映画 窓ぎわのトットちゃんのレビュー・感想・評価
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【”トットちゃんは本当は、良い子なんだよ。”と校長先生は優しい顔で言った。今作は、軍国主義が蔓延って行く中、校長や自由思想を持つ両親によりトットちゃんが素敵な女性に育っていく様を描いた作品なのである。
■第二次世界大戦開戦間際、トモエ学園の小林校長先生の教育方針が素晴しい。それは、子供一人一人の個性を重んじ、尊重し、接する姿勢である。
故に、トモエ学園には劇中描かれている通り、自由な気風が横溢し、生徒たちは活き活きと列車を改造した教室で、自分が遣りたい科目から勉強を始めるのである。
◆感想
・小学一年生で、自由でお転婆過ぎるが故に、転校を促されたトットちゃんが、トモエ学園に来て小林校長先生にイロイロと4時間も話す姿。そして、それを嬉しそうに遮ることなく聞く校長先生の姿。
ー ”傾聴の姿勢”とは良く教育の場で聞く言葉だが、小学一年の女の子の話に4時間付き合う校長先生の姿は素敵だし、トットちゃんの話も面白かったんだろうな。-
・小児麻痺のやすあきちゃんと、トットちゃんの関係の描き方も良い。表に出たがらず、本を読んでいるやすあきちゃんを、外に連れ出し、お気に入りの木に一緒に必死で登る姿。そして、木の上から見た世界に顔をほころばす、やすあきちゃんの表情。
ー 家に帰って、風呂に入っているやすあきちゃんがお母さんに”服を汚しちゃって、ごめんなさい。”と言うも、お母さんは嬉し泣きをしている。多分、初めて服を汚して帰って来た息子の事が嬉しかったのだろう。可なり沁みたシーンである。
■やすあきちゃんとの別れのシーン。
小児麻痺が原因なのか、亡くなってしまったやすあきちゃんの事を校長先生が涙ながらに伝えるシーン。そして、トットちゃんの手元にはやすあきちゃんから借りていた「アンクルトム」の本がある。
このシーンも、非常に沁みた。トットちゃんが、夏祭りの夜店で買って貰ったヒヨコの死。そして、親友だったやすあきちゃんの死。
トットちゃんは棺の中に横たわるやすあきちゃんの顔の傍に、大きな赤い花を手向けるのである。
・トットちゃんのバイオリン弾きのお父さんが、軍歌を弾くことを拒否するシーンや、奥さんの服装を憲兵から指摘された時の毅然とした対応も、トットちゃんの両親が自由思想を持っていた事が分かる。
■戦況は悪化し、東京にも米軍飛行機が次々に飛来し、トモエ学園の子供達も皆、疎開していく。暫しの別れ。
トモエ学園にも、焼夷弾が落ち学園が燃えていく中、小林校長先生が”さあ、今度はどんな学校を作ろうか!”と叫ぶシーンも沁みたなあ。
戦火に屈せずに、教育者としての気概を持ち続ける姿が素晴しいのである。
<今作は、原作を可なり忠実にアニメーション化した作品であるが、そこで描かれる小林校長の”子供一人一人の個性を重んじ、尊重し、接する姿勢”や自由思想を持つ両親の姿や、トットちゃんの親友、やすあきちゃんとの楽しき日々と哀しき別れが、美しく優しい風合の色彩で描かれており、とても心に沁みた作品である。>
アニメーションだからこそできた名作
トットちゃん視点からの想像(イマジネーション)の世界を、アニメーションだからこそ映像化できていました。
濃密な映像表現、ただ表面的に観ただけではスルーしそうな重厚な描写。
発売当時のベストセラー&ブームの折には、黒柳徹子さんの更なる人気のアップとともに、自由かつ一人ひとりの個性に合わせた学校教育の在り方に注目がいきました。
特に音楽のリズムによる心の育成(リトミック)や、廃車になった電車を利用した教室など、トモエ学園を理想の学校化するあたりが話題となったような。
この映画は、そんな教育も扱いつつも、芯は「命の尊さ」を見せていたのかなと。
ひよこや同級生の死、戦争に突き進む世の中。
命を慈しむ両親やトモエ学園の先生たち。
トットちゃんが、生きることを学び、成長していくことをしっかり描いてありました。
