映画 窓ぎわのトットちゃんのレビュー・感想・評価
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映画的な時間の飛ばし表現が良かった
シーンのテンションが上がった決定的な瞬間に、何かを想像させるインサートを使い物語の時間を飛ばすのはとても映画的でこの物語を語るには効果的だと思った。
主人公のキャラクター造形もとても可愛らしく、色彩に溢れてまた、洋服や家具など当時の主人公の社会的な状況をさりげなく色々な状況を説明しているのがとても秀逸だと思った。まぁ、実際に黒柳さんがそういう生活をしていたということでもあるが。
物語の語りとして、黒味を入れることでどうしてもエピソードの羅列感が出てしまい、全体としての物語的強度が落ちていた。
エピソードにすれば、わかりやすいし、感動もするし、自伝的側面もあるのでそうしたことはある種の語り方だとは思うが各エピソードが全体として機能的だったかというとそうではない気がする。徐々に戦争に巻き込まれいく空気感もいいんだけどね。
でも、なんか見たことによる新しい何かはなかった。
隣のおじさんは凄く号泣してたので、私の心の問題かもしれないけど。
トットちゃんと校長先生
トットちゃんの豊かな感受性と優しさ、素敵ですね。
そしてトモエ学園の校長先生の心の大きさに感動。こんな人になりたいと憧れてしまいます。
後半は、子供 の個性を尊重するそんな素敵なトモエ学園も空襲で燃えてしまう。これは強烈な反戦のメッセージではないでしょうか。
元気をもらう映画
黒柳徹子さんの幼少時代を描いたアニメ。舞台は東京。戦争直前の1941年(昭和16年)ごろってまだ裕福な感じだったんですね。主人公のトットちゃんも洋風の一軒屋に住んで裕福層だったのかもしれないし、小児麻痺を患っていたヤスアキちゃんも田園調布の大きなお家に住んでいて、都会の裕福層だったような印象です。
元気はつらつで健康優良、繊細でかつ大胆な女の子。利発で悪気がない行動は周囲の大人も同級生も巻き込むエネルギーに満ち溢れている。迷惑がられていた感じだったのが、転校してきた学校の校長先生から君はほんとにいい子と言われる場面は感動しました。
一方、ヤスアキちゃんは小児麻痺で歩くのも大変だけど、トットちゃんとの交流で少しずつ外向きな元気になっていく。それだけにヤスアキちゃんの突然の死は悲しかった。
戦争はいよいよ激しさを増してとうとう、昭和20年になればトットちゃんも母親と兄弟姉妹の赤ちゃんと一緒に青森へ疎開することになる。通っていた学校も空襲で焼け、住んでいた一軒家も取り壊されてしまう。青森へ行く汽車でエンディング。トットちゃんに元気をもらえる映画でした。
PS.
小学生の子も親子連れでちらほら居て、小学生となればもうじっと静かに2時間近く座って観ていられるんだなと思い、騒がしくなるんではといったのは杞憂に終わりました。ちょうど隣に小学生低学年らしい女の子が座っていたけど、ずっと大人しくしてました。もうこの歳になるとちゃんと2時間映画が観ることができるんですね。
沸き上がる感情 コンタクト乾く間もなし
評判が良いので観に行ったが、まさかこんなに泣かされるとは。
最初はどうしても今の徹子さんイメージが目に浮かんで雑念チラホラしていたのだが、アニメの中の少女の姿にも慣れてからは没入。
トットちゃんはじめ、両親、愛犬、トモエ学園の校長先生、お友達、みんな魅力的。当時の東京ではかなり上流の生活?
