「東日本大震災から半年余りの冬。 都内では多くのピンク映画専門館が閉...」花腐し りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
東日本大震災から半年余りの冬。 都内では多くのピンク映画専門館が閉...
東日本大震災から半年余りの冬。
都内では多くのピンク映画専門館が閉館し、業界は斜陽の一途。
監督の栩谷(くたに。綾野剛扮演)は、もう5年も映画を撮っていない。
そんな中、同棲相手の祥子(さとうほなみ)が、同業監督と心中した。
故郷での葬儀に赴くも、野良犬のごとく追い返される。
祥子が借りていたアパートは出ていかざるを得なくなった栩谷。
それから半年。
ときは梅雨。
仕事のない栩谷は、いま住んでいるところの大家から仕事の依頼をうける。
大家が所有する古いアパートに、ひとりだけ居座り続けている男がいる、追い出してほしい、と。
件の男の部屋に向かうと、愛想はいいが胡散臭そうな男(柄本佑)が出てくる。
男は伊関と名乗り、かつて脚本家志望でシナリオを書いていたという。
そして、かつて一緒に暮らしていた女の話をし始める・・・
といったところからはじまる物語で、伊関が語る女性が祥子で、ふたりして語り合う女性が同一人物。
観客は知っているが、栩谷と伊関はそれを知らない、というのが面白い趣向なんだが・・・
回想シーンはカラー、現在はモノクロとわかりやすい撮り方をしているので、観ていて混乱することはない。
が、どうも、こういう作品を観たかったんじゃあないんだよなぁ。
2時間20分近いピンク映画のようで、その手のシーンがくどい。
途中から嫌気がさしてくる。
さらに悪いことに、栩谷と伊関を通して、祥子がみえてこない。
ダメンズに引っ掛かっちゃうダメ女にしかみえない。
それは、ダメンズからみたら「都合のいい」女でしかない。
いわゆる「ファンタジー」、妄想みたいなもの。
(劇中でも、伊関が「AVのソレは童貞男のファンタジー」と言っている、それそのもの)
それはそれでいいのかもしれないが、劇中のベテラン脚本家が伊関たち脚本家志望の生徒たちに「きみたちにしか、いまの人間は描けないんだ」と言うが、この映画に出てくるひとたちが「いまの人間なのかなぁ」なんて思ってしまう。
80年代のモラトリアムにしか見えない。
最終的に、栩谷・伊関・祥子の話は『花腐し』という栩谷の脚本として結実するが(そこにひとつ謎解き的要素があるのだが)、祥子という女性が脚本に昇華されたと見るか、(都合のいい女として)消費されたと見るか。
個人的には、後者だなぁ。
このあたりが、とてつもなく不愉快。
80年代的要素は、『ラブホテル』へのオマージュのような山口百恵のラスト曲の使用や、『Wの悲劇』の名セリフの引用(荒井本人の筆によるが)にもみられ、そこいらあたりも非常に据わりが悪かったです。