逃げきれた夢のレビュー・感想・評価
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どしたん?
北九州の定時制高校の教頭を務める末永。
家族とのコミュニケーションが減り、元教え子の定食屋で会計を忘れてしまう。
定年を間近に控えた彼は今後について考え、高校教師を辞めようと思い立つのだが…
光石さんの推し活として初めてムビチケ以外の前売り券を買い、楽しみにしていた本作。
観終わると同時に頭に浮かんだのは「それで?」の二文字。
『お嬢ちゃん』が素晴らしかったので、二ノ宮監督には過度に期待していたところがあったかもしれない。
はっきり言う。面白くはない。
ただ、それは次第に「監督随分と面白い映画撮るなー」に変わった。
どうやら二ノ宮監督は明確なテーマを持たないらしい。
名優光石研の全てを撮ろうとした映画であり、主題を汲み取ろうとしていた私が野暮だった。
「は?」「それで?」「え?」「おわり?」
特に何も起きないこの映画においては多分これが正しい反応だ。
若者には分からないかもしれないと誰かが言っていたが確かにそうかもしれない。
それにしても何かがおかしい。この違和感は、モヤモヤは、表しようのない気持ちの悪さは何だろう。
周りからもおかしいと言われ、心配され、気持ち悪がられる末永。
最後まで彼に取り憑いたその原因が明確に語られることはない。
一見“忘れてしまうの病気”のせいかと思うが、おそらくそういうわけでもない。
娘のプライベートを色々聞いたり、昔の思い出に耽ったり、妻にスキンシップを取ってみたり。
こちらも聞きたくなる。「どしたん?今日本当どしたん?死ぬ?」
だが、きっと彼は何でもない。
実際彼は映画の中で学校を辞めてもいない。
彼の身にも映画の画的にも、何もないからこそ何かあるのではと推測してしまうが、本当に何もないのだろう。
それでも何かあるように周りから見えるのは何なのか。
老い、定年、1人孤独な中年男。
そういった目には見えない圧力のようなものが彼にまとわりついて離れないのかもしれない。
二ノ宮監督の描く長回しの日常はリアルすぎて恐ろしいところがある。
邦画で活躍する俳優たちのナチュラルな演技がとても良かった。
個人的に「しゃーしい」にハマっちゃった松重さんがツボ。
カンヌで上映されたらしいけど、ある意味邦画離れしたカンヌっぽい作品だと感じた。
いやあ参った。どうしようかねえ、これから。
末永は、認知症にさえならなければ、あと1年で定年というこのタイミングで立ち止まることはなかった。普通に家庭に居場所がなくても、少なくともこれまでは間違って生きてきたとは露とも思わなかった。
それが、やはりこのタイミングで、わが身を振り返る。
家庭ではどうだったか。病気のことを話せない気まずさのある関係。不倫されてても強く出れない関係。触れることさえも毛嫌いされてしまっている関係。面と向かって話もしてくれない関係。それは、これまでの自分に原因があるのだという自覚がある。いまさら戻せないとわかっている。
友達はいる。会えば、その夜に都合をつけてくれる気のいい奴だ(松重豊の成りきり振りに感服するしかない)。だけど、本人は気付いていない。結局大事なことを話すことができなかったことを。
学校では問題なかっただろう、、と、本人は思ってる。中間管理職として頼りにされてきたと思ってるし、生徒の良き理解者と自負もある。ところが、実は「生徒に嫌われる先生の条件」をすべて満たしていることに気づいていない。それを、今の生徒にも見透かされている。「わかった。信じる。信じるけん、逃げんでね、先生。」のやり取りのあとの回収がないのがその証拠だ。卒業生の平賀(この子も定時制だったとしたら家庭か何かに問題を抱えた子だったのかもしれないので、感情の機微に敏感だろう)だって、病気じゃしょうがないという同情が、いつのまにかズルい大人を見る目に変わってしまっている。そして最後のあの無言の別れだ。あの長回しは意味深だなあ。平賀が何も言わないこと自体が、まるで何かを語っているようだった。
