花腐しのレビュー・感想・評価
全20件を表示
男と女が腐り始める時。不器用で馬鹿で切なく愛おしい男女の生き様。
男と女の関係が腐りはじめる時。
自分の過去の経験を否応なく思い出させられた。
「あの時から、俺たちの関係は腐り始めた」
そう、後から考えれば、あの時かと思う。
誰の身の上にも起きそうな話。
どうしようもないのだ。抗いようもなく。
過去の男も、つい最近まで一緒にいた男も彼女を幸せにできなかった。彼女もまた彼らを幸せにできなかった。
幸せとはなんだろう。
それでも、その時、その時を一心不乱に生きてきたはずなのに。
一緒に泣いたり笑ったり、愛し合ったことも数え切れない位あったはずなのに。
なぜ。いつ。
どこから腐り始めるのだろう。
子供を作り、親となり、育てていけば、新たな何かが始まったのだろうか。それもまた違う気がする。
結局、だめな女とダメな男たちなんだ。
年配の脚本家に「ごっこ」と言われて、激昂したのは思い当たる節があったからではないのか。
女は死ぬか、死んだように生きていくしか自分には残されていないと悟って絶望したのだと思う。私にはその気持ちがわかる気がした。
度々の濃厚な性愛描写は、彼らが生を感じる場面として繰り返し生々しく描かれるのだと思った。
何も考えず、ただ身体を重ねて情愛に溺れている時、最も生きていると感じる。それすら、意欲がわかなくなったら、あとは枯れていくだけ。
なぜ山口百恵のあの歌なのかと思ったが、単純に作者の好みかもしれないし時代の雰囲気を出したいのかもしれないと思った。
ただ私は、こう思った。死ぬか死んだように生きていくか、彼女が逡巡したとき、美しいままの自分、少なくとも老いさらばえた姿ではない自分のまま、永久不滅としたかったのではないのか。
山口百恵の引退コンサート、マイクを床に置いたあのシーンを思い出した。作者の意図は、そこにもあるのではないかと感じた。
最後、男が女を見送り一筋の涙を流すシーンでは、自分も大粒の涙がこぼれた。
不器用で馬鹿で駄目な男女達。
だけど切なくて愛しい。
そういう思いを抱かされたのは、主演の方々の繊細で素晴らしい演技によるところも多大である。
合わなかった
「火口のふたり」よりは良いけど・・・・。
でも、この監督、自分の好きな映画「新宿鮫」の脚本も書いてるし、「Wの悲劇」も書いてるんだよなぁ。
原作は未読、あっちこっちでザックリとした原作のあらすじを見たけど、随分とオリジナルと言うか、自分の古巣のピンク映画に寄せた改変してるみたい。これって、原作者的にはどうなんだろう。
過去と現代を白黒とカラーで分ける撮り方は定番だけど、たいていは過去を白黒にするのを逆に過去がカラーだから、定番の感じで見始めたら「ん?」と違和感。
映画や小説にセックスシーンが有るのは別に構わない(むしろ好き)けど、最後の乱交モドキって必要だったのかなぁ。
乱交後の最終盤、急に幻想的な締め方になって、統一感が・・・・・・
男と女と映画に捧げる鎮魂歌に、違和感が…
ピンク映画監督の栩谷。もう5年も撮ってない。
ある頼まれ事がきっかけで出会った男・伊関。ピンク映画の脚本家。
意気投合し、映画の話や愛した女の話に及ぶ。
奇遇にも同じ女。女優の祥子。しかし祥子は別の男と心中したばかりで、栩谷はそれを引き摺っており…。
ご存知の通り荒井晴彦はピンク映画出身。斜陽するピンク映画界へ捧げたレクイエム。
二人の男と一人の女。『火口のふたり』とも通じる身も心もさらけ出した男と女の愛のドラマ。
荒井晴彦の集大成とでも言うべき作品になっているが…
何度か述べてはいるが、荒井晴彦は脚本作では好みのものあるが、監督作はどうもハマらない。各方面で絶賛された『火口のふたり』も良さが分からず。ただのエロ映画じゃん…。
今回は『火口のふたり』よりかは気に入ったけど、やはり例外に漏れなかったかなぁ…。
二人のダメ男の体たらくコメディと見れば笑えてもくる。
そのクズっぷり、ダメっぷり。未練たらたら。
それを酒を呑み交わしながら、怠惰と哀愁たっぷりに語り合う。
これがダメ男の自虐コメディと呼ばずして何と呼ぼう!
その画にハマる綾野剛と柄本佑の妙。
圧巻はさとうほなみ。結構映画にドラマに活躍しているそうだが、元はゲスの極み乙女。のドラムス。歌唱シーンはさすが。体当たりの熱演。体当たりの濡れ場。『火口のふたり』よろしく、濡れ場がエロい。マジレベル。その女優魂はこれから注目しちゃいそう。『火口のふたり』の瀧内公美同様、女がいい女なのだ。
栩谷も伊関も祥子と同棲している時はあまり大事にしていない。失ってから…。男の惨めさ、バカさの典型。
映画への情熱もだ。仕事してる時は不平不満。作れなくなってからはそれでもしがみ付こうとする。
そんなダメ男二人に対し、祥子は尽くし、どんな女優の仕事にやる気を。
その対比。
対比は映像面にも。現在がモノクロ、過去がカラー。言わんとしている事が何となく分かる。
ザリガニや歌謡曲も巧みに印象付ける。
ラストの栩谷の脚本の書き直し。どちらが“本当”の事なのか…?
