「愛は邪魔もの」花腐し sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
愛は邪魔もの
ピンク映画の監督桑山と売れない女優祥子が心中をした場面から物語は始まる。
桑山の友人であり、祥子と同棲生活を送っていた栩谷は、葬式で彼女の死に顔を見ることも許されなかった。
なぜ二人は死ななければならなかったのだろうか。
女優業も監督業も一見華々しく思われるが、スポットライトが強く当たるほどその影の部分はより色濃くなっていく。
栩谷もピンク映画の監督なのだが、もう5年も映画を撮っていないらしい。
特に斜陽であるピンク映画業界では、撮りたい作品があっても撮れない。
その業界の闇の部分が生なましく描かれている。
ふとしたきっかけで栩谷は、大家の金から取り壊される予定のアパートに住み続ける一人の男を立ち退かせるように言いつけられる。
ボロボロのアパートに住み続ける伊関という男は、かつてシナリオライターを志していたらしい。
彼を立ち退かせるためにアパートを訪れたはずの栩谷だが、いつしか伊関のペースに巻き込まれ、お互いが同じ業界にいたことから身の上話を交わすようになる。
そして二人が愛した女性は、同じ祥子であったことが明らかになっていく。
これは芽生えた愛が腐っていくまでの過程を描いた作品である。
が、果たしてこれが愛だったのかどうかは疑わしい。
売れないピンク映画の監督とライター志望と女優志望。
いずれも華やかな世界を夢見ていたのだろうが、現実は誰からも評価されない虚しい日々が続くだけ。
関係でいえば伊関と祥子の付き合いの方が先なのだが、ライターを諦めた伊関に対して、祥子はいつまでも女優の夢を追いかけ続けていた。
諦めなければいつかは夢は叶うというのは幻想だ。
そして同じ情熱を保ち続けることは想像以上に難しい。
親とも半分縁を切ってしまった祥子には、後に引けない部分もあったのだろう。
伊関との間に子供が出来た時には女優業に専念したいために堕胎してしまうが、栩谷の子供を身ごもった時は母親になることを強く希望するのが印象的だった。
どこかで彼女も引き際を探していたのだろう。
しかし彼女は流産してしまう。
伊関にしても、栩谷にしても、祥子の心に寄り添えるような立派な男ではなかった。
彼らは自分の惨めさを隠すために祥子を攻撃する。
そして祥子もそんな彼らに依存してしまっていた。
彼女が実家に帰ると偽って桑山と死ぬことを選んでしまったことはとても哀しい。
桑山も撮りたい映画を撮ることが出来ない虚しさに負けてしまったのだろう。
結末が哀しいだけにエンドロールで流れる祥子が歌う『哀しみの向こう側』がどこか滑稽なのが救いか。
そしてセックスシーンが思わず笑っちゃうほどに生なましく見事だ。
伊関が「セックスに愛は邪魔もの」だと語るシーンが何故かとても印象に残った。