末永にとって、おそらく「定年」を一つのゴールだと生きてきたのだろう。それは家族にお疲れさまと言ってもらえる晴れ舞台であったろうし、その後の人生を平穏に過ごす、そう想像してきた未来こそが、彼にとって「夢」だったのかもしれない。だけどいま彼は、その夢の場所まで逃げきれそうもない。
断定的でないのは、この物語がまだ進行中だから。大したこともないようでいて、だからこそどこにである悲劇の物語の行きつく先が。
※同時上映中の「波紋」の光石研とキャラが被るせいで、2つの映画が脳内で若干シンクロしてしまうのは如何なものか。
歳を重ねても、不安と向き合う日々
「不惑」の40代を経て、人間として「完成」しているはずの定年を迎える60才
「完成」どころか、様々な後悔・不安と向き合わなくてはならない 健康状態はもちろんであるが、自分が築いてきたと思ってきた家族・職場(後輩・部下)に自分が必要とされず、あるいはその存在がなかったかのような「現実」に直面したとき、自分の存在が否定されたような気持ちになる SNSで「いいね」がつくことの承認欲求をあざ笑っていたであろう中年のオヤジが、娘との会話、妻とのスキンシップ、「限定のプリン」に、自分の行き詰まり感を打破して承認してもらおうとする様は、主人公光石研さんと同年代のオヤジである私も見ていて辛い場面であった
公開中の「波紋」「彼女の人生は間違いじゃない」のダメ親父も、「メタモルフォーゼの縁側」の100%善意の親父も、「恋人たち」の薬物中毒の犯罪者役も、ごくごくどこにでもいる根は弱弱しい普通の人であり、だからこそ普通の市民である私たちは光石さんの役柄に共感し、その存在にひかれていくのでしょう
もう一人の主役、吉本実憂さんはアイドルを思わせる華麗さを備えていて、8年前の「罪の余白」ではとても印象的な役をされていましたが、同じ8年前高校の合唱部を扱ったテレビドラマで共演していた、芳根京子さん、葵わかなさん、萩原みのりさん、森川葵さんらと比べると、活躍の場が限られてしまっているような気がしていました 本作でも当時共演していた杏花(柴田杏花)さんとも共演されていますが、吉本さんにとっても代表する作品となったのでしょうね (6月22日 シネリーブル梅田にて鑑賞)
しゃ〜し〜!多め♡
やっと観れた!! 時間がなかったので久々の渋谷でしたが、宮益坂をBダッシュで往復しただけ帰宅。だけど良いのだ。もう、、、みつけんさんが好き過ぎて好きなので♡♡
「全裸監督」「新聞記者」「ヤクザと家族」ヤクザ−財務省職員−ヤクザ でお馴染み(?!)の二ノ宮氏。私はプレイヤーとしてのイメージが強かったのですが監督としても活躍されているんですね。本作はそんな監督の商業映画デビュー作になるそうです。
ストーリーは、北九州を舞台にどこにでもいる普通のおじさんの日常を描いたお話しです。特別悪い人も出てこないし、主人公に都合よく動いてくれる人も出てきません。物語は淡々と流れる。。
みんな多くは語らないぜ! 演者1人1人の表情や「間」で魅せられます。こちらもその空気感や背景を想像し、受け取る楽しみがありました。
人生のターニングポイントを迎え、自身の「これまで」を振り返る周平(光石さん)
働く男としての側面は、40年近く働いてお金を家に入れ、ローンも終わっている。立派だ。同僚との関係も良さそう、生徒思いの教頭にみえる。が、問題のある生徒に積極的に深く関わる事はしない。自身も「校長になりたかった」と言うが、だからといって何かを努力してきたわけでもなさそう。
夫、父親としての側面も、妻と娘との関係もどこかギクシャクしている。深く関わる事を避けていたのか、コミニケーションのとり方がわかっていない。
友人石田(松重さん)との時間も大切にしていない。周平側からみれば関係は良好と思っているのだろうが、石田から「お前、自分勝手や」と言われてしまう。
《いや〜♡松重さんとのシーンは全て心の保存版入り決定♡どんだけ可愛いかっ!!》
周平のこれまでの人生は、人と対峙して真剣に向き合ってこなかったその場しのぎの態度の連続が積み重なっての今なのだ、と読みとれる。
そして、病気と向き合い「これから」と向き合いはじめる周平。しかし妻娘に支離滅裂発言→自己完結w 自滅。。ww
《もうみつけんさんがぁ〜♡♡最&高!!