また、その“脚本”によると本作は、栩谷の思い出であり、一部創作であり…?
何とも不思議な余韻残すが、ちと分かり難くもある。
分かり難さと言うか、少々違和感を感じた点も。
ピンク映画へのレクイエム。
荒井晴彦がデビューした時、日本映画全体が傾き。ピンク映画界へ。一時代を築くも、それもまた傾く。今日本映画に客が入るようになるが、そのほとんどがアニメや見世物的な映画と呼べない代物ばかり。日本映画の荒浪時代を身を持って体験した荒井晴彦が、ピンク映画のみならず日本映画に思うものをぶつけようとした…のはいい。
でも何か途中から(と言うかそもそもが)、男と女の関係メインになっているような気がして、絶対的にピンク映画界が設定じゃなくても…。
原作小説はピンク映画が設定じゃないらしい。男二人と一人の女のドラマは概ね踏襲しているらしいが、ピンク映画設定は荒井晴彦の大胆脚色。
原作小説は読んではいないが、一応Wikipediaで小説の設定は調べたが、何処にピンク映画に置き換え、通じるものを感じ、投影しようと思ったのか。
そこに違和感を感じた。
これも問題になっている原作改変では…?
原作者は納得しているのか…?
キネ旬ではイーストウッド並みに神格化されている荒井晴彦だから評価されているのか…?
やはりまだまだ凡人には分からず。
牛肉弁当食べながら見る作品ではなかった
綾野剛見たさにネトフリ鑑賞。
モノクロとカラーで過去と現在を切り分ける演出、馬の背(雨と晴れの境目)、万葉集等文学的なモチーフも散りばめられており、ところどころキラッと光るセリフもありましたが、全体を通して何が言いたかったのかが曖昧で、さらに過剰な性描写に辟易しました。
祥子と伊関や栩谷との性愛描写は、それぞれの関係性を説明するのに必要だったかもしれませんが、キノコ部屋の外国人女性2人は何の必然性があったのか理解に苦しみます。伊関に刺さった団子はなんかのギャグですか?
また作品の時代背景とはいえ、祥子と言うキャラを通して作品全体から滲み出る、女性に対する古臭い考え、雑な扱い、自分勝手な男性視点の語り口が終始不快でした。
ラスト、白いドレスを着た祥子が入った部屋で栩谷は何を見たのか?それまでの伏線が雑過ぎたため、栩谷が見たのがキノコが見せた幻だったのか、はたまた腐乱死体だったのかさっぱりわかりませんでした。
昨今「あとは視聴者の想像にお任せします」的な思わせぶりなエンディングをよく見ますが、いやちゃんと広げた風呂敷たためよ、あけたドアはきちんと閉めろよ・・・
エンディングのカラオケも、正直上手いとは言い難い「さよならの向こう側」に、やおら栩谷がマイクを握りしめて参戦し終幕???
もういっそ「紅だああああ」と絶叫してほしかった。
それにしても、この作品に限らず映画製作者、俳優、小説家、漫画家、各種アーティストと呼ばれるクリエイティブなお仕事をしている方々は、どうしてこうも左向き志向なんでしょう?
何かを創作するのに、反骨精神とか体制に阿らない個性の主張は必要不可欠なのかもしれませんが、作品にあまりにあからさまな政治的主張を練り込まれると正直ウンザリします。
綾野剛の肉体美を堪能できたところだけ星ひとつ。
幸せを感じる内容だと良かった!!
いくらセックスシーンがあっても、エロく感じるかは彼女と過ごした楽しく幸せな時間があってこそだと思うので、ただヤッているだけの印象です。彼女さんの事、もっと大事にできたら良かったですね。また声がいっぱい出ていますが、これもエロく感じないのは、やはり疑似だからでしょうか。主人公の男性2人も何かつまらないです。と映画の中で映画論をやられると鼻に付きますが、2024年の藤井道人監督「パレード」より良かったと思います。
東日本大震災から半年余りの冬。 都内では多くのピンク映画専門館が閉...
