「男と女が腐り始める時。不器用で馬鹿で切なく愛おしい男女の生き様。」花腐し kokeさんの映画レビュー(感想・評価)
男と女が腐り始める時。不器用で馬鹿で切なく愛おしい男女の生き様。
男と女の関係が腐りはじめる時。
自分の過去の経験を否応なく思い出させられた。
「あの時から、俺たちの関係は腐り始めた」
そう、後から考えれば、あの時かと思う。
誰の身の上にも起きそうな話。
どうしようもないのだ。抗いようもなく。
過去の男も、つい最近まで一緒にいた男も彼女を幸せにできなかった。彼女もまた彼らを幸せにできなかった。
幸せとはなんだろう。
それでも、その時、その時を一心不乱に生きてきたはずなのに。
一緒に泣いたり笑ったり、愛し合ったことも数え切れない位あったはずなのに。
なぜ。いつ。
どこから腐り始めるのだろう。
子供を作り、親となり、育てていけば、新たな何かが始まったのだろうか。それもまた違う気がする。
結局、だめな女とダメな男たちなんだ。
年配の脚本家に「ごっこ」と言われて、激昂したのは思い当たる節があったからではないのか。
女は死ぬか、死んだように生きていくしか自分には残されていないと悟って絶望したのだと思う。私にはその気持ちがわかる気がした。
度々の濃厚な性愛描写は、彼らが生を感じる場面として繰り返し生々しく描かれるのだと思った。
何も考えず、ただ身体を重ねて情愛に溺れている時、最も生きていると感じる。それすら、意欲がわかなくなったら、あとは枯れていくだけ。
なぜ山口百恵のあの歌なのかと思ったが、単純に作者の好みかもしれないし時代の雰囲気を出したいのかもしれないと思った。
ただ私は、こう思った。死ぬか死んだように生きていくか、彼女が逡巡したとき、美しいままの自分、少なくとも老いさらばえた姿ではない自分のまま、永久不滅としたかったのではないのか。
山口百恵の引退コンサート、マイクを床に置いたあのシーンを思い出した。作者の意図は、そこにもあるのではないかと感じた。
最後、男が女を見送り一筋の涙を流すシーンでは、自分も大粒の涙がこぼれた。
不器用で馬鹿で駄目な男女達。
だけど切なくて愛しい。
そういう思いを抱かされたのは、主演の方々の繊細で素晴らしい演技によるところも多大である。