全ての台詞をニヤニヤしながら作った監督まで浮かぶわw》
南(吉本美憂ちゃん)と対峙してみても「中洲で働こうと思う」と言われ沈黙。。。南のあの表情。答えを待つ長い間。。(私も考えたよ。そりゃ、止めるべきだが、何と言おう。。けど上手く言葉に出来なかった。)
周平も言うべき言葉が出てこない(°▽°)
結果、人と向き合ってみたけれど何も言えなかった。人間なんてそうは変わらない、そんなもんだと思う。ラストの周平の笑顔が印象的だ。
おじさん達のお話しかな?って思っていたけど、ケータイ娘と正直女子のお二人が良いアクセントになっていて効いていましたね♪大きな演出のついた芝居ではなかったけど、とてもリアルで良かったです!!
みつけんさんのお父様も出演しておられましたね♪台詞を期待しましたがなかったですねぇ〜お声を聞きたかったです^ ^
そういえばエンドロールで気づく。あれ?音楽、曽我部さん!!あれ?劇中でのBGMなかったなぁ。音楽で盛り上げる演出もいらなかったあの空気感を楽しむべき作品でした。
「ずっと恵まれとうのに、、なんなんやろうな」が全てを物語っていると思う。余韻がすごい。。みつけんさんが最高でした♡♡
「あぜ道のダンディ」も久々に見直します🎵
忘れること、忘れたいこと
すっごい、いい監督になりそうな予感。大好きなタイプの映像だった。少しダラダラとした空白の多いストーリーではあったけど、「街の上で」の今泉力哉監督を意識したような、とても文学的な映像で、そこからも監督の伝え事が顕になっていた。色々と考えさせられるタイプの、いい作品でした。
認知症の描き方は割と雑で、急に症状が現れることに違和感を感じたけど、光石研の演技が絶妙で違和感をカバー出来ていた。「波紋」から、またもや情けなく冴えない夫&父。福岡出身で安心して聞ける博多弁。福岡出身でないその他の役者たちもすごく良かった。地元であることが、この映画との距離をグッと縮めてくれるんですよね。松重豊のしゃーしーが最高😁 また福岡県民の役お願いします🙏
主人公含め、登場人物皆、掘り下げられていない過去がまだまだ沢山あったように思える。でも、その過去を深く描いていないことが美しい作りというか。たった3、4日だけ、中年男性にスポットを当てて物語を作った感じが、とても面白くて考えさせられるものがある。夫とて、父として、教師として、友人として、息子として。色んな顔を持ちながら、細々と生きていく。でも、ふとした瞬間に自分の価値を疑問視するようになる。虚無感に襲われる。そういう捉え方で合ってるのかわからないけど、悲しいような、はたまた全然違う感情なのか、とてもグッときた。
「お父さんめっちゃ喋るね、笑」
このシーンの光石研がものすご〜くちっちゃく見えて面白い笑 自分は何言ってるんだろうか、と慌てている姿がなんだか可愛い笑 だけど、このシーンを撮りたいがためにこの映画を作ったんじゃないかと思えるほど大事な場面で、色々思うものがある。これがラストでも良かったんじゃないかな。どんどん忘れていく主人公が、こんな状況になっても家族に好かれたいと思っていたり、自分の言ったことを取り消そうとしたり、自分勝手で人間臭すぎる人物像がたまらなく面白い。いや〜、もっと見たかったな。
