「逃げ切れたという「夢」なのか?」逃げきれた夢 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
逃げ切れたという「夢」なのか?
<映画のことば>
「まぁ、後悔せんごと、やっていくだけよ。」
…とは、言葉では言いつつも。
迷いに迷って自分を定位できず、その不安定さをどう受け止めて良いのかわからないという、その「不安定」が、家族、幼なじみ、教え子などまでをも巻き込んで、自分の周囲までをも困惑させてゆくー。
万事につけて「後ろ向き」の末永ですけれども。
極めつけは、やはり「生徒に嫌われる教員は、主に三種類。生徒に好かれようとする奴。きれいごとしか言わない奴。最後は…これがいちばん嫌われる奴だけど…授業がつまらん奴。俺は、その三つ全部に当てはまっている」とか、「本当は校長になりたかったけど、なれなかった」とかいう、自分自身で周囲に振りまいているネガティブに原因していたことは、疑いがなさそうです。
もっと言えば、本作の設定としては「忘れる病気」に罹ってのことということですが、それは、本人の主観の域を出ている、客観的なお話なのでしょうか。
ちゃんと家にも帰れていることですし…。
(そういう意味では、買い物でも買い忘れが多く、帰宅途中でまた店に引き返しては「悪いアタマは足を疲れさせる」という言葉を都度に実感している評論子の方が、よっぽど「忘れ病」は深刻というべきでしょう。これは、健康のために神様が歩数を稼がせてくれたのだと、善意には解釈はしているのですけれども。)
どこに解決を求めて良いのか、そのことが、とてもとても胸に痛い一本でした。
久々の映画主演という光石研の、いかにも「哀愁いっぱい」の演技とも相まち、観終わって、やり場のない閉塞感を抱えてしまうような一本ではありますけれども。
いちおうは、佳作としての評としておきたいと思います。
評論子としては。