東日本大震災から半年余りの冬。
都内では多くのピンク映画専門館が閉館し、業界は斜陽の一途。
監督の栩谷(くたに。綾野剛扮演)は、もう5年も映画を撮っていない。
そんな中、同棲相手の祥子(さとうほなみ)が、同業監督と心中した。
故郷での葬儀に赴くも、野良犬のごとく追い返される。
祥子が借りていたアパートは出ていかざるを得なくなった栩谷。
それから半年。
ときは梅雨。
仕事のない栩谷は、いま住んでいるところの大家から仕事の依頼をうける。
大家が所有する古いアパートに、ひとりだけ居座り続けている男がいる、追い出してほしい、と。
件の男の部屋に向かうと、愛想はいいが胡散臭そうな男(柄本佑)が出てくる。
男は伊関と名乗り、かつて脚本家志望でシナリオを書いていたという。
そして、かつて一緒に暮らしていた女の話をし始める・・・
といったところからはじまる物語で、伊関が語る女性が祥子で、ふたりして語り合う女性が同一人物。
観客は知っているが、栩谷と伊関はそれを知らない、というのが面白い趣向なんだが・・・
回想シーンはカラー、現在はモノクロとわかりやすい撮り方をしているので、観ていて混乱することはない。
が、どうも、こういう作品を観たかったんじゃあないんだよなぁ。
2時間20分近いピンク映画のようで、その手のシーンがくどい。
途中から嫌気がさしてくる。
さらに悪いことに、栩谷と伊関を通して、祥子がみえてこない。
ダメンズに引っ掛かっちゃうダメ女にしかみえない。
それは、ダメンズからみたら「都合のいい」女でしかない。
いわゆる「ファンタジー」、妄想みたいなもの。
(劇中でも、伊関が「AVのソレは童貞男のファンタジー」と言っている、それそのもの)
それはそれでいいのかもしれないが、劇中のベテラン脚本家が伊関たち脚本家志望の生徒たちに「きみたちにしか、いまの人間は描けないんだ」と言うが、この映画に出てくるひとたちが「いまの人間なのかなぁ」なんて思ってしまう。
80年代のモラトリアムにしか見えない。
最終的に、栩谷・伊関・祥子の話は『花腐し』という栩谷の脚本として結実するが(そこにひとつ謎解き的要素があるのだが)、祥子という女性が脚本に昇華されたと見るか、(都合のいい女として)消費されたと見るか。
個人的には、後者だなぁ。
このあたりが、とてつもなく不愉快。
80年代的要素は、『ラブホテル』へのオマージュのような山口百恵のラスト曲の使用や、『Wの悲劇』の名セリフの引用(荒井本人の筆によるが)にもみられ、そこいらあたりも非常に据わりが悪かったです。
好きな相手には遠慮しちゃう気持ちわかる
栩谷(綾野剛)のセリフがとても印象的でした。
「好きな相手とは正常位しかできない」
深い🤔
モノクロとカラーの使い分けが好きです。
雨の中の栩谷と伊関(柄本佑)の会話も好きです。
ラストのカラオケシーン好き。
なんだか切なくなる🎤
主要キャストみんな、体当たりエロティック♥️
同監督の #火口の二人 も観ましたが、
個人的にはあちらの方がエロティシズムを感じます。
そもそも綾野剛に色気を感じない🤣
あ、柄本佑にもだけど、彼は何だかユニーク
この作品に137分は長い😵💫
不器用な男達の不器用な愛
桐岡祥子を巡る二人の男のほろ苦い恋物語だが、多分女性としての視点で見てしまうと、最低じゃねぇかに尽きるのだが、この作品の良さはピンク(=エロ系)に生きながらいかに良作を生み出すためにはと思い描く二人の男としての苦悩を描く。映画監督の栩谷は大家からの依頼で家から出ていくようにと説得をするために井関の部屋へとやって来て、やがて二人は同じ業界にいることを知り仲良くなっていくに連れやがて二人が以前付き合っていた印象に残る女性が同じ女性であることに気づき始める。
最初は同一人物とは知らずにお互い話すのだが話していくに連れ共通項があることを知りやがて名前はという流れになり、結果同一人物だったという事がわかるのだが、最大の謎は何故桐岡祥子は桑山と心中してしまったのか。女優としていちひとりの女性として生きるのが辛くなったのか、そこに栩谷に対する最終通知という意味があるのだとしたら、彼女は愛する人に愛され家庭を持ち幸せな人生を歩みたかったからこその逃避行にも思える。
栩谷や井関は桐岡のことを自分なりの愛情表現だったかもしれないが、幸せになることを女性として望む彼女にとって、彼らの存在は我が身をボロボロにするだけでなく、幸せからも遠のいてしまうことに絶望し、彼女は彼女なりの栩谷に対する最期の別れだったのだとしたら通夜に入れさせては貰えない理由も自ずと分かってくる。
荒井晴彦の遺言のような
荒井晴彦が、松浦寿輝の小説を基に、ピンク映画に関わる二人の男と一人の女の性愛の日々を映画化。原作小説を相当翻案しているそうで、荒井自身がかつて主戦場にしていた、今や消え行くジャンルであるピンク映画・ロマンポルノへの惜別の思いを込めたような作品となっている。
冒頭の心中から葬式あたりは、主人公の綾野剛の表情や話し方もあって、陰鬱な雰囲気だが、雨をくぐって立ち退きアパートに住む柄本佑と出会ってから、一気に物語が転がり出す。現在はモノクロ、過去はカラーという、常套手段とは逆にしているのが面白い。大家が歌う「君は天然色」に引っ掛けていたことに、後から気付いた。
