映画 窓ぎわのトットちゃんのレビュー・感想・評価
全62件中、21~40件目を表示
小林先生みたいな先生
さあ なんでも話してごらん
話したいこと 全部
って言ってくれる先生に出会えて良かった
役所広司さんの声も強くて優しくて
こんな大人になれたら良いですね
ただ心がギュッてなるので
繰り返し観るのは大変かも
お正月は役所広司だった
1/4の今年2度目の鑑賞映画は、トットちゃんでした。妻のリクエストで家族3人で観に行きました。
黒柳徹子さんの幼少期を描いているようですが、ちょっと個性的な、自分の興味を貫ける子が、戦前の日本でどう育ったのか、その境遇を垣間見る事ができました。
子供の可能性を信じ、大人の常識で縛り付けない両親や学校の先生たちに囲まれて様々な経験をさせてもらえたトットちゃんは、とても幸運だったと思います。
そんなトットちゃんだからこそ、麻痺の残る少年の良き理解者になれ、心を通わせられたのだと思います。少年が急逝されたシーンはとても悲しく思わず涙ぐんでしまいました。
疎開に行くシーンで映画が終わるので、いつかパート2も観てみたいです。
ところで校長先生役は役所広司さんでしたね。元旦に観たパーフェクトデイズで役所さんの演技力に感服したばかりだったのに、この校長先生役も素晴らしかった。今度はセリフもたくさんあるので、観所(聞きどころ)満載です!
丁寧に練られた、少女の世界
久しぶりに、丁寧に心情表現を丁寧に描いていた作品を見れた気がした。
物語の前半に出てきた、徹子が興奮したことで、尋常小学校を辞めさせられるきっかけになったチンドン屋が物語最後で再び出てきたことで、徹子の心情の変化をより際立たせていた。
また、学校での授業のシーンなど音楽を用いて、徹子がリズムの世界に没頭していく様も、とても軽快に描かれている。
また、その描写自体、同級生の泰明ちゃんとの関係性を描く上でも、重要なファクターになっていた。
その泰明ちゃんとから、借りた本を読んで、父親が軍歌を演奏することを躊躇う流れも、またにくい。
泰明ちゃんとの関係が、父親にも響いていくのだから、脚本の構成自体が上手くできているのではと、圧巻だった。
ただ、欲を言えば、ただ、綺麗には心情を描いているが、徹子自身のキャラクターなり、何かもっと心に引っかかる何かが欲しいなとも思った。
その辺は、これからのこの監督の次回作に期待したいと思う。
トットちゃんが可愛い
黒柳徹子さんのエッセイのエピソードを時系列で並べられている為、ストーリーと言える物は深くはなく小学生の日常が描かれている。
自分が小学生の頃を思い出してしまいました。
SPY×FAMILYは上演回数が7.8回毎日やってますが、この作品こそもっとやるべきだろう。
子供たちの日常が戦争が進むに連れて変貌して行く様は観ていて辛いものがある。
この作品は今を生きる大人達こそ観るべきです。
子供や女性の生きづらい世の中にしてはいけないことを痛感させられます。トットちゃんがとても可愛いから尚更に。
是非続編を作って欲しい。最初は髪飾りを付け、ワンピースを着て学校に通ってた徹子さんが最後には自宅を取り壊されモンペ姿で疎開していきますが。。。
トモエ学園という存在
トットちゃんや泰明ちゃんのような事情を抱えた子どもたちにとって、トモエ学園の存在は本当に大きかっただろうなと思いました。
子どもたちを優しく見守り、好奇心や自由を大切にする教育は当時は今以上に斬新だったと想像します。
トットちゃんと泰明ちゃんのエピソードはどれも心温まるものばかりでした。
特に泰明ちゃんがトットちゃんに挑んで、手加減されて「ずるいです!」と怒るシーンは印象的です。
戦争や小児麻痺など今と時代背景が違う部分がありますが、トットちゃんのような好奇心や優しさは大事にしないといけないなと感じました。
”父の葛藤”
「トットちゃんの父が軍の音楽家になるか否かを葛藤するシーン」が特に印象に残っている。
満足に食べるものが得られない家族のため、自分の音楽が戦争に利用されるのを良しとするのか。自分の音楽が利用されるのを許さず、自分の音楽に対する”思い”(誇り・プライド)を優先するのか。