こんなに子どもたちの自主性を重んじてくれる学園があったのか。教育内容を色々見られて興味深い。お財布を落としたエピソード、校長先生の対応にびっくり。見つけられなくても忘れられない体験になっただろう。
後半、戦争の影が忍び寄ってきてから起こる出来事に心揺れ動かされまくりでほぼ全泣状態。
戦争物苦手な自分には非常にきつかった。ダイレクトな描写はないが、すべてが統制され地味で質素で我慢を強いられる社会に否応なく変貌を遂げていく。いつのまにか愛犬の姿はなく、外来語も芸術も許されず、人々からは笑顔が消え、食うや食わずの毎日に。そんな中、泰明ちゃんとの雨のシーンの美しかったこと。
トットちゃんとの沢山のキラキラした時間を過ごしていただけに、その後に訪れた泰明ちゃんとの別れの辛さはぐっと迫りくるものがあった。
いよいよ戦況が悪くなってトットちゃんが疎開するところで映画は終わったが、これ以上辛い場面を観ていられなかったので正直助かった。
ストーリーもさることながら、音楽も演出も素晴らしかった。特に表現方法として様々なアニメーションの手法?が取り入れられていて、時に塗り絵っぽかったり、水彩画ぽかったり、良質の絵本をめくっているような気分になった。
鑑賞後は人に優しくありたいとなんとなく思わせるような作品なので、先入観なしに是非あらゆる年齢の人に観てほしい。
素晴らしかった
戦中の東京の生活ぶりをスケッチしていくような、淡々とした物語でフックが弱いはずなのに一つ一つのエピソードに引きこまれる。ともえ学園と小林先生が素晴らしくてずっと目がうるみっぱなしだ。燃え盛る校舎を前にして希望を捨てない小林先生がかっこいい。「ともえがくえん、いいがっこう」と意地悪な子に生徒たちが言い返す場面でボロ泣きした。
しかしトットちゃんは小児まひの子に良かれと思って木登りさせたり、プールに無理やり入れたり、まあ結果オーライなのだけど、無理強いがひどい。ハラスメントのレベルだ。こんなのは今は完全にNGだけど、それによって広がる世界もあるため、今後世界が狭いままの人が増えていくことだろう。どっちがいいのかはなんとも言えない。お母さんも服が汚れているのを見て泣いていて、そこでも涙がこぼれた。
尻尾があると先生にからかわれた高橋くんはもしかしたら小人症か何かだったような匂わせがある。
しかし、ともえ学園にうちの子が行くとなったらあんまり勉強しなくなりそうでちょっと困るな。
表現がとても豊かで、クオリティがめちゃくちゃ高い。素晴らしいものに触れた。
あのトースター欲しい
反戦映画でもあると思うのですが、
可愛らしくほんわかする映画で
黒柳徹子の幼少期を追体験する、そんな映画です。
あの独特な雰囲気を醸し出している徹子さんは
やはり裕福な家庭でお育ちになられたのですねぇ。
大戦突入前とはいえ、きらびやかな洋装、
立派な洋館、パパは音楽家🎻(ヴァイオリニスト)
驚いた事に、冷蔵庫やトースターまで‼️
当たり前のように朝食は喫茶店の洋食モーニング
食卓には綺麗な花がいけてありました🌷
(あのトースター欲しくなる🍞)
昨今の時代背景を考慮されたであろう
プールのシーンは違和感しかなく、
好き嫌い分かれるかもしれません。
プールのシーンを入れ込むのであれば
(無くても問題ないと思う)
あのような「妖精」たちを描くのではなく
ちゃんと描くべきだったのでは?と思って観ていました。
個人的には好きではありませんね💦
パパの声 小栗旬
ママの声 杏
小林先生 役所広司
パパ・ママに至っては、それほどセリフが
多いわけではないけれど
「親」の立場であるふたりだからこその深みある声で
小林先生の優しさにも痺れますねえ…。
名優たちは声だけの演技も素晴らしい👏
あえて言うなら、日常モノ
この映画を、「日常モノ」と括った人は凄い。劇的な展開や壮大な物語があるわけではなく、ただトットちゃんの数年を描いた日常モノである。
この作品は、見ながら、そして見終わったあとには色々考えさせられる。
色々考えさせられるが、作品はまるで一つも「ここを考えてね」と言ってこない。こんなに何も押し付けてこない作品も珍しい。これをみて?考えさせられるでしょ?と訴えてこない。考えさせられるどころか、考え方や果てには結論すら押し付けてくる作品が世に溢れる中で、本当にこの作品自体は何も押し付けてこない。
だから日常モノと感じる。
子供から見た日々は、ただそこにある。
開戦の報がラジオから流れた日、トットちゃんは今日いつも聞いてる天気予報のコーナーが無い、と報告した。両親は開戦を理解しているから困惑と重苦しい空気を纏いながらも、それでもトットちゃんにパパママは英語だから今日から使わないでお父様お母様と言うようね、と伝える。もちろんすぐに切り替えられるものでは無い。言い間違えしてしまったら瓶に一銭を入れていこう、と母親は遊戯にして子供へ伝えた。トットちゃんは瓶にお金を自分が入れたい、とはしゃぐ。
これが日常でなく、何なのだろうか。
色んな日常を丁寧に織り込んで作られているため、何に着目し何にハッとさせられるかすら、見る人に委ねられている。
皆に見て欲しいテーマ。皆に受け取って欲しいメッセージ。
そういうものをまるで嗅がせてこないっぷりが、本当にすごい。
それでもなお、見た人が受け取るエネルギーの様なものがある。
プラスとマイナス、生と死、陰陽どちらも混ぜ込んだようなエネルギーに感じた。
絶望に向かう訳ではなく、希望に生きるわけでもない。
日常とはそれだけで前に向かって生きていることであり、死や終わりと共にあることなのだと実感した。
新たな戦前を迎えつつあるこの国で