「ラストタンゴインパリ」「卒業」「セントエルモスファイア」「カスバーハウザー」といった数々の映画を取り上げているのは、映画好きとして嬉しいところだか、これも荒井晴彦の創作だろうか。
綾野剛は、暗い中でも時折優しさを見せている。柄本佑は、持ち前の軽さとあっけらかんとした感じで、うまく対照を示している。さとうほなみは、脱ぎっぷりはよいが、あまりに普通っぽくて、ファムファタールの危うい感じはしない。
女と別れるきっかけが、二人ともに女が妊娠したからというのは、ちょっとベタな気がした。韓国スナックから戻った後で、女二人とまぐわうシーンは、意味がよくわからない。初期若松プロの白黒ピンク映画を再現したかったのだろうか。
前作「火口のふたり」では、災害にへこたれないエネルギーを感じさせられたが、今作では、ピンク映画業界の衰退や、震災後の政治情勢を含めて、「諦め」に近いものが感じられ、いわば荒井晴彦の「遺言」を見せられたような、ある種の寂しさを感じた。(「さよならの向こう側」も深読みすると…)
本人へのインタビューでは、まだまだ映画作りへの意欲はあるようだが。
会話劇
こんな会話劇な映画だと思ってなくて新鮮
柄本佑君、韓国スナックで手が震えていたのは緊張から?気になってしまった
女優志望の女性を軸に
元彼と彼氏が
ひょんなきっかけで出会う話
彼女が死んでからはモノクロ
彼女が生きている時はカラー
ピンク映画絡みのため
濡れ場が多い
そこが長くも感じ
笑えるところでもあり笑
火口のふたりの時も
笑える濡れ場なんだよね
主人公の綾野剛が
なぜ彼女が友人と心中したのかずーっとタバコと酒を飲みながら考えている
元彼だと知らず、柄本佑とずっと呑みながらシーンが多いのだが、綾野剛役の優しさが滲み出る
無口でボソボソ話す男役だが、
自分のグラスに注ぐ前に柄本佑のグラスに酒を必ず注ぐ
さとうほなみと鍋を囲むシーンも野菜をよそってくれていた
元彼の柄本佑は、モラハラ男で最低だ
子供ができて父親になると言うが
さとうは女優が諦めきれないから生まないと言うが
多分それだけじゃなく、あなたとの生活がこれから続くのが嫌だったはず
子供が出来て綾野剛には生みたいと言うが、拒否られる
綾野剛との未来は考えていたはず、年齢的にもう厳しいと話していたが32ならまだいけると内心思う
彼女が綾野剛ではない男と
一度か2度か、わからないが浮気した男と心中してしまったのは、綾野剛のあてつけか、心中した男に優しくされて、意気投合して心中したのか、わからないけど
綾野剛はさとうほなみに惚れていたんだなぁ
エンドロールで綾野剛がスナックで歌っていたが、歌っているの初めてみた笑
そういえば今度の映画はカラオケでしたね🎤✨
モノクローム
シネコンではもうほぼ見られず、単館公開でしか観られなくなったピンク映画。自分はピンク映画の全盛期は全く知りませんし、これまで観たピンク映画は数えるくらいです。
今作はピンク映画に携わっていた栩谷と伊関という2人の男と、互いが過去に付き合っていた祥子という女性との話という切り口はだいぶ重めじゃないかなと思いましたが、全体的に見ると笑えるところもあった面白い作品でした。
序盤の栩谷の友人の監督の通夜のシーン、この導入の時点ではあまり期待できないなという入りでした。弔う場所で言い争うシーンがある映画の大半はそのノリを引き継いでしまう作品が多かったなと思ったので、大丈夫かなと思いましたが、アパートの立ち退きの件で偶然出会った栩谷と伊関のアパートの一室の話し合いから一気に面白くなりました。
過去に付き合った女を思い出し、それが全く同じ女だった事を途中まで気づかず、未練タラタラな事を酒とタバコとツマミと共に語っていく過去の話が今作のメインストーリーになっており、過去はカラーで描写され、現在はモノクロで描かれるという対比も良いなと思いました。
童貞の喪失や酔いの勢いで及ぶ行為と、当時の2人の価値観が行為に出ているのが印象的でした。
今作はしっかりと性行為を映す作品なので、それが苦手な方(そもそもR18+の作品は観に来ないと思いますが)はずっと目をそらさなきゃいけない作品です。
役者陣の動きや息遣いがリアルで、濡れ場の細部を事細かく映しており、最上級のAVを見ているかのようでした。
AFをするシーン、普通なら見るに耐えないものになるはずなんですが、マーガリンを塗って無理くり挿れてしまえ!というノリでやる事によってコメディになっていたのが面白かったです。
そこからは2人が別れた流れを描いており、仕事がうまくいかない様子や募り募った不満だったりと、別れ方に特別なものはありませんでしたが、2人とも子供ができたというところが共通しており、父親になる事の責任だったりは覚悟ができない人にとっては重荷すぎるんだなと思いました。
ラストシーン、アパートを徘徊する栩谷が長く映されますが、長いなーと口に出てしまいそうなくらいには長かったです。小説の修正シーンで割と終わりそうな雰囲気があったのに、これを追加したのは冗長だなと思ってしまいました。
エンドロールではほなみさんと綾野剛さんとのデュエットでの歌唱、しかも超全力でやってくれて、暗く沈みそうなラストシーンを払拭するかのような迫力がそこにありました。