ただ、説明的なセリフを排除して、画として"命を軽んじる世の中"や、"子どもにまともに食事を与えられない国"を見せるにとどまったため、当時の世相に関する知識がないと何を見せられているかは理解しにくそう。
たとえば、トットちゃんのお父さんがいる楽団の指揮者は、ドイツを追放になったユダヤ系指揮者で、のちのNHK交響楽団を作ったローゼンシュトック。
戦争が激化していくうち、大井町線の駅員さんはおじさんから女性に代わったのは、おそらく徴兵されたのであろう。
そういうことも一切説明されていない。
映画としての「格」や「気品」を備えるには、観る側に知識、学力、経験、リテラシー、想像力、敏感なセンサー、感情の豊かさが基本的に必要。
観た人間の中身が満たされて、その引き出しの深さ、バリエーションの豊富さがないと、
感情が揺り動かされることがない。
字幕の文字色や大きさで「はい、ここ笑うところ」「ここ泣くところ」と誘導されるTVバラエティー番組やYoutubeなどに慣れた人々や、そもそもの経験値が少ない子供にとっては、後半について「なんだかよくわからない」と思ってしまうかもしれません。
理解できれば、(今の時代を含めた)子どもの貧困を放置し、飢えて泣く子どもを不謹慎と叱り、戦争を喜ぶような「大人の醜さ」と同時に、子どものひたむきさ、純粋さも見えてくるのですが。
『漁港の肉子ちゃん』『この世界の片隅に』『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』などの名作に近しい感触がありました。
小林先生
「その前に先生と少しお話をしないかい?」
ご存知、女性テレビ司会者の第一人者にしてテレビ草創期の生き証人、90歳を過ぎた現在も元気いっぱいの黒柳徹子さんの物語。
とてもよかった。同時に、とてもつらかった。
昭和15年(1940年)、お転婆が過ぎて尋常小学校から自由が丘のトモエ学園に転入することになった"トットちゃん"(声:大野りりあな)。両親は学校に馴染めるか心配だったが、校長である小林先生(声:役所広司)の独自の教育方針のもと、トットちゃんはすくすくと育っていく。やがて、トットちゃんは小児麻痺の同級生・ヤスアキちゃんと出会う。
なんてったって小林先生がいい。その教育方針は現代から見ても信じられないもので、これを今から80年前に実践していたというのだから驚きだ。この小林先生との出会いがなければ、トットちゃんはただの問題児として片付けられてしまい、ひいてはその後のテレビの歴史も大きく後退していたかもしれない。
だが一方で、これは「小林先生だからこそできたこと」だった。実際にはこの裏に何十人、何百人のトットちゃんがいたが、残念ながら一個人にできることは限られていた。現在だってそうだ。だから僕は安易に「小林先生を見習え、トモエ学園を見習え」なんて口が裂けても言えない。更に言えば、黒柳家の両親も含め、トットちゃんの周りの人々は当時としてはかなりの富裕層であり、そして理解のある大人達だった。実際、劇中でヤスアキちゃんのお姉さんは英国に留学しており、そこで世界を平和にするかもしれない「ある発明」のことをヤスアキちゃんに伝え、それをトットちゃんがヤスアキちゃんから聞く描写がある。だからトットちゃんはトットちゃんでいることを許されたのであり、そもそもそういう機会すらほとんどのトットちゃんには与えられなかった。このことを思うとき、心が温まると同時に絶望感をおぼえた。
元々の画がみやすく、また登場人物も実際の声を担当された方に寄せた外見であったため抵抗なく観られた。途中、想像の世界では画のタッチが変化し、ここはかなり攻めていて大人しいながらにかなりの意欲作であることが窺える。
本当は話したくなかった。観終わった後、ずっと自分の中にしまい込んでおきたかった。自分の中でのいい思い出が他人の野次に汚されるのは嫌だったし、これだけの作品を自分の野暮な表現で染めてしまうのも気が引けた。だがそれ以上にこの作品がただのOne of Themとして埋もれてしまうことの方が僕は我慢ならなかった。だから恥を忍んで書く。
