映画 窓ぎわのトットちゃんのレビュー・感想・評価
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是非是非見て欲しいです。
子供の動きは、火垂るの墓。モブの細やかで緻密な動きによる街の雑踏は、この世界の片隅に、的なレベルでした。。。。わかっていただけますでしょうか?
また、ちびまる子ちゃん私の好きな歌、のような音楽シーンもあります。つまらない紹介ですが、とにかく水準が高いのを知ってほしい。
音の設計も、うっすら聞こえるハトの鳴き声とか、ああ、この感じ知ってるなと思える環境音が素晴らしかったです。(音楽は耳をすませばの野見祐二さん!!!大好きなのですが、結果どんな音楽だったか全く覚えてないくらい、映画に集中してしまっていました。)
非常に映画的な映画で、説明的でなく、かなり読み取りが必要なくらいでした。
なぜか予告だと、ほんわか系、感動系、お利口なお話的な感じがしちょっと警戒してしまっていたのですが、始まった途端画面に満ちている実在感に圧倒され、やったぜ!当たりだ!と分かってしまいました。
果たして、素晴らしい作品でした。
これは徹子さんの子供時代、戦争が激化するまで通っていたトモエ学園という私設の学校での出来事を書いた話で、
何をみても全身で喜びを表す元気いっぱいのトットちゃん、そんな子供たちを心から思う小林先生、戸惑いながらも子供を信頼している両親、、、出てくる人が素晴らしく、本当にこれから少しでも自分もそんなふうに生きていきたいと思いました。
人と一緒に生きることとは?いずれ大人になっていく子供に何を伝えられるか。
宝物のような子供時代を分けてくださってありがたいです。
絵作りでちょっと変わっている唇などの表現も、確かに好みはありますが、
中身あっての、手法としての表現なんだから、表現をお客の好みに寄せず難しいことをやっていてすごいなと思いました。
実話でここまでドラマになるのがすごい
2023年劇場鑑賞298本目。
小学生の時に母からもらって原作は読んでいて、未だにほぼ内容を覚えているくらい面白かった本です。
しかし予告のトットちゃんの派手な顔を見て「えっ、チャイルドポルノ?」と不安に。黒柳徹子に気を遣いすぎてこんな事になってしまったのかと思ったのですが、本編を見ると全員厚化粧だったのでそういう世界なんですね。直に慣れました。
記憶のとおりに進んでいくので、驚きはなかったのですが、やっぱり面白い。本から持っていた印象よりだいぶ広かったり、逆に木が小さかったりはしたのですが。
小学生の時はトットちゃん視点で読んでいたのですが、今だと校長先生視点で観れたのも良かったです。
子供連れが多くてこれ大丈夫かな、スパイファミリー待ったほうが良かったんじゃない?と思いましたが、面白かったと言っていた子もいて安心しました。半分くらいで「もういい〜」としゃべってる子もいましたが(笑)
子どもを信じること、向き合うことの大切さ・難しさ
子どもの頃、母に勧められながらも興味を示せなかった「窓ぎわのトットちゃん」。正直、本作も観ようかやめようか迷っていましたが、予告のやわらかな雰囲気に誘われ、公開初日の高評価に背中を押され、鑑賞してきました。
ストーリーは、小学校に入学したものの落ち着きのなさに手を焼いた学校側から転校を求められたトットちゃんが、自主性を尊重するトモエ学園に転入し、軍靴が響き、銃後の守りを強いられる中においても、小林校長先生の理解や同級生との温かな交流に支えられ、のびのびと成長していく姿を描くというもの。
天真爛漫だけど、他の子とはちょっと違うトットちゃん。“ちょっと違う”というのは個性であるはずなのに、多くの大人は“ちょっと手がかかる”=“困った子”と捉えてしまいます。そして、自分の思い通りにならない子や型にはまらない子に、”困った子”の烙印を押してしまいます。
でも、トモエ学園の園長先生は違います。子ども一人一人の可能性を信じ、よさを見出し、とことん向き合っていきます。子どもを大切するとはこういうことなんだと思い知らされます。ただ、同時にその難しさも伝わってきます。子どもとの丁寧な対話、一人一人の確かな見取り、個に応じた教育カリキュラム、環境整備、全職員での共通理解など、いったいどれほどの手間と時間と費用が必要なのか計り知れません。
