花腐しのレビュー・感想・評価
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会話劇
こんな会話劇な映画だと思ってなくて新鮮
柄本佑君、韓国スナックで手が震えていたのは緊張から?気になってしまった
女優志望の女性を軸に
元彼と彼氏が
ひょんなきっかけで出会う話
彼女が死んでからはモノクロ
彼女が生きている時はカラー
ピンク映画絡みのため
濡れ場が多い
そこが長くも感じ
笑えるところでもあり笑
火口のふたりの時も
笑える濡れ場なんだよね
主人公の綾野剛が
なぜ彼女が友人と心中したのかずーっとタバコと酒を飲みながら考えている
元彼だと知らず、柄本佑とずっと呑みながらシーンが多いのだが、綾野剛役の優しさが滲み出る
無口でボソボソ話す男役だが、
自分のグラスに注ぐ前に柄本佑のグラスに酒を必ず注ぐ
さとうほなみと鍋を囲むシーンも野菜をよそってくれていた
元彼の柄本佑は、モラハラ男で最低だ
子供ができて父親になると言うが
さとうは女優が諦めきれないから生まないと言うが
多分それだけじゃなく、あなたとの生活がこれから続くのが嫌だったはず
子供が出来て綾野剛には生みたいと言うが、拒否られる
綾野剛との未来は考えていたはず、年齢的にもう厳しいと話していたが32ならまだいけると内心思う
彼女が綾野剛ではない男と
一度か2度か、わからないが浮気した男と心中してしまったのは、綾野剛のあてつけか、心中した男に優しくされて、意気投合して心中したのか、わからないけど
綾野剛はさとうほなみに惚れていたんだなぁ
エンドロールで綾野剛がスナックで歌っていたが、歌っているの初めてみた笑
そういえば今度の映画はカラオケでしたね🎤✨
不完全燃焼の男たちの腐っていく性(さが)
夢を追っても、それを実現できる才能や根気に欠け、そのうち自分は何しているんだっけと自信も失って、ますます才能を枯渇させていく人は多く、どこかで平凡なところで妥協して生きていく人が、ほとんどではないか。この諦めも着かぬ人は腐っていくが、その腐敗から逃げた平凡な私たちは、実際どこまで腐っていくか、覗いてみたい気もする。それを見せてくれる映画かもしれないが、自分が腐るだけでなく、他の人も道連れにするのが辛い。もちろん、綾野剛、柄本佑というキレキレの男優二人の共演であり、腐った人間といっても画面はキレイなものだが、力演している、女優としてはこれからのさとうほなみが、二人との対照で余計に切なく見える。虚実とり混ぜのエンディングは好き嫌いは分かれようが、一般映画には十分なエロス、酒場の雰囲気も十分に楽しめる。自分の人生の全体が見えてきた中高年にも染みる。
「さよならの向こう側」は反則技
2000年に発表され、同年の芥川賞を受賞した松浦寿輝の同名小説を映画化したものでした。原作未読で詳細は分かりませんが、映画の舞台は2012年から13年に掛けての時期であり、民主党政権から自民党政権への政権交代や、東京五輪招致と言った時事的な話題が、世の中が「腐る」という本作の主題の象徴的な出来事として挿入されており、荒井晴彦監督の政治的スタンスを多分にまぶして語られることから、原作に一定の手を入れた上での映画化だったと思われます。
物語としては、ピンク映画の監督である挧谷(綾野剛)と脚本家の伊関(柄本佑)がひょんなことから出会い、伊関のアパート、そしてスナックで互いに昔の彼女のこと、仕事(ピンク映画)のことを中心に話していくうち、実はお互いの彼女は桐岡祥子(さとうほなみ)という同一人物だったことが分かるというもの。観客は端からそのことを知っているため、互いの元カノが同一人物であることが判明したこと自体に驚きはありませんでしたが、2人がそれと認識することになった理由が、ピンク映画を題材にした映画らしく、ニヤッと笑ってしまうものでした。
また、祥子は映画冒頭で別の男と心中していますが、祥子と同棲していた頃の2人の回想シーンはカラーで、2人が語らう現在のシーンはモノクロで描かれており、これがまた非常に情緒深い演出でした。