もっともっと面白くできたはず!と惜しいところはあるけど、それでもすごく良かった。光石研パワーは偉大だけどさ笑 意外にも当たり。人生を振り返るきっかけとなる作品。上映館は少ないけど、ぜひ。
見事な脚本と演出‼︎
新宿武蔵野館の小さなスクリーンで更に狭小画角に関わらず心に染みる演出が見事。
長い長い間もあれ以上でもあれ以下でもないんだろうなぁ。
アーケード下、男同士の口論にまさか泣かされるとは(笑)
光石さん いい表情するなー。
もう少し続きをみたく(想像したく)なる映画
主人公の光石研を取り巻く状況、家族、仕事、親の介護、自分の病気、これは団塊の世代共通の事象。幼なじみである松重豊と北九州弁を使い、飲んで言い合い「おまえは自分勝手じゃ」といわれるシーン。これもこの世代特有で、仕事人であればあるほど体裁を気にして友人や家族を後回しにする。
どうやって生きていくかを模索する若い女性、どのように仕事人生を終えようとするか考える主人公。
吉本実憂が海外に住みたいというが、お金がなくていけない。やはり現実に生きるしかない日本を表しているのか。
前半の主人公はよく語るが、後半は次第に寡黙になり、沈黙による表現となる。
最後のシーンは、あれ、これで終わり?もう一つ展開はないの?というモヤモヤは残る。
「逃げ切れた夢」というタイトルは、主人公も女性も最後は自分の生き方に一つの答えを見つけることができたという暗示か。
光石研の地元という意味もあるだろうが、退職間近の主人公と寂れつつある北九州市の風景とがマッチしていいと思った。
身につまされるが何かよい
自分も似たようなポジションでわかるわかると苦笑しながら見入ってしまった。家族との関係だと悲哀を感じるが友人や元教え子とのやり取りとかみているとほんわかするし、まあこんな感じでもよいではないかとも思われてくる。
1ショットの会話劇に惹き込まれる
月50万稼げる仕事
役者さんの演技際立つ映画
ほとんど、というか、全く劇中音楽ない
ワンシーンの中でも、光石研さんの微妙な表情の変化が素晴らしい
病気で記憶を無くしていく主人公
職場の定時制高校では快活な教頭で、本当にこの人病気なの?と疑いながら観ていた
家族関係は上手くいっていない
病気になり、古い友人に会ったり、家族から愛されたいと思う
役者皆さん言葉にならない事を全て表情で伝えているので、観ているこちらは想像するしかない
水炊き屋のシーンも叔母さんとの関係よくなさげ。帰る時の叔母さんの表情。
定時制高校生徒の告白はなんだったのか、月50万稼げる商売とは、、、
この後、主人公は家族に病気の事話せたかな、、、
光石さん戸惑うの巻
たくさんの作品の名バイプレーヤー 光石研を観に行きました
結果オーライ
同時期に「波紋」が上映中でもあり、どっちか迷いましたがこっちにしました
だって彼の故郷である北九州でしょ!そして定年間近の公務員でしょ!
共演が松重さんでしょ!奥さんがノン子の坂井真紀さんでしょ!