日本の学校教育は一人の教師が大勢の生徒を受け持つ一斉授業で行われるため、平均的でおとなしい生徒が好まれる。画一的な教育を目指すものなので均等な能力の育成に効果はあっても、個性や才能を伸ばすことには不向きだ。例えばギフテッドの子供や逆に平均より能力の劣る子供はその枠内からはみ出してしまうデメリットがある。
人並外れて好奇心が旺盛で授業中でも気になることが頭から離れないトットちゃん。彼女の描くお日様の絵が画用紙からはみ出るように枠内に収まろうとしない彼女は教師からさじを投げられ、転校することになる。
彼女が通うこととなったトモエ学園は大正デモクラシーの流れで自由教育を標榜する考えのもと生まれた学園であり、少人数制で個々の子供たちへの気配りが行き届いた学園だった。校長の小林先生は初めて訪れたトットちゃんの話に延々と耳を傾ける。子供の気持ちを理解することが第一だというのはまさに児童中心主義の姿勢そのものだ。
原作者の黒柳さんは小林先生に言われた「君は本当はいい子なんだよ」という言葉がなかったら今の自分はないとまでおっしゃっている。
幼いころのこういった教師との出会いがその後の人生にどれだけ大きな影響を及ぼすかこの先生はよく知っている。だからこそ、悪気なく尻尾がついてるかもと発育不良の小柄な生徒をからかった教師に対しては厳しくしかりつけていた。
優しくもあり厳しくもあるそんな小林先生の下で子供たちはのびのびと学園生活を謳歌する。そしてトットちゃんにとってその後の人生に影響を与えたであろう出会いが。それは小児まひの泰明ちゃんとの出会い。トットちゃんは手足が不自由で遠慮がちな彼をプールや木登りに誘い、分け隔てなく彼と接する。そんなトットちゃんに次第に心を開いてゆく泰明ちゃん。服を汚して帰ってきた彼の服を見て涙ぐむお母さんは、洗濯が大変だから泣いたのではないだろう。
いらぬ気遣いから腕相撲でわざと負け、彼を傷つけることもあったが二人のきずなは強くなっていった。そんなトモエ学園での楽しい日々が過ぎてゆく中、戦争の足音が静かに忍び寄ってくる。
銃後の守り、お国が大変な時期だということで食糧配給は次第に滞り、育ち盛りの子供たちは質素な食事を強いられる。元気でのびのびと子供たちをはぐくむトモエ学園の教育方針とは真逆の方向へ向かおうとする国の姿勢がそこには映し出される。
お腹が空いてせめて歌を歌って紛らわそうとするトットちゃんたちに意地汚い歌を歌うなと怒鳴りつける大人の姿。本来大人は子供にひもじい思いをさせたくないと思うものだが、この時代は国こそが第一であり、そんな子供の気持ちさえないがしろにされた。
子供たちの気持ちを尊重するトモエ学園とは対照的に個人の意思を封じ、ただ国に従う人間を望む国の姿がここでは描かれている。
そしてやがて悲しい別れが唐突にやってくる。縁日で買ったひよこの死が予感させた通りトットちゃんは泰明ちゃんの死を目の当たりにすることになる。身近な人の死を体験するには幼すぎるともいえるこの体験が黒柳さんの現在のユニセフの活動につながったんだろうか。
泰明ちゃんの葬儀から飛び出して街中に出ると出征を見送る大勢の人々が、そして戦争ごっこをする子供たちの姿。国は第二次大戦へと本格的に突入しようとしていた。トットちゃんが生きる時代は大きなうねりに飲み込まれてゆく。
やがてトットちゃんには弟ができて、お姉さんに。トモエ学園を卒業して東京から疎開することになる。
その後トモエ学園は空襲で校舎を焼かれ、小林先生も亡くなり廃校になってしまう。トットちゃんは泰明ちゃんに本を返す約束を果たせず、トモエ学園の先生になる約束も果たせなくなる。
もし、トモエ学園が現存していたなら私たちはあの玉葱頭をテレビで見ることはなかったんだろう。
同日に鑑賞した「ゲゲゲの謎」の水木しげる氏ほど強烈ではないけど、明らかに幼少の頃黒柳さんが体験した戦争に対する思いが本作に込められていたように思う。
ガキ大将たちがトモエ学園をからかいに来た時、生徒たちはけんかではなく歌を歌ってガキ大将たちを追っ払った。それを見て背中を震わせていた小林先生。力ではなく歌で相手を負かしたこのシーンは本作で一番印象的だったし、これが本作で一番訴えたいことなんだろうと思った。
いまの日本は防衛費倍増で世界第三位の軍事力保有を目指そうとしており、新たなる戦前を迎えつつある。戦前に生まれ第二次大戦を体験した人の数は年々減っていて、ご存命でもかなりの高齢だ。そんな人たちが経験した話をこれからも引き継いでいかなければならない。もしこのバトンを渡すことが途切れてしまえばまた過去の同じような悲劇がこの国を襲うことになる。
トットちゃんのように子供たちには争うことよりも歌い、学び、遊び、伸び伸びと育っていってほしい。子供が国の未来の担い手、子供が幸せでない国に繫栄はない。
力ではなく歌で立ち向かったトモエ学園の生徒たちのように国はいかに戦争を起こさないよう知恵を働かせ対話を重ねることが大切かを学ぶべきだろう。戦争を知らない子供たちが引き起こす戦争によってこの国が二度と戦渦に巻き込まれることがあってはならない。
正直、こんなに直球で戦争を描いたものだとは思ってなかったので驚いた。年端もいかない子供に銃後の守りとか言って怒鳴りつける大人の姿には正直、反吐が出た。その後、いかにも自分は立派な国民だといわんばかりにトットちゃんたちを教え諭すような口調になるその姿にも。
子供たちの何気ない日常がやがて戦争に侵食されてゆくさまを見事に描いた。可愛らしい絵柄からは想像もできない戦争の不穏さを。その絵柄とのギャップがより効果的だった。ぜひとも子連れで観に行ってほしい作品。
ハンカチ持って映画館へGO!
