劇場公開日 2023年9月1日

「奇天烈な舞台劇の上演シーンを映画化し、その芝居の制作過程をテレビ番組にするという一連の展開を映画化した作品。なんのこちゃ?」アステロイド・シティ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0奇天烈な舞台劇の上演シーンを映画化し、その芝居の制作過程をテレビ番組にするという一連の展開を映画化した作品。なんのこちゃ?

2023年9月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

難しい

寝られる

 アステロイド・シティの空は青い!まるで絵に描いたような一様な青空と、黄色い砂漠の中に、まるでミニチュア模型のように可愛らしい建物が立っているのです。中にいる人々もまたフィギュアのように美しく洗練されてパステルカラーなんです。いつものように、ウェス・アンダーソン監督が作りあげるのはすべてが美的に統一された箱庭世界です。その中では原爆実験のキノコ雲さえもが美しく可愛らしいのです。
 そんな色彩豊かな、唯一無二の世界を見せてくれるアンダーソン監督の最新作は、キャラクターとセリフの多さによる混乱の度合いは、過去作と比べてもかなり高くなっています。宇宙人の登場を含め、その不可思議さを楽しんだもの勝ちの作品と言えそうですが、わたしは全く楽しめませんでした(:_;)

 時は1955年、アメリカ南西部に位置する砂漠の街、アステロイド・シティ。隕石が落下してできた巨大なクレーターが最大の観光名所であるこの街に、「ジュニア宇宙科学賞」の受賞式が開催されることになりました。受賞に輝いた子ども5人と家族が招かれた催しには、主人公のオーギー(ジェイソン・シュワルツマン)が、受賞者の長男と幼い3人の娘を連れてやってきます。しかし街に着いた途端、車が故障。妻の父スタンリー(トム・ハンクス)に電話し、迎えに来てほしいと頼みます、義父はオーギーを好いていないようでした。
 子供たちに母親が亡くなったことを伝えられない父親、マリリン・モンローを彷彿とさせるグラマラスな映画スターのシングルマザー。それぞれが複雑な想いを抱えつつ授賞式は幕を開けますが、祭典の真最中にまさかの宇宙人到来!?
 この予想もしなかった大事件により人々は大混乱!街は封鎖され、軍は宇宙人出現の事実を隠蔽しようとし、子供たちは外部へ情報を伝えようと企てるのです。果たしてアステロイド・シティと、閉じ込められた人々の運命の行方は…!?

 …という物語は実は、それは天才劇作家とエキセントリックな演出家により演じられる舞台の上の新作劇の設定で、映画は観客がその舞台を見ているという形で進むのです。
 映画にはさらにもう一段階上の仕掛けがあり、実はこのすべては芝居の制作過程を追いかけるモノクロのテレビ番組で放映されているという設定なのだ。テレビの中の芝居として演じられた映画。アンダーソンはこれまで以上に人工性を強調します。
 前作「フレンチ・ディスパッチ」に続く多重構造は、この映画の主題の一つである俳優たち、そして人生への賛美につながっているように思えました。
 それが集約されているのは最終盤、宇宙人が到来し、街が混乱を極めた末に出てくる二つのセリフです。「何があろうと、生き続けていればきっと何かを見いだせる。」そんなメッセージを感じとりました。映像美を堪能し、この世界に浸るだけでも、価値がある異色作であることは間違ありません。
 でもねぇ、アステロイド・シティで起きるのはすべてこしらえごとであり、そこにいる人々は架空の存在。その物語に、人は果たして感動できるのでしょうか?1950年代の米国を描くという口実でもって、核戦争や共産主義の恐怖、ブロードウェーとハリウッドのスター。それら全ての要素がつなかって、ごった煮されている映像を理解できる観客はいるものでしょうか?
 それでも敢えて解説するとしたら、仕掛けが複雑な展開も、狙いはそのキャラクターを生き生きと描き出すことにあったのでしょう。そして観客をこの作品の世界に引きずり込むことにあったものと思います。
 アンダーソン監督の言い分はというと、映画の中で舞台俳優たちがそろって唱えるセリフ「目覚めるには眠らなければ」を引いて、「何か意味を見つけたければ作り手に身を委ねて催眠術にかかったようになればいい。そういうことなんじゃないかな」と言い切るのです。
 劇場で催眠術にかかってしまう観客がいたら、しあわせですね。

流山の小地蔵