傑作であるはずよってね。見事に日本社会現在から後期高齢にいたるまでのイメージを活写してましたよ 当事者の私でさえ、妻娘を前にした自己憐憫の独白には泣きそうになりましたもん
難しいことはさておき、日本社会が表と裏で使い分けの二重生活を強いてきたこれから高齢期に入る方々(私も含め)、逃げ切れるかドはまりするか試金石みたいな映画でした
最後に吉本実憂さんて女優さん今後の期待のホープです 彼女の演技に◎
哀愁を漂わせた主人公が上手く演じられている
定年間際の教師の公私にわたる哀愁を漂わせた主人公が上手く演じられている。結構わが身につまされる。難病に直面し、愛する異性や家族に支えられて立ち向かっていく物語は結構あるが、この主人公はあえて家族には言わないまま過ごしてしまう。松重豊氏演じる幼なじみの台詞には、同県出身者として、凄く親しみを感じる。二人の酒飲み場面は、『東京家族』での橋爪功氏と小林稔侍氏との雰囲気を連想する。題名に関わる場面は、途中の女子生徒からの反問に何か答えるのかと思ったが、何もなく、最後の卒業生からの問いかけには、当たり障りはないけれど、一応の答えができたので一安心した。じっと静止して答えを待つ演技も大変だろうと思った。そこで形をつけて「逃げきれた」ということになるのかもしれないと思った。途中の川縁を歩く場面は、違いがわからないので、使い回しかもしれないと思った。パンフレットにロケ地マップがあるので、機会があれば訪ねてみたい。
夢の果て
認知症にかかった北九州の定時制の教頭が、家族や周りの人間との関係を見つめ直し、勝手に納得するだけの本当に何気ない、何でもない映画。でも、だからこそ名バイプレイヤー光石研の本意気が観ることができ、もう今更抱える夢もなく何の発展もない人間の末路が切なくも可笑しい。
ドラマ性は一切ないです。なんせ光石研演じる末永周平はこれまでナアナアに生きてきて、そしてそのナアナアの結果を享受してきたんですから。今更その状況が変わることもなければ、誰かに多大な影響を与えられるわけもない。
そんな人生からのんべんくらりと逃げてきた大多数の人間を主人公に据えているわけです。
家族にも病気を切り出せない、職場でも事なかれ主義、でも特別な何かをやろうとして空回り、そして元教え子の女の子との対話を通して何かを見出す流れは、最近リメイクもあった傑作『生きる』のようではあります。
ただ、最終的に公園を造って何かを成した『生きる』の渡邊とは違い、周平にはやはり何もないのです。元教え子とは対話を通じてお互いに何かを得たようではありますが、人生に特に明確にプラスになるようなもんじゃない。
発展性がないどころか、もうあとは本当に忘れていくだけの人間がここに来て劇的に変わる筈はなく、そういう意味ではわかりやすく啓示を得て逝けた『生きる』よりも過酷で悲惨な状況かもしれません。
周平はそんな考えようによってはかなり絶望的な状況の中、何かを残そうと必死に足掻いていきます。施設で1日呆けてるだけの父親を見舞ったり、これまで気のない感じだった教え子に親身になって歩み寄ろうとしたり、冷え切った関係の妻や娘とコミュニケーションを取ろうとしたり、幼馴染の悪友に会いにいったり。
でも、こんな何でもないような交流ですら、当の自分が何も成さない人間であるが故に全て空回りしてしまいます。それも盛大に失敗するとかでもないんですよ。可もなく不可もなく。何となく気まずいくらいの絶妙な空気にして終わり。
周平のキャラクターもそんな感じに、可もなければ不可もない。教頭というそれなりの立場ではあるけどトップではないし、もう教壇に立つこともない中間管理職という立場そのままです。
別に対人関係に問題があるわけではないんですが人間関係は表面上だけですし、悪い人ではないんですが居酒屋の若い女の子に「彼氏いるの?」とか悪気なく聞く無自覚なセクハラしちゃってるような感じ。この良くも悪くも「普通の親父」っぷりが絶妙です。
例えば周平が近所にいて、何か事件に巻き込まれてインタビューで印象聞かれたとしたら「普通にいい人でしたよ」って答えちゃうようなあの感じ。そんな本当の本当に凡人だからこそ、周平の焦燥感が余計に身に沁みて、なんか観ていて滑稽なような、居た堪れなくなるような奇妙な気持ちになります。