しかし、その教育が子どもたちにしっかり根づいていたことは端々から伝わってきます。前の学校ではみんなから疎まれていたトットちゃんをすぐに温かく受け入れ、同級生の泰明ちゃんは会った時から自分が小児麻痺であることをトットちゃんにきちんと伝え、子どもたちそれぞれに取り組みたい学習があり、それが居場所にもなっていて、他校の子の悪口や暴力にも屈することなく、かといってやり返すこともしません。みんなトモエ学園が大好きなのです。
また、トットちゃんの両親も、包容力のある素敵な大人として描かれています。我が子を頭ごなしに叱るようなことは決してしません。大人はとかく先回りして子どもの歩く道からリスクを排除したくなりますが、それでは子どもは失敗を何一つ経験できません。それは、失敗の原因を考える、そこから立ち直る、次に工夫するといった、失敗に付随する経験も奪うことになります。劇中、トットちゃんは、両親が止めるのを押し切って露店で買ってもらったヒヨコが、ほどなく死んでしまうという経験をします。命には限りがあり、慈しみ深いものであり、だから生きている時間が大切なんだと、幼いトットちゃんは肌で感じ取ったのではないでしょうか。もちろん両親は「ほら、ごらん!」などと責めるようなことは決して言わず、「あなたは、何も悪くない」と慰めます。
本作は、そんな園長先生、泰明ちゃんをはじめとする学園の友達、両親に向けて、黒柳徹子さんの感謝の思いを形にしたものだと思います。本当に周囲の人に恵まれて育ったのだと感じます。でも、それは黒柳さん自身が引き寄せたものでもあると思います。ただ素直で正直で思ったことを口にしてるだけで、今風に言えば空気が読めないトットちゃん。その裏表のなさが彼女の魅力でもあります。その魅力に惹かれた人たちが、彼女に寄り添い、輝かせたのです。
人の性格や性質なんて、受け取り方しだいでどうにでも映ります。大切なのは、それを“よさ”として見ること、いわゆるリフレーミングです。個性尊重、多様性の時代と言われながらも、まだまだ画一性を求め、他人に不寛容な風潮はなくならない、そんな現代だからこそ、多くの人に観てもらいたい作品でもあると感じます。
キャストは、大野りりあなちゃん、役所広司さん、杏さん、小栗旬さん、滝沢カレンさんら。声優を起用しないキャスティングは嫌いですが、本作のような自伝的作品では、飾り気のない自然体の台詞回しのほうが合っていたような気もします。特に大野りりあなちゃんが、よく頑張りました。
教え
原作が素晴らしいのは知ってたけどアニメ映画優秀!
作画がー! とか安いアニヲタみたいなことは言わないぞ。
トットちゃんが見るイメージの世界アニメーション表現に、脳トロトロ感乗せながらトットちゃんどんな娘なのかを伝える、トットちゃんの家庭へも朝食のテーブルに、台所のコンロへ、風呂場の蛇口にまで幸せと豊かさと愛と正しさを乗せる作画演出。
小物の一点一点にまで心情と意味を忍ばせる。
これと対比するかに後半、忍び寄る戦争の影を街の風景に、学校の胸像に。この世界は正常なのだろうかと?
ドイツと組んで安泰!みたいなシーン有るけど、あん時のドイツTOPヒトラーだからな、オーケストラの先生国捨てたんそう言う事だからな、そこに日本喜んでたからな。
宮崎監督嫉妬するんじゃ無い?監督としてじゃ無く高畑勲演出のような静かな巧みさに。
凄い映画だよ、マイゴジに足らなかった戦争が何故良く無いかが描かれてた。
そうだよ、核落とされるからじゃ無く、特攻させられるからじゃ無く、人死んじゃうからじゃ無く、そこも有るけど本当に怖いのは正しさが曲げらるんだよ世界そのものに。
戦争が良い事で正しい事だと皆んな錯覚しちゃう盲目的世界に支配されんだよ戦争って。
バカだった日本2次大戦で大負けするまでノリノリで戦争やってたんだよな、
はみ出しても、ルール解んなくても、ウンコ塗れでもトモエ学園の教えのが正しいんだよ、歌いたい歌も禁止された世界でヤスアキちゃんと雨に奏たリトミックの美しさと人間の素晴らしさよ。
あそこで学んだトットちゃんが芸能界イチ、自分の部屋に芸能人連れ込む人になるとは・・
え?徹子の部屋って言ってるじゃん!
