「最高の作品」映画 窓ぎわのトットちゃん Rottemさんの映画レビュー(感想・評価)
最高の作品
原作は発刊当時に読了。
当時小学生で読書はそこまで好きでなく人並みだったが、テレビ等で馴染みのあった人物ということで読んでみた。
それまでテレビの人だった徹子が身近に感じられ、巻末の徹子の幼少時の写真に恋した。
その後も原作本は大切に保管。
お陰でいわさきちひろを知りこちらもファンに。
今回それがアニメ化で一も二もなく鑑賞することにした。
映画など年に1本観るか観ないかの小生が。
しかし本作を観ようという同志が周囲におらず劇場に足を運ぶのを躊躇していた矢先、職場の30代部下女子が観たいと言うので遅れ馳せながら年明けに鑑賞。
原作未読という部下には小生のを貸して事前勉強してもらった。
エンディングで目の前がボヤけるも、隣の部下は涙ぐむどころか鼻水垂れ流して号泣。
外に出てもしばらく泣き止まないほどだった。
ともかくも良作との評価をしたい。
作品の寸評だが、既存の寸評・感想に反論めく記述があることをお許しいただきたい。
■周囲の評判
小生の周囲では残念なことに話題にも上っておらず評判もなにもない。
小生の職場には前述の部下の他にパート従業員が30名ほどおり、しかも多くが原作世代で徹子本人や著作のことを知らない筈はない。
中には原作は読んで感銘したという40代や映画好きを自称する30代がいるが、興味は示すものの作品は結局観ていないようだ。
小生が分析するに、やはり宣伝の方向がよろしくなかったのではないか。
原作を読んだにしてもほとんどが数十年前のことであり、内容に関してよく憶えていない者も多かろう。
そしてそれがアニメ化となるも、黒柳徹子というタレントのおてんばな幼少期を描いたコメディとでも捉えられてしまったのではないか。
そしてそれは子供向けであろうとの憶測を生む。
加えて、その子供ら若者には原作を読んでいる者が少ないため、そもそも興味を惹かない。
つまり、大人は子供向けと思い、子供は大人向けと認識、結局鑑賞したのは原作に特に思い入れを持つ一部の大人と、その薦めで観た者に限られてしまったのではないか。
聞けば興行成績は10億に届かなかったとのこと。
その割に評価は高いことがこの作品の立ち位置を如実に物語っている。
非常に残念ではある。
■絵柄のこと
今更述べるまでもないが、賛否両論あった本作のキャラデザイン。
これに抵抗感を覚えて観なかった者も少なくないのではないか。
小生は何をおいてもそもそも観るつもりであった訳だが、客観的に見て違和感があるのは否めない。
しかし本来、人間を描くのに唇がないのはおかしいのである。
戦後日本でアニメやイラストが盛んになる際に写実的な部分(鼻の穴や口唇や爪など)が省略され、それに慣れてしまった我々の感覚が間違っているのだ。
小生としてはキャラデザインも含めてこれほど美しいビジュアルは観たことがないと称賛せざるを得ない。
観れば観るほど愛らしく思える、大変魅力的なキャラデザインと評価したい。
■反戦映画か?
本作は反戦映画なのだろうか?