エロスの塊のような作品で、現代ならではのピンク映画を楽しむことができました。上品なアレンジが効いてるので、本来のピンク映画に挑戦する勇気はいまだに出ませんが、いつかは見にいけたらなと思います。
鑑賞日 11/27
鑑賞時間 12:45〜15:10
座席 D-13
愛は邪魔もの
ピンク映画の監督桑山と売れない女優祥子が心中をした場面から物語は始まる。
桑山の友人であり、祥子と同棲生活を送っていた栩谷は、葬式で彼女の死に顔を見ることも許されなかった。
なぜ二人は死ななければならなかったのだろうか。
女優業も監督業も一見華々しく思われるが、スポットライトが強く当たるほどその影の部分はより色濃くなっていく。
栩谷もピンク映画の監督なのだが、もう5年も映画を撮っていないらしい。
特に斜陽であるピンク映画業界では、撮りたい作品があっても撮れない。
その業界の闇の部分が生なましく描かれている。
ふとしたきっかけで栩谷は、大家の金から取り壊される予定のアパートに住み続ける一人の男を立ち退かせるように言いつけられる。
ボロボロのアパートに住み続ける伊関という男は、かつてシナリオライターを志していたらしい。
彼を立ち退かせるためにアパートを訪れたはずの栩谷だが、いつしか伊関のペースに巻き込まれ、お互いが同じ業界にいたことから身の上話を交わすようになる。
そして二人が愛した女性は、同じ祥子であったことが明らかになっていく。
これは芽生えた愛が腐っていくまでの過程を描いた作品である。
が、果たしてこれが愛だったのかどうかは疑わしい。
売れないピンク映画の監督とライター志望と女優志望。
いずれも華やかな世界を夢見ていたのだろうが、現実は誰からも評価されない虚しい日々が続くだけ。
関係でいえば伊関と祥子の付き合いの方が先なのだが、ライターを諦めた伊関に対して、祥子はいつまでも女優の夢を追いかけ続けていた。
諦めなければいつかは夢は叶うというのは幻想だ。
そして同じ情熱を保ち続けることは想像以上に難しい。
親とも半分縁を切ってしまった祥子には、後に引けない部分もあったのだろう。
伊関との間に子供が出来た時には女優業に専念したいために堕胎してしまうが、栩谷の子供を身ごもった時は母親になることを強く希望するのが印象的だった。
どこかで彼女も引き際を探していたのだろう。
しかし彼女は流産してしまう。
伊関にしても、栩谷にしても、祥子の心に寄り添えるような立派な男ではなかった。
彼らは自分の惨めさを隠すために祥子を攻撃する。
そして祥子もそんな彼らに依存してしまっていた。
彼女が実家に帰ると偽って桑山と死ぬことを選んでしまったことはとても哀しい。
桑山も撮りたい映画を撮ることが出来ない虚しさに負けてしまったのだろう。
結末が哀しいだけにエンドロールで流れる祥子が歌う『哀しみの向こう側』がどこか滑稽なのが救いか。
そしてセックスシーンが思わず笑っちゃうほどに生なましく見事だ。
伊関が「セックスに愛は邪魔もの」だと語るシーンが何故かとても印象に残った。
山崎ハコにちゃんと歌唱報酬あげてね
テアトル新宿には85歳ぐらいのおばあちゃんが観に来ていて、ビックリ。
女は灰になるまでなんていいますからね。
花腐し。読めません。教養ないんで。
ほな・いこか(さとうほなみ)お目当て。最近の彼女の出演作は4作続けて。なので☆ひとつおまけ。
いちばんリアリティーを感じたのは心中した監督のお通夜で、いまおかしんじ(ピンク七福神のひとり)に殴りかかる男。いまおかしんじは確かに短期間に作品を乱発してる。この映画はまさしくピンク映画業界の話。
20年前の高校の同窓会でY君が【演出】とだけ肩書きの書かれたシンプルな角の丸い名刺をくれて、ソフトオンデマンドなんだと言ったときのショックと羨ましさといったらありませんでした😎ピンク映画が衰退し、一般映画の監督として活躍している人もたくさんいます。本作もそんな監督の作品。
山崎ハコの歌がセリフにかぶって流れる飲み屋の場面。歌に聴き入ってしまいセリフが入ってこない(笑)
松山千春の恋。
堺正章の街の灯り。
ダウンタウンブギウギバンドの「知らず知らずのうちに」もありました。
山崎ハコのカバー曲を聴けるだけで幸せ。しかし、荒井晴彦監督はすでにCD化されたものは版権が高くつくので、ハコに新しいカバーを歌わせて経費節減したとか言っている記事を発見。とてもがっかりしました。言わぬが花なんではないでしょうか。花腐しですわ。かなりゴーマンな御仁なんでしょうね。くせ強めの映画も昭和の匂いがプンプン。2012年じゃないよね。
山崎ハコさんは新宿K’s Cinema で年末に瀬々監督のヘブンズストーリーがかかる度に自主的に入り口で丁寧に挨拶してくれていたのが印象に残っています。わたしにとって今でもフォーク界のアイドル。オリジナルのみならずカバーした楽曲の出来も素晴らしい。私は阿久悠作詞のざんげの値打ちもないがとくにお気に入り。瀬々監督もピンク四天王のおひとり。この日は新宿K’s Cinemaでピンク七福神の坂本礼監督の「二人静か」も鑑賞しました。ちょうど、まえの映画で主演の和田光沙さんがフロアに。見かける度に顔すごくちっちゃくて感動しちゃいます。どちらも脚本は偶然にも中野太さん。
マキタスポーツが弾き語りが達者なのは知っていたけど、大瀧詠一の「君は天然色」のギター弾き語り要る???