・・号泣しました。ハンカチ持っていった方がいいです。
大昔、とっとちゃんの本を読んで、ストーリーを知ってたつもりでしたが、ちょっと印象が違いました。
この映画は、
戦争の時代を生きるとっとちゃんが、
愛に溢れる人々に守られ、
でもその隙間に、社会で生きることの厳しさに、時に傷つき、傷つけながら、
生命と愛の尊さ、儚さを知っていく、
ストーリーでした。
・・ああ、なんと凡庸で稚拙な表現か_| ̄|○
私の筆力では書ききれないので、みてみて下さい。
こんな、人生のエッセンスを、普通の子供は多分知らない、知る機会もない、少なくとも私の子供時代はなかったです。
でも感受性豊かなとっとちゃんと、豊かな個性のともえ学園の生徒たちは、その深みに触れながら、生き生きと成長していきます。
人生の豊かさと厳しさ、日々起こりくる神からの恩恵と試練を受け止め、自ら超えていく心の力を育てていきます。
子供の純粋さ、エネルギーを持ったまま、成長していく様は圧巻です。
ともえ学園のプールでは、水着も着ずに、皆が生まれたままの姿で泳ぎます。小児麻痺のやすあき君は、初めてプールに入ります。「体が軽い!」と感激し、地上では味わえない体の自由さを存分に味わいます。
皆が水中で輪になって泳ぐイメージシーンは、まるでマチスの「ダンス」の絵のよう。人間礼賛!
でもある日、彼の命の炎は突然消えてしまいます。やすあき君の葬儀で、哀しさが溢れて、教会から駆け出してしまうとっとちゃん。街中を走り抜ける途中、
様々な生と死の場面に出逢います。
出征する兵士を万歳で見送る群衆、その裏道で、銃を持ち殺し合う兵士の真似をして遊ぶ子供たち、足を切断した帰還兵、骨壷を抱き嘆き悲しむ女性・・・
そしてとっとちゃんは知るのです。
この受け止めきれない深い悲しみが、この殺戮の世の先にあることを。
一つの命の尊さと、
失う痛みが
星のように無数に折り重なり、踏みつけられていくことを。
校長の小林先生は、トットちゃんとの初対面で、衝動的でとりとめなく話を続ける彼女に、「きみは本当はいい子なんだよ」と言ってくれます。
助詞の「は」の意味なんか、とっとちゃんは気にもしません。
でも、数年経って、戦争で閉校を余儀なくされ、悔しさに嘆く小林校長に、とっとちゃんは言うのです。「将来、ともえ学園の先生になってあげる!」と。
とっとちゃんの優しさに触れ、小林先生は心からいいます。
「君は本当にいい子だね」
「本当は」が、「本当に」に変わった成長は、まさにともえ学園での日々のおかげです。奇跡の軌跡です。
黒柳さんは、いつもエネルギーに溢れ、素直で正直、そして愛に溢れている。
その個性はこうして育まれ、愛の結晶となって、世の中を照らしてるんだなと感じました。
その光はきっと彼女がいなくなってもきっと消えることはない、
くらい強烈です(笑)
戦争はこの映画の間中、ずっと低音で鳴り響きます。戦争が、人々の生活も心も支配していこうとします。
食糧難でお弁当も作れない日々、軍事工場で、軍歌を演奏すれば食糧が支給されるという、ヴァイオリニストの父へのオファーに、家族は大喜びします。
翌朝、黒柳家には父の美しいヴァイオリン、タイスの瞑想曲が響き渡ります。心が震える美しい音色です。
弾き終わった時、父は静かに言います。「私のヴァイオリンで軍歌は弾けない」と。
美しい音を奏で、愛でることは、人間の美しさを礼賛する事、それは人殺しに加担する事とは真逆のことだと。
魂の演奏、魂の一言。
さすが、とっとちゃんのお父さん。あのご時世に、お腹を空かせた家族を前にこんな決断、普通できない。でも父の真意を妻と娘はすぐに理解し賛同します。
戦争に飲み込まれていく人々、
愛をもってそれに抗う人々、
それらが対照的に描かれています。
そしてもう一つの対照、
〜生と死は裏腹で、だから大切に一生懸命生きよう、どの命も〜
ともえ学園の玄関の上に、中国の陰陽太極図みたいなマークがかかってたのが、そんなメッセージにもみえました。
見終わった後、大袈裟に言うと、