改めて、黒柳徹子さんと声の皆様をはじめ、製作に携わった全ての方々、とても素晴らしい作品を観せてもらいました。ありがとうございました。
トモエ学園、いい学校。入ってみても、いい学校。
もっとキャラクターの掘りさげがあれば…
原作は未読です。メインテーマは反戦…なのかな。
キャラクターデザインは可愛らしくて好きです。大野りりあなさんもすごくよかったです。
ただ、私はいまいちストーリーに入り込めず、笑いも泣きも出来ませんでした。エピソードが多かったからか、戦争の暗い影を感じたからかな、残念。もっとヤスアキちゃんのキャラクターの掘りさげや、ふたりのエピソードがあればよかったのかな、と思います。突然亡くなってしまった理由も知りたかったです。
あと、黒柳徹子さんが超お嬢様であることは分かりました。戦前のあの時代にトースターと冷蔵庫がある家庭なんて!徹子さんが当時「変わった子」とされたのは、ご両親の教育方針がヨーロッパ文化の影響を受けたものだったんだなと感じました。
随所で泣かせていただきました
学生時代、下宿先から実家に帰るとこれでもかっていうくらい持ちきれない食材を持たされ、親不孝息子は「こんなに食べきれないよな」なんて心の中では思いながら持って帰っていた頃、ふと「徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』読んでみたいな」なんて呟く母に日頃のお礼の意味で(照れ隠しもあり)そっと買ってプレゼントした思い出があります。日頃文庫化されてからしか買わない貧乏学生が単行本購入は少し勇気のいる決断でしたがちゃっかり自分も帰省中に読み終えて感動したのも遠い記憶になっていました。
今回アニメ化されると知って是非観たいと封切り直後に行ってきました。40年以上も前の作品が今映像化されたことに感謝の気持ちでいっぱいです。そういえば亡き我が母と徹子さんはほぼ同年代。夜中に居間に降りていくとまだ起きていた母から戦時中の話をよく聞かされ、仲間内にも見てきたように話す、年寄りくさい若者だったと思います、今思えば。
でもメディアや本からの情報ではなく体験者から直に聞くことができたのは自分自身ありがたい経験だと思います。この前観た『ゴジラ-1.0』でもまるで戦争体験者のように感じることができました。(実際の体験者の先輩諸氏には怒られそうですが)
今でこそ個性が認められる、評価される時代かもしれませんが昭和15年、戦争直前の時期に子どもたちの個性を活かした教育をされていた小林先生には驚きと感動を隠せません。役所広司さんの温かい口調はさながら小林先生そのもののように感じましたし、優しさ溢れる杏さんのお母さんも素敵でした。
私ごとですがやはり個性派の娘に幼稚園から高校までもれなく担任に呼び出された経験を思い出しました。そんな娘も今や我が家の天使を授けてくれて毎週の楽しみを与えてくれるいい意味での普通のママになっていますが。
今回も映画のレビューにほど遠い内容になりましたが上記に書いた思い出を新たに湧き立たせてくれて鑑賞中、ここで何故涙が?というくらい感動させていただき大満足です。原作の素晴らしさ、またそれがノンフィクションでトットちゃん自身が現役でナレーションをされていたことにも感動を覚えました。ランチをしながらレビューを書いていますが、また涙が出てきそうで怪しいオヤジ状態です。
よかったです!!老若男女是非ご覧下さい。心癒される作品です。原作をまた読んでみたくなりました。(逆に原作未読だと入りづらいかもしれませんが。)
追伸
朝7時20分の上映回は同世代と思われるオジさん3人の貸切でした。
通る道。
黒柳徹子(トットちゃん)の子供の頃の話。
落ち着きがないからを理由で退学させられた小学1年生のトットちゃん、東京自由ヶ丘にあるトモエ学園に転校し、トットちゃんの全てを受けとめてくれたトモエ学園の小林校長、学校の仲間達との生活、戦時中の出来事を含めたトットちゃんのストーリー。
作品観て思った事は時代を感じました、落ち着きがないから退学って、なかなかですよね(笑)あと、全裸プールも!全然否定とかでなく、ほのぼのした気持ちで観れました!