家族の為、自分の音楽に対する”思い”を捨てて軍に協力するというのが、合理的な選択であるように思う。鑑賞中には、自分の”思い”を優先し、家族に我慢を強いるという選択をした父に、「それでよいのか?」という感想を抱いた。
しかし今、振り返って考えると、どちらがよかったのかがわからなくなった。
家族の為を思って、自分の音楽に対する”思い”(誇り・プライド)を犠牲にするというのは、”父として”よいことのように思われる。
ただ、その重要な”思い”を捨ててしまえば、父自身の精神はどうなるのだろうか。
自分にとって本当に大事な、根幹の部分を曲げてしまったら、父の人間としての何かが狂ってしまうのではないだろうか。
他者のために自分を犠牲にするのは確かに美しいように思う。
家族のために父が自分の”思い”を押し留めるという方が、どこか正しいような気がしてしまう。
しかし、本当にそれは”よい”ことなのだろうか。自分にはわからなくなった。
やすあきちゃんの生きた証
自らのハンデから、家でも学園でも本を読む事が生活の中心であったやすあきちゃん
校長先生やトットちゃん友人たちとの交流の過程で、観ながら思わず声を上げて応援したくなる木登り、二人三脚などの場面
腕相撲でわざと?トットちゃんが負けた時のものすごく怒った顔、
そして水の中で手足の不自由を感じる事なく思いっきり身体を動かす姿の描写、
どんなにハンデがあっても周りとの関わりの中で成長していく、彼の秘めたエネルギーがとても伝わり感動し泣きました。
そして土で汚れた彼の洋服を微笑んで見つめるお母さんの嬉しそうな顔、受け止めきれないであろう葬儀での悲しみ
この映画を観て彼の成長から死がとても丁寧に描かれていたところに一番ひかれました。
そしてやすあきちゃんの短い生涯の中に、凝縮された生きた証を無意識のうちに与えた窓ぎわの席を選んだトットちゃん「ほんとにいい子・優しい子」でした。
もう一度すべての画面にゆっくり触れてみたいと思う、とても印象に残る映画を観る事ができて幸せでした。
原作者の黒柳徹子さん、この映画の制作に携わった関係者の方皆さん本当にありがとうございました。
私の身近に生まれた7ヶ月の子にも「すごいエネルギーで優しく」成長してほしいと思いました。
40年越しに見たなあ
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天真爛漫過ぎて小学校に合わなかったトットちゃん。
転校した先は愛に満ちた校長のいる、自由な校風の学校だった。
そこで仲間達と打ち解け、楽しい小学校生活を送る。
同級生に小児麻痺のヤスアキくんがいた。
うまく体が動かないが、共に木登りに挑戦したりした。
そんなヤスアキくんが唐突に死亡。悲しみに暮れる。
トットは将来この学校の先生になると、校長に約束した。
やがて戦局が悪化してトットは疎開した。
そして空爆を受け、学校はなくなってしまった。
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小学校低学年の頃、この本が話題になってたのをよく覚えてる。
しばらくは黒柳徹子のことをトットちゃんと呼んでたわ。
その後「窓際族」という言葉が生まれ、子供ながらに複雑な気分だったw
一度も読むことのないままにおっさんになり、この機会に見てみた。
おそらく作られた話ではなく、黒柳徹子の経験した本当の話なんだろう。
だから特別面白いというわけでは全くなかったな。
記憶に残ってる小さなエピソードを幾つも並べた作品って感じ。
でも黒柳徹子という偉大な人の幼い体験を知るのは感動するし、
戦争で貧しい時代を垣間見ることもできて良かったと思う。
本当に大変な時代だったと思うが、みんな一生懸命やったんやな。
命と音楽
泰明ちゃんの葬式から飛び出して、出征の列を逆走するトットちゃん
戦争ごっこする子供達、四肢欠損した兵士、戦死した子供のお骨を抱えて泣いている母親、それらを振り払うように必死で走る
特にセリフはないが痛いほどトットちゃんの気持ちが観客に伝わってくる