今の人達に自由ヶ丘や田園調布の田舎っぷりが理解されるだろうか
自分の記憶違いでしたが、コレ初めてのアニメ制作だったんですね、過去に何度か制作されたとばかり、それ程にあの当時売れた作品だったので。メディアミックスとしての映像化はドラマが2017年と近年になってからなのは少々驚きでした。
本作は比較的良好なストーリーで、時代背景も昭和初期の当時の日本の様子が凄く良く描写されています。
画質も動画も『シンエイ動画』なので少々心配なトコはあったとは言え、キャラデザが昭和の子供向けなテイストなので全く問題ナシ(最近は高木さんくらいしか鑑賞してないので)。
内容は、前中盤の子供の無邪気さが微笑ましくも危なっかしく、昔はあァだったな、今じゃ考えられないなと思いながら、自分はその時代の人間では無いのですがヤケに懐かしさを覚えました。年寄り臭い言い回しですが、古き良き時代とでも言うのでしょうか、太平洋戦争時代なので良いワケゃないのですが。。。
そう云う意味では、今の人達には寧ろ新鮮なのではないかとも思いますがどうでしょう? 風呂や便所など「何だか解らない」部分(北米の某国で本作の映像流したら多分捕まるw)も多々ありそうですが‥‥
後半に入るとやはり戦争ネタが綴られる訳ですが、結構駆け足展開でそんなに詳しく細かく描写されませんが、暗ーい時代の悲哀がそれなりに伝わってきます。
マイナス・ネガティブな感想は3つ、1つはキャラデザ。ベティちゃんを彷彿させるキャラは昭和の絵本みたいで悪くはないですが、今の時代に少々合わない気がしました。喜怒哀楽の表情が大袈裟なのは毎度のことで、本作はソレに加えてシワクチャになるのが結構気になります。
2つ目は物語の終わらせ方がマズイかと。アレでは御本人のテレビでのご活躍を知る人にはともかく、作品としてはバッドエンドに思えてしまいます。対照として『この片』が挙げられますが、アレは原爆からの終戦でドン底から這い上がる希望をシッカリ匂わせたラストシーンでした。本作は原作通りとしたら個人的にはあまり良いとは思いません。
加えて校長先生のラストシーンのラスボス感? 何故にアァ言う演出なの?w
そして3つ目はハイまた『中の人問題』が炸裂。今回は大目に見て「まぁイイや」と割り切っても良いレベルです。ただ言えるのは役所広司サンの演技は、舞台俳優だから?唯一良い線行ってたと思われます。
やはり舞台の演技は客席から認識しやすい様にデフォルメされるのでしょう、ロジックがアニメのソレと類似してるのかマズマズの中の人だと思えます。片やタレントさんの方は‥‥ 子役の方はノーコメントでw
と言う訳で、個人的には面白く鑑賞できたとは思えますが、良い所も悪い所も相変わらずだったという印象です。また、隣の席のバァちゃんがコチラの視界に度々入り込んできてウザかったですが、コレは自分のクジ運の悪さを恨むしかないデス‥‥
原作リスペクトが実を結んだ!
気が狂う
トットちゃんたちの親御さんたちがどんな気持ちで子どもたちをトモエ学園に通わせていたか考えると胸がいっぱいになる
こどもたちがどんな気持ちでトモエ学園に通ってたから考えると涙が出る
「どうしてみんな私のこと『困った子』って言うのかな?」の言葉に胸が突かれる思いだ
親御さんや先生たちがどんな思いで子どもたちを育ててきたか、子どもたちをどんなに大切にどんなに愛しく思っていたかを思い泣いた
戦争が始まる。あんな風に始まり、あんなにも逃げようがなく、こどもですら逃げ場がなくもがいても引き摺り落とされる、子どもがあんな思いをすることになると考えるとつらい
親御さんや先生たちの気持ちを考えると気が狂いそうになる
戦争は始まってしまうともう逃げられない世界が狂う声をあげられない声をあげても逃げられない。世界が狂い、気が狂う。おそろしいと思った
自由とは何か?