俳優陣としては、綾野剛、柄本佑、さとうほなみの3人の登場シーンがほぼ全てを占めるものでしたが、3人とも表現が素晴らしく、かつ色気ダダ洩れでウットリとさせられました。R18+指定の名に恥じず、セックスシーンも惜しげないものでしたが、お三方とも非常に綺麗な肌艶をされており、これは見習わないとアカンなと思った次第でした。無理だけど(笑)
ところで題名である「花腐し」ですが、誰がどう読んでも「はなくさし」だと思われるところ、実際は「はなくたし」と読むそうです。これは、「卯の花腐し」という言葉から来ているものと思われます。この言葉は、旧暦4月の季語だそうで、この時期に白い花を咲かせる卯木(ウツギ)の花である「卯の花」が、長雨、つまり梅雨によって腐ってしまうことを表しているんだとか。
で、本作の主題はまさに「腐る」ということで、ここで腐るのは人であり、人と人の関係性であり、そして社会全体です。祥子は心中してしまったし、挧谷や伊関もピンク映画の斜陽によりお先真っ暗。また挧谷と祥子、伊関と祥子の関係も破綻してしまった。そしてそれらを取り巻く社会も沈み続けている。そんな状況を、実に叙情的に描いた作品であり、今年観た映画の中でも1、2を争う面白さでした。
そしてストーリーや俳優陣の活躍とともに本作を特に印象深い作品にしたのが音楽。ところどころで挿入されたポップスの名曲が、まさにこの曲以外に考えられないという選曲で痺れました。山崎ハコ本人がスナックのママとして出演して、彼女の唄が流れたのも良かったし、マキタスポーツが演ずる金昌勇が劇中ギターを弾きながら唄った「君は天然色」も出色。先ほども、現在のシーンはモノクロ、過去のシーンはカラーで投影されることに触れましたが、「思い出はモノクローム 色を点けてくれ」という歌詞の通り、本作では「思い出」に色を点けてカラーにしていた訳です。
そして心を射貫かれてしまったのが、ゲスの極み乙女の一員としてミュージシャンとしても活躍するさとうほなみが唄った「さよならの向こう側」。言わずと知れた山口百恵のラストシングル曲にして、ファイナルコンサートのラストでこの曲を唄い、最後にマイクをステージに置いて去って行ったのはあまりにも有名な話。これを劇中カラオケでさとうほなみ演ずる祥子に唄わせ、さらにラストシーンで、ラストステージの山口百恵よろしくウエディングドレスを祥子に着せてこの曲を流されては、泣かざるを得ませんでした。いずれにしても、「さよならの向こう側」をこういう風に使われてしまっては、「やられた」と言わざるを得ません。というか、反則ですよね(笑)
そんな訳で、本作の評価は文句なく★5です。
モノクローム
シネコンではもうほぼ見られず、単館公開でしか観られなくなったピンク映画。自分はピンク映画の全盛期は全く知りませんし、これまで観たピンク映画は数えるくらいです。
今作はピンク映画に携わっていた栩谷と伊関という2人の男と、互いが過去に付き合っていた祥子という女性との話という切り口はだいぶ重めじゃないかなと思いましたが、全体的に見ると笑えるところもあった面白い作品でした。
序盤の栩谷の友人の監督の通夜のシーン、この導入の時点ではあまり期待できないなという入りでした。弔う場所で言い争うシーンがある映画の大半はそのノリを引き継いでしまう作品が多かったなと思ったので、大丈夫かなと思いましたが、アパートの立ち退きの件で偶然出会った栩谷と伊関のアパートの一室の話し合いから一気に面白くなりました。
過去に付き合った女を思い出し、それが全く同じ女だった事を途中まで気づかず、未練タラタラな事を酒とタバコとツマミと共に語っていく過去の話が今作のメインストーリーになっており、過去はカラーで描写され、現在はモノクロで描かれるという対比も良いなと思いました。
童貞の喪失や酔いの勢いで及ぶ行為と、当時の2人の価値観が行為に出ているのが印象的でした。
今作はしっかりと性行為を映す作品なので、それが苦手な方(そもそもR18+の作品は観に来ないと思いますが)はずっと目をそらさなきゃいけない作品です。
役者陣の動きや息遣いがリアルで、濡れ場の細部を事細かく映しており、最上級のAVを見ているかのようでした。
