逃げきれた夢のレビュー・感想・評価
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哀愁を漂わせた主人公が上手く演じられている
定年間際の教師の公私にわたる哀愁を漂わせた主人公が上手く演じられている。結構わが身につまされる。難病に直面し、愛する異性や家族に支えられて立ち向かっていく物語は結構あるが、この主人公はあえて家族には言わないまま過ごしてしまう。松重豊氏演じる幼なじみの台詞には、同県出身者として、凄く親しみを感じる。二人の酒飲み場面は、『東京家族』での橋爪功氏と小林稔侍氏との雰囲気を連想する。題名に関わる場面は、途中の女子生徒からの反問に何か答えるのかと思ったが、何もなく、最後の卒業生からの問いかけには、当たり障りはないけれど、一応の答えができたので一安心した。じっと静止して答えを待つ演技も大変だろうと思った。そこで形をつけて「逃げきれた」ということになるのかもしれないと思った。途中の川縁を歩く場面は、違いがわからないので、使い回しかもしれないと思った。パンフレットにロケ地マップがあるので、機会があれば訪ねてみたい。
夢の果て
認知症にかかった北九州の定時制の教頭が、家族や周りの人間との関係を見つめ直し、勝手に納得するだけの本当に何気ない、何でもない映画。でも、だからこそ名バイプレイヤー光石研の本意気が観ることができ、もう今更抱える夢もなく何の発展もない人間の末路が切なくも可笑しい。
ドラマ性は一切ないです。なんせ光石研演じる末永周平はこれまでナアナアに生きてきて、そしてそのナアナアの結果を享受してきたんですから。今更その状況が変わることもなければ、誰かに多大な影響を与えられるわけもない。
そんな人生からのんべんくらりと逃げてきた大多数の人間を主人公に据えているわけです。
家族にも病気を切り出せない、職場でも事なかれ主義、でも特別な何かをやろうとして空回り、そして元教え子の女の子との対話を通して何かを見出す流れは、最近リメイクもあった傑作『生きる』のようではあります。
ただ、最終的に公園を造って何かを成した『生きる』の渡邊とは違い、周平にはやはり何もないのです。元教え子とは対話を通じてお互いに何かを得たようではありますが、人生に特に明確にプラスになるようなもんじゃない。
発展性がないどころか、もうあとは本当に忘れていくだけの人間がここに来て劇的に変わる筈はなく、そういう意味ではわかりやすく啓示を得て逝けた『生きる』よりも過酷で悲惨な状況かもしれません。
周平はそんな考えようによってはかなり絶望的な状況の中、何かを残そうと必死に足掻いていきます。施設で1日呆けてるだけの父親を見舞ったり、これまで気のない感じだった教え子に親身になって歩み寄ろうとしたり、冷え切った関係の妻や娘とコミュニケーションを取ろうとしたり、幼馴染の悪友に会いにいったり。
でも、こんな何でもないような交流ですら、当の自分が何も成さない人間であるが故に全て空回りしてしまいます。それも盛大に失敗するとかでもないんですよ。可もなく不可もなく。何となく気まずいくらいの絶妙な空気にして終わり。
周平のキャラクターもそんな感じに、可もなければ不可もない。教頭というそれなりの立場ではあるけどトップではないし、もう教壇に立つこともない中間管理職という立場そのままです。
別に対人関係に問題があるわけではないんですが人間関係は表面上だけですし、悪い人ではないんですが居酒屋の若い女の子に「彼氏いるの?」とか悪気なく聞く無自覚なセクハラしちゃってるような感じ。この良くも悪くも「普通の親父」っぷりが絶妙です。
例えば周平が近所にいて、何か事件に巻き込まれてインタビューで印象聞かれたとしたら「普通にいい人でしたよ」って答えちゃうようなあの感じ。そんな本当の本当に凡人だからこそ、周平の焦燥感が余計に身に沁みて、なんか観ていて滑稽なような、居た堪れなくなるような奇妙な気持ちになります。