作品を観る限りではトットちゃんの家は裕福そうに見えたけど戦争のせいで、我慢しなくてはならない生活になってしまった事は大変だったんでしょうね…この時代を生きた人達も。着る服、贅沢、話してはいけないワードなど色々と…。
とりあえず黒柳徹子さんは子供の頃から喋り倒して活発な子だったってのはよく分かった!(笑)
小栗旬君の「トット助」が印象的!杏さんのお母さん役の声も良かった!
小林校長の心の広さとその声を担当した役所広司さんも最高でした!
どんな時代でも変わらない
黒柳徹子
1933年生まれの90歳
なにせ
「日本史上最初のテレビ出演者」
つまり日本におけるテレビ放送
の開始からを知る偉大な人物
冠番組の「徹子の部屋」は
1976年から同一司会者による
トーク番組として世界記録を
更新し続けている
という黒柳氏の
幼少期をつづった自伝
「窓際のトットちゃん」は
1981年に刊行され大ヒット
戦後最大のベストセラーとされ
トットちゃんブームが来た
そうである
自分は世代的に目の当たりに
するには幼すぎたので
今回初めて観賞
尋常小学校から
「問題児」と言われ
電車が校舎のトモエ学園に
移ることになったトットちゃん
そこでなんでも自由に受け入れ
子供の思うようにさせてくれ
のびのび育っていくトットちゃんや
周りの子供たち
そこで小児まひでぎこちなく歩く
少年「泰明」との出会い
そこへ徐々に生活に迫る
戦争の影
夜店でねだったヒヨコの死
そして
「トットちゃんと出会えて
ヒヨコは幸せだったよ」
と慰めてくれた泰明の死
感受性のままに生きてきた
トットちゃんが経験する
生命の終わりを目の当たりにする
シーンは想像以上に辛いものでした
また父や母
小林校長の葛藤もしっかり
描かれており移入できる
部分も多かったと思います
子供に自由にさせることで
どんな答えが出るのか
トモエ学園の子供たちや
トットちゃんが
いじめに来る子供たちを
追い返すシーンで
窓際で肩を震わせる
校長の姿は
泣かせてくれました
どう子供に接するか
どう育つか
今の時代でも変わらない
テーマと課題と葛藤が
あります
焼け野原になる前の
平和な日本の街の風景も
細かに描写され
それが壊されていく儚さ
今週は観たい作品いまいち
ないなと思ってとりあえず
的に観に行ってみましたが
すごく良かったです
時代
良い面も悪い面もありますね。細かいことにこだわらないおおらか面は現代とは違い羨ましい面もですが、やはり物資が少なかったり、戦争と直面したりと大変な面がありますからね。トイレや冷蔵庫、切符…、色々な物が懐かしい部分もありました。トットちゃんの自由奔放さは生まれつき+育った環境だと言う事が良くわかりました。
懐かしみ、感心し、泣いた。
普段はアニメ映画はほとんど観ませんが、タイトルに惹かれて鑑賞しました。
映像が詳細で美しいので、ついつい画面の隅から隅まで見回してしまいました。見覚えありそうな街並みや、家の中のさり気ない小物の数々。昭和世代には何もかもが懐かしいやら嬉しいやら。(真鍮のネジ式の窓の鍵など涙もの)
机や窓枠の木目には細かい傷や凹みまでが描かれているし、トットちゃんの指先の膨らみには、確実に体温が感じられました。キャラクターの自然で繊細な動きも一挙手一投足見逃せず、あれもこれも感心しきり。瞬きを忘れて見入ることもしばしばでした。(最近のアニメはここまでやるんですね)
肝心の脚本はと言えば、原作が単発エピソードの羅列に近いのに、シーンを上手に繋げて上手いこと1本の映画にまとめていた印象で、2時間があっという間に過ぎてしまいました。(原作ファンの期待を裏切る要素は、およそ思い当たりません)