反戦映画として本当に誠実な描写
また音楽が持つリズムの楽しさを学校で教わってからの、リズムによる全体主義社会への反撃
お父さんの音楽家としての矜持等、音楽演出もとても素晴らしかった
個人的な話になるが、祖母の兄が学校で教師をしており学校に爆弾が落とされて亡くなったという話を思い出さずにはいられなかった
切符切りの駅員さんが懐かしい
昔、家にあって読んでたはずの「窓ぎわのトットちゃん」ですが、大まかな筋しか覚えてなかったので改めて鑑賞。
映像になると、駅員さんの切符を切る姿が懐かしいなぁ、と思い。駅によって切られた時の形が違うのも味わい深かったのに、いつの間にか自動改札が◯にしか穴を開けなくなり、
いまや交通系ICでは切符の存在自体が無い。
たまに訪れる旅行先でICが使えない駅だと久しぶりに切符を買う感じで、切符1つにも時代の移り変わりを感じる。そんなことを思い出させてくれる映像でした。
*****
トットちゃんや、ヤスアキちゃんが当時としては裕福な家の子ども達だったんだな、と改めて思い、
また黒柳徹子さんが芸能人として自分の特性を活かせる仕事に就けて良かったと思いました。
黒柳さんの逸話で今も覚えているのが昔のテレビ番組「笑っていいとも」のテレフォンショッキングで、ゲストとして出演するも、1時間番組なのにそのほとんど、多分40分か45分くらい??だったかとにかくおしゃべりがあまりにも長すぎてでも司会のタモリさんが遮ったり途中で切り上げさせることすらままならない脅威のおしゃべり故、番組のほとんどのレギュラーコーナーが出来ず〜〜!!という、生放送ならではの、そして黒柳さんならではのハプニングで番組が放送されたというもの。
黒柳さんのおしゃべり好き、自由奔放さ、他の人とは違う行動や考えをするところが幼少期の一般的な学校では「問題児」とされるところ、
大人で芸能人であればそれは「個性として面白い!」となって評価されるというか。。伝説にもなる。そんな長時間話すゲスト、後にも先にも多分黒柳徹子さんしかいなかったんじゃないかと思うし、面白さを追求するテレビ番組という舞台であればそんな奔放な行動も良しとされる(スタッフさん達は進行が滞り、焦りまくりだったかもしれませんが)。
小林先生のような、子どもの個性を受け止めてくれる教師やそんな学校があって本当に良かったと思う。
映画を見ながら、「もし自分がトットちゃんのような性格なら?」とか「もし自分がトットちゃんのお母さんの立場なら?」とか色々考えました。
話を聞いてあげる、って大事なんだなと思い、また戦争でトモエ學園も焼けて無くなってしまいましたが、本にしたことでこうして映画化され、多くの人の目に残る形になり、とても良かったと思います。
校舎は無くなっても、小林先生のような考えを知ることが出来て良かったです。子ども時代にこの本を読んでいてもあまりよく分からなかったこと、感慨深くは思わなかったことが、大人になって実感することが出来て、見て良かったと思いました。
*****
私も子ども時代にお祭りでヒヨコを買ってもらったことがあって、その子は羽が白く成鳥になるまで育てられましたが、とても可愛いヒヨコだったことを思い出せて嬉しかったです。
期待外れ
知り合いからのすすめだったが、いまいちピンと来るシーンもなく、「泣いた」「感動した」というレビューを目にして、いったいどこの辺りが泣き所なのか私には不明。
作中の時間の流れが速くなったりゆっくりになったりするのも作品に没頭できない部分のひとつ。
時代の不安感にマッチ
戦前の暮らしを中心とした物語で、ラストの方にて戦争が始まる。
黒柳徹子さんの幼い頃の物語で、
泰輔ちゃんとの交流がメインに進む。
小林先生のような先生が、当時いたのだ、という事や
黒柳さんと泰輔ちゃんの交流などが胸を打つ。
序盤に泰輔ちゃんの口から出た「テレビジョンは世界を平和にする魔法の箱」という言葉に祈りみたいな気配を感じて、この作品が好きになった。
そうであって欲しい。
泰輔ちゃんとの別れは突然で、
悲しくて涙が出た。
大好きな人との別れは悲しい。