生きてることが輝いて見えました・・
映画ってすごい、と思った作品です。
大作です。
あのね
当初はスルーしようかなと思っていた作品でしたが、評判が結構良いのと、今週の新作がかなり少ないというのも加味して鑑賞。特典はあいみょんの主題歌の歌詞付きポストカードでした。
戦前、黒柳徹子さんが体験したとある学校のお話という事で、どうしても戦争というものを文字や映像でしか知らない自分にとってはズレを感じる部分もありましたが、人の優しさや寛容さを映像越しで味わえる作品にもなっていました。
落ち着きがないから学校を辞めさせられるという、今の時代にはあり得ない対応を迫られていたトットちゃんが、トモエ學園に移って友達や先生と過ごす物語で、どうなるんだろうというハラハラがあるわけではありませんが、当時のリアルってこんな感じなんだなと各シーンで思わされました。
トットちゃん自身本当に落ち着きがない子なので、まぁ先生もそりゃ頭を抱えるよなと思いましたが、トモエ學園の先生や生徒たちはそれを受け入れてくれる、それどころかトットちゃんの良いところを見つけてくれる描写は素敵だなと思いました。
ただなぜこのエピソードを切り取ったのかという疑問が募る話もあり、財布を下水道に落としたからうんこを全部掘り返すというのはまぁあまり綺麗なエピソードでは無いですし、トットちゃんもなぜか授業も出ずにひたすら探したりしてるので、シンプルに問題児じゃないかと頭を悩ませるシーンになっていました。
尻尾が生えたというのを1人の子に冗談混じりで先生が言うシーンで校長先生が怒るシーンも、なぜ怒っているのかというのが説明されないまま(一応1人の子に対して言うな的なやつや、小柄な子だったからなのかなとは思いましたが)だったので、そこも引っかかってしまいました。
全体的にエピソードを淡々と繋ぎ合わせただけな感じがあって、クラスメイトのほとんどがどんなキャラなのかの掘り下げもありませんし、何かテーマがあるのかと思ったら次へ次へと進んでいくので、その度に集中力がプツッと切れてしまったのは惜しいなと思いました。
ヤスアキちゃんが小児麻痺だっつってるのに、やたらとトットちゃんが手を引っ張る描写が多いシーンが多いのは事実だとしたらあまり好ましいシーンではなくて、強くあって欲しいというのは切な願いだと思うんですが、無理強いしてまで木登りをさせたりプールに連れていったりするトットちゃんの悪く言えば強情なところは好きになれませんでした。いくらなんでもこれは先生や周りに注意されないとトットちゃん自身が危ない子になっちゃうよなと思ってしまいました。
ヤスアキちゃんの突然の死も、事故だったのか病気だったのか、そこを明かさないのは黒柳さんからヤスアキちゃんへの配慮なのか、それとも本当に知らされていなかったのか、唐突すぎて整理がつきませんでしたが、当時を考えると仕方ないのかなとも思いました。
後半になってくると戦争が本格的に始まり、質素な生活になるなどトットちゃんやトットちゃんの変化が描かれるようになります。
戦争の様子を食べ物の価値など含め黒柳さんが実体験したものが鮮明に描かれていたのは良かったなと思いました。
地方へ疎開していくシーンで、生まれたばかりの妹に優しく語りかける様子は、トットちゃんが成長したんだなと少し感心するところがあって良いなと思わされるシーンになっていて良かったです。
声優陣は本職の方が少ないですがしっかりしていたと思います。中々の長編の主役をやり切った大野りりあなさんは本当にすごいと思いますし、杏さんと小栗くんとカレンさんは少し時間が経たないと気づかないくらい溶け込んでいて凄かったです。役所さんは1発で分かりましたが、優しさの滲み出ていた声で素敵でした。
色々と小骨が喉に引っかかる感覚のある作品でしたが、トータルしてみれば良い作品ではあったなと思いました。今年は戦前戦後の作品が多いなと思った次第です。
鑑賞日 12/11
鑑賞時間 12:40〜14:45
座席 O-16
誰が見ても安心仕様の超優しい映画。でも...