思い出はモノクロームじゃなくて、カラーだった。
延滞している家賃をまけてもらうことを条件に立ち退きを拒んでいるアパートの店子の退去を強要される監督(演出)のクタニ(綾野剛)。ドアをノックすると女の喘ぎ声が聞こえた。柄本佑(イセキ)に上手に丸め込まれ、モルツで酒盛り始めちゃう。よっぽどウマがあったんでしょうけどねぇ。女は押し入れの中? 誰?まさか襖の奥にもう一つ部屋があるとは思わなかった。イセキは本当にゲスの極み。面白いやつだけど。
山崎ハコがママの韓国スナックに場所を移してまだまだ続く。マッコリ、JINROを追加
ホクロのくだりでやっと気付いた?
もっと前から共有していたよね。
名前を確認。
全然驚く様子なし。
回想シーンではさとうほなみの首の左と肩と腕にホクロが3つ。拝まさせていただきましたよ。
あいだあいだに挟まれる裸体映像はかなり大盤振る舞い。
主役は祥子役のさとうほなみですね。
綾野剛は極力色気を殺した演技で風采のあがらない男を演じきる。
🎵 今度生まれてくるとしたなら やっぱり女で生まれてみたい だけど二度とヘマはしない あんたになんかつまずかないわ
男はいつも待たせるだけで 女はいつも待ちくたびれて それでもいいと・・・
ゲスの極み乙女。のドラマーのさとうほなみがカラオケで歌う山口百恵のさよならの向こう側。エンドロールのあとに続きが。綾野剛がタバコを咥えながらデュエットに参加する。心中した監督役の吉岡睦雄がカウンターの灰皿を綾野のほうへそっと近づける細かい演技。モモエのようで、桜田ずん子のようなこぶしまわし。シンプルなビートのテクノポップ調の曲が多いゲスの極み。しかし、彼女はもっとエモーショナルに盛り上がる曲やドロドロした人間臭い役をやりたいんでしょうね。オイラもドラムが歌い過ぎとギターによく怒られたりするのでなんとなくわかるんです。
いい女ですなぁ。
マジックマッシュルーム部屋のレズビアンシーン以降はちょっとやりすぎ。
荒井晴彦監督75歳過ぎているのに攻めてきますね。ポール・バーホーベン監督みたいになっていくんでしょうか。本当にこわいですね~
イセキ(柄本佑)の部屋のノートパソコンに書かれた花腐しのシナリオ。クタニ(綾野剛)の後悔と逡巡を描くシナリオの消去や書き込みを繰り返すシーン。
モザイク入れのバイトで知り合った中国人女子留学生とマジックマッシュルームに夢中のイセキがクタニから聞き出した話を短時間でシナリオに書きあげるとは到底思えない。もう幽体離脱しているかのよう。
失ったあとでわかる大切なひと。
でも、クタニは祥子を心から大事にしていたようには見えなかった。それも業界の体質とか腐ってしまった成れの果てか?
万葉集の和歌。
春さりて 卯の花腐し 我が越えし 妹の垣間は 荒れにけるかも
の句はなんだか綾野剛と柄本佑には似合わなかったような。
卯の花って、おからの味付けしたオカズじゃないのはなんとなくわかっているけど。
あのおばあちゃんは・・・もしかしてだけど、万葉集の映画だと思って見に来たのかも。御指南いただきたく存じます。このあわれな教養とは無縁のわたくしを救いたまえ。
教養のないわたくしからすれば、題名は万葉集だけど、内容は昭和歌謡メロドラマだったような。
妹の垣間は、あの娘の生垣の隙間と現代訳するらしい。荒れてしまったのはお手入れをサボったから?お手入れとはアレをいたすことですよね。匂ってくるようなヤらしい和歌。
🎵 卯の花の匂う垣根にホトトギス早も来鳴きて・・・忍び寝漏らす 夏は絹
卯の花くたし
花は咲き、そしていつかは朽ちる。
腐って静かに眠る。
その花の想いや気持ちは、其々違う。
人間も同様。
その時花を咲かす時もあれば、咲かない時もある。腐っても生きていかなければならない。
また咲くかもしれないから。
なんか、お芝居が好きな役者達。
綾野剛さん、柄本佑さん、さとうほなみさん。
ピンク映画なのか芸術なのかは、その人の視点で。不器用な男二人と一人の女の映画への想い。
最後の『さよなら向う側』を唄う栩谷。
やる気無さそうにしてたのに、途中で本気で熱唱。また歌の歌詞が恐るべしセレクト感。
~一輪の花にして無限の命を知らせてくれたのは
あなたでした。約束なしのお別れです。
今度いつと言わない。きっと私は忘れない。
後姿をみないで下さい~
上手にはめたなぁ。そして祥子を本気で
愛しているだと思った。
男と女には深くて長い河がある。
交じ合う事もあれば、交じ合わない時もある。
咲いてる時でも、咲いて無いときでも目の前の
人を観て欲しいもの。
朽ちて這い上がる人と、そのまま朽ちてしまう
人もいるので。
雨音も美しい映画でした。
愛があると正常位しかできない