いつかずっと大人になった時に何処かで会えるんでしょう。と、思いたい。
戦争が始まって、トモエ学園の友達とも離れ離れになる日に、
どんなに遠い場所へ行ってしまっても、
いつかまた会える
そう言うトットちゃんが眩しくて、胸が締め付けられて、涙が出た。
映画「窓ぎわのトットちゃん」は、友情の物語で、別れの物語でもあったように思った。
信じ合える人達との心の交流があったから、
トットちゃんで描かれた「別れ」は、悲しさと一緒に、あたたかさも感じさせてくれる。
きっとまた会える
それは
「心の中にあなたがいるよ」ということじゃないかと思った。
教育とは、子どもを守るとは、戦争の始まりとは、
そういった事も考えさせてくれる物語だったと思う。
暮らしが悪くなっていくと、人も荒れる。
トットちゃんのように、心の豊かさ、友情を大切に出来る人間でいたいと思った。
トットちゃんは小林先生との出会いがあって羽ばたくことができました。自分も誰かの生きる力や支えに少しでもなれるなら良いのですが。
有名すぎて手が出なかった本がいくつもあります。
何度か手を伸ばしてみては、そのつど "今更かなぁ…" と
読む機会を持たなかったタイトルのひとつ。
それがこの「窓ぎわのトットちゃん」 です。
いわさきちひろの表紙イラスト絵も有名です。
今回のアニメ化がいいきっかけでしょ? と自分に
言いきかせ、劇場アニメを観に行ってきました。
(原作本はまだ読んでいません)
◇
鑑賞終了。
この作品を観る上で大事なことがあるかなぁ と。
#色々な場面で心に浮かんだ気持ちが大事。
#浮かんだ気持ちは心に留めておかないと。
#自分の周りにもトットちゃんはいたのかも。
#自分はトモエ学園の側に居たのだろうか…。
観終わって、そんなことを思っています。・_・ハイ
この作品、少しだけ人と違った女の子のお話。
フツーの小学校で持て余されてしまい、ここならばと
訪ねた学校が「トモエ学園」でした。
この学校は鉄道の車両を教室にしているのです。
そこには、トットちゃんにとって大切な人達との
出会いがありました。
・優しく迎え入れた小林先生。
・小児麻痺で右足と左手が不自由な子
・実験の好きな子 etc
家にはバイオリン弾きの父と優しい母もいます。
好奇心旺盛でやや落ち着きの無かった女の子が
自分を認めてくれる人達の中で成長していきます。
と、このようなお話なのですが、時は昭和15年ころ。
日本は戦争へと進んで行きます。
こどもの生活にも次第に陰が落ち始めます…。
◇
主人公トットちゃんこと黒柳徹子さんは今も元気で
ご活躍中なわけですが、現在の、そしてこれまでの色々な
番組司会等で目にしてきた徹子さんに、こんな過去が
あったのかと驚くと同時に、戦争の愚かさを追体験できる
内容となっています。
鑑賞後、やはり原作を読みたくなりまして
ネットで注文をかけました。
届いたら読んでみようと思います。
続編も出ていたのに驚きつつ、こちらも購入。
(今年10月の出版でした。新刊です ・_・)
◇あれこれ(印象に残った場面)
■校庭で水遊び
なにかこう、すごいインパクトのある場面でした ・-・。
気持ち良さそうではありますが、今の時代に同じことを
やったらきっとエライ事になるだろうなぁ… ・_・;
■♪トモエ学園 良い学園♪
いじめっこの暴力に立ち向かったトモエ学園の子たち。
相手が口にする悪口の歌を、逆の良い歌詞にして返すのです。
とても力強く逞しい団結力。痛快な場面でした。
■ひよこ
縁日で売っているヒヨコ。
ひよひよ ととても可愛いです。ですが
あっと言う間に大きくなり、朝から♪コケコッコになるからダメ
…かと思ったら、弱くて育たないから でした。
■15粒の大豆
成長期の小学生にとって、おやつにもなりません…。
食料難というのがやはり戦争の悲惨さの一つです。
仙豆なら一粒で良かったのに…。
◇最後に
この作品の他にも、戦争の時を生きた子供を描いた話はあります。
・この世界の片隅に とか
・火垂るの墓 とか
・裸足のゲン とか
いずれも戦争に翻弄されながら生きる人の話です。