子供の事とても流行っていて私も読んだ記憶がありますが内容は
全く記憶に無いのでほぼ初見です。
何等かの賞を取るべき一作かと思いますがセンシティブな内容も
あるのでそこが難しい…しかし時代を考えればそうであろう表現で
ありそういう嘘をつきたくはなかったんでしょう。
生き生きとしたトットちゃんの目線で語られる本当の自由とは何か?
御本人曰く「母にしても校長先生にしても、子どもを一人の人間として接してくれる大人に囲まれて育ったんです」
「体に障がいを持った子どもが何人もいましたけど、「助けてあげなさい」なんて先生は一回もおっしゃいませんでした。「一緒にやるんだよ。みんな一緒だよ」とそれだけ」
そして戦争という時代。
今問うべき内容かは分かりませんし私も残滓くらいしか分からない世代で
どのくらい伝わるのか疑問はありますがよく作られているんじゃないかと思いました。
後半になるにつれて戦争ムードが色濃くなる
黒柳徹子さんの自伝的な本が原作なアニメ映画
原作は未読です
落着きがなくおてんばな女の子のトットちゃんが
普通の小学校にいわれなくなったので
トモエ学園という電車が校舎になっている学校での
生活を描いている
トモエ学園の先生は
現在から見てもユニークな教育をしているように感じた
これが80年前に本当にあった学校とは信じられない
トモエ学園の日常を描いている場面が
淡々としている感じがする
そのなかでイメージ映像を入れている感じ
小児マヒの男の子「ヤスアキちゃん」とのエピソードが多い
ただ、単発のエピソードをつなげた感じがするし
「ヤスアキちゃん」が亡くなった理由もよくわからない
これは原作も同じなのかもしれないが
本作は後半になるにつれて
戦争ムードが色濃くなってきて
それがトットちゃんとトモエ学園にも反映されてくる
英語がしゃべれないとか
食べ物がなくなってきたりとかのシーンがあって
反戦映画っぽい感じがするが
あれが当時のリアルだったんだな
黒柳さんの体験に合わせているのか
トットちゃんは疎開で青森にいって
トモエ学園は空襲でなくなってしまうので
ハッピーエンドでは思えない感じで終わってしまった
それでもトットちゃんが
幼い赤ちゃんに小林先生と同じようなこと言うのが希望だった
【”トットちゃんは本当は、良い子なんだよ。”と校長先生は優しい顔で言った。今作は、軍国主義が蔓延って行く中、校長や自由思想を持つ両親によりトットちゃんが素敵な女性に育っていく様を描いた作品なのである。
■第二次世界大戦開戦間際、トモエ学園の小林校長先生の教育方針が素晴しい。それは、子供一人一人の個性を重んじ、尊重し、接する姿勢である。
故に、トモエ学園には劇中描かれている通り、自由な気風が横溢し、生徒たちは活き活きと列車を改造した教室で、自分が遣りたい科目から勉強を始めるのである。
◆感想
・小学一年生で、自由でお転婆過ぎるが故に、転校を促されたトットちゃんが、トモエ学園に来て小林校長先生にイロイロと4時間も話す姿。そして、それを嬉しそうに遮ることなく聞く校長先生の姿。
ー ”傾聴の姿勢”とは良く教育の場で聞く言葉だが、小学一年の女の子の話に4時間付き合う校長先生の姿は素敵だし、トットちゃんの話も面白かったんだろうな。-
・小児麻痺のやすあきちゃんと、トットちゃんの関係の描き方も良い。表に出たがらず、本を読んでいるやすあきちゃんを、外に連れ出し、お気に入りの木に一緒に必死で登る姿。そして、木の上から見た世界に顔をほころばす、やすあきちゃんの表情。
ー 家に帰って、風呂に入っているやすあきちゃんがお母さんに”服を汚しちゃって、ごめんなさい。”と言うも、お母さんは嬉し泣きをしている。多分、初めて服を汚して帰って来た息子の事が嬉しかったのだろう。可なり沁みたシーンである。
■やすあきちゃんとの別れのシーン。
小児麻痺が原因なのか、亡くなってしまったやすあきちゃんの事を校長先生が涙ながらに伝えるシーン。そして、トットちゃんの手元にはやすあきちゃんから借りていた「アンクルトム」の本がある。
このシーンも、非常に沁みた。トットちゃんが、夏祭りの夜店で買って貰ったヒヨコの死。そして、親友だったやすあきちゃんの死。
