「主演3女優が奏でる幻想曲」片思い世界 泣き虫オヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
主演3女優が奏でる幻想曲
イチ推し広瀬すずの作品なので公開を心待ちにしていた。既に3回観賞。
公開前のすずの発言から予告編では隠されている何か大きな設定上の仕掛けがあることは予期していたが、観て「なるほど」。それのせいでレビューを書く時に、ネタバレ無し書くのが、こんなにも難しいと思った作品は初めて。
【物語】
美咲(広瀬すず)、優花(杉咲花)、さくら(清原果耶)は東京にある古い一軒家で暮らし、それぞれが仕事や学校に通い、気ままに暮らしている。家族でも特別な関係でもなかった3人は12年前のあることをきっかけに一緒に暮らし始め、一番下のさくらも20歳の誕生日を迎えた今、3人は強い絆で結ばれていた。
3人はそれぞれある人に伝えたい強い思いを抱いていた。
【感想】
印象をひと言で表現しようとすると難しいのだが、楽しいシーンに始まり、“!?”、驚き、切なさ、心痛む思い、胸熱くする思い、等々様々な感情を味わいながら、最後に残ったのはなんとも言えない心地良さだった。
まず、ストーリー・脚本・演出に関する感想。
物語の鍵を握る隠された設定の“仕掛け”は序盤にあっさり明かされる。終盤ではなく序盤に明かされるからこそ、彼女達が12年間抱き続けた感情や3人が胸に秘めて来た思いが存分に描かれている。
設定が明かされる前後で、3人の言動の見えかたも大きく変わって来る。明かされる前の冒頭部分では、違和感に始まり不自然さが積み重なる。遂にあるシーンでは「こんな行動あり得ないだろう」と脚本に疑問を感じるが、その直後に“仕掛け”が明かされ、違和感・疑問は氷解する。 “仕掛け”を知った上で観た2回目の観賞では、彼女達あるいは周囲の人間の不自然さは完全に解消。 このあたりは坂元脚本、さすがである。
本作の大きな特徴の1つは“余白”の多さ。観賞前に読んだ土井監督のインタビュー記事で監督は「映画は余白が大事」と考えていることを読んだ。本作は正に余白たっぷりだ。例えば中盤を過ぎると「結末はどうなるの?」が気になって来たが、用意されている結末は人によっては「それで?」と思うかもしれない。 余白を自分で埋める必要がある。
これは俺の勝手な解釈だが、 “余白”と言うのは観賞者が想像で埋める部分だ。つまり表現の“省略”の場合は制作者の意図する“正解”が存在するが、余白は観賞者が自由に書き込むスペースであって正解は無い。つまり「余白がある」は観賞者が自分の想像を自由に膨らませて、観賞者それぞれの“自分の作品”を完成形させる作品だと考えている。
余白は結末だけではない。例えば美咲の生い立ちは典真(横浜流星)によって少しだけ語られるだけ。恵まれた境遇でなかったことは分かるのだが、後で美咲本人によって家庭や両親について語られるのかと思いきや、それは最後までなく余白である。 そんな感じで3人の幼少期から現在に至るまで余白だらけ。でも、疑問だらけという印象にはならなかった。
ここまで書いてふと思った。実はすずの前作“ゆきてかえらぬ”は疑問が多く、説明不足を不満に感じた。でも、本作は説明不足とは思わなかった。説明不足と余白の差は何だろう? 思うに違和感を覚えるか否かの差ではないか。観ていて違和感があると説明が欲しくなる。本作で言うと、違和感を覚えたシーンは“仕掛け”が明かされたことで全て解消され、余白による“余韻”有っても違和感はほとんど残らなかった。実際のところ“説明不足”と“余白”の差は微妙で明確な線引きはできないと思うのだが、その匙加減は脚本・演出の妙であり、それだけ坂元脚本・土井演出の完成度が高いのだと思う。
そういう作品なので主題も分かり易くはないが、色々な要素が埋め込まれていると思う。
俺が一番感じ取ったことは、自分が他人に認識されないことがどれだけ虚しく、寂しいか。嫌われたり、憎まれたりするより無視されることの方がさらに辛いということ。一方で、ほとんどの人に無視されたとしても、たった一人でも二人でも通じ合える人が居れば、人は希望を持って生きて行けること。逆に思いが通じることの歓びも描かれている。
もう1つは、人生誰しも避けられない、望まない別れに直面することがあるわけだが、それを嘆き続けるのではなく、それぞれの境遇で前を向いて行き続けることが大切であるというメッセージも受け取った。
役者に関して言うと、
本作最大の“売り”である主演3人の生む世界が期待どおり素晴らしい。やや特異な設定の本作で前述の感想を抱けたこと、心地良い空気感を味わえたのは若手実力派と謳われる3人ならではだと思う。スクリーンを眺めていてずっと心地良いのだが、特に好きなシーンは終盤灯台で夜明けを迎えた後、地元の男が3人の前を通り過ぎて、3人が顔を見合わせて笑い合うシーン。このシーンは結末に繋がる重要なシーンだと思うが、完璧だと思う。
(すず推しの俺に言わせてもらえば)演技は甲乙つけがたいが、3人並べるとルックス的にはすずのキレイさが際立っていた(笑)
さらにもう1つ、本作を語る上で外せないのは劇中の少年少女合唱曲“声は風”の素らしさ。予告編を観たときから「いいな、これ」と思っていたが、 全編を聞くと本当に素晴らしく、感動。 オリジナル曲よいうことだが、歌詞は物語にすごくマッチしているし、曲、歌声も素晴らしく、心洗われる思い。
普遍的テーマを独創的設定の中、主演3女優が紡ぎ出した世界。 観賞の価値が十分あると思う傑作。
【すずファンだけのネタ】
いくつかあります。
1. 1週間前に終わったばかりの“クジャクのダンス誰が見た”最終回の感動シーン、父親春夫が心麦に言ったセリフ「生まれて来てくれてありがとう」を、春夫を殺した役を演じた西田尚美が今作では娘(杉咲花)に言う。見事なまでの台詞カブりにシリアスなシーンなのに「お前が言うか」と思わず笑ってしまった。本作の方が先に撮られていたはずなので、坂元さん「やられた」と思ったはず(笑) 西田さんもドラマの出来上がり観て笑ったろうな。
2. すずの過去作のオマージュかと思うほど、彷彿とさせるシーンが3つ
1)“打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?”の灯台へ列車で向かい、灯台に上がるシーン
2)“チアダン”でチームメイトと並んで叫ぶシーン
3)“チアダン”で舞台袖で仲間と声を掛け合ってから舞台へ出て行くシーン
3. すずは過去作で実父母が揃った温かい家庭で育った役がほとんど無い。今作もまた温かい家庭ではなかったみたい。すずの運命らしい(笑)
こんにちは。
個人的に、余白を生むのはキャラクターの立体感だと思ってます。
脚本、演技、演出などでその“人”がしっかり立っていれば、描かれてなくても想像が出来る。
それには脚本段階での演技への信頼が必要で。
それがないと脚本で語りすぎて余白なく冗長に、あり過ぎると芝居で語りきれず説明不足になる。
本作はそのあたりのバランスが優れてたように思います。
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