その真骨頂が周平が家族の前でこれまで教員職をずっとやってきたことを語り尽くし「もっとご苦労様と労ってほしい」と吐露する場面。かと思えば床にそのまま座り込み「ただ金を家に入れとっただけの人間だったのに、ご苦労様っち言えとか。求めたらいけんよな…」と急に反省する。
妻からも「あなたってそういう人だったっけ?」と言われる程に切羽詰まったような、どこかバグっちゃったかのような挙動なんですが、このとてつもなく情けない光石研の演技が傑作。
何かを成そうとして何も成せなかった人間が、何かを成そうとして必死になったからこその叫びだと思います。超情けなくはあるんですが、でも何か普通の人の心からの訴えっぽいんですよね。光石研はそれを劇的に演じるわけではなく、あくまで普通に演じきっています。名バイプレイヤーの演技の極み。
この辺りの流れ、作中でホームに入っている父親(演じるのが特に役者でもない光石研の実父というのが面白いキャスティング)に小学生の時の授業参観の思い出を語るシーンが関連しているように感じます。周平が言うに、父親は堅物でそういうことをするキャラではなかったのに、何故かその時だけ担任の先生のモノマネをして皆を笑わせていたというのです。
周平の母親は病弱で高校生の時には既に亡くなっており、そしてその授業参観の際も病気で寝込んでいたため父親が代わりに来ていた…とのことですが、多分その時の父親も母親代わりとして何かを成そうとして必死になっていたんだと思うんですよね。その結果がたった1回限りの奇妙な行動であり、そしてそれと同じことを周平も家族の前で晒すことになったのです。
そんな堅物の父親から“逃げきって”大学に入る“夢”を叶えた……『逃げきれた夢』の果てにいるのが現在の周平なわけで、あれ?俺の人生って本当に恵まれているの?って自問自答に行き着いてしまうという。
こう書くと恐ろしく世知辛くて怖い映画なんですが、別に観ている分にはそこまで絶望感はないんですよね。だって良くも悪くも周平は普通なんで。普通に行き着く先まで来たってだけなんですよ。
まあ正直面白い映画ではないです。
作中でも教え子に指摘されてたけど、所詮人間は「他人の人生に興味持たないでしょ」なんで。この普通のオッサンに何か興味があるかっつーと、俺も「別に…」ですからね。
ただ、このオッサンが将来の俺だってのは確かにあって、そして停滞と諦念の絶望ってのは年齢如何に関係なく漂っている……というのは、元教え子との喫茶店での対話からも伝わってきます。
個人的には『aftersun/アフターサン』と同じ枠の映画ですね。極々ありふれた日常の中から、このどうしようもなくなった部分を切り取っていく感性の鋭さとか感心する部分はあるし、それはもしかしたら凄いことなのかもしれないけれど、別に自分の好みでは全然ないという。会話の間の長さとかも自然体なんだけど、どうしても平坦ではある。
ただ、光石研や松重豊といった名バイプレイヤーの熟練の演技の深みが見られる分、こっちのがもうちょい好きって言える感じではありますかね。
どうせ言わんっちゃろう
あたたかみと、おかしみと、そして物寂しさが通底する。
自然光そのままといった画面に、BGMもなく、自然体の演技が、劇的な物事もなく続く。
娯楽性はなく一人の男の姿を追う。
終盤、光石研が老いた陣内智則に見えた。笑
主人公は、定年を間近にして周囲との接し方を問い直す。いや、問い直される。
声は掛けるが親身にはならない、そんな浅薄さをことごとく見抜かれ、今さらに自覚する。
戸惑い、焦り、途方に暮れ、家族に「好かれたい」と訴える。
そのために本来どうすべきだったのか。
平賀との会話の中で、彼は糸口を見つけたのだと思う。
石田に指摘された通り、病気のことはほとんど打ち明けない。家族にすら。
確かに、近すぎない相手の方が話しやすいこともあるだろう。
でも、いつまでもそのままには出来ない。
ラストシーンの先、主人公は、そして自分はどれだけ向き合っていけるだろうか。
あらすじには「一歩を踏み出すまでの日々をつづった」とあるが、方向を定めただけに見える。