あえて悪く言うと他の戦時中を描いた作品と比べるとだいぶいい環境にいるし登場人物が優しすぎてこんなに優しい人ばっかだったの?と逆にリアリティを感じられない箇所もある。
しかし今作の主人公は今も幸せそうに現役で生きているという事実がある。
とにかく良い方々に恵まれて本人もよっぽど良い人なんだろうな〜思えてくるので今作の登場人物たちは割とリアルなのかもしれない。
あくまで「こども」の目線のお話。
そこまでキツい展開は無く安心感があるので辛すぎる展開が苦手な人やお子様でも楽しめる設計になっている。
好奇心旺盛で天真爛漫な主役の女の子の描写がやたらリアルかつ自然な感じ。現実にいそう。いや、居る。
映像のクオリティがスゲー。子供の脳内がそのままスクリーンに出てきているかのよう。なんだかんだ夢中になって観て最終的に胸が熱くなる映画でした
戦時中を描いたアニメ作品の良作が一つ増えました
泣けた…親世代に見てもらいたい
原作読んだのに忘れていました。
映画を改めて見ると
「やってはダメ」
「何でこんな事するの」
怒るか手を貸してばかりの大人になっていたんだと情けなく思います
途中で最愛のロッキーが急に居なくなりますが最後まで黒柳家の家族ではなく軍用犬に取られ看取る事も出来なかったんです…
お父様もその後シベリアへ徴兵されました
駅員さん
ひよこ
友達の死
戦争知らない世代ですが
本当に泣けて来ました…
気が狂う
トットちゃんたちの親御さんたちがどんな気持ちで子どもたちをトモエ学園に通わせていたか考えると胸がいっぱいになる
こどもたちがどんな気持ちでトモエ学園に通ってたから考えると涙が出る
「どうしてみんな私のこと『困った子』って言うのかな?」の言葉に胸が突かれる思いだ
親御さんや先生たちがどんな思いで子どもたちを育ててきたか、子どもたちをどんなに大切にどんなに愛しく思っていたかを思い泣いた
戦争が始まる。あんな風に始まり、あんなにも逃げようがなく、こどもですら逃げ場がなくもがいても引き摺り落とされる、子どもがあんな思いをすることになると考えるとつらい
親御さんや先生たちの気持ちを考えると気が狂いそうになる
戦争は始まってしまうともう逃げられない世界が狂う声をあげられない声をあげても逃げられない。世界が狂い、気が狂う。おそろしいと思った
後半になるにつれて戦争ムードが色濃くなる
黒柳徹子さんの自伝的な本が原作なアニメ映画
原作は未読です
落着きがなくおてんばな女の子のトットちゃんが
普通の小学校にいわれなくなったので
トモエ学園という電車が校舎になっている学校での
生活を描いている
トモエ学園の先生は
現在から見てもユニークな教育をしているように感じた
これが80年前に本当にあった学校とは信じられない
トモエ学園の日常を描いている場面が
淡々としている感じがする
そのなかでイメージ映像を入れている感じ
小児マヒの男の子「ヤスアキちゃん」とのエピソードが多い
ただ、単発のエピソードをつなげた感じがするし
「ヤスアキちゃん」が亡くなった理由もよくわからない
これは原作も同じなのかもしれないが
本作は後半になるにつれて
戦争ムードが色濃くなってきて
それがトットちゃんとトモエ学園にも反映されてくる
英語がしゃべれないとか
食べ物がなくなってきたりとかのシーンがあって
反戦映画っぽい感じがするが
あれが当時のリアルだったんだな
黒柳さんの体験に合わせているのか
トットちゃんは疎開で青森にいって
トモエ学園は空襲でなくなってしまうので
ハッピーエンドでは思えない感じで終わってしまった
それでもトットちゃんが
幼い赤ちゃんに小林先生と同じようなこと言うのが希望だった
【”トットちゃんは本当は、良い子なんだよ。”と校長先生は優しい顔で言った。今作は、軍国主義が蔓延って行く中、校長や自由思想を持つ両親によりトットちゃんが素敵な女性に育っていく様を描いた作品なのである。
■第二次世界大戦開戦間際、トモエ学園の小林校長先生の教育方針が素晴しい。それは、子供一人一人の個性を重んじ、尊重し、接する姿勢である。
故に、トモエ学園には劇中描かれている通り、自由な気風が横溢し、生徒たちは活き活きと列車を改造した教室で、自分が遣りたい科目から勉強を始めるのである。
◆感想
・小学一年生で、自由でお転婆過ぎるが故に、転校を促されたトットちゃんが、トモエ学園に来て小林校長先生にイロイロと4時間も話す姿。そして、それを嬉しそうに遮ることなく聞く校長先生の姿。
ー ”傾聴の姿勢”とは良く教育の場で聞く言葉だが、小学一年の女の子の話に4時間付き合う校長先生の姿は素敵だし、トットちゃんの話も面白かったんだろうな。-
・小児麻痺のやすあきちゃんと、トットちゃんの関係の描き方も良い。表に出たがらず、本を読んでいるやすあきちゃんを、外に連れ出し、お気に入りの木に一緒に必死で登る姿。そして、木の上から見た世界に顔をほころばす、やすあきちゃんの表情。
ー 家に帰って、風呂に入っているやすあきちゃんがお母さんに”服を汚しちゃって、ごめんなさい。”と言うも、お母さんは嬉し泣きをしている。多分、初めて服を汚して帰って来た息子の事が嬉しかったのだろう。可なり沁みたシーンである。
■やすあきちゃんとの別れのシーン。
