碁盤斬りのレビュー・感想・評価
全111件中、41~60件目を表示
侍はこわい
一見すると、格之進は穏やかで優しくて正義感があり、皆に慕われている浪人ですが、その顔は無表情と言えば無表情で、何を考えてるのかいまいち分からない目をしているのに、激昂すると急に目に力が宿り、表情が別人のようになる。
草彅剛の演技が、めちゃくちゃ嵌っていて、良い映画でした。
映画タイトルの「碁盤斬り」。
囲碁がキーになる映画ですが、ボコボコの1個1個かたちの違う碁石を使っていて、それがとても印象的でした。
後で知ったのですが、これは落語が元になってるお話しらしいですが、歌舞伎の世話物っぽい雰囲気に撮ってるところも良かったです。
しかし、ちょっと軽く疑っただけで、あんなにキレられたら本当に嫌ですね 笑
激昂したり、柴田兵庫に仇討ちするあたりは、もはやなんか活き活きしてて、そこの対比が良かったです。
もしかしたら、格之進は、その部分でしか、本当は生きていると実感出来ていなかったのかもしれません。
でも、今まで穏やかな格之進しか見てない町人にとったら、もう全く理解できないし、たまったもんじゃ無いでしょうね。
タイトルに書いた「侍はこわい」は、司馬遼太郎の短編小説ですが、かなり昔に読んだ小説なのに、この映画を観てる時にこれを思い出しました。
この映画で出てくる町人たちも、豹変した格之進を見て、まるで違う人種を見るような感覚になって、思ったんじゃないでしょうか。
「侍はこわい……」と。
最後、碁盤を叩き斬ったのは、侍の狂気との決別なのか、娘のために己の矜持を斬ったのか、そこのところは何とでも取れる終わり方でしたが、そこも含めて良い映画でした。
落語原作モノに言ってもしょうがないでしょうが、色々違和感
演じる俳優さんたちが皆適材適所でよかった。
江戸弁のセリフ回しが耳に快く、
心意気に心意気で返す江戸の男たちの気持ちも快い
思いあがったケチ源兵衛が、格之進の人柄に惹かれて人格者になっていくのが気持ちが良い
なくなった50両を格之進が盗んだのでは、という弥吉たちに、そんなことはない、もしそうだとしてもそれなりの理由があるのだから放っておけ、というのに惚れ惚れした。
若くて未熟な弥吉の不手際は仕方ないことかもだが、それゆえにずっと苦しんで自分なりになんとかしようとする、なにしろお絹に惚れている
彦根藩から派遣された格之進の元・部下も真面目で誠実でいい男だ
遊郭の鬼の女主人の心持も良いけど、これは格之進と絹にのみ向けられたもので、商売道具の遊女には「鬼」なところは、綺麗ごとでは生きていけないがたまの綺麗ごとはあっても良いじゃないかという割り切りに、人間らしさを感じる。
ですが。
古典落語が原作らしいので言うのは野暮かもだが、今を生きている私から見ると違和感だらけでもある
格之進、盗みを疑われて切腹するか? 辱めを受けたから??
真相を説明してない「遺書」書いて切腹したら「私がやりました」と言っているようなものだと思う。さすがに娘にそう諭されて思いとどまるが、「では50両作ればよいのですね」という話になる!? 大分ナナメ上の解決策だがそれをよしとして娘自ら苦界に身を落としてお金を用立てる、返済の可能性はほぼゼロ、優先すべきは娘よりも自らの沽券と復讐?