トットちゃんは棺の中に横たわるやすあきちゃんの顔の傍に、大きな赤い花を手向けるのである。
・トットちゃんのバイオリン弾きのお父さんが、軍歌を弾くことを拒否するシーンや、奥さんの服装を憲兵から指摘された時の毅然とした対応も、トットちゃんの両親が自由思想を持っていた事が分かる。
■戦況は悪化し、東京にも米軍飛行機が次々に飛来し、トモエ学園の子供達も皆、疎開していく。暫しの別れ。
トモエ学園にも、焼夷弾が落ち学園が燃えていく中、小林校長先生が”さあ、今度はどんな学校を作ろうか!”と叫ぶシーンも沁みたなあ。
戦火に屈せずに、教育者としての気概を持ち続ける姿が素晴しいのである。
<今作は、原作を可なり忠実にアニメーション化した作品であるが、そこで描かれる小林校長の”子供一人一人の個性を重んじ、尊重し、接する姿勢”や自由思想を持つ両親の姿や、トットちゃんの親友、やすあきちゃんとの楽しき日々と哀しき別れが、美しく優しい風合の色彩で描かれており、とても心に沁みた作品である。>
アニメーションだからこそできた名作
トットちゃん視点からの想像(イマジネーション)の世界を、アニメーションだからこそ映像化できていました。
濃密な映像表現、ただ表面的に観ただけではスルーしそうな重厚な描写。
発売当時のベストセラー&ブームの折には、黒柳徹子さんの更なる人気のアップとともに、自由かつ一人ひとりの個性に合わせた学校教育の在り方に注目がいきました。
特に音楽のリズムによる心の育成(リトミック)や、廃車になった電車を利用した教室など、トモエ学園を理想の学校化するあたりが話題となったような。
この映画は、そんな教育も扱いつつも、芯は「命の尊さ」を見せていたのかなと。
ひよこや同級生の死、戦争に突き進む世の中。
命を慈しむ両親やトモエ学園の先生たち。
トットちゃんが、生きることを学び、成長していくことをしっかり描いてありました。
ただ、説明的なセリフを排除して、画として"命を軽んじる世の中"や、"子どもにまともに食事を与えられない国"を見せるにとどまったため、当時の世相に関する知識がないと何を見せられているかは理解しにくそう。
たとえば、トットちゃんのお父さんがいる楽団の指揮者は、ドイツを追放になったユダヤ系指揮者で、のちのNHK交響楽団を作ったローゼンシュトック。
戦争が激化していくうち、大井町線の駅員さんはおじさんから女性に代わったのは、おそらく徴兵されたのであろう。
そういうことも一切説明されていない。
映画としての「格」や「気品」を備えるには、観る側に知識、学力、経験、リテラシー、想像力、敏感なセンサー、感情の豊かさが基本的に必要。
観た人間の中身が満たされて、その引き出しの深さ、バリエーションの豊富さがないと、
感情が揺り動かされることがない。
字幕の文字色や大きさで「はい、ここ笑うところ」「ここ泣くところ」と誘導されるTVバラエティー番組やYoutubeなどに慣れた人々や、そもそもの経験値が少ない子供にとっては、後半について「なんだかよくわからない」と思ってしまうかもしれません。
理解できれば、(今の時代を含めた)子どもの貧困を放置し、飢えて泣く子どもを不謹慎と叱り、戦争を喜ぶような「大人の醜さ」と同時に、子どものひたむきさ、純粋さも見えてくるのですが。
『漁港の肉子ちゃん』『この世界の片隅に』『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』などの名作に近しい感触がありました。
小林先生
「その前に先生と少しお話をしないかい?」
ご存知、女性テレビ司会者の第一人者にしてテレビ草創期の生き証人、90歳を過ぎた現在も元気いっぱいの黒柳徹子さんの物語。
とてもよかった。同時に、とてもつらかった。
昭和15年(1940年)、お転婆が過ぎて尋常小学校から自由が丘のトモエ学園に転入することになった"トットちゃん"(声:大野りりあな)。両親は学校に馴染めるか心配だったが、校長である小林先生(声:役所広司)の独自の教育方針のもと、トットちゃんはすくすくと育っていく。やがて、トットちゃんは小児麻痺の同級生・ヤスアキちゃんと出会う。
