ミッシングのレビュー・感想・評価
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ヤッパリ観てよかった。
前作「空白」についてレビューをしようと思いつつも、当時2021年はそれどころではなく、ここでサラっと語ろうと思う。
「空白」を観るのに時間がかかったのは、2021年という歴史的大事件とは別に、少女がトラックにひかれる話に、娘を持つ親として、大好きな吉田監督の作品とはいえ、「楽しむ」ことはできないだろうとの気持ちのほうがむしろ大きかった。
ところが結果として、さすが吉田監督、きっちりと「娯楽作」として仕上げていたことがとてもうれしく、しっかり楽しませてもらった。
やり場のない怒り、理不尽な攻撃に罪悪感、背徳心を常に抱え、それを認めることも難しい登場人物といった「おなじみ」の設定は従来の吉田恵輔監督作品にみられたもので、それ自体は全く大好物だった。
ただ、いささか「マスコミ」への一方的な「悪」としての描き方に若干の嫌悪感を感じてしまった。さらに少し持ち前のサービス精神が走りすぎたか、いつもの笑いと心苦しさの持ち味を出そうとしての、寺島しのぶのキャラクターが過剰、主軸の物語のノイズになってしまっていたのも否めない。
その辺りが過去の吉田監督よりも、オレの中ではちょっと厳しめの位置取りだが、素晴らしかったのは確かだ。
さて、今度は、少女の失踪である。おいおい大丈夫か、オレ。
「ミッシング」
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本作、よく言われているように、その「空白」とは地続きの、続編と言っていいほど、セットで観るといい。オレの前作で気になった部分が見事に補えていることが素晴らしいし、本作の若干のあざとさもそういう観方で、あえての演出なのだともわかる。
まずは、マスコミの印象。前作の一方的な視点だけでなく、若干スイートではあるが、地元テレビ局員の良心と報道の在り方への苦悩は描かれている。逆にSNSへの誹謗中傷については、犯罪である。ここには手を緩めない。
そして、主人公の帰着点。
前作「空白」の2人(古田と松坂、あと学校の先生かな)の決着はお互い「背徳感」と「罪悪感」を抱えつつも、「共感」や「歩み寄り」でほんの僅かの1歩を踏み出せるところで映画は終わる。ただそれもモヤっとした感じのため、ここは好き嫌いあろう。(オレは好きだ。)
本作ではもう少しハッキリと前向きに光が差す。決め手は「感謝」の言葉。
世の中が狂っているのではない。狂っている、と感じないように生きるしかない。自分でなんとかしないと変わらない。主人公たちと同じ家族構成ゆえ、絶対にこんなことはあってはならないし、起こさないように日々を生きるしかない。
だが、「ありがとう」は最強のことば。言われて最もうれしい言葉である、とオレは信じている。言われると、1日中HAPPYだ。オレはあまのじゃくだから、イヤな相手になかなか「ありがとう(ニコっ)」とは言えないが、言えば何かが変わる、ことは頭の中で理解している。しんどい時に「ありがとう」をいうのもつらいけどね。
主人公も、おのずとそういう役割を買って出たのは、そういうことなんだと思っている。(なんとなく、詳細カットしているような気もするが、それも余白としてよし。)
ちゃんと心を揺さぶり、自分を振り返ったりできる、「お金を払って」観てよかった、と思えるのが娯楽作だと思っている。しっかり楽しませていただきました。
追記
前作の「モヤっとした結末」と打って変わっての比較的わかりやすい希望の光を受けるのはやはり、古田新太ではなく、石原さとみのほうが適任ということかな。彼女の演技については、実際に子を持った母親としての素直な表現だと思う。そのため、実生活の彼女と同じく、オレにとって、彼女の演技をどうこう言うのは、無理。
追記2
弟君のお友達が非常にいい味。どん底の弟君を救うことができる、「ほんのちょっとだけ上」の顔や態度、風貌が素晴らしい。吉田監督、さすがの配役。
揺れる
「お母さんのせいで私は殺されたの」
「お母さんのおかげで私はみつけられた」
そんな罪も赦しも与えられないのが、行方不明事件が未解決であるという事態なんだと思う。
娘の美羽がみつからない沙織里は、「もし」を積み重ね続けている。「もしあの日ライブに行ってなかったら、」「もし今もビラ配りを続けていたら、」「もしテレビの取材を受け続けていたら、」「もし弟がしっかりしていたら、」「もし警察がちゃんと捜査していたら、」もしも、もしも、もしも…。
生活の全てが「もし」や事件の解決に回収される。娘は何も語ってはくれない。そんな無限の「もし」と責めに駆り立てられるなら、沙織里の心は荒むし、揺れるし、安定しない。
SNSでは誹謗中傷が繰り返され、テレビの報道は視聴率との睨めっこで何も解決に向かわない。私たちの信じる基盤が揺らぐ。どこに希望の光があるのだろう。