個人的には、しっかり一歩を踏み締めたところまで描いてほしかった。
観たい度○鑑賞後の満足度△ ほぼ同世代の男が主人公の映画だが殆ど共感出来なかった。結婚してなくて子供がいないせいだろうか。ほぼ60年間生きてきていまだに人に好かれたいなんて。松重豊の好助演だけが救い。
①光石研さんと私は同い年である。あちらの方が半年若いけれども、この歳になればそのくらいの差で若いの云々というものではないけど。
②最近はとんと聞かないけれども、昔は「三十にして立つ。
四十にして惑はず。(不惑)
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)ふ。
七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」という論語の孔子の言葉がよく引用されたもの。
現代は昔に比べ総体的に若くなっているから、8を掛けたくらいが昔の年齢に相当するとよく言われる。例えば60歳だとしたら、昔で言えば48歳くらいだとか。
まあそれでも不惑は越えているわけだけど、40で不惑というのは孔子くらいの人ならともかく凡人にはちと早いと思う。
私は40くらいの時には惑いまくっていたもの。
でも、さすがに60を越えると嫌でも死を意識せざるを得ないし、後は死ぬときに後悔しないというか、なかなか楽しい一生だったなァと思って死んで行きたい。
③本作の主人公もあと一年で定年というからまあ同世代。もうジタバタする歳でもないと思うけど。
⑤主人公は(恐らく)認知症になるかもしれないから、いままで適当にやり過ごしてきた(らしい)人間関係を修復してやり直したいと思い始めたという処だろうけれども、食べたことを忘れるならともかく、レジの前を通りすぎて払い忘れるなんて事があるだろうか(食い逃げならともかく)。また、払ってないのを指摘されて財布まで取り出したのに結局払わないのはどうして?お金が入ってなかったのかしら。でも教頭先生であれは外出する時に数千円のお金は財布に入れてるでしょう。
⑥主人公も言っていたけれど、私も子供の頃は勿論若い頃も60歳と云えば凄い年寄りで人生の酸いも甘いも噛み分けた先達みたいに思っていたけれど、自分がなってみれば“とんでもない”、確かにある程度人生経験は積んだので余程の事がないと慌てないし驚かないし「物事、なるようにしかならないわ」ということくらいはわかっているけど、肝心の中身は殆ど成長していないわ。良いことか悪いことかわからないけど。
⑦もうすぐ中洲で(ソープで?)働く平賀さんに“どうすればいいんですか?”と訊かれて主人公は答えられなかったけれど、私も同じ質問をされても答えられないだろう(綺麗事言いたくないし)。
僕らって結局こんな風にしか年取ってないのかしら。
みんな自分勝手
50代という時代
光石研主演というのと、50代の男性の悲哀がテーマの一つのようで、観てみた。
この頃の男性って更年期になって若さの勢いはなくなってくるし、もぅ人生も一般寿命からしてあと20、30年とか見えてくるし、人生振り返りたくなる年頃。
ふと何かがきっかけで、自分の人生何だったんだろう、あのときああしていればとか、いやこれでよかったとか思うのは自然かなと。
最後に主人公が、後悔しないようにやることだ、と言い切りながら、後悔しても!とかあいまいなのは、結局、何やっても後悔するし、後悔しないし、その時々で変わってゆくもの。
そんな経験をしてきたからこそ、決められない年頃でもあるんですよ。
映画としては、ワンカットで長回しが多くて、沈黙もそのまま残して。バックミュージックもほぼないから、沈黙が効く。
事件やストーリーはほとんどない。人間、そのものを観察するような視線を感じる。
この映画には答えは求めてはいけないし、そんな期待もしないで、ただ、こんな風に自分の人生を愚直なまでに振り返ってる50代をみつめて共感できれば十分だ。
こんなひときっとたくさんいるはずだし、人生80年としたら、半分くらいを過ぎて、ふと立ち止まり、あのときのあのひとどうしてるんだろうって何十年経ってから思い起こす。