小児麻痺が原因なのか、亡くなってしまったやすあきちゃんの事を校長先生が涙ながらに伝えるシーン。そして、トットちゃんの手元にはやすあきちゃんから借りていた「アンクルトム」の本がある。
このシーンも、非常に沁みた。トットちゃんが、夏祭りの夜店で買って貰ったヒヨコの死。そして、親友だったやすあきちゃんの死。
トットちゃんは棺の中に横たわるやすあきちゃんの顔の傍に、大きな赤い花を手向けるのである。
・トットちゃんのバイオリン弾きのお父さんが、軍歌を弾くことを拒否するシーンや、奥さんの服装を憲兵から指摘された時の毅然とした対応も、トットちゃんの両親が自由思想を持っていた事が分かる。
■戦況は悪化し、東京にも米軍飛行機が次々に飛来し、トモエ学園の子供達も皆、疎開していく。暫しの別れ。
トモエ学園にも、焼夷弾が落ち学園が燃えていく中、小林校長先生が”さあ、今度はどんな学校を作ろうか!”と叫ぶシーンも沁みたなあ。
戦火に屈せずに、教育者としての気概を持ち続ける姿が素晴しいのである。
<今作は、原作を可なり忠実にアニメーション化した作品であるが、そこで描かれる小林校長の”子供一人一人の個性を重んじ、尊重し、接する姿勢”や自由思想を持つ両親の姿や、トットちゃんの親友、やすあきちゃんとの楽しき日々と哀しき別れが、美しく優しい風合の色彩で描かれており、とても心に沁みた作品である。>
もっとキャラクターの掘りさげがあれば…
原作は未読です。メインテーマは反戦…なのかな。
キャラクターデザインは可愛らしくて好きです。大野りりあなさんもすごくよかったです。
ただ、私はいまいちストーリーに入り込めず、笑いも泣きも出来ませんでした。エピソードが多かったからか、戦争の暗い影を感じたからかな、残念。もっとヤスアキちゃんのキャラクターの掘りさげや、ふたりのエピソードがあればよかったのかな、と思います。突然亡くなってしまった理由も知りたかったです。
あと、黒柳徹子さんが超お嬢様であることは分かりました。戦前のあの時代にトースターと冷蔵庫がある家庭なんて!徹子さんが当時「変わった子」とされたのは、ご両親の教育方針がヨーロッパ文化の影響を受けたものだったんだなと感じました。
随所で泣かせていただきました
学生時代、下宿先から実家に帰るとこれでもかっていうくらい持ちきれない食材を持たされ、親不孝息子は「こんなに食べきれないよな」なんて心の中では思いながら持って帰っていた頃、ふと「徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』読んでみたいな」なんて呟く母に日頃のお礼の意味で(照れ隠しもあり)そっと買ってプレゼントした思い出があります。日頃文庫化されてからしか買わない貧乏学生が単行本購入は少し勇気のいる決断でしたがちゃっかり自分も帰省中に読み終えて感動したのも遠い記憶になっていました。
今回アニメ化されると知って是非観たいと封切り直後に行ってきました。40年以上も前の作品が今映像化されたことに感謝の気持ちでいっぱいです。そういえば亡き我が母と徹子さんはほぼ同年代。夜中に居間に降りていくとまだ起きていた母から戦時中の話をよく聞かされ、仲間内にも見てきたように話す、年寄りくさい若者だったと思います、今思えば。
でもメディアや本からの情報ではなく体験者から直に聞くことができたのは自分自身ありがたい経験だと思います。この前観た『ゴジラ-1.0』でもまるで戦争体験者のように感じることができました。(実際の体験者の先輩諸氏には怒られそうですが)
今でこそ個性が認められる、評価される時代かもしれませんが昭和15年、戦争直前の時期に子どもたちの個性を活かした教育をされていた小林先生には驚きと感動を隠せません。役所広司さんの温かい口調はさながら小林先生そのもののように感じましたし、優しさ溢れる杏さんのお母さんも素敵でした。
私ごとですがやはり個性派の娘に幼稚園から高校までもれなく担任に呼び出された経験を思い出しました。そんな娘も今や我が家の天使を授けてくれて毎週の楽しみを与えてくれるいい意味での普通のママになっていますが。
今回も映画のレビューにほど遠い内容になりましたが上記に書いた思い出を新たに湧き立たせてくれて鑑賞中、ここで何故涙が?というくらい感動させていただき大満足です。原作の素晴らしさ、またそれがノンフィクションでトットちゃん自身が現役でナレーションをされていたことにも感動を覚えました。ランチをしながらレビューを書いていますが、また涙が出てきそうで怪しいオヤジ状態です。
よかったです!!老若男女是非ご覧下さい。心癒される作品です。原作をまた読んでみたくなりました。(逆に原作未読だと入りづらいかもしれませんが。)
追伸
朝7時20分の上映回は同世代と思われるオジさん3人の貸切でした。
通る道。
黒柳徹子(トットちゃん)の子供の頃の話。
落ち着きがないからを理由で退学させられた小学1年生のトットちゃん、東京自由ヶ丘にあるトモエ学園に転校し、トットちゃんの全てを受けとめてくれたトモエ学園の小林校長、学校の仲間達との生活、戦時中の出来事を含めたトットちゃんのストーリー。
作品観て思った事は時代を感じました、落ち着きがないから退学って、なかなかですよね(笑)あと、全裸プールも!全然否定とかでなく、ほのぼのした気持ちで観れました!
