映画 窓ぎわのトットちゃんのレビュー・感想・評価
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どんな時代でも変わらない
黒柳徹子
1933年生まれの90歳
なにせ
「日本史上最初のテレビ出演者」
つまり日本におけるテレビ放送
の開始からを知る偉大な人物
冠番組の「徹子の部屋」は
1976年から同一司会者による
トーク番組として世界記録を
更新し続けている
という黒柳氏の
幼少期をつづった自伝
「窓際のトットちゃん」は
1981年に刊行され大ヒット
戦後最大のベストセラーとされ
トットちゃんブームが来た
そうである
自分は世代的に目の当たりに
するには幼すぎたので
今回初めて観賞
尋常小学校から
「問題児」と言われ
電車が校舎のトモエ学園に
移ることになったトットちゃん
そこでなんでも自由に受け入れ
子供の思うようにさせてくれ
のびのび育っていくトットちゃんや
周りの子供たち
そこで小児まひでぎこちなく歩く
少年「泰明」との出会い
そこへ徐々に生活に迫る
戦争の影
夜店でねだったヒヨコの死
そして
「トットちゃんと出会えて
ヒヨコは幸せだったよ」
と慰めてくれた泰明の死
感受性のままに生きてきた
トットちゃんが経験する
生命の終わりを目の当たりにする
シーンは想像以上に辛いものでした
また父や母
小林校長の葛藤もしっかり
描かれており移入できる
部分も多かったと思います
子供に自由にさせることで
どんな答えが出るのか
トモエ学園の子供たちや
トットちゃんが
いじめに来る子供たちを
追い返すシーンで
窓際で肩を震わせる
校長の姿は
泣かせてくれました
どう子供に接するか
どう育つか
今の時代でも変わらない
テーマと課題と葛藤が
あります
焼け野原になる前の
平和な日本の街の風景も
細かに描写され
それが壊されていく儚さ
今週は観たい作品いまいち
ないなと思ってとりあえず
的に観に行ってみましたが
すごく良かったです
絵柄が絵本のようでかわいい、が話はただの昭和時代の自叙伝
“窓際のトットちゃん“というタイトルはなぜか知っていたからウォンカを観るついでに同じ公開日に鑑賞。
ほとんどの人のほっぺが紅色に描かれ、その当時の流行りのメイクなのか??とも思ったがおそらくそういう絵柄なのだろう。
トットちゃんは無邪気で可愛いんだが、失礼ではあるが空気が読めなさすぎて正直身近にいたら相当ムカつきそうな感じではあった。
当時はまだ昔なので問題児という風に扱われ、そういった子供たち専用の学園に転入したストーリーだが、
今でいうところのADHDや発達障害児といったところか。
ちょっと自分だったらこの無駄に明るい謎のテンションの同級生たちとは上手くやれないなぁと思いながら鑑賞していたが、
まっすぐで思い切った行動をするトットちゃんがいろんな人の心を動かす様子を見て、
一概に表面的な部分だけを見て障害と片付けないで個人の内に秘めた光る良さを見ないといけないな、と反省した。
やすあきちゃんが生前に不可能を可能にした木登り体験も、トットちゃんの半ば強引な後押しがなかったらなかったことだ。
普通の人なら、怪我するだろアホか!と止めに入るところだが。
それにしても財布をトイレに落としたからとあんな汚いことを一生懸命やり始めたシーンではさすがにドン引きしたが、こりゃ親や先生は寛大な心と忍耐力がないと無理だなぁと思い感心した。
お母さんも終始優しく品があり、特に言葉遣いがすごく綺麗でそこも黒柳徹子さんは受け継いでいるんだろう。
まぁ全体的に言ったら、普通の昔の時代の人の自叙伝といった内容で鑑賞後は正直何を見せられていたのだろうかといった感じではあった。
校長先生に言われた言葉“君はとてもいいこ“を自分の下の兄弟にも言っていて、
優しさが連鎖する最後のシーンはほっこりした。
少女:黒柳徹子の原点
子供の頃から『世界ふしぎ発見』や『徹子の部屋』で見かけるタマネギ頭の不思議な女性、黒柳徹子さんが書いた小説『窓ぎわのドットちゃん』がいわさきちひろのイラストで講談社から出版されたのが1981年。現在90歳になられた黒柳徹子さん自らの肉声でナレーションを務められている事は本当に意義のある事だと思います。