同じ女性を愛した二人の男が、それと気付かず思い出を語り合う話。
「初対面でそうはならんやろ」とは思うが、柄本佑のキャラが「コイツ相手なら」と思わせる。
演技は総じて素晴らしい。
綾野剛と柄本佑は言わずもがなだが、今回は酔い(not酔っぱらい)の芝居がズバ抜けていた。
さとうほなみは相変わらず体を張るし、濡れ場が本格的過ぎる。
後で調べたら本職だったリンリン役とユジョン役にも、まったく引けを取っていなかった。
普通なら過去の方をモノクロにするところを逆転させ、栩谷と伊関の内面に当てるのは単純ながら効果的。
回想を含めほとんどのシーンが家の中なためか、一度場所を変えるなど配慮も見られる。
ただ、137分かける話かというと疑問だし、特にリンリンやキノコ関連は必要だったのだろうか…
最後、伊関が一晩で『花腐し』を書き上げ、何故か栩谷の漢字を知っているなど急に雑になったのもやや残念。
祥子の幻影が微笑んでくれた理由もよく分からない。
脚本に手を加え、「こうすればよかった」となったら、むしろ後悔は強まりそうだが。
序盤から謎だった、祥子が桑山と心中した理由がハッキリしないのもモヤモヤ。
百合ックスを呆然と眺める栩谷&井関と、エンディングで原キーに合流する綾野剛には笑った。
歌ってる祥子を眺める「あ、惚れてるな」という桑山の表情は白眉。
デュエットし始めた途端にそっぽ向くところも含めて、色んな意味で彼が一番純粋だったのでは。
◯兄◯
かなり品性を疑う題名になってしまうので、ある程度ボヤかしたのだが、それでも下劣な表現、先ずは陳謝
そんな内容(セクシャル表現)は抜きにしても、何処にも救いようのない、未来も希望もない「夢の島」なんていう皮肉にも程がある場所に埋められる類の話であり、私の大好物な″類友″のジャンルである 難しい哲学的なモチーフはなく、台詞には学のある単語が散りばめられるが何一つそれが生活に役立つ訳でもなく、インテリゲンチャの教養振りをひけらかす兄弟達wのマウント合戦を繰り広げているだけの不毛な知識の垂れ流しであり、だからこそ″腐敗臭″漂う映像の爛れを益々色濃く足らしめているのである
現代パートをモノクロ、過去パートをカラーに色分けしている所も分かりやすく情緒を吐露している 悪徳家主の爪弾く♪君は天然色♪は正に今作品の色設計を明示してみせたメッセージであろう
しかし、これだけの熟成表現のプロットを果敢に参加したキャスト陣に先ずは称賛を送りたい 柄本兄はこういった作品のお馴染みであり、今作は義父との共演(シーンは異)だが、綾野剛はここ迄″汚れ″を演じた事は無かったであろう さとうほなみに至っては、今年の映画界一番、身体を張った俳優魂を観客に届けてくれた稀有で貴重な演技として大変素晴らしい、手放しで歓ぶ出来栄えである ″ゲス極″でのプログレな変拍子とパワフルさ、JAZZドラマーとしても充分通用する確かなテクニックを持ち併せていながら、堂々たる演技も又、観客を魅了していく 勿論、躊躇無く披露する肢体や、その年齢に見合う健康的肉体の造形も目を奪われるのだが、ドラミングの如く性愛描写の逞しさ、勇ましさには舌を巻く 較する事自体、ナンセンスだが、同じ柄本兄が相手役ということでの北香那のそれとは、色合いの違いがハッキリしていて大変興味深い 方や秘めた"白"だとすると、さとうは、"青い炎"のような鋭さを抱かずにはいられない 芝居俳優からのピンク女優への変遷が、その蓮っ葉さが良い具合に演技に艶っぽさを纏わせていて、決して言われたとおり演技する以上の情念を訴えかけてくる事に唯々驚くばかりだ
ドラマの方だが、確かに他のレビュアーさんのご指摘の通り、なんで無理心中を図らなければならないのかの明確な理由を描いていない為、2人の兄弟が単に昔を懐かしみ、伴すれば同じ女性を評するような構図になってしまうことに、男という性の醜い部分が鼻をつく物語になっていることは否めない 身体の特徴等や、プレイの中身迄共有してしまうことに、同性としても居心地が悪いのは正直だ
ただ、前提としてこの二人はもう未来がみえていない 完全に腐ってしまっていてそれこそクリエイティヴな仕事からの排除される立場なのである その先に待っているのもカタギの仕事等はもうマトモじゃない二人にしてみれば異世界だ 実際、違法薬物を扱っているのもとっくに片足を突っ込んでいる証拠 子供迄こさえたのに、一人は堕胎で、一人は流産 家族を形成できないという致命的欠陥(勿論、二人の主観的思想なので、一般的ということではない)が心に魚の骨のように突き刺さって取れない"原罪"として生き続けるしかないのである
