ぼくたちの哲学教室のレビュー・感想・評価
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成果の見えにくい挑戦
ベルファスト、こんなにまだ荒れてるのね。
物々しい壁画がつらい。ここに牧歌的な子ども時代はふさわしくない。
でも、場所も時代も選べず、生まれ落ちたところを故郷にして生きるしかない。
哲学を学ぶことの意義が、よくわかった。が、成果が見えにくい挑戦を、私ならば続けられるだろうかとおもった。
ストア派とはギリシア発の哲学みたい。つか、哲学自体がギリシア発じゃね?思考する手段は、そんな時代からあって、一部の人間は実践してきた。でも、2023年でもまだ途中ということに、諦観を覚える。
それは私がペシミストだからかも。
子供達の可能性
夫と子が旅行中なので(o^^o)
映画観まくるぞ!第2弾!!
ずっと観たかった本作!まだ上映館あったよ!ありがとうユーロスペース!
プロテクタントとカトリックが長く対立している北アイルランドの首都ベルファスト。
そこにあるホーリークロス男子小学校を舞台に「哲学」の授業を2年間に渡り記録したドキュメンタリー作品です。
私の学生生活を振り返ると、校長先生ほど遠い距離の先生はいなかった。
在学中は名前と顔が一致する程度で、
運動会などの行事毎に長く話す人。位の印象。。( ̄∇ ̄)
しかし本作のケヴィン校長先生はいつも生徒達の身近な存在としてあり続ける。生徒達からボスと呼ばれ、出会えばハグ、タッチ!生徒達からリスペクトされているとわかる。
エルヴィスを愛するロックな校長、可愛らしい子供達にほっこりするのだが。
ここはベルファスト。
今だに終わらない宗教的な争いがあり
「平和の壁」と呼ばれる分離壁が、今も街を分断している。。皮肉な名だ。
そんな環境に身を置かざるを得ない子供達。
ケヴィン校長は言う。
「どんな意見にも価値がある」
そして問う。
「やられたら、やりかえす?
それでいいの?」
粘り強く問う。
考えること。対話の大切さ。
負の連鎖を断ち切る!終わらせるのだ!という強い覚悟が伝わります。
上から押さえつけるのは簡単。
だけどそれでは何も変わらない。と言われている気がしました。
哲学の授業風景や内容、ケヴィン校長先生など、全て素晴らしく重要なことばかりで考えさせられるのですが。。
1つだけ。ちょっと。
この小学校がカトリック系なので、、
宗教と哲学を一緒に学ぶ点について。
なんというか。。
宗教を語るシーンでは「神」については断定的にうつった。
そこに哲学的な疑問は入る余地がない。。のでは。。
む、難しいです。。
生まれる国、環境、親は誰も選ぶ事は出来ない。
でも私達は考える事が出来る。
ホーリークロス小学校の子供達が、困難な場面に遭遇した時、ケヴィン校長先生の哲学の授業を思い出してくれて、哲学的に解決してくれたらいいなと強く思いました。
私も子に戦争について、対話の大切さについて伝えていきたいと思ったし、
私自身も子供の考えを「待つ」「聞く」事をより意識して接していきたいと思いました。
紛争地域での理性的な行動力育成の姿勢はわかるけれども
『ベルファスト』には、『私の愛した街』に歌い込まれたような生まれ育った街への愛着が強く描かれていたように感じたが、本作では、地域紛争の背景や親の育児姿勢への影響がある一方で、校長を始めとする教師たちは、理性的に行動し、アンガーマネジメントを根気強く教えていることがわかり、そこを丁寧に描いている意義は確かに認めるものである。校長が自ら授業を行い、けんかの仲裁を進める姿には、『みんなの学校』校長の木村泰子氏に似ていると感じた。あの学校でも、校長だけでなく、一般教師もそれぞれに頑張っていた。本作の学校でも、一般教師たちがそれぞれに子どもに説諭する姿が描かれていたが、ナレーションがないため、意味づけがわかり難く、だんだん眠くなっていった。最後のロールプレイングの後、ドローンで高いところからの撮影となり、あたかも成功したかのように描かれていたけれども、けんかを繰り返した二人にその効果が表れたのかどうかはわかっていないので、その成否も明らかにすべきだっただろう。
哲学とは
北アイルランド、ベルファストの小学校の「哲学」の授業。
暴力には暴力で対向して良いのか…
長年の紛争に対話の意義を唱える。
ケヴィン校長はエルビス好きで、昔は相当
やんちゃな気質であったが、今は「ストア哲学入門」が愛読書。
子供達が話し合いをし、意見を述べ、他者の話を聞いて考えて答えを出しいく哲学の授業。
対話する事の大切さを導く。
そこに寄り添ってサポートをする先生と両親。
大人の方々にも是非観て欲しい。
不寛容の時代だからこそ、対話が必要な大人に観てもらいたい作品です。
原題が”Young Plato”、つまり若き哲学者の葛藤のドキュメンタリーです。
カトリックとプロテスタントの血で血を争う北アイルランドの街、ベルファストが舞台で、この地で小学校校長を務めるケヴィン校長の子どもたちとの対話は、ソクラテスの「問答」そのものです。時に対立を繰り返しながら信頼を高めていこうとする子どもたちの姿が、今の私たち大人に求められているような気がしてなりません。
このような場面があります。従兄弟同士なのに殴り合いするディランを納得させたはずなのに、再び殴り合いが始まります。その理由は父親にやり返せと言われたことでした。いくら本人が暴力を否定しても、家庭の影響は計り知れません。そこで「何か聞かれたら、鵜呑みにせず聞き返せ。」と教え、ロールプレイでディランに父親役を演じさせます。ディラン役のケヴィン校長が「殴り返すとどんな気持ち?」と聞くと、「申し訳ない、悲しい気持ちかな」との父親の答え。そこでディラン役のケヴィン校長が「僕もそうなんだ。でも嫌いにならない?
」と聞くと、父親役のディランが「お前が一番の誇りだ」と言う。うーん、まさに対話のなせるわざです。
無知であることを自覚することがいかに大切か、物事に対して謙虚であること尊さ、知らないことを知らないでいることの罪深さを改めて実感します。
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