そして、遥か昔に原作を読んだ時とおそらく同じ箇所で、やはり涙が溢れるのを抑え切れませんでした。( むしろ、あの頃よりも派手に泣いたかもしれません)
あいみょんさんの主題歌を聴きながら、泰明ちゃんの顔が夭折した自分の同級生の顔に重なって、エンドクレジットを読むのを阻まれました。
懐かしい本の映画で、普遍的な何かを体験できました。
名前有名ですよね
窓ぎわのトットちゃん有名だから観ました
うん。それ以上でもそれ以下でもない。
まあノンフィクションだからそれはそうですよね。
黒柳徹子さんだから売れたのかな。
それ以外の特徴があるとすれば、学園の教育方針って事でしょうか?。
あえて言おう、軍事費は増やさなくていい、安保の懸念をプロパガンダする必要もない、ただ核は保有してくれそれが回避する方法だろう、それ以外は中国を信じるしかない、通りすがりの広島在住民です
黒柳徹子さんギネスも認定されて凄いん(*’ー’)ダヨプーチンに金正恩にマモーミモーに…
寝癖がある君の方が なんだか生きているって感じる
たとえば。
圧力に屈して魂を売るようなことはしない。
何が大事で、何が大切か、周りの空気ではなく自分の直感に従って判断する。
言葉にしてみると、陳腐というか今更ですか?というようなこと、或いはそういうことだよな、という場面がたくさん出てきます。
でも、じゃあお前はこれまでの人生で、それができているのか、揺らいでばかりいないか?
と問われると自信がなくなります。
〝分かってるつもり〟のことが自分が思い描いているイメージよりは実践できていないという人のほうが多いのではないでしょうか。
人生は、長いものに巻かれてるほうが楽です。
いつも勝ち目のない闘いをするのは、疲弊するだけで得るものがほとんどない。だから、多くの人はここぞ❗️という時のために、普段は負けたふりをしたり、これは妥協ではなく将来のための一時的な忍耐だ、みたいに自分の心を整理してます。最近、世の中でメンタルをやられてしまう人が増えているのは、ここらあたりのさじ加減(自分で得心がいくかどうか)の仕方を誰にも相談できないから?という気がします。
人生なんて正確に〝ここは小さじ一杯〟なんて計れません。ほとんど経験(読書や映画鑑賞も立派な経験❗️)や先輩や大人たちの振る舞いからの学びに基づくその時々の目分量なのですから。
となるとあとは、〝ここぞ❗️〟という場面を迎えたときに、決断と行動が伴うか、というのがその人の人生における後悔の頻度に繋がるのかもしれません。
いいとか悪いではなく、どんな人生も、セラヴィ(それが人生さ)‼️
大人にとっては、素朴で率直な問いかけにあらためて自分自身を見直すきっかけになる。
人生経験の浅い若者や現役の児童・生徒にとっては、身近な悩みにある程度のヒントを与えてくれる。
文科省推薦‼️みたいな変な押し付けではなく、素直に自分の現在位置を指し示してくれる、〝本当はいい映画〟なんだと思います。
数量限定かもしれませんが、主題歌であるあいみょんの『あのね』の歌詞カードが入場特典でもらえます。
この歌詞が驚くほどトットちゃんとあの友だちとの関係を的確かつ情緒的に表現していてビックリ‼️
『空の青さを知る人よ』もそうでしてが、あいみょんの映画的感性もまた天才的❗️
気がついたらエンドロールでも泣いていました。
かなり挑戦的なキャラデザを、動きと表情でしっかり可愛く…というより...