AFをするシーン、普通なら見るに耐えないものになるはずなんですが、マーガリンを塗って無理くり挿れてしまえ!というノリでやる事によってコメディになっていたのが面白かったです。
そこからは2人が別れた流れを描いており、仕事がうまくいかない様子や募り募った不満だったりと、別れ方に特別なものはありませんでしたが、2人とも子供ができたというところが共通しており、父親になる事の責任だったりは覚悟ができない人にとっては重荷すぎるんだなと思いました。
ラストシーン、アパートを徘徊する栩谷が長く映されますが、長いなーと口に出てしまいそうなくらいには長かったです。小説の修正シーンで割と終わりそうな雰囲気があったのに、これを追加したのは冗長だなと思ってしまいました。
エンドロールではほなみさんと綾野剛さんとのデュエットでの歌唱、しかも超全力でやってくれて、暗く沈みそうなラストシーンを払拭するかのような迫力がそこにありました。
エロスの塊のような作品で、現代ならではのピンク映画を楽しむことができました。上品なアレンジが効いてるので、本来のピンク映画に挑戦する勇気はいまだに出ませんが、いつかは見にいけたらなと思います。
鑑賞日 11/27
鑑賞時間 12:45〜15:10
座席 D-13
愛は邪魔もの
ピンク映画の監督桑山と売れない女優祥子が心中をした場面から物語は始まる。
桑山の友人であり、祥子と同棲生活を送っていた栩谷は、葬式で彼女の死に顔を見ることも許されなかった。
なぜ二人は死ななければならなかったのだろうか。
女優業も監督業も一見華々しく思われるが、スポットライトが強く当たるほどその影の部分はより色濃くなっていく。
栩谷もピンク映画の監督なのだが、もう5年も映画を撮っていないらしい。
特に斜陽であるピンク映画業界では、撮りたい作品があっても撮れない。
その業界の闇の部分が生なましく描かれている。
ふとしたきっかけで栩谷は、大家の金から取り壊される予定のアパートに住み続ける一人の男を立ち退かせるように言いつけられる。
ボロボロのアパートに住み続ける伊関という男は、かつてシナリオライターを志していたらしい。
彼を立ち退かせるためにアパートを訪れたはずの栩谷だが、いつしか伊関のペースに巻き込まれ、お互いが同じ業界にいたことから身の上話を交わすようになる。
そして二人が愛した女性は、同じ祥子であったことが明らかになっていく。
これは芽生えた愛が腐っていくまでの過程を描いた作品である。
が、果たしてこれが愛だったのかどうかは疑わしい。
売れないピンク映画の監督とライター志望と女優志望。
いずれも華やかな世界を夢見ていたのだろうが、現実は誰からも評価されない虚しい日々が続くだけ。
関係でいえば伊関と祥子の付き合いの方が先なのだが、ライターを諦めた伊関に対して、祥子はいつまでも女優の夢を追いかけ続けていた。
諦めなければいつかは夢は叶うというのは幻想だ。
そして同じ情熱を保ち続けることは想像以上に難しい。
親とも半分縁を切ってしまった祥子には、後に引けない部分もあったのだろう。
伊関との間に子供が出来た時には女優業に専念したいために堕胎してしまうが、栩谷の子供を身ごもった時は母親になることを強く希望するのが印象的だった。
どこかで彼女も引き際を探していたのだろう。
しかし彼女は流産してしまう。
伊関にしても、栩谷にしても、祥子の心に寄り添えるような立派な男ではなかった。
彼らは自分の惨めさを隠すために祥子を攻撃する。
そして祥子もそんな彼らに依存してしまっていた。
彼女が実家に帰ると偽って桑山と死ぬことを選んでしまったことはとても哀しい。
桑山も撮りたい映画を撮ることが出来ない虚しさに負けてしまったのだろう。
結末が哀しいだけにエンドロールで流れる祥子が歌う『哀しみの向こう側』がどこか滑稽なのが救いか。
そしてセックスシーンが思わず笑っちゃうほどに生なましく見事だ。
伊関が「セックスに愛は邪魔もの」だと語るシーンが何故かとても印象に残った。
名シーンかな “カラオケデュエット”
綾野剛さんのくぐもったセリフ運びに多少の違和感を感じながらシーンは進んでいくのだが、人々とのやりとりを見続けるうちに、その内なる喪失と悔恨の心情が怒涛のように迫ってくる。これぞ役作り!
