東京組曲2020のレビュー・感想・評価
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コロナ禍により日常を奪われた人々の受難の有様を奏で継ぐシンフォニー
冒頭、当時の安倍首相の初の緊急事態を宣言する甲高い声がスクリーンから響き渡ると、日頃から喧騒とした様の見慣れた渋谷、新宿界隈の光景が、無人と化した衝撃のショットが連なり、観客は一気に3年前の緊急事態宣言下に引き戻される。
作品は、2020年春のコロナ禍による初の緊急事態宣言下、日常を奪われた人々の受難の有様を組曲(オムニバス作品)にして奏でている。
ある者は慣れないテレワークの中、プライベートの時間と勤務時間との境が取り払われ生活のペースを乱していく。また、ある者は両親の下に帰郷し自ら一定期間の隔離を決めて一室に籠ったものの極度のストレスに襲われ嗚咽を堪えることができなくなる。
女優・大高洋子の組曲では、映画や舞台を仕事とする俳優に襲いかかった受難が描かれている。初の主演映画作品上映の舞台挨拶に向けて当日着用する服選びを夫と楽しそうに歓談するシーンから、上映延期の電話連絡を受けるシーンに切り換わると、スクリーンから乾いた冷気が漂ってくる。20年春という時期から察するに、これは当初同年春に公開予定だった天野千尋監督の「ミセス・ノイズィ」が延期になったことを背景にしたノンフィクションであると察っせられる。結果的に「ミセス・ノイズィ」は半年遅れの年末に無事に上映に至ったものの、当時のまだいつ上映されることになるのかの見当もつかなかった絶望の最中、夜の公園に佇み、辛さと悔しさの滲み出た大高洋子の表情のショットには、当時の誰もが抱いていた悲痛な思いと不安感がリアリティをもって刻印されている。
ラストシーンでは、深夜の一室、どこからともなく啜り泣く声の合間に発せられる「会いたい」という呟きが、万人の思いとして聞こえてくる。やがて時を経てコロナ禍が過去の出来事として語られる日に至った時、この作品は当時の受難の有様を赤裸々に綴った譜面として、観る者に対し、当時の思いを永遠に奏で継ぐシンフォニーと化すことであろう。
朝焼けの空
コロナ禍、他人の日常生活を家庭内まで入り込んで見たことなど勿論ない。
このドキュメンタリー映画の役者さんの大きな苦しみ。そして小さかった苦しみがだんだんと大きくなってゆく様を隣でみたような気がする。
そして、自分だけではなく全世界の人たちひとりひとりが苦しんできた事実を、この映画を観て再認識した。
エンドロールの朝焼けは、そんな時を過ごして来た全ての人々に対する三島有紀子監督の希望のように見えた。
コロナ禍、不要不急とされた人たちのリアル。
この映画は、コロナ禍の記録、セミドキュメンタリーだ。
登場するのは、医療従事者でも、飲食店や宿泊業ではたらく人でも、政治家でもなくて。
俳優たち。不要不急とされていた人たち。
たった3年前。
緊急事態宣言でだれもが「何が起こるのか」「どうなるのか」がわかっていなかった。
不要不急だった映画の世界。映画館は閉まっていた。
多くの映画の制作はストップした。
本作を監督した三島氏も、予定されていた撮影がストップしたという。
そこで「この状況を記録しなければ」と本作が発案されたそうだ。
三島監督は、ワークショップなどで一緒になった役者たちに声をかけ、
本作の制作を始めたという。
彼らがコロナ禍で何を感じていたのか。それがスケッチされた。
初めての主演作の公開が延期になった人。
淡々とクリームチーズを作る人。
家族4人、家の中で密になり、子育てで行き詰まる人。
親友とリモートで話すも、より孤独を感じてしまう人。
副業をリモートで続ける人。
親からの心配の電話にイラつく人。
不安で駄目だと思いつつ、実家に帰ってしまう人。
だれもが、分断されていると感じていたあのとき。
それが丁寧に記録されている。
この映画を見ると、あの頃の自分を間違いなく思い出す。
ネタバレになるが、映画の最後で、「だれのものともわからない泣き声」を登場人物は耳にする。
三島監督が2020年4月、眠れぬ夜に耳にした泣き声に着想を得たそうだ。
松本まりかさんが演じたその声を聞いた登場人物の「素の反応」を撮影したという。
そこには優しさがあったように思う。
だれもが自分のことで精一杯で、不安で。
でも「だれの声かもわからない嗚咽」を耳にして、心が動いている。
他者への優しさがそこにある。
それがあれば、大丈夫だ。人は立っていられる。
いつかコロナ禍も風化するだろう。
でもこの映画の中にそれが遺される。
ただの記録として、だけではなく、そこで見つかった大事なものと一緒に。
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