好奇心旺盛で次から次に興味が移り行く、学校での授業を妨害してしまう自由気ままな少女トットちゃん。
彼女を受け入れてくれたのは自由ヶ丘のトモエ学園。
使い古した電車を教室に、同い年くらいでもみんながそれぞれ興味や好奇心の赴くままに学ぶ教室で、戦争疎開までの数年間、かけがえのない時間を過ごした少女が生命の大切さを学んだ、かけがえのない時間の物語です。
縁日で買ってもらったヒヨコに喜ぶ姿、小児麻痺で手足の麻痺で思うように身動きのできない同級生ヤスアキちゃんとの友情、性差さえなく平等な学校の空気、小林校長先生の子供を想う気持ち、忍び寄る戦争の影…
印象的だったのは作中で何度か挿し込まれる少女の空想シーン。いわさきちひろのタッチをイメージしている雰囲気があり、心象描写としてとても丁寧に描かれています。
また作中で父親がコンサートマスターを務めるオーケストラの練習を見学に行った際、ポーランド人指揮者ローゼンシュトック(ロー爺)が直前の不機嫌から一転トットちゃんを熱烈に歓迎するシーン。
日独伊の三国同盟を喜ぶ大人たちと、それを複雑な気持ちで見守るロー爺は「私は指揮者として人生を賭ける」と祖国を捨て使命に生きる覚悟を語ります。
彼はこの楽団の指揮者となるためにシベリア鉄道と関釜連絡船を経て日本にやって来て、アマチュア気質の抜けなかった楽団を育て、後に現在のNHK交響楽団の基礎を作り上げる事になるなど本作のBGMにN響が協力している事を知っているとニヤリとしてしまうかもしれません。
戦争が近づき、食べ物も配給に頼るようになった時に軍歌を演奏して日銭を稼ごうか悩む父親。軍歌はバイオリンで弾きたくないと決意を語り、それを受け入れる母。
ヤスアキちゃんの葬式からかけ出したトットちゃんの周りには戦争に向かう兵隊さんを万歳してみんなで送り出す人々、貯蓄国債を奨励する看板、兵隊ごっこをして遊ぶ子供、足を失って松葉杖をついて歩く人…
戦争などしなくても、理不尽にも命は奪われてしまうのに、戦争に突き進もうとする目には見えない民意の暴走(すれ違いの大人に絡まれるシーン)が、世の中を悲劇へと導いていく怖さが淡々と描かれています。
まだ赤ん坊の弟を連れて母と赤い屋根の家が取り壊されるのを見届け青森へ疎開するシーンでは家族の服装が見窄らしいものに変わっていて、トモエ学園が空襲で焼かれてしまうシーンでは小林校長先生の目に描かれた炎がいつまでも燻りながら闇に消えていくシーンは教育への想いの強さかもしれません。
少女:黒柳徹子の「〜なのよ」という口ぶりに、何処か現在の黒柳徹子さんの雰囲気を感じさせてくれる演技は可愛らしくもあり、声優さんのプロの仕事だと感じました。
本作の公開直前に発売された『続 窓ぎわのトットちゃん』では映画の後の、青森への疎開時代からの少女:黒柳徹子の物語が描かれているそうなので、映画を観て興味を持った方は読んで見てはいかがでしょうか。
★1.0については主人公であるトットちゃんが戦中とは言え比較的恵まれた家庭で育った事を描く事に釣られた影響か色彩が鮮やかで、丁寧に描きすぎているがために表情・景色などのメリハリに欠ける点です。
子供の特有の変顔をして笑わせようとしたり、泣き顔に変わる様子などに唐突感は兎も角、赤ら顔などが変に他のシーンに対して異様に浮いたりしているように見えます。(子供の泣き方特有の描写の演出とは少し違う違和感)
またこちらが主な理由になると思いますが水泳でプールに入るシーンで男の子も女の子もおんなじようにぼかした表現は昨今の様々な声に対する対処かもしれませんが、表現としての逃げだと思いました。
それなら少女の胸の表現はもっとアウトでしょうに?どこに配慮しているのか分からないコンプライアンスは、原作『窓ぎわのトットちゃん』が某県の図書館に並ばせない騒動にも通じるどうしようもない大人たちの都合を感じさせて中途半端で、とても残念な点だと思いました。
男の子の股間について言えばダビデ像などにモザイクをかけて放送するのかと現実とフィクションの区別を二次元の表現作品に持ち込まないでほしいと思います。
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