その真骨頂が周平が家族の前でこれまで教員職をずっとやってきたことを語り尽くし「もっとご苦労様と労ってほしい」と吐露する場面。かと思えば床にそのまま座り込み「ただ金を家に入れとっただけの人間だったのに、ご苦労様っち言えとか。求めたらいけんよな…」と急に反省する。
妻からも「あなたってそういう人だったっけ?」と言われる程に切羽詰まったような、どこかバグっちゃったかのような挙動なんですが、このとてつもなく情けない光石研の演技が傑作。
何かを成そうとして何も成せなかった人間が、何かを成そうとして必死になったからこその叫びだと思います。超情けなくはあるんですが、でも何か普通の人の心からの訴えっぽいんですよね。光石研はそれを劇的に演じるわけではなく、あくまで普通に演じきっています。名バイプレイヤーの演技の極み。
この辺りの流れ、作中でホームに入っている父親(演じるのが特に役者でもない光石研の実父というのが面白いキャスティング)に小学生の時の授業参観の思い出を語るシーンが関連しているように感じます。周平が言うに、父親は堅物でそういうことをするキャラではなかったのに、何故かその時だけ担任の先生のモノマネをして皆を笑わせていたというのです。
周平の母親は病弱で高校生の時には既に亡くなっており、そしてその授業参観の際も病気で寝込んでいたため父親が代わりに来ていた…とのことですが、多分その時の父親も母親代わりとして何かを成そうとして必死になっていたんだと思うんですよね。その結果がたった1回限りの奇妙な行動であり、そしてそれと同じことを周平も家族の前で晒すことになったのです。
そんな堅物の父親から“逃げきって”大学に入る“夢”を叶えた……『逃げきれた夢』の果てにいるのが現在の周平なわけで、あれ?俺の人生って本当に恵まれているの?って自問自答に行き着いてしまうという。
こう書くと恐ろしく世知辛くて怖い映画なんですが、別に観ている分にはそこまで絶望感はないんですよね。だって良くも悪くも周平は普通なんで。普通に行き着く先まで来たってだけなんですよ。
まあ正直面白い映画ではないです。
作中でも教え子に指摘されてたけど、所詮人間は「他人の人生に興味持たないでしょ」なんで。この普通のオッサンに何か興味があるかっつーと、俺も「別に…」ですからね。
ただ、このオッサンが将来の俺だってのは確かにあって、そして停滞と諦念の絶望ってのは年齢如何に関係なく漂っている……というのは、元教え子との喫茶店での対話からも伝わってきます。
個人的には『aftersun/アフターサン』と同じ枠の映画ですね。極々ありふれた日常の中から、このどうしようもなくなった部分を切り取っていく感性の鋭さとか感心する部分はあるし、それはもしかしたら凄いことなのかもしれないけれど、別に自分の好みでは全然ないという。会話の間の長さとかも自然体なんだけど、どうしても平坦ではある。
ただ、光石研や松重豊といった名バイプレイヤーの熟練の演技の深みが見られる分、こっちのがもうちょい好きって言える感じではありますかね。
どうせ言わんっちゃろう
あたたかみと、おかしみと、そして物寂しさが通底する。
自然光そのままといった画面に、BGMもなく、自然体の演技が、劇的な物事もなく続く。
娯楽性はなく一人の男の姿を追う。
終盤、光石研が老いた陣内智則に見えた。笑
主人公は、定年を間近にして周囲との接し方を問い直す。いや、問い直される。
声は掛けるが親身にはならない、そんな浅薄さをことごとく見抜かれ、今さらに自覚する。
戸惑い、焦り、途方に暮れ、家族に「好かれたい」と訴える。
そのために本来どうすべきだったのか。
平賀との会話の中で、彼は糸口を見つけたのだと思う。
石田に指摘された通り、病気のことはほとんど打ち明けない。家族にすら。
確かに、近すぎない相手の方が話しやすいこともあるだろう。
でも、いつまでもそのままには出来ない。
ラストシーンの先、主人公は、そして自分はどれだけ向き合っていけるだろうか。
あらすじには「一歩を踏み出すまでの日々をつづった」とあるが、方向を定めただけに見える。
個人的には、しっかり一歩を踏み締めたところまで描いてほしかった。
全47件中、21~40件目を表示