格之進が弥吉に50両叩きつけて、領収書をもらわない、もし50両出てきたらお前と源兵衛の首をとるという言質をとりながらこちらも書面に残さない。もっとも、書面があろうがなかろうが50両出てきても全員で口裏を合わせてなかったことにすればそれまで。「仕事人」の世界なら間違いなくそうなる。
すべてがあり得ないまずい対応だと思う
約束の時間切れの遊郭に出向いて、父とその部下がまず言うのは「父上は本懐を果たしましたぞ」って、まず「金を作ったぞ、迎えに来たぞ」ではないのか、そもそも借金と復讐は関係ない。
ラストも、掛け軸を売って作ったお金を、自分の告発のせいで役を解かれ困窮している人たちに分配するために出ていったのだろうが、娘の婚礼の日じゃなくてもよいのでは
敵役、柴田兵庫・斎藤工の見事なクズっぷり、悪役はこうでなくちゃ。
立ち回りになかなか決着がつかずに割と無様なのは、ここだけは今風にリアルを求めたアレンジでしょうか。
とっくに地に落ちているのに「武士の情け」、ってぬけぬけと格之進に介錯を頼むところ、兵庫の人間性が良くわかる。格之進、そこは断っても良かったのでは、と思った。
まずまずの仕上がりで、めでたしめでたしの結末、特にお絹が幸せになったようなので良いんだけど、わざわざ映画にしなくても、TVスペシャルで十分な内容だったかなと思いました。
人情落語をそのまま映像化
江戸の長屋で、貧乏住まいをする訳アリ浪人柳田格之進。嫁に先立たれ娘お絹と二人暮らしをしています。趣味は囲碁です。その囲碁をきっかけに両替商の万屋源兵衛と親しくなります。武士の誇りを捨てず実直な性格は周囲からの信頼を得ています。しかし、万屋源兵衛宅で50両の盗難が発生します。柳田が疑われます。そして、浪人となった原因も藩で発生した盗難の犯人として疑われたことでした。藩で発生した盗難の犯人は柴田兵庫とわかります。柳田はこの柴田兵庫を探し出し、50両の為に吉原へ身売りした娘を救い、源兵衛宅の盗難を解決するのかとなります。古典落語をベースに藩追放のエピソードを合わせ膨らませたストーリーです。テンポが良いのですが、要所要所が簡単に流しているので主人公へ感情移入しにくいです。源兵衛宅での盗難で犯人扱いされた件ですが、番頭と奉公人が疑っているだけで街中に広まった感がなく、主人公が疑われた事への怒りをあらわにしても伝わりません。また、藩において正義感から逆に同僚から疎ましく思われたり恨まれたりしたとありますがそれも語りですませています。柴田兵庫が柳田を恨んで罠に落としますがこれもそこまで柴田は恨んだのかという話はなく伝わりません。結末は題名にある「碁盤斬り」となりますが、ここももう少しタメが欲しかったです。落語家から語られている落語を聞いているような穏やかなイメージでした。
「やったのはオマエだろ」 ←主題には余り関係がない話。(6/10(月)再鑑賞)ヤッパシ分からん武士の面目
◆「これだけの名品、惜しいことをした」
これは、終盤、真っぷたつにされた碁盤を見ながら格之進が、淡々と、または しみじみと言ったセリフである。 (セリフは正確ではない)
この特、格之進は、転がったままの碁盤を涼しい顔で眺めている。ぶった切ったのは、さも自分ではないふうだ。
「やったのはオマエだろ」とボクはツッコミを入れた。 (^o^)
◆首を跳ねられそうな武家の出の弥吉を見て思った、「やれやれ、自分は武士でなくてホントに良かったヨ。あんなんじゃ首がいくつ有っても足んないよ」 ┐(´д`)┌
◆弥吉がちょっと可哀想だと思った件
熊手の縁日(浅草の酉の市と思われる)で弥吉はお絹ちゃんを見かけて声をかける。
僕は心の中で 「お絹ちゃん、弥吉に言ってやれ、言ってやれ」と叫んだ。だけど、好きなお絹ちゃんに「もう2度と私の前に現れないでください」と言われた弥吉が可哀想になってちょっと同情した。
◆ちょっと理解出来んと思ったこと。
格之進は50両の嫌疑に抗議するため(?)切腹を決意する。 ハア (; ̄Д ̄)?
切腹しても嫌疑は晴れないが、格之進にしたら、「このままでは武士の面目が立たん、この上は、死をもって己が無実を表明する」ということなのだろうか?
娘のお絹も、先に自分を殺してから切腹しろとかスゲーこと言う。
mmm(ん~)理解出来ん。
◆浪々の身は気楽でこれはこれで良い。
格之進は、自分が潘に戻ればまた堅苦しいことになると言って、復帰するのを固辞する。兵庫に言われるまでもなく、自分が糾弾した者の暮らしを気にかける格之進は、掛け軸を売って潘を追われた者に施しを届けることにする。兵庫の遺志でもある。
潘に帰る左門に格之進が別れ際に言った 「浪々の身は気楽でこれはこれで良い」というセリフに笑った。規律を重んじ自分を律して生きる格之進にしても、御気楽生活は捨てがたいのだろう。わかる。
◆あと、江戸時代の夜の灯りは基本ロウソウだから、ほの暗いのだろうと思った。昼間は日の光、自然光だけだからそれなりに暗い。
◆両国の親分役の市村正親さんの威厳がすごい。格之進の頼みを聞き入れたときのたった一言の「よござんす」にも威厳がたっぷりあった。
◆僕は、入場者特典はキホンもらわないのだけれど、シールだけは例外でもらってどこかに貼る。今回の50両ステッカーはすごく気に入った。あとゴジラのやつも例外でもらうのだけど、最近はくれないのでちょっとガッカリ。
【追記】2024/6/10(月)A再鑑賞
ヤッパシ分からん武士の面目。
格之進にとって1番大事なのは武士の面目のKEEP、2番目が娘お絹ちゃんの幸せ。お絹ちゃんも、父の武士としての面目を保つために吉原に身を売って50両を用立てる。マジか?