綾野剛さんは「自分の役は荒井晴彦さんそのものでいいのだと気づいた」とどこかに書いておられた。当の荒井さんは「なくなっていくピンク映画へのレクイエム」と仰る。でも綾野剛はスクリーンの中で、ピンク映画にレクイエムを捧げているわけではない。ピンク映画にレクイエムを捧げる荒井晴彦にリスペクトを捧げている。そこが何とも素晴らしいのだ。
ラストシーンは現場で急遽振られたというさとうなほみさんとのデュエットだ。そのことがここでも怒涛のように押し寄せてくる。
後悔は男のものと知るばかり。
今年一番心に残る映画だった。それは散々の後悔を積もらせた自分の人生と重ねたからか。
感傷を煮詰めたようなモノクロームの色味と、思い出を塗り込んだ極彩色のカラーの色彩が美しかった。
彼女との情事を交互に回想する綾野剛と柄本佑の哀愁が絶品だった。煙草の匂いを纏った重い空気が霧のように重なりスクリーンに積もる。
離れていった女性への愛と後悔と未練に囚われて、なお生きていかなければいけないのは、男にとって地獄なのか、それともそれを幸福と呼ぶのだろうか。
自分に問うた。
ハナクタシ、、と読む。
「火口にて」の荒削り感が好きだったので見に来た。
監督のポルノオマージュファンタジーなんで、妙に安っぽい感もあるが、世知辛い現実部分モノクロが上手くそこらへんを救って質感補っていたような気もする。あとキノコ栽培ベッドルームはなかなか四畳半サイバーな感じがカッコよかった。
時代も変わり、柄本とか最近の若手俳優達が変に事務所に縛られず、地上波ふくめメジャーマイナー股にかけ、こういう低予算映画にチャレンジして行く姿はカッコ良いと思う。綾野もぼちぼち活動再開かな、この仕事続ける気があるなら身辺整理して良い仕事して欲しい。
実は、お恥ずかしながらさとうほなみがゲス極のほな・いこかだと初めて知った。裸見てても「ドラマーの裸」に頭で変換されて妙な気持ちだった。演技はまだいらん事してる感あるが脱ぎっぷりも気持ちよく、度胸ある人だからどんどん上手くなる気がする。出演作も2000年以降からだから、不倫事件きっかけでミュージシャンとして食っていくの不安になって演技始めたんだろうか?
多少経験あったのか?
まあ、女はみな女優って言うからね。
MINAMOやNinaも見れてラッキーである。
あと、ずっとハナフシって読んでたバカすぎる私。
この映画の昭和の雰囲気は好きなのだが‥‥
俳優たちの演技、カラーとモノクロを使い分けた昭和の匂いの画面、時々挟まる強烈なセックスシーンなどで、137分の長さを感じなかったのだが‥‥。見終わってみると、なぜかうすっぺらい。
ヒロイン祥子はよく描かれているが、長々と画面に出ている男二人の社会的側面が台詞で簡単に触れられるだけでは、深みが出るはずもない。「火口のふたり」もそうだったが、この監督はセックスシーンに時間を使い過ぎだ。
ピンク映画業界への挽歌。
今でも細々と製作されているであろうピンク映画への挽歌である。近い内に消滅するのは目に見えている。山口百恵の「さよならの向こう側」が二重の意味を持つ。他の男と心中した恋人とピンク映画への鎮魂歌として。
私の好みの映画ではないが、観る価値はある。すでに遠く過ぎ去った昭和の香りがする映画で懐しかった。ラストの脚本を書き換える場面及び恋人が再び現れる場面は、映画らしくて私は好きだ。
デンシャデゴー‼️❓アヤノゴー‼️❓
余談ですが、リンリン役の子のDVDを含めて数百のAVのDVDを購入して観てるんですが、自分ではバイアグラでもないと無理ですね。