作品を観る限りではトットちゃんの家は裕福そうに見えたけど戦争のせいで、我慢しなくてはならない生活になってしまった事は大変だったんでしょうね…この時代を生きた人達も。着る服、贅沢、話してはいけないワードなど色々と…。
とりあえず黒柳徹子さんは子供の頃から喋り倒して活発な子だったってのはよく分かった!(笑)
小栗旬君の「トット助」が印象的!杏さんのお母さん役の声も良かった!
小林校長の心の広さとその声を担当した役所広司さんも最高でした!
どんな時代でも変わらない
黒柳徹子
1933年生まれの90歳
なにせ
「日本史上最初のテレビ出演者」
つまり日本におけるテレビ放送
の開始からを知る偉大な人物
冠番組の「徹子の部屋」は
1976年から同一司会者による
トーク番組として世界記録を
更新し続けている
という黒柳氏の
幼少期をつづった自伝
「窓際のトットちゃん」は
1981年に刊行され大ヒット
戦後最大のベストセラーとされ
トットちゃんブームが来た
そうである
自分は世代的に目の当たりに
するには幼すぎたので
今回初めて観賞
尋常小学校から
「問題児」と言われ
電車が校舎のトモエ学園に
移ることになったトットちゃん
そこでなんでも自由に受け入れ
子供の思うようにさせてくれ
のびのび育っていくトットちゃんや
周りの子供たち
そこで小児まひでぎこちなく歩く
少年「泰明」との出会い
そこへ徐々に生活に迫る
戦争の影
夜店でねだったヒヨコの死
そして
「トットちゃんと出会えて
ヒヨコは幸せだったよ」
と慰めてくれた泰明の死
感受性のままに生きてきた
トットちゃんが経験する
生命の終わりを目の当たりにする
シーンは想像以上に辛いものでした
また父や母
小林校長の葛藤もしっかり
描かれており移入できる
部分も多かったと思います
子供に自由にさせることで
どんな答えが出るのか
トモエ学園の子供たちや
トットちゃんが
いじめに来る子供たちを
追い返すシーンで
窓際で肩を震わせる
校長の姿は
泣かせてくれました
どう子供に接するか
どう育つか
今の時代でも変わらない
テーマと課題と葛藤が
あります
焼け野原になる前の
平和な日本の街の風景も
細かに描写され
それが壊されていく儚さ
今週は観たい作品いまいち
ないなと思ってとりあえず
的に観に行ってみましたが
すごく良かったです
絵柄が絵本のようでかわいい、が話はただの昭和時代の自叙伝
“窓際のトットちゃん“というタイトルはなぜか知っていたからウォンカを観るついでに同じ公開日に鑑賞。
ほとんどの人のほっぺが紅色に描かれ、その当時の流行りのメイクなのか??とも思ったがおそらくそういう絵柄なのだろう。
トットちゃんは無邪気で可愛いんだが、失礼ではあるが空気が読めなさすぎて正直身近にいたら相当ムカつきそうな感じではあった。
当時はまだ昔なので問題児という風に扱われ、そういった子供たち専用の学園に転入したストーリーだが、
今でいうところのADHDや発達障害児といったところか。
ちょっと自分だったらこの無駄に明るい謎のテンションの同級生たちとは上手くやれないなぁと思いながら鑑賞していたが、
まっすぐで思い切った行動をするトットちゃんがいろんな人の心を動かす様子を見て、
一概に表面的な部分だけを見て障害と片付けないで個人の内に秘めた光る良さを見ないといけないな、と反省した。
やすあきちゃんが生前に不可能を可能にした木登り体験も、トットちゃんの半ば強引な後押しがなかったらなかったことだ。
普通の人なら、怪我するだろアホか!と止めに入るところだが。
それにしても財布をトイレに落としたからとあんな汚いことを一生懸命やり始めたシーンではさすがにドン引きしたが、こりゃ親や先生は寛大な心と忍耐力がないと無理だなぁと思い感心した。
お母さんも終始優しく品があり、特に言葉遣いがすごく綺麗でそこも黒柳徹子さんは受け継いでいるんだろう。
まぁ全体的に言ったら、普通の昔の時代の人の自叙伝といった内容で鑑賞後は正直何を見せられていたのだろうかといった感じではあった。
校長先生に言われた言葉“君はとてもいいこ“を自分の下の兄弟にも言っていて、
優しさが連鎖する最後のシーンはほっこりした。
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