それに対し格之進もお絹ちゃんに「お前の幸せを犠牲にしてまで武士の面目など立てなくともよい」などと言わずにメンツを優先する。
僕は、お絹ちゃんも含めて理解できん。
格之進曰く「お前のような町人ふぜいに何が分かる。分かるわけがなかろう」
入場特典の50両シールがまだあったのでもらえた。すごく嬉しー(^^)。合ーせて100両 、どこに張ろッかな~♪ヽ(´▽`)/
《ネタバレ》設定にしたがネタバレはしない。 情報少な目で観た方が楽...
《ネタバレ》設定にしたがネタバレはしない。
情報少な目で観た方が楽しめると感じたから。
監督の白石和彌らしさが、少しずつ 少しずつ出て来て 途中から人間が生きて行く上での厳しさと非情さがジワリ ジワリと出てくる。
最初の方は良い人しか出てこない。なので「悪人はまだ出ないのか」と後の期待値が上がる。
先程も書いたが 事前情報が無い方が、私的には良かったかも知れない。映画ドットコムの簡単な解説と、劇場での予告編を見ただけだったが、、、
だから元になった古典落語の演目「柳田格之進」はYouTubeなんかで聴けるが映画鑑賞後が良いと思う。他人の感想なんかは後で知るのが良いだろうと思う。
物語の展開は現代人の自分には理解しづらく、納得出来ない行動をとる人物が出てくるので「線引きが分からない」と不思議な感覚になった。「分からない」よりは「間違った判断では?」と思った。しかしそれが「武士の一分」なのか。
しかし「その決意と行動」のせいで最後の方に行くにつれてどんどん緊迫して行く。
『たそがれ清兵衛』(2002)、『隠し剣 鬼の爪』(2004)、『武士の一分』(2006)を、また観たくなった。
驚愕!! 時代劇の主人公でこれだけ〝自分大好き〟で他者への人情味が薄っぺらい人は初めて!
時代劇って、ジャンルとしてはほぼ人情ものだと思ってました。水戸黄門をはじめ、殿様系、奉行所系、捕物帖系、必殺系…。人情ものですから、当然、主人公は他者の情感に敏感で、思い遣る気持ちも強い。
ところが、この物語の主人公は、自分本位にもほどがある!と言いたくなるくらい、自分第一なのです。
・清廉潔白!?
ご自身の信念としては大層立派ですが、藩(役所)の中間管理職としては、処罰対象者の更生の道を残すとか、組織として贈賄の根を断つ工夫努力をして再発防止に努めるとかの対処をしていないのはいささか人としての度量が狭いのではないか。ケースバイケースの対応をせずに、自分の価値観に基づく公正さ(正義)に溺れすぎな気がする。
あのラストからすると、斎藤工の言い分にも相当な真実があり、主人公も思い当たることが多々あった、ということだと思うが、左門の協力を得ればいいのに追い返して、ひとりでやろうとするのがどうにも、自分の納得感が優先で本当に追われた人たちのためなのか…
*囲碁はやったことがないので何も知らないのですが、打ち方(棋風?)に汚いとか公正でないという概念があるのでしょうか?目に砂をかけるとか、素手の戦いに武器を持ち込む、みたいな不正が、囲碁の盤上の戦いにおいて存在するという部分の意味がよく理解できませんでした。
・汚名を着せられたのが恥で切腹!?
いやいや、あの場にいたのは他ならぬあなたなのだから、トイレ(厠)に落としたのではないか、途中の廊下や庭に落としていないか、などと記憶を辿って、屋敷内をみんなで捜索するよう進言すればすぐに見つかったのに。やるべきことをひとつも試さないで、武士の名誉を守るとかなんとか。自分の美学に殉じるといえば聞こえは良いけど、やってないという確信が有るのだったら、両替屋の中に犯人、もしくは勘違いした人がいるということなので、両替屋の人たちへの信頼や人情に訴えるという発想がそもそもないということになる。ましてや、汚名を着せられたまま切腹した「恥ずかしい侍の娘」になってしまう娘の立場への配慮も全くないではないか。
・もし、出てきたらお前と主人の首をもらう!?
