修験ルネッサンスのレビュー・感想・評価
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熊野修験復興のドキュメンタリーだな
神社に行くとその奥には寺があったり「京都の八阪神社」
お寺に行くとその奥に神社がある「奈良の東大寺」
神仏習合と言って一つの地域に寺社があったものだ。
世に言う神宮寺だ。
お寺に⛩️があり、神社に御堂がある。
明治政府は神道を国教にしたく神仏分離、廃仏毀釈を進め、
仏教仏道文化を破棄破壊政策を進めた。
その1番の矢面に指定されたのは最も信仰者が多く組織力のない修験道だったと聞いている。
何しろ山を住居として、
社会と分断した生活をしている故に世相に疎い。
そんな軟弱修験者達の中でも、
常に修験道の復興を願う強者が現れては消えて現れて、
修験の復興を進めやっと輝き始めたのだろう。
確かに山歩きをすると、行者服の人に出会うことが増えてきた。
四年前にフィレンツェの裏町で、
神曲ダンテの誕生の地と言う家屋に出会ったことがある。
10数年前には、
アッシジで地震で壊れたフランチェスコ聖堂を見た記憶がある。
そんな懐かしい話を、
落語家から映画の中で、神曲ダンテとルネッサンスの習合論とは愉快であった。
開演日に、
監督田中千世子先生と、
先達行者さんの話を聞けて、
熊野は深淵で自分を奥駈道達成をしたいです。
まあ、
本当に今日のマインドフルネスや瞑想より、
ザンゲ懺悔 六根清浄を唱えて
山岳を無心に歩走するのが元気爽快で良いかな。
いよいよ、来月は富士山に六根清浄してきます。
^^
セミドキュメンタリー映画「熊野から」3部作の田中千世子監督が、
自ら熊野修験に参加しながらその様子を記録したドキュメンタリー。
修験のメッカとして知られる熊野だが、
明治初期の神仏分離と修験道禁止によって修験道の実践は困難となり、
熊野と吉野を結ぶ大峯奥駈けの道は荒廃、七十五の靡(なびき)にも不明箇所が発生した。
第2次世界大戦後に修験道は徐々に復活するが、
吉野から南へ向かう奥駈けは熊野まで通じておらず、
行者たちは途中で引き返すことを余儀なくされた。
消えた道の復興に乗り出した奥駈葉衣会代表・前田勇一氏の遺志を継いだ人々による「新宮山彦ぐるーぷ」は、
木を切って道を整備し、宿小屋を建て、ついに熊野までの道を貫通させることに成功。
熊野修験の復活を長年にわたり祈念してきた那智山青岸渡寺の高木亮英導師は、熊野から吉野へと向かう順峯を貫徹する。
^^
修験のメッカである。・・・?
まず、メッカという言葉以外に何かなかったかと消沈する。気分が中東に飛んでしまう。
ナレーションは、落語家立川寸志。氏の落語は語りの滑舌も良く、知識に裏付けられた説得力あり、けっこう好きなのだが、この映画での役割がどうもいかん。なぜダンテなのか、どうも消化しきれない。そして何より、地方自治体が記録映像を撮っているかのようなクオリティの低さに退屈でしかたがなかった。テントを組み立ててる現場とか要る?修験道を撮るにしても、崖崩れ防止のコンクリ(ワッフルのような)の脇を歩く画とか要る?しかも間が悪く何度か記憶が飛んだ。民放のドキュメンタリのほうが見応えがあるんじゃないか。しかもそちらはタダで観れる。これを金を払って再度観る気はさらさら起きない。
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