ところで、原作を監督がピンクで改変してるそうですが、ピンクとポルノとアダルトの違いがわからないのはともかく、監督の、火口の二人、を含めて、性愛を描くのが致命的にダメですね、皮層的です。
会話が中心ですが、綾野剛はすごいです、演技とゆうか、その人そのもののようです、こんな事ができるのは、あとは鈴木亮平か菅田将暉くらいでしょうか。
彼女との関係性も皮層的に描かれていますが、綾野剛がやると、、言葉が染みてくるんですよ、彼がいないと0点かもしれません。
綾野剛の演技を観るためだけに、どうぞ。
山崎ハコにちゃんと歌唱報酬あげてね
テアトル新宿には85歳ぐらいのおばあちゃんが観に来ていて、ビックリ。
女は灰になるまでなんていいますからね。
花腐し。読めません。教養ないんで。
ほな・いこか(さとうほなみ)お目当て。最近の彼女の出演作は4作続けて。なので☆ひとつおまけ。
いちばんリアリティーを感じたのは心中した監督のお通夜で、いまおかしんじ(ピンク七福神のひとり)に殴りかかる男。いまおかしんじは確かに短期間に作品を乱発してる。この映画はまさしくピンク映画業界の話。
20年前の高校の同窓会でY君が【演出】とだけ肩書きの書かれたシンプルな角の丸い名刺をくれて、ソフトオンデマンドなんだと言ったときのショックと羨ましさといったらありませんでした😎ピンク映画が衰退し、一般映画の監督として活躍している人もたくさんいます。本作もそんな監督の作品。
山崎ハコの歌がセリフにかぶって流れる飲み屋の場面。歌に聴き入ってしまいセリフが入ってこない(笑)
松山千春の恋。
堺正章の街の灯り。
ダウンタウンブギウギバンドの「知らず知らずのうちに」もありました。
山崎ハコのカバー曲を聴けるだけで幸せ。しかし、荒井晴彦監督はすでにCD化されたものは版権が高くつくので、ハコに新しいカバーを歌わせて経費節減したとか言っている記事を発見。とてもがっかりしました。言わぬが花なんではないでしょうか。花腐しですわ。かなりゴーマンな御仁なんでしょうね。くせ強めの映画も昭和の匂いがプンプン。2012年じゃないよね。
山崎ハコさんは新宿K’s Cinema で年末に瀬々監督のヘブンズストーリーがかかる度に自主的に入り口で丁寧に挨拶してくれていたのが印象に残っています。わたしにとって今でもフォーク界のアイドル。オリジナルのみならずカバーした楽曲の出来も素晴らしい。私は阿久悠作詞のざんげの値打ちもないがとくにお気に入り。瀬々監督もピンク四天王のおひとり。この日は新宿K’s Cinemaでピンク七福神の坂本礼監督の「二人静か」も鑑賞しました。ちょうど、まえの映画で主演の和田光沙さんがフロアに。見かける度に顔すごくちっちゃくて感動しちゃいます。どちらも脚本は偶然にも中野太さん。
マキタスポーツが弾き語りが達者なのは知っていたけど、大瀧詠一の「君は天然色」のギター弾き語り要る???
思い出はモノクロームじゃなくて、カラーだった。
延滞している家賃をまけてもらうことを条件に立ち退きを拒んでいるアパートの店子の退去を強要される監督(演出)のクタニ(綾野剛)。ドアをノックすると女の喘ぎ声が聞こえた。柄本佑(イセキ)に上手に丸め込まれ、モルツで酒盛り始めちゃう。よっぽどウマがあったんでしょうけどねぇ。女は押し入れの中? 誰?まさか襖の奥にもう一つ部屋があるとは思わなかった。イセキは本当にゲスの極み。面白いやつだけど。
山崎ハコがママの韓国スナックに場所を移してまだまだ続く。マッコリ、JINROを追加
ホクロのくだりでやっと気付いた?