〈私〉の行為が思いがけなく誰かを救うことになる。そんな他者との架け橋が事件を必ずしも解決させなくとも、赦しを与えてくれるのかもしれない。
路肩に止まる車の何気ない風景に壮絶な物語を織り込む本作。石原さとみのあごの震えにも着目です。
お礼が言えること
第一に子どもが行方不明になった夫婦の魂の回復の物語であるが、第二の争点として報道姿勢の問題を描いている。その2つが絡み合う中で、現代社会の得体のしれない「軋み」を浮かび上がらせる構成が抜群にうまい。
石原さとみ演じる母親は、コンサートに言っている間に子どもが行方不明となったことでバッシングを受けている。心無い世間のバッシングが彼女を追い詰め、言動が過激化していく。この事件をなんとか報道し続けようとする、中村倫也演じるテレビ局の記者は、上層部の意向で、母親の弟などを取り上げるように指示され、次第に事件の核心が外れるような報道をさせられる。テレビ局の視聴率への偏重が彼女をさらに追い詰め、次第に報道はなされなくなる。
報道姿勢に異を唱えつつも、唯一報じ続けてくれるテレビ局だから、藁にも縋る思いでその報道姿勢に乗ろうとするが、結局のところそれは事件の解決につながるわけではないという残酷なリアルが突き付けられる。
しかし、夫婦の魂は、ある「同じ境遇の人」によってわずかに回復する。行動情報化社会でもまだ人間性は全て失われたわけではないと、最後にわずかな希望を残しては映画終わる。お世話になった人に面と向かってお礼を言うという極めてシンプルで当たり前のことがなされることが、人間性の最後の希望ということか。
石原さとみはすごいけど…
虎舞竜
ただ泣き叫んでいるだけ
テーマは重いけど観て良かった作品
配信(NetFlix)で視聴。
幼女の失踪事件が作品のテーマだが、報道・SNSでの誹謗中傷もこの作品の見どころ。
もし、貴方が沙織里だったらどうしますか?と観客へ向けて問いかけられた気がした。
テーマは重いけど、観て良かったと思わせてくれた作品。石原さとみ、青木崇高の演技が素晴らしかった。特に石原さとみは◎。
素晴らしい作品でした。色々考えさせられた。
マスコミにすがる母親に疑問
Netflixで鑑賞
映画のストーリーはとても作為的ですが
石原さとみさんをはじめとした
監督から役に追い込まれた役者陣の芝居で
なんとか映画として成立していると感じました
原作なしの吉田監督のオリジナル脚本らしく
マスコミ報道の問題やらSNS上の誹謗中傷など
現実の日本社会の闇をリアリティをもって
描いてはいるのですが
いかんせん、自分の幼い子供がいなくなった
母親、沙織里(石原さとみ)が必死にすがる
相手が静岡ローカルテレビ局の記者
砂田(中村倫也)だという設定に疑問符がつく
通常だったら母親は警察を真っ先に頼るのでは
ないだろうか?
しかも、この手の映画であれば
マスコミは偏向報道をして被害者である
家族をも被疑者に仕立て上げる可能性があり
事件に巻き込まれた母親からすると
マスコミは「敵」のような扱いを受けるのが
常套手段として用いられる
だが、吉田監督は報道の裏の闇を描きたいがため
母親は「警察」ではなく「記者」にすがらせるよう
脚本の中に仕組んでいると見て取れる
マスコミとは対照的に「警察」はほぼ傍観している
だけという描き方は、事件性のない「失踪」では
警察は何もしてくれないという事なんだろう
ドキュメンタリー映画ではない以上
フィクション映画にどこまでリアリティを求めるかは
脚本家、監督次第ではあるが
なんとかして娘を探し出したいという
母親の執念が、唯一頼れるローカルテレビの
「記者」だという設定には少々呆れてしまった
おそらく、これが実話なら
マスコミが一番信用できないと私は思うからだ
そのあたりを砂田記者を演じる中村倫也の
芝居で「報道記者」としての葛藤を描いて
見せてはいるのだが、どうにも不自然な感じが
否めない
そして、私が2番目に疑問に感じたのが
父親である豊を演じる、 青木崇高の冷静さである
娘が失踪して一番取り乱すのは父親では
ないだろうかと私は考えるからだ
この映画では母親は錯乱状態とも言える
狂気なまでの絶望感を常に醸し出しているのだが
彼女とは対照的に、父親は常に冷静にいようと
している姿が逆に異様に感じてしまった
要所、要所で父親は必死に冷静さを
保とうとしている様子を見せてはいるが
冒頭から傍観者にしか見えないのは
演出的に失敗だと思う
(ラストちかくで男泣き姿はあるのだが)
あくまで個人的な感想だが
自分の娘がいなくなったら父親は
あんなに冷静でいられるはずがないと思っている
総合的な感想としては
登場人物たちのキャラクターや感情表現が
節々で不自然に感じさせられてしまい
リアルな作風の映画だったが故に
とても残念に感じてしまった
石原さとみの錯乱したお芝居が
