のアウシュヴィッツ収容所のシーンである。当時の痛みを感じることなく、仕事として淡々とアウシュヴィッツで清掃する人達。これは、文字通り仕事として淡々とアウシュヴィッツで働いていたナチスの軍人、ルドルフ・ヘスの境遇と同じとも言えるのである。ホロコーストから半世紀以上経つ現代でもこの事件に関して、ある意味無関心である人がいる。そんな現代をみて、人間というものの気持ち悪さに具合が悪くなり、ルドルフ・ヘスはさらに嘔吐感を覚える、というラストではないだろうか。これは、現代に生きる私たちへの痛烈な批判でもある。実際世界では戦争が起こっていたり、人が虐殺されている中、貴方はきちんと関心を寄せているのかと。この映画に出てきた無関心家族のことを批判できるのか?あなたは「あの家」に住んでいたらどのように生活したのか?というメッセージであるように感じた。
 この映画、収容所の中は徹底的に映さないようにしているが、なんとなく連想されるようなシーンが散りばめられているのがなんとも恐ろしい。例えば裸で列になって歩く一家、密室に弟を閉じ込める兄、またパーティシーンがだんだん収容所のように見えてくる演出などが見事である。このようなシーンが挟み込まれることで、常に安全圏でないような感じというか、常に不快感が漂うのがこの映画である。1シーン1シーン細かいところまで読み砕いていくと、もっと恐ろしいことが発見できるかもしれないが、非常に精神と体力を使うので、私のレビューはここまでとする。

inoTV IKE