もっと前から共有していたよね。
名前を確認。
全然驚く様子なし。
回想シーンではさとうほなみの首の左と肩と腕にホクロが3つ。拝まさせていただきましたよ。
あいだあいだに挟まれる裸体映像はかなり大盤振る舞い。
主役は祥子役のさとうほなみですね。
綾野剛は極力色気を殺した演技で風采のあがらない男を演じきる。
🎵 今度生まれてくるとしたなら やっぱり女で生まれてみたい だけど二度とヘマはしない あんたになんかつまずかないわ
男はいつも待たせるだけで 女はいつも待ちくたびれて それでもいいと・・・
ゲスの極み乙女。のドラマーのさとうほなみがカラオケで歌う山口百恵のさよならの向こう側。エンドロールのあとに続きが。綾野剛がタバコを咥えながらデュエットに参加する。心中した監督役の吉岡睦雄がカウンターの灰皿を綾野のほうへそっと近づける細かい演技。モモエのようで、桜田ずん子のようなこぶしまわし。シンプルなビートのテクノポップ調の曲が多いゲスの極み。しかし、彼女はもっとエモーショナルに盛り上がる曲やドロドロした人間臭い役をやりたいんでしょうね。オイラもドラムが歌い過ぎとギターによく怒られたりするのでなんとなくわかるんです。
いい女ですなぁ。
マジックマッシュルーム部屋のレズビアンシーン以降はちょっとやりすぎ。
荒井晴彦監督75歳過ぎているのに攻めてきますね。ポール・バーホーベン監督みたいになっていくんでしょうか。本当にこわいですね~
イセキ(柄本佑)の部屋のノートパソコンに書かれた花腐しのシナリオ。クタニ(綾野剛)の後悔と逡巡を描くシナリオの消去や書き込みを繰り返すシーン。
モザイク入れのバイトで知り合った中国人女子留学生とマジックマッシュルームに夢中のイセキがクタニから聞き出した話を短時間でシナリオに書きあげるとは到底思えない。もう幽体離脱しているかのよう。
失ったあとでわかる大切なひと。
でも、クタニは祥子を心から大事にしていたようには見えなかった。それも業界の体質とか腐ってしまった成れの果てか?
万葉集の和歌。
春さりて 卯の花腐し 我が越えし 妹の垣間は 荒れにけるかも
の句はなんだか綾野剛と柄本佑には似合わなかったような。
卯の花って、おからの味付けしたオカズじゃないのはなんとなくわかっているけど。
あのおばあちゃんは・・・もしかしてだけど、万葉集の映画だと思って見に来たのかも。御指南いただきたく存じます。このあわれな教養とは無縁のわたくしを救いたまえ。
教養のないわたくしからすれば、題名は万葉集だけど、内容は昭和歌謡メロドラマだったような。
妹の垣間は、あの娘の生垣の隙間と現代訳するらしい。荒れてしまったのはお手入れをサボったから?お手入れとはアレをいたすことですよね。匂ってくるようなヤらしい和歌。
🎵 卯の花の匂う垣根にホトトギス早も来鳴きて・・・忍び寝漏らす 夏は絹
麻薬性のある仕事とセックス
映画、俳優、ミュージシャン、作家、漫画家。多少麻薬性のある仕事は面白いしやめられない。運と才能に恵まれずのたうち回る姿を描いて称賛される成功者。なんとも皮肉な原作と映画ともいえる。ドラマや映画の題材になるのは成功者と夢破れた人々。残酷なせかい。
可愛い顔で暗く激しい歌を歌ってた山崎ハコさん。スナックのママで出てた。今でも聞いてる。エンドロールのカラオケは山崎ハコに歌って欲しかったな。よく分からん楽屋落ちみたいになってたから。
鎮魂歌
「夢終わり朽ちてなお生きていく」という、夢破れた人々の生き様を描いた作品であり、「何者かになりたくて足掻いたが、何者にもなれなかった人々への鎮魂歌(レクイエム)」みたいで。
何者にもなれなかったかなぁという自分には、観ながら面白さ1/3、つらさ1/3、どうにか生きて行かねばという決意1/3、という、かなり微妙な心境に追い詰められる作品となっていました。