なんてったって小林先生がいい。その教育方針は現代から見ても信じられないもので、これを今から80年前に実践していたというのだから驚きだ。この小林先生との出会いがなければ、トットちゃんはただの問題児として片付けられてしまい、ひいてはその後のテレビの歴史も大きく後退していたかもしれない。
だが一方で、これは「小林先生だからこそできたこと」だった。実際にはこの裏に何十人、何百人のトットちゃんがいたが、残念ながら一個人にできることは限られていた。現在だってそうだ。だから僕は安易に「小林先生を見習え、トモエ学園を見習え」なんて口が裂けても言えない。更に言えば、黒柳家の両親も含め、トットちゃんの周りの人々は当時としてはかなりの富裕層であり、そして理解のある大人達だった。実際、劇中でヤスアキちゃんのお姉さんは英国に留学しており、そこで世界を平和にするかもしれない「ある発明」のことをヤスアキちゃんに伝え、それをトットちゃんがヤスアキちゃんから聞く描写がある。だからトットちゃんはトットちゃんでいることを許されたのであり、そもそもそういう機会すらほとんどのトットちゃんには与えられなかった。このことを思うとき、心が温まると同時に絶望感をおぼえた。
元々の画がみやすく、また登場人物も実際の声を担当された方に寄せた外見であったため抵抗なく観られた。途中、想像の世界では画のタッチが変化し、ここはかなり攻めていて大人しいながらにかなりの意欲作であることが窺える。
本当は話したくなかった。観終わった後、ずっと自分の中にしまい込んでおきたかった。自分の中でのいい思い出が他人の野次に汚されるのは嫌だったし、これだけの作品を自分の野暮な表現で染めてしまうのも気が引けた。だがそれ以上にこの作品がただのOne of Themとして埋もれてしまうことの方が僕は我慢ならなかった。だから恥を忍んで書く。
改めて、黒柳徹子さんと声の皆様をはじめ、製作に携わった全ての方々、とても素晴らしい作品を観せてもらいました。ありがとうございました。
トモエ学園、いい学校。入ってみても、いい学校。
もっとキャラクターの掘りさげがあれば…
原作は未読です。メインテーマは反戦…なのかな。
キャラクターデザインは可愛らしくて好きです。大野りりあなさんもすごくよかったです。
ただ、私はいまいちストーリーに入り込めず、笑いも泣きも出来ませんでした。エピソードが多かったからか、戦争の暗い影を感じたからかな、残念。もっとヤスアキちゃんのキャラクターの掘りさげや、ふたりのエピソードがあればよかったのかな、と思います。突然亡くなってしまった理由も知りたかったです。
あと、黒柳徹子さんが超お嬢様であることは分かりました。戦前のあの時代にトースターと冷蔵庫がある家庭なんて!徹子さんが当時「変わった子」とされたのは、ご両親の教育方針がヨーロッパ文化の影響を受けたものだったんだなと感じました。
随所で泣かせていただきました
学生時代、下宿先から実家に帰るとこれでもかっていうくらい持ちきれない食材を持たされ、親不孝息子は「こんなに食べきれないよな」なんて心の中では思いながら持って帰っていた頃、ふと「徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』読んでみたいな」なんて呟く母に日頃のお礼の意味で(照れ隠しもあり)そっと買ってプレゼントした思い出があります。日頃文庫化されてからしか買わない貧乏学生が単行本購入は少し勇気のいる決断でしたがちゃっかり自分も帰省中に読み終えて感動したのも遠い記憶になっていました。
今回アニメ化されると知って是非観たいと封切り直後に行ってきました。40年以上も前の作品が今映像化されたことに感謝の気持ちでいっぱいです。そういえば亡き我が母と徹子さんはほぼ同年代。夜中に居間に降りていくとまだ起きていた母から戦時中の話をよく聞かされ、仲間内にも見てきたように話す、年寄りくさい若者だったと思います、今思えば。
でもメディアや本からの情報ではなく体験者から直に聞くことができたのは自分自身ありがたい経験だと思います。この前観た『ゴジラ-1.0』でもまるで戦争体験者のように感じることができました。(実際の体験者の先輩諸氏には怒られそうですが)