そう見ることもできるが、小生は反戦映画ではないと捉えている。
原作を読めば解るが、著者は作中で反戦を訴えてはいない。
戦争を生きた者として徹子にも反戦の意思は勿論あろうが、原作に関しては少なくとも反戦を意図して著したのではないだろう。
原作に記した著者の幼少期がたまたま戦時と重なったまでのことであり、戦争に関する記述も著者に関係する事柄以外はことさらない。
従って、それをアニメ化した本作も反戦映画ではないと小生は考える。
しかし、トットが過ごした幼少期の背景としては戦争を外しては語れない事柄であり、中盤以降の戦争に関する描写はある程度必要で、「戦争の描写は不要」・「もっと必要だった」などの賛否があるが、「トットの知らないところで忍び寄る戦争」という視点から、この程度が適切ではなかったか。
もしこれ以上多く、さらに解説など付けようものならたちまち反戦色を帯びてしまうし、なければないで作中の背景描写が薄くなってしまう。
しかし、「火垂るの~」のような深刻な反戦映画を期待して観ると今一つに感じるとの意見も散見されるが、それも無理はない。
主人公は確かに戦争の影響を知らず知らずとはいえ受けたり疎開したり思い出の学校が焼けたりを経験するが、空襲で焼け出されたり両親が死んだり飢えに苦しんだりと自らが悲惨な経験をするわけでもない。
本作では戦争はあくまで背景でしかないことの理解が必要ではなかろうか。
このあたりも原作を読んでいないと伝わりにくい嫌いはあるかも知れない。
■説明のない描写の妙
本作には説明がされていない描写というかシーンが幾つか存在する。
これも原作を読んでいないと理解できない、または伏線として後の下りと併せて理解する必要があろう。
駅の改札口の男性やロッキーがいなくなったことなどは解りやすいが、他にも小生が気になったのは、トットの弟が誕生した経緯である。
弟は誕生した描写がなく終盤で突如登場するが、実はこれには伏線があったと小生は捉えている。
それは、トットが初めてトモエに登校する日の朝、トットの両親が寝室で目覚めるシーンである。
両親がただ眠っている(いた)描写であるが、これがなぜか横楕円の鏡に映されている。
両親を囲んで引き立てるように映す鏡を通してその姿を見ると、その夜に弟が生を受けたのではないかと捉えることができると思うのだが、小生の下衆な深読みだろうか(弟が実際に産まれたのはその数年後であり実際には違うのだがそれを象徴することとして描かれているのではないか)。
それはともかく、作中であえて説明をしない場面は、親子で鑑賞しながら親が子に教えてやることを製作側が意図していたのではないだろうか。
そう言えば筆者も幼少時に戦時を過ごした祖父に当時のことを色々と聞いたものである。
■原作はハッピーエンドだが本作はどうなのか?
原作を読めば解るが、時代背景が戦時中であるにも関わらず、登場人物で戦争に関連して死んだ者はいない。
泰明は不幸にして旅立ったが戦争とは関係がないし、トットの周囲では両親も小林校長も戦後に名を残すほどの人生を各々送ってさえいる。
まして主人公のトットは現在も存命の誰もが知る著名人である。
終盤で産まれた弟は幼くして他界した可能性はあるが、その描写は少なくとも作中にはない。
つまり、戦争がここまで背景にありながら、戦争によっては誰も死んでいないのである(クラスメイトに関してのその後は判らないが…)。
従って、原作を知る我々にとってはハッピーエンドと捉えることができる(否、著者本人は元気で活躍中なのでエンドにもなっていないか)。
しかし、本作だけを観れば、ハッピーエンドというには余りにも悲しむべき結末に終わっている。
ラストではトットが成長した姿が描かれており、そこはこれからを期待させる部分であろう。
ただ、終盤では泰明の死、忍び寄る戦争、そして疎開により先の見えない明日…ハッピーエンドと捉える方が無理だ。
だからこそ、原作やその続編を事前に読んでいていただきたかったし、本作のその後を描いた続編(主人公の年齢的にもアニメでなく実写の領域となろう)を期待したい。
ともかくも、小生にとっては生涯忘れ得ぬ良作となったことは事実である。
前述の通り世間の評判が少ない(評価が低いのではなく観た者が少ない)のが残念でならないが、地上波でテレビ放映でもされれば多くが観るところとなり再評価されるのではないか。
地上波での早期の放映が待たれる。
それにしても、本作のDVDを早速予約して手に入れたは良いが、観るとまた号泣確実なため封を未だに開けられないでいる小生である。
「あのね」をおいそれと聴けないのもまた同じ。