また、心中や自殺はしないまでも、田舎に帰ってしまったり、病気でリタイヤしたりという、元役者志望、元漫画家志望、元同じ会社の同僚などなど、さまざまな「夢を諦めてしまった」友人知人のことも、思い出したりして。
チクリと胸の奥に棘みたいに刺さる、不思議な感覚もありました。
大瀧詠一の歌『君は天然色』では「思い出はモノクローム」でしたが、本作では逆に夢を失った今がモノクロで、夢を追っていた過去を美しいカラーで描くという、この色の使い分けが面白く、上手いなと思いました。
卯の花くたし
花は咲き、そしていつかは朽ちる。
腐って静かに眠る。
その花の想いや気持ちは、其々違う。
人間も同様。
その時花を咲かす時もあれば、咲かない時もある。腐っても生きていかなければならない。
また咲くかもしれないから。
なんか、お芝居が好きな役者達。
綾野剛さん、柄本佑さん、さとうほなみさん。
ピンク映画なのか芸術なのかは、その人の視点で。不器用な男二人と一人の女の映画への想い。
最後の『さよなら向う側』を唄う栩谷。
やる気無さそうにしてたのに、途中で本気で熱唱。また歌の歌詞が恐るべしセレクト感。
~一輪の花にして無限の命を知らせてくれたのは
あなたでした。約束なしのお別れです。
今度いつと言わない。きっと私は忘れない。
後姿をみないで下さい~
上手にはめたなぁ。そして祥子を本気で
愛しているだと思った。
男と女には深くて長い河がある。
交じ合う事もあれば、交じ合わない時もある。
咲いてる時でも、咲いて無いときでも目の前の
人を観て欲しいもの。
朽ちて這い上がる人と、そのまま朽ちてしまう
人もいるので。
雨音も美しい映画でした。
失われていくものへ
ピンク映画、フィルム、街、建物、
そして人間…
時代とともに朽ちて失われていくものへ捧げた、鎮魂の雨。
荒井晴彦監督、76歳。
この御年でもって、こんなに甘美でロマンティックな映画が撮れるとは、痺れました。
エンドロールで席を立たないことをおすすめします。
愛があると正常位しかできない
同じ女性を愛した二人の男が、それと気付かず思い出を語り合う話。
「初対面でそうはならんやろ」とは思うが、柄本佑のキャラが「コイツ相手なら」と思わせる。
演技は総じて素晴らしい。
綾野剛と柄本佑は言わずもがなだが、今回は酔い(not酔っぱらい)の芝居がズバ抜けていた。
さとうほなみは相変わらず体を張るし、濡れ場が本格的過ぎる。
後で調べたら本職だったリンリン役とユジョン役にも、まったく引けを取っていなかった。
普通なら過去の方をモノクロにするところを逆転させ、栩谷と伊関の内面に当てるのは単純ながら効果的。
回想を含めほとんどのシーンが家の中なためか、一度場所を変えるなど配慮も見られる。
ただ、137分かける話かというと疑問だし、特にリンリンやキノコ関連は必要だったのだろうか…
最後、伊関が一晩で『花腐し』を書き上げ、何故か栩谷の漢字を知っているなど急に雑になったのもやや残念。
祥子の幻影が微笑んでくれた理由もよく分からない。
脚本に手を加え、「こうすればよかった」となったら、むしろ後悔は強まりそうだが。
序盤から謎だった、祥子が桑山と心中した理由がハッキリしないのもモヤモヤ。
百合ックスを呆然と眺める栩谷&井関と、エンディングで原キーに合流する綾野剛には笑った。
歌ってる祥子を眺める「あ、惚れてるな」という桑山の表情は白眉。
デュエットし始めた途端にそっぽ向くところも含めて、色んな意味で彼が一番純粋だったのでは。
◯兄◯
かなり品性を疑う題名になってしまうので、ある程度ボヤかしたのだが、それでも下劣な表現、先ずは陳謝
そんな内容(セクシャル表現)は抜きにしても、何処にも救いようのない、未来も希望もない「夢の島」なんていう皮肉にも程がある場所に埋められる類の話であり、私の大好物な″類友″のジャンルである 難しい哲学的なモチーフはなく、台詞には学のある単語が散りばめられるが何一つそれが生活に役立つ訳でもなく、インテリゲンチャの教養振りをひけらかす兄弟達wのマウント合戦を繰り広げているだけの不毛な知識の垂れ流しであり、だからこそ″腐敗臭″漂う映像の爛れを益々色濃く足らしめているのである