そんな二人が唯一幸福だった一瞬 それが"祥子"という女神だったのである 二人ともそれ程人を愛するということに不器用というか、愛情という資質が著しく欠けてしまっていたからこそ、そのふり返りが映像としてカラーに映る程、鮮明に気付かせてくれているのであろう 「愛して」いたんだと・・・
二人が韓国居酒屋から戻った部屋では中国人留学生の女性が友達を連れてきておっぱじめている いつだって女性の方が逞しくしなやかだ 男は眺めるだけ、又は性愛の道具としての価値でしかない ビデオカメラを撮る側から撮られる立場への屈辱 なんで親友と一緒に昔の小説みたいに手首を縛り合いながらの心中なんて古くさいことをしでかしたんだ、じゃ、自分もこの女の首を絞めながら一緒に死ぬことを頼んだら、女からは「もう死んでるじゃない」とにべもない始末・・・ 幻となって現れたクライマックスシーンは、もう浮き上がることはない、腐敗した部屋での、想い出だけに縋る悲しい未来を暗示させる、しかし二人にとってはそれが幸せなのかもしれない、なんとも救いようのない腐敗臭が漂うバッドエンドであり、決して人生には輝かしさだけではない、香ばしさを教えてくれる作劇であった
因果応報?水戸さま繋がりのモヤっとしたお話し
「火口のふたり」を観て爆発したなんじゃこれ感、同じ監督さんはどんな作品にしたのか期待半分で出掛けました。
ストーリー的には芥川賞作品的な文学調で、大衆迎合とは言い難い感じでした。
柄本佑と綾野剛が同じ女性と繰り広げる人生模様は、どちらがどうとも言えない、人が年齢を重ねるに連れ、その時々の価値観からくる判断で、同じ人間だからって「絶対」は無いのだなと思わされるものでした。
まあ、そうであっても水戸のご老公様繋がりの性描写には笑わせて貰えたり、不思議な感覚がラストまで続き、なかなか整理はつきませんが不快感やつまらなさは覚えませんでした。
ただ、最後の方で綾野剛がアパートの部屋から出てきた時には下駄を履いていたのに、鏡に映った祥子を負って部屋に戻る時には裸足だったシーン、ワタシの中では何処かで三途の川を渡っちゃったのかなと、舞台はこの世ではないかなと思いました。
帰り道でパートナーに話したところ「ああ、それでまぐわった後、綾野剛が一緒に死んでくれとお姉ちゃんに話したら、もう死んでると言われたところの納得がいったよ」と帰ってきました。
受け取り方は人それぞれでしょうが、スクリーンの中で繰り広げられる延々と酒を煽り、煙草の紫煙が霧のように立ち込める世界の中でうすぼんやりしていました。
火口のふたりより好みでした。
ホ・ク・ロ。
桐岡祥子(さとうほなみ)という女性と時期違いで付き合ってた栩谷(綾野剛)と伊関(柄本佑)の話。
ピンク映画監督の挧谷、ある日、ボロアパートからマンションに建て替えようとしてる大家から立ち退かない住人がいるから立ち退き交渉を頼まれる、その立ち退かない住人伊関のもとへ行くと…立ち退き交渉行ったにも関わらず…何故か話し込み酒を飲みながら過去に付き合った女話になっちゃった挧谷と伊関、久々に実家へ帰るといって出ていき、そのまま桑山という男と心中して亡くなってしまった祥子のストーリー。
上映時間約135分どんなストーリー?と聞かれたら挧谷と伊関の過去の女だった祥子との生活とセックス、監督業の仕事の部分と書けない脚本家の話なんだけど何か時間は感じず面白かった。
役名で言うと祥子、リンリン、ハン・ユジュンのボディっ、いやバディはなかなかいいバディをしてて、仕事とはいえあんな可愛い女のバディを見て剛の剛と佑の佑は大丈夫だったのだろうか!?
あんなすました顔してリンリンとハン・ユジュンの絡みシーンは反応しちゃうよね!
役とはいえあんな絡みしたら反応しちゃうよね!?(笑)
私があの場にいたら絶対無理だと思う。
あと祥子の事を想って幻覚見たり、後の話でいい女だったって言うならもっと大事にしたら!と思うけど、いなくなってから気づいて後悔するのよねリアルもそうだけどみんな。
確かに中高年男性向きだがそこまで悪評?
特別料金の舞台挨拶回で鑑賞。さすが綾野剛、女性比率が非常に高い。かなり濃い目のエロ描写も多く、面食らった方も多いのでは。
冒頭からお通夜のシーンまでは「舞台か」と突っ込みたくなる演出に閉口するも、二人の男の過去話に次第に引き込まれていき、スジ上は不要なエロシーンも流しつつ、最後まで興味深く見ることができた。韓国居酒屋で二人が揃ってコートを脱ぐシーンは偶然なのだそう。さとうほなみは二人を巻き込むヒロイン大丈夫かなと思っていたが、時間がずれていて無用な心配、美しく可愛く悲しく描かれておりました。
オッサンならではの感慨は、山口百恵のさよならの向こう側と、荒井晴彦監督が脚本に関わったWの悲劇からのそのものズバリのセリフ引用。こっちは若者は気付かないだろうな。
全20件を表示