かなり挑戦的なキャラデザを、動きと表情でしっかり可愛く…というより
子どもの活発さ愛らしさを表現しているのが良い。前半トットちゃんから横溢する活力だけで楽しくなる。二人で木に登る、というだけのシーンが凡百のアクションシーンも手に汗握る。昭和10年代の市民生活をリアルに描いているだけに、差しはさまれるファンタジックなシーンがアニメとしての楽しさに溢れる。それだけに次第に戦争が生活に浸透し、トットちゃんたちの「成長」が小国民としての「統制」と重なっていくことが、描かれるトモエ学園が当時としてはもっともリベラルな教育環境であるだけに、恐ろしい。シンエイ動画のクライマックスといえば主人公の疾走だが、今作でのそれは、トットちゃんが一筋の光となってが大日本帝国の影を束の間、刺し貫くかのようで、凄まじい。その直後、異常に禍々しくも美しく描かれるB29の冴え冴えとした金属光とのコントラスト!冒頭の提灯と遠い「万歳三唱」の意味が、あとから思い返される。
見終わって涙が出てきた。
今更言うまでもなく黒柳徹子さんの子供時代の小説のアニメ化。
ご本人もナレーションをしている。
時は戦前から戦争が終わる手前位まで。
破天荒?お転婆?頭が?みたいなトットちゃんは普通の小学生では先生から問題児扱いされていた。普通の学校では受け入れてくれなさそうなのでトモエ学園と言う私立の学校に通う事に。
ここに至る物語もなかなかなもの。
特に校長の小林先生は常に子供の立場や気持ちを考えて声を掛けていた。
授業は決まったとこをする訳でもなく好きな事を好きなだけする様な?普通の学校と比べると破天荒?な授業をする学校だった。自由闊達と言っても良い。そんな学校と生徒を理解しようとする先生の学校はトットちゃんに向いていたのだろう。
昔はこんな先生もいたよなあ…(遠い目)。
それと大人になった今にして思うと結構危ない遊びや危険な事もやったな。安全なんか気にもしなかった。
昭和40年代小学生だった頃の自分や友人と当時もそんなに変わらない事をしていて懐かしくなった。
この映画の最も重要な所は人間の成長と生死だろう。
トットちゃんも友人もどんどん精神的にも成長してたくましくなって行く。そんな頃に戦争だ。
特に終わり近く、戦争が激しくなって疎開する頃。とある事がありまるで走馬灯でも見るかの様な疾走シーン。あれは比喩だろう。人間には寿命もあるが、病死や事故死、戦死もある。生きていても怪我で歩けなくなったりもする。色々な事を考えさせられる。
笑えるシーンや泣けるシーンは色々あるが、
最後まで見終わった後になんでだろう?泣けてきた。映画を見ている時はそうでもなかったのに。
最後に、アニメの口に慣れていると口の周りが赤くて下手な口紅を塗った様なビジュアルには違和感ある。表現の手法としてはアリなんだろうけど個人的には苦手。
それと時節柄仕方ないのかも知れないが、スッポンポンでも男性器(ちんちん)が無い。
シーン的に謎の光やモヤ、モザイクも馴染まない。ならいっその事無ければ良い、のかな?
不自然さは否めないが解決策も浮かばない。
スッポンポンの描写にパンツ履かせる訳にもいかないし…
難しいなあ。
あなたはいい子
ハキハキと
自分の思ったことを口にする
お話が好きな女の子
トットちゃん。
…みんな
右へ習えの時代に
自由奔放な子供たちの
…個性
を伸ばすトモエ学園。
戦前にこのような学校が
あったのが驚きです
型にはめない押しつけない
そして思いやりのこころを育む
…教育
当時としてはすごく珍しい
かと。思います
黒柳徹子さんの原点
を知ることができました
トットちゃんのやさしさに
心が…あたたまる♡♡♡
変わった子を見守る両親と小林校長が素晴らしかった
昭和15年、好奇心旺盛でおしゃべりな小学1年生のトットちゃんは、変わった行動から学校を退学させられてしまった。その後、小林校長のトモエ学園に通うことになったトットちゃんは、子どもの自主性を大切にするユニークな校風でのびのびと過ごし、友の死を乗り越えて・・・そんな話。
変わった子を受け入れられなかった戦前の学校も当時としては仕方なかったのだろうが、トモエ学園と小林校長に出会えたトットちゃんは運が良かったな、って思った。