そういった作品の中でこの「トットちゃん」は、現在もご活躍
されている実在の方が主人公ということで、
この子の生きた先は未来繋がっているということを感じながら
読むことが出来るかなぁ などと
そんな事を考えながら本のが届くのを待っております。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
普通に佳い映画
あまり大それた期待はせずに鑑賞。
普通に楽しめました。
役所広司は凄すぎる。
雨に唄えば、のオマージュシーンも楽しい。
最も意見が出るだろうプールのシーンも逃げずに誤魔化してもいない。
飽くまでも子供の視点で描かれているから暗さも辛さも説教臭くもない。
この世界の片隅にを思い浮かべる戦中の風俗もとても丁寧。
ただ、幾つものエピソードが尻切れ蜻蛉というか描写が不足している印象。あえて、なのかもしれませんが。尾骶骨とか突然死とか小林先生のその後とか。
良い部分もたくさんあるけれど、色々と不満もある感じ。
でも映画館で観て損したとは感じないからやっぱり佳かった。
やすあきちゃんとの交流が心に残った。
やすあきちゃんは小児麻痺で不自由な体だ。
そのため、いろんな事を我慢してきたんだと思う。夏のプール授業で魚のように泳いだ瞬間、トットちゃんと泥だらけになって、登った木の上で、初めてきれいな景色を観た瞬間。やすあきちゃんは凄く嬉しかったんだと思う。
小林先生は、トットちゃんに君はホントは良い子なんだよと言った。それは彼女に前の学校を退学になったという事実を伏せ、劣等感を持たせず自分に自信を持たせるためだったと思う。
疎開先に向かう列車でトットちゃんは疲れ切った母親から弟の赤ちゃんを抱き受け、君は良い子とささやく。たくましくも優しい女の子に育っていると思った。
観た人も含め、作品に携わった全ての人たちにとって愛おしいもの
観終わった後は、自分の心の中にある毒が浮き出てくるような感覚になりました。
まず、何というか、全てにおいてすごく丁寧に作られている印象を受けました。
絵本のような描写、子供や大人の表情、汗の浮き出るシャツ、指の末端の色の違い、小児麻痺の子の足の色の違いや動き、汲み取り式便所のシーン、オーケストラの演奏、駅員さん、お葬式の後にトットちゃんが走っていく中でのすれ違う景色との対比、チンドン屋の音が聞こえた瞬間の赤ちゃんの表情、タバコ等々…
そういった細かな作りからだけでも、作品全編を通して、原作や黒柳徹子さんへのリスペクトや愛情を感じられました。
過去にゲームやアニメの実写化で、監督が原作を知らずに作られたものがいくつかありましたが、この映画は制作が決まった直後に、制作に関わる全てのスタッフに「原作をまず読むこと!」とお達しがあったのではと思うほどでした。
また、子供の喜怒哀楽なんかは、本物の子供とジブリのいいところを随分と参考にしたのではとも思いました。(特に泣くシーン)
映画本編では、小児麻痺の子供が出てきますが、どこかの1日テレビのような「障害」で無理矢理感動を作ろうとしているところがないのもよかったです。
あくまで主人公は「トットちゃん」で、そこがまったくブレていなかった。(トットちゃんは見た目では見えにくい障害)
そんな風に、原作を大切にしつつイチから丁寧に愛情を持って作られているので、制作スタッフにとってこの作品はとても愛おしく、我が子のようなものになったのではないでしょうか。
そして、観た側にとっても愛おしくなるものでした。
個人的には、やっぱり校長先生の人間味がすごく良かったです。
黒柳徹子さんにとって、とても大切な人をとても大切に描いていたのではないでしょうか。
校長先生役の役所広司さんもピッタリで、校長先生は「となりのトトロ」のサツキとメイのお父さんに通ずるものがありました。
校長先生は、子供たちが大切にしているものは何か、常に思っているような人でした。
よく「人を大切に」「親を大切に」「友達を大切に」「自分を大切に」と大人は言うけど、実は「いい大人」に見られる為の綺麗な言葉として投げっぱなしになりがちです。(大切にする方法は???)