現代パートをモノクロ、過去パートをカラーに色分けしている所も分かりやすく情緒を吐露している 悪徳家主の爪弾く♪君は天然色♪は正に今作品の色設計を明示してみせたメッセージであろう
しかし、これだけの熟成表現のプロットを果敢に参加したキャスト陣に先ずは称賛を送りたい 柄本兄はこういった作品のお馴染みであり、今作は義父との共演(シーンは異)だが、綾野剛はここ迄″汚れ″を演じた事は無かったであろう さとうほなみに至っては、今年の映画界一番、身体を張った俳優魂を観客に届けてくれた稀有で貴重な演技として大変素晴らしい、手放しで歓ぶ出来栄えである ″ゲス極″でのプログレな変拍子とパワフルさ、JAZZドラマーとしても充分通用する確かなテクニックを持ち併せていながら、堂々たる演技も又、観客を魅了していく 勿論、躊躇無く披露する肢体や、その年齢に見合う健康的肉体の造形も目を奪われるのだが、ドラミングの如く性愛描写の逞しさ、勇ましさには舌を巻く 較する事自体、ナンセンスだが、同じ柄本兄が相手役ということでの北香那のそれとは、色合いの違いがハッキリしていて大変興味深い 方や秘めた"白"だとすると、さとうは、"青い炎"のような鋭さを抱かずにはいられない 芝居俳優からのピンク女優への変遷が、その蓮っ葉さが良い具合に演技に艶っぽさを纏わせていて、決して言われたとおり演技する以上の情念を訴えかけてくる事に唯々驚くばかりだ
ドラマの方だが、確かに他のレビュアーさんのご指摘の通り、なんで無理心中を図らなければならないのかの明確な理由を描いていない為、2人の兄弟が単に昔を懐かしみ、伴すれば同じ女性を評するような構図になってしまうことに、男という性の醜い部分が鼻をつく物語になっていることは否めない 身体の特徴等や、プレイの中身迄共有してしまうことに、同性としても居心地が悪いのは正直だ
ただ、前提としてこの二人はもう未来がみえていない 完全に腐ってしまっていてそれこそクリエイティヴな仕事からの排除される立場なのである その先に待っているのもカタギの仕事等はもうマトモじゃない二人にしてみれば異世界だ 実際、違法薬物を扱っているのもとっくに片足を突っ込んでいる証拠 子供迄こさえたのに、一人は堕胎で、一人は流産 家族を形成できないという致命的欠陥(勿論、二人の主観的思想なので、一般的ということではない)が心に魚の骨のように突き刺さって取れない"原罪"として生き続けるしかないのである
そんな二人が唯一幸福だった一瞬 それが"祥子"という女神だったのである 二人ともそれ程人を愛するということに不器用というか、愛情という資質が著しく欠けてしまっていたからこそ、そのふり返りが映像としてカラーに映る程、鮮明に気付かせてくれているのであろう 「愛して」いたんだと・・・
二人が韓国居酒屋から戻った部屋では中国人留学生の女性が友達を連れてきておっぱじめている いつだって女性の方が逞しくしなやかだ 男は眺めるだけ、又は性愛の道具としての価値でしかない ビデオカメラを撮る側から撮られる立場への屈辱 なんで親友と一緒に昔の小説みたいに手首を縛り合いながらの心中なんて古くさいことをしでかしたんだ、じゃ、自分もこの女の首を絞めながら一緒に死ぬことを頼んだら、女からは「もう死んでるじゃない」とにべもない始末・・・ 幻となって現れたクライマックスシーンは、もう浮き上がることはない、腐敗した部屋での、想い出だけに縋る悲しい未来を暗示させる、しかし二人にとってはそれが幸せなのかもしれない、なんとも救いようのない腐敗臭が漂うバッドエンドであり、決して人生には輝かしさだけではない、香ばしさを教えてくれる作劇であった
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