ぼっとん便所に財布を落とし、肥溜めをかき混ぜ糞尿を撒き散らしてたのを叱りもせず「元に戻しとけよ」なんてなかなか言えるものじゃない。小林校長、凄い。
それと、両親が素晴らしいと思った。
トットちゃん役の大野りりあなはハキハキしてて上手かった。
あいみょんのエンディング曲も良かった
絵柄が絵本のようでかわいい、が話はただの昭和時代の自叙伝
“窓際のトットちゃん“というタイトルはなぜか知っていたからウォンカを観るついでに同じ公開日に鑑賞。
ほとんどの人のほっぺが紅色に描かれ、その当時の流行りのメイクなのか??とも思ったがおそらくそういう絵柄なのだろう。
トットちゃんは無邪気で可愛いんだが、失礼ではあるが空気が読めなさすぎて正直身近にいたら相当ムカつきそうな感じではあった。
当時はまだ昔なので問題児という風に扱われ、そういった子供たち専用の学園に転入したストーリーだが、
今でいうところのADHDや発達障害児といったところか。
ちょっと自分だったらこの無駄に明るい謎のテンションの同級生たちとは上手くやれないなぁと思いながら鑑賞していたが、
まっすぐで思い切った行動をするトットちゃんがいろんな人の心を動かす様子を見て、
一概に表面的な部分だけを見て障害と片付けないで個人の内に秘めた光る良さを見ないといけないな、と反省した。
やすあきちゃんが生前に不可能を可能にした木登り体験も、トットちゃんの半ば強引な後押しがなかったらなかったことだ。
普通の人なら、怪我するだろアホか!と止めに入るところだが。
それにしても財布をトイレに落としたからとあんな汚いことを一生懸命やり始めたシーンではさすがにドン引きしたが、こりゃ親や先生は寛大な心と忍耐力がないと無理だなぁと思い感心した。
お母さんも終始優しく品があり、特に言葉遣いがすごく綺麗でそこも黒柳徹子さんは受け継いでいるんだろう。
まぁ全体的に言ったら、普通の昔の時代の人の自叙伝といった内容で鑑賞後は正直何を見せられていたのだろうかといった感じではあった。
校長先生に言われた言葉“君はとてもいいこ“を自分の下の兄弟にも言っていて、
優しさが連鎖する最後のシーンはほっこりした。
子どもの頃の大事な記憶
タイトルは知っているけど読んだことのなかった「窓ぎわのトットちゃん」。本作を通して、子どもの頃の出会いの大切さや儚さ、そして戦争について思うことができました。
風変わりな子ども、身体的ハンデのある子ども、どんな子でも温かく文字通り包み込む小林先生が本当に素敵で、黒柳さんにとって小林先生との出会いがどれだけ奇跡的で大切なものだったのかが伝わり、羨ましくもありました。
作画や物語のタッチは正直好みではなく、そこまで楽しめたかというとそうでもないのですが、作品が醸し出す優しい空気感が良かったです。
君たちはどう生きるか?
原作は未読
徹子の部屋でベストセラーになっても殆ど税金に持ってかれるとか寄附するとかタモリと話していたのは覚えている
とても裕福、不自由無さそうな家庭
きっとお金持ちの子女が通う学校だったのですよね 戦争で画一的な教育の時代にあのような個性を尊重する教育が行われていたとはとても驚きでした 注意欠如・多動症気味?だったのでしょうか 昔から好奇心旺盛、お話がとても好きなのは変わってない...満島ひかり主演の徹子さんお仕事ドラマを見た時にも思ったけど、とても周囲の理解があってラッキーな人だな
この間見た宮崎駿氏の映画と似通ったものを感じました
前半はトモエ学園の素晴らしい教育や個性の話、後半は戦時中の世相と反戦。
◆前半のトモエ学園でのことや個性を認めてくれる話、昭和15年でも都会のハイカラな家庭の人々の話がとても興味深く面白かった。
◆タモリさんは2022年末の徹子の部屋で、来年(2023)はどんな年になる?と聞かれて、「(日本は)新しい戦前になるんじゃないですかね」と答えたという。
黒柳徹子さんは、 「タモリさんの予想が、これからもずっと外れてほしいという願いを込めて、私の記憶の中にある戦争と戦後のことを書いたのでした」 ということらしい。
全226件中、201~220件目を表示