今でこそ個性が認められる、評価される時代かもしれませんが昭和15年、戦争直前の時期に子どもたちの個性を活かした教育をされていた小林先生には驚きと感動を隠せません。役所広司さんの温かい口調はさながら小林先生そのもののように感じましたし、優しさ溢れる杏さんのお母さんも素敵でした。
私ごとですがやはり個性派の娘に幼稚園から高校までもれなく担任に呼び出された経験を思い出しました。そんな娘も今や我が家の天使を授けてくれて毎週の楽しみを与えてくれるいい意味での普通のママになっていますが。
今回も映画のレビューにほど遠い内容になりましたが上記に書いた思い出を新たに湧き立たせてくれて鑑賞中、ここで何故涙が?というくらい感動させていただき大満足です。原作の素晴らしさ、またそれがノンフィクションでトットちゃん自身が現役でナレーションをされていたことにも感動を覚えました。ランチをしながらレビューを書いていますが、また涙が出てきそうで怪しいオヤジ状態です。
よかったです!!老若男女是非ご覧下さい。心癒される作品です。原作をまた読んでみたくなりました。(逆に原作未読だと入りづらいかもしれませんが。)
追伸
朝7時20分の上映回は同世代と思われるオジさん3人の貸切でした。
通る道。
黒柳徹子(トットちゃん)の子供の頃の話。
落ち着きがないからを理由で退学させられた小学1年生のトットちゃん、東京自由ヶ丘にあるトモエ学園に転校し、トットちゃんの全てを受けとめてくれたトモエ学園の小林校長、学校の仲間達との生活、戦時中の出来事を含めたトットちゃんのストーリー。
作品観て思った事は時代を感じました、落ち着きがないから退学って、なかなかですよね(笑)あと、全裸プールも!全然否定とかでなく、ほのぼのした気持ちで観れました!
作品を観る限りではトットちゃんの家は裕福そうに見えたけど戦争のせいで、我慢しなくてはならない生活になってしまった事は大変だったんでしょうね…この時代を生きた人達も。着る服、贅沢、話してはいけないワードなど色々と…。
とりあえず黒柳徹子さんは子供の頃から喋り倒して活発な子だったってのはよく分かった!(笑)
小栗旬君の「トット助」が印象的!杏さんのお母さん役の声も良かった!
小林校長の心の広さとその声を担当した役所広司さんも最高でした!
どんな時代でも変わらない
黒柳徹子
1933年生まれの90歳
なにせ
「日本史上最初のテレビ出演者」
つまり日本におけるテレビ放送
の開始からを知る偉大な人物
冠番組の「徹子の部屋」は
1976年から同一司会者による
トーク番組として世界記録を
更新し続けている
という黒柳氏の
幼少期をつづった自伝
「窓際のトットちゃん」は
1981年に刊行され大ヒット
戦後最大のベストセラーとされ
トットちゃんブームが来た
そうである
自分は世代的に目の当たりに
するには幼すぎたので
今回初めて観賞
尋常小学校から
「問題児」と言われ
電車が校舎のトモエ学園に
移ることになったトットちゃん
そこでなんでも自由に受け入れ
子供の思うようにさせてくれ
のびのび育っていくトットちゃんや
周りの子供たち
そこで小児まひでぎこちなく歩く
少年「泰明」との出会い
そこへ徐々に生活に迫る
戦争の影
夜店でねだったヒヨコの死
そして
「トットちゃんと出会えて
ヒヨコは幸せだったよ」
と慰めてくれた泰明の死
感受性のままに生きてきた
トットちゃんが経験する
生命の終わりを目の当たりにする
シーンは想像以上に辛いものでした
また父や母
小林校長の葛藤もしっかり
描かれており移入できる
部分も多かったと思います
子供に自由にさせることで
どんな答えが出るのか
トモエ学園の子供たちや
トットちゃんが
いじめに来る子供たちを
追い返すシーンで
窓際で肩を震わせる
校長の姿は
泣かせてくれました
どう子供に接するか
どう育つか
今の時代でも変わらない
テーマと課題と葛藤が
あります
焼け野原になる前の
平和な日本の街の風景も
細かに描写され
それが壊されていく儚さ
今週は観たい作品いまいち
ないなと思ってとりあえず
的に観に行ってみましたが
すごく良かったです
時代
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