でも校長先生は投げっぱなしにならず、子供が大切にしているものを大切にされていました。
「人を大切にする」ということは、「人が大切にしているものを大切にすることなんだよ」と、全編を通して見せてくれました。
そして、それをメッセージ性として観た側に押し付けるようなことはまったく感じられなかったことも心地良かったです。
長くなりましたが、この映画は是非とも多くの人に観てもらいたいです。
基本的に、上映期間中に2回以上同じ映画を観に行くことはありませんが、この映画は最低でもあと2回は観に行きたいと思いました。
オススメです!
いのち
ちょうど小学生の時に原作を読みました。私は公立の小学校に通学していたので、トモエ学園の電車の教室に憧れていました。また、「海のもの」「山のもの」も原作で知りました。しかし、この歳になってみれば、トモエ学園の自由な校風が一番魅力的ですね。トットちゃんは今だったら、ADHDの診断がされたり、集団から排除されますから。
子供の時はそれなりに楽しかった学校ですが、今になって思えば、優秀な労働者を作る場所でもあったのかな?と思います。誰とでも仲良く、時間を守って、模範回答を暗記する。
とっとちゃんのお父さんも食料よりも自らの精神性を選んで、軍歌は弾きませんでしたよね。会社で鬱っぽくなっている人は、安定した給料より自分の気持ちに正直になった方がいいと思った瞬間です。
原作を読んだのが小学生の時なので覚えていないのですが、こんなに命を尊んだ作品だったのかと、大変驚きました。ラストに向かって、やすあきちゃんの亡くなった命と戦地に行かされる兵隊のこれから亡くなる命が重なりました。兵隊もトモエ学園に象徴される子供達も、全ての国民はこの戦争で死んではいけなかった。やすあきちゃんの様に病気で早く亡くなる子供がいる一方で、300万人の国民がこの戦争で死にました。戦争がなければ死ななくて済んだ子供達や若者達もです。
劇中に出てくる桜も樹々も街の風景も子供達も生命力に溢れてきらきらと輝いていました。だからこそ、勇ましく流れていた軍艦マーチや死を美化していた当時の国家に怒りを覚えずにはいられませんでした。やはり、国家権力は無責任ではないかと。子供や若者を死に追いやる戦争は、過去の日本だけに限らず、世界中で今現在も起こっています。
残る名作になるポテンシャルはあった
トットちゃんの可愛らしさを表現することには成功している本作ですが、ビジュアル、物語の進行、演出のいずれにおいても一貫性を欠いているように感じられます。
序盤部分。ADHDの特徴を持つトットちゃんの豊かな発想力と突飛な言動、そして校長先生の温かい心遣いが原作に忠実に描かれており素晴らしい出来栄えです。トットちゃんは一見してわかりにくい困難を抱えている児童であるため、悪意のない振る舞いでも周囲から誤解されてしまいやすい。だからこそ校長先生は鋭い洞察によって「君は本当は良い子なんだよ」と微笑みかける。この言葉は生涯を通じてトットちゃんの心の支えになります。このパートは本当に素晴らしい
しかし中盤に入り泰明君と反戦描写がメインになるにつれ紋切り型の演出が目立つようになります。泰明君のケア描写にせよ、トモエ学園を差別する軍国主義児童に反撃するシーンにせよ、トットちゃんが善なる少女という「ストーリー上のステロタイプ」を演じているように見えてしまう。泰明君の死に関しては、障害児の死を利用しているという批判が刺さるまであと一歩のレベルです。直接関係がないにも関わらず死因と戦争を接続しようとする演出、そして感動を誘うための過度の強調、どちらも如何なものかと思います
後半。反戦描写がやや作為的です。教養のあるトットちゃんの周囲の大人=反戦思想、対比される一般国民=軍国主義者の差別主義者、という構図に偏ってバランスを欠きます。「軍国主義に染まる日本が怖い」という感想に誘導するために、後者を顔を描かない等の手法で非人間化するのは「子供の視点だから」で言い訳出来る範囲を超えていると思います。トットちゃんの周囲の大人達と一般人の間にある経済・情報両面の格差に自覚的なら、敵対的と受け取られかねない演出プランは採用しなかった筈です。それこそ高畑勲であれば厳しく戒めたのではないでしょうか