ホラー映画を見ているような感じで
思わず涙よりも先にひいてしまったが
作為的なフィクションとリアリティある
設定がごちゃ混ぜになった
とても複雑な感情にさせる映画ではある
残念
痛みをもつ者への救いと必要な正しさを考えさせる
2024年劇場鑑賞34本目 傑作 77点
今作を語る前に3年前の同監督作品である空白は、その年の個人的劇場鑑賞本数約60本中の8位の作品で、亡き娘の等身大に向き合えていなかったことや謝ることしかできないやるせなさ、古田新太の周りの人に向ける鋭利な矢印や心が疲弊した松坂桃李がお弁当屋さんに向けた悲しい矢印、マスコミやメディア、それらを消化する我々と、すべての人の自覚なき小さくて大きな矢印の交錯で一番疲弊した当事者が、全部を救われるわけじゃないけど、呼吸を整えられるような、優しいそよ風を最後に浴びるささやかな救済を描いていて
今作は、制作に着手する時から前作の兄弟作として構想していたそうで、構造や擬似点は多く感じるのは満場一致で、その中でもあえて違う点を挙げるとするなら、事件の種類が異なることからできる要因である
というのも、前作は交通事故で今作は誘拐事件だからで、前者だと被害者が死亡か怪我を負ったが生きているかがすぐにわかり、加害者やそれに関わったであろう人物が逃走や死亡、行方をくらまさない限り早期に浮き彫りになるのに対し、後者だと行方不明の人物の生存も事件の犯人もわからないまま進行していくので、言ったらまだ希望があるふうにも取れる
だが、それゆえ翻弄されていく被害家族の希望の芽を潰される様な数々の出来事は、前者の特大アッパーよりも連続ジャブの方が疲弊し壊れていくのかもしれない
だからこそ前作との終わり方も差別化が図れていて、勿論前述したように両作とも最後に救済があるが、その描きの濃度と、その救いが当事者が迎えにいくか、些細に感じるかで分けられている
今作も登場人物の行動心理の原理原則が忠実で、どのジャンルを撮らせても傑作を産む吉田恵輔監督の取材力と想像力がうかがえる
最後、子供達の登校時間に信号の旗持ちのバイトを始めて、少年に「このおばさん知らない」の一言に対して、「お姉さんね」と言葉を交わすのが、娘が帰ってこなくなった日から時が止まり、あの頃に取り残されている故自身の感覚と心身衰えた格好に自覚がないのと同時に、少しずつ自身を歩み始め、心無い矢印にも無気にならずに返せる様になった、余裕が生まれてた瞬間である
是非
すぐれた俳優、凡庸すぎる物語
これは俳優陣の熱演・怪演だけで成り立っている作品で、その筆頭はもちろん石原さとみ。すごいですねえ。こんなことができる人だとは、正直思っていなかった。そして不器用な弟役の森優作、報道記者役の中村倫也が、鮮烈な印象を残します。
が、映画は演技用カメラテストではないのでそれだけでは成立しない。この作品についていえば脚本の感覚が凡庸・通俗にすぎて、ちょっと耐えられない。ネット批評も薄っぺらいし、テレビ局描写も、世のマスコミ批判を真に受けて自分であんまり考えてないのが丸わかりです。
そりゃ子供の行方不明事件もネットの誹謗中傷もつらい社会問題でしょうが、それはそれ、これはこれ。映画の完成度とはまったく別の話ですね。そういう話を知りたいときは、私は映画なんか見ないできちんと取材したリポート記事や公的調査にあたります。
フィクションでなければならない理由、フィクションだからこそが現実だけでは描けない真実にこの映画が届いているかというと、まるっきり程遠いと思います。
カメラは、だいたい適正。というよりも石原さとみや森優作のすばらしい演技が、すくなくとも邪魔されていない。だけど編集が、やっぱり凡庸なんですよね。オープニングの子供の笑顔連発とか、終盤のズームバックの連続とか…。ラストショットは、ちょっと印象に残りました。
中村倫也さんって、、、
虎舞竜…
世界を変える
素晴らしかったと言うより凄まじかった。
石原さとみさんってこんなスゴい女優だったのか!
と驚いた。
と言うのも、私の妻は沼津出身で、
まさにこの同じ状況になったら
同じように正しく壊れて行くような気がしました。
口調や態度なんかホントにこのまま。
娘を失う前の彼女の生活も容易に想像出来る、
それくらい深みのあるリアリティーある演技でした。
石原さとみさんだけでなく青木崇高さんの少し冷静でいる
けど内心はそうではない、一つ一つの言葉や
表面張力のようにあと一滴で感情が溢れそうになる
演技も、
弟役の俳優さんや
中村倫也さんの正義とはなんなのか揺れ動く記者も
素晴らしかった。
邦画の力を感じましたし、
この映画を観てこの家族に少しでも寄り添えたなら
世界は変わるんじゃないかな?
と年甲斐もなく熱い気持ちになりました。
救わないリアル
石原さとみの演技は大したもんだと思う
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