人生100年時代、人間に記憶がある限り、全部忘れて生きていけない。立ち止まってしまう時間が来る。そんなときどんな時間が経っていたとして、会いたいって気持ち。それを受け止めるひとたちが多くいてほしい。
そんな時代ですよね。
心に響く
教頭として、父として、男として
「男とは…」カッコつけたい生き物である。
捨て切れない、捨てられない男の見苦しいプライドが病気という一つのきっかけを通して露呈されていく姿をリアルに感じた。
少年時代の自由さにいつまでも憧れ、武勇伝となっている。教師として向き合おうとする姿と経験から分かっている子どもの姿。しかし、本質まで突っ込んでいく気力はもう見えない。
当たり障りもない「都合のいい人」を演じるようにいつのまにかなってしまったのだろうか。
授業中の見回りで聞こえる夏目漱石の「こころ」の一節。これから周平が追い詰められていく無意識の描写に聞こえる。
妻との関係は冷えている。娘との関係はきっと自分が勝手に冷えていると思い込んでいる。
自分自身にきっと自信がないのだろう。教師としても父としても自分を出さずにここまできたのだろう。
弱さを隠してきた蓄積が今のリアクションにつながる。
妻へのプロポーズの言葉や娘の喜んだ幼少期は鮮明に覚えているのに。
無意識の苦しさが吐き出されている。
溢れ出した苦しさは旧友に会うことで紛らわそうとする。でも、結局出せるのは昔の武勇伝。そして旧友には見透かされる小さなプライド。
卒業生には教師であった姿と身内には見せられない小さなプライドを披露する。旧友にも家族にも見せられない小さな小さなカッコつけだ。それも卒業生に見透かされ、最後、やっと等身大の嘘のない素直な言葉で終わりを告げる。
人間には立場や場所によって顔が違う。どれも本当の自分なのにどれも少しずつ違和感がある。その違和感の積み重ねがバレてしまった。見つめざるを得なくなってしまった。
自分はどうだろうか。子供には、妻にはどこまで見せていいのだろうか。見せなくてはならないのだろうか。明日も同じように責任を背負って生きていく。その中での違和感はどうしたら良いのか。
自分の残りの人生を考えさせられるお話しでした。
次の作品にも期待しています。
中洲とギリシャ
これは結構な作品だ
心を揺さぶられる映画――。
最初から最後まで、ドンパチ盛り上げようとするような、気が抜けない映画ではない。
冒頭から物語中盤、後半にかけても、退屈なくらい何も起きない坦々とした展開、描写で眠くなるか、もう席を立とうか、と思わせる。それでいて、終盤に入るとどんどん引き込まれ、最後には大きな感動が押し寄せる…。
そういう作品がよい映画である。
本作もその一本と言ってもいいだろう。
中盤あたりまで、地方の定時制高校で教頭をやっている定年間近の男の日常を光石研が淡々と演じる。
親の介護や妻、娘との関係。学校で生徒との関係などなどを描くが、興味を引くような内容はほとんどない。
光石もひたすら、小さな男を演じ続ける。
定年間近で、出世とは縁遠く、まじめに働き続けた。
それでいて、家族や職場から尊敬されたり、一目置かれるような存在でもない。
自分の人生はなんだったか。
多くの中高年男性が感じる、一種の悲哀がスクリーンから伝わる。
これって、僕の心境、生活を映しているのか、と見ながら思った。
最後も劇的なものがあるわけではないが、かつての教え子の女生徒との会話から感じるものが、僕の心に津波のように押し寄せたのだ。
封切りまでちょっと間がある。
コロナ禍以降は試写室も遠かったのだが、昼間に時間が空いたので、予備知識まったくなし。光石主演の映画、という知識しかないまま、久しぶりに試写に行った。
そこでよい作品に巡り合えた。
監督はこれが商業映画デビュー作というのはちょっとした驚きだ。
21世紀の小津がここにいた、と下手なレビューが書きそうだ。
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