また泰明君~軍国主義日本のパートは過剰に演出される一方で、トットちゃんの家族のその後は「明確には語らないが察してください」方式になっており、この辺のバランスも不統一に感じました
(一応フォローすると、中盤以降でも駅員さんの顛末や「尻尾」の話の配置等、優れた部分は結構ある)
画作りについて。背景美術は大変素晴らしいです。キャラデザについても、戦中~戦後の児童漫画のような赤い唇は結構好きなセンスです(ただし子供の顔が歪むシーンだけリアル調になるのはやり過ぎ。デフォルメ絵に口紅を入れたからと言ってリアル調と地続きにはならない)。また数回挟まる幻想演出はシーンごとに画風が変わるのですが、オムニバス的で一貫したものを感じられません。幻想演出を入れたいというプランありきで唐突に感じる場面もままあったと思います(どれもシーン単品で見れば素晴らしいです)
【まとめ】
原作がエッセイであることを考慮すると、作品にストーリー性を与える為に泰明君の準主役化と反戦演出がターゲットにされたのはわかります。しかしその調理があまり上手ではなかった・・・というか実話ベースのエピソードの持つ強度と含蓄に比べて、紋切り型で浅いんですよ。クオリティの落差が大きい。特に反戦描写は原作から逸脱し、児童視点の中立性を損ねてしまっている点で残念です
もっとトットちゃんの個性と子供視点の中立性を大事にしてほしかったかな
ヒヨコと腕相撲の心理描写に涙
原作未読。ヒヨコが出てくる辺りから感動の連続でした。
トットちゃんは、ヒヨコとの突然の別れで生き物の尊さを学びました。実はこれが物語の大きな伏線だったのです。
トットちゃんと小児麻痺の泰明ちゃんが腕相撲する場面があります。トットちゃんは、泰明ちゃんの小児麻痺による踏ん張れない足を見て、わざと負けます。
泰明ちゃんは「ズルするな」と憤り、この場面でも感動しました。皆と遊ばず読書にふけっていた泰明ちゃんの本心が表れた瞬間でした。
泰明ちゃんは、トットちゃんとの特訓の結果、不可能だった木登りができるようになり、障がい者ではなく、他の小学生と同じように対等な立場でトットちゃん達に接してもらいたかったのだと思います。登場人物の心理描写が巧みでした。
一点だけ気になったのが、米英の攻撃のニュースが入る辺りから敵性語である英語は禁止になるのですが、雨降りの中でトットちゃんと泰明ちゃんを怒鳴ったおじさんが「カレーライス」等と書かれた食堂に入っていった場面です。ライスは英語だよなと思ったのですが、公に禁止になったわけではないので、敵性語は使わない風潮があったという解釈にとどめました。
アニメーションや黒柳徹子さんのナレーションも素晴らしい感動作です。
窓ぎわのトットちゃん
昨今話題の戦争を扱った年末映画4連発。太平洋戦争開戦前夜〜戦中を描いたアニメ映画『窓ぎわのトットちゃん』、戦中末期を描いた実写映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』、戦後を描いた実写映画『ゴジラ-1.0』とアニメ映画『鬼太郎誕生ゲゲゲの謎』。やっと全て観ました。
トットちゃん原作小説は昔から知ってはいましたが未読。こんな話だったのか…と色々びっくりしました。
とっても元気で個性的な女の子トットちゃんが見る世界は、とてもキラキラしていてカラフル。楽しみと喜びに溢れた世界が、じわじわとにじり寄ってくる戦争の気配により静かに彩度を失っていく。戦争ものの映画はどれもそういう色合いですが、太平洋戦争が本格化するまでの日本の街(都会)はこんなにもカラフルで活気に溢れていたのかと。昭和前半の日本というと薄暗いイメージしかなかったけど、たしかにあの華やかな明治を経ているんだからずっと灰色なわけじゃないんですよね。
そんなことを思わされつつ観ていました。子どもの目で見た開戦前夜と戦中。子どもたちに二度とこんな思いをさせてはいけない。と同時に、今海の向こうでまさにこのような中で生きている子どもたちを思わずにはいられない。
全62件中、21~40件目を表示