これってカスハラじゃないですか。
顧客を疑った担当者に苦情を言うのは分かるが、店側に責任があった場合、辞表を書け!分かっているとおもうが、お前の責任者も一緒に辞表を出すんだからな。約束だからな!とあの状況で強要するのはいくら(無実なのに)万引きを疑われた顧客の立場だとしても行き過ぎじゃないですか?というか、時代劇の主人公としては器が小さくないですか。
旧来の時代劇における人情味あふれた主人公であれば、一度は疑われても、相手側が本当に悪辣な連中でない場合には、ちゃんと逃げ道を用意して過ちを正すチャンス(更生機会)を与えてくれます。
・武士の本懐達成と娘の身売りを天秤にかけちゃうんだ!!
囲碁や将棋その他なんでもいいのですが、ある種のゲームにおいて、それなりの達人領域に至った人物であれば、リスクと目的達成の可能性を考えることについてかなりの経験値があるはず。娘の負うリスクに見合うほどの勝算がまったくない旅にそのタイミングで出ますか!?
(未解決の)50両について何らかの落とし前をつけるまでの時間の猶予なら、娘を巻き込むのではなく、あれだけ中身の濃い対局を重ねてきた両替屋の主人(國村さん)に頼めばいいではないか。番頭や周囲の人間の疑いに惑わされないくらい、お互いの人物を分かり合えているのではないか。囲碁が重要なテーマのドラマにしては囲碁の対戦を通じて生じる直感的な信頼関係やそこから生じる葛藤などの描写があまりに薄い。
首ふたつと碁盤を天秤にかけて釣り合わせることになった展開がどうにも空々しくて、これだけの俳優陣の映画なのに、と悲しくなりました。
【あまりにビックリしたので追記】
他の皆さまのレビューは、いつも自分が投稿してから拝読するのですが、この映画に関しての感想がこれほど乖離していることにビックリ!
あまりの違いに、「大丈夫か、自分?」と問いかけるケースがなんだか今年は多い気がする。
今年の自分、本当に大丈夫なのか?
四角張った武士の懺悔
丁寧に作り上げた上品な時代劇でした。
出演者の皆様好演されており、國村隼・小泉今日子さんがよかったです。
囲碁のシーンが多いので、その知識が有る方が楽しめます。
映画である様に、江戸時代に老若男女が囲碁に親しんでいたのでしょうね。
50両の紛失や年の瀬や身売りなど、古典落語を元にしたシナリオでした。
落語の登場人物は変人や粗忽者が多く、落語家が「説明やツッコミ」を交えて演じるので、強引なストーリー展開でも良いのですが、この映画にはありません。
主人公の柳田格之進の人となりをわかってもらえる様な、演出がもう少し多ければよかったと思います。
年末の廓の大門前のシーンを、登場人物を増やし膨らませてほしかったです。
源兵衛と弥吉の互いを庇い合うシーンが好きです。
題名バレしていたのは、お愛嬌です。
ポーカーフェイスが鍵か、碁の真剣勝負!
名作のような物語ですが、リメイクではないようですね。私は囲碁のルールを全く知らないので、知っていればもっと楽しめたのかなと思います。
まず、映像が陰影に富んでいるため、江戸時代にタイムスリップしたようでした。
何と言っても、柳田格乃進(草なぎ剛)と柴田兵庫(斎藤工)の碁の真剣勝負は息詰まる展開で、見応えがありました。
草なぎ剛さんの何を考えているのか分からないポーカーフェイスが真剣勝負で重要だと思いました。
杖持ちなのに柴田の抜刀した後の動きが速かったです。50両のオチが笑えます。タイトルの意味も終盤に分かってきますね。
いぶし銀のような白石監督の味が出た作品だと思います。
時代劇をじっくり堪能しました。改心いていく萬屋が特にいい。ただ気になることも。
時代劇をじっくり堪能できました。
冤罪の罪を着せられ、浪人に身をやつし、娘と二人、長屋で暮らしていた柳田格之進が、50両を盗んだ疑いをかけられる。
潔白の証明のため、娘は身売りして50両を用立て、格之進は冤罪の真犯人を追うたびに出る。
娘を吉原に出してでも、清廉潔白を貫く武士の誇り。
しかし昔、正しいとしたことで、多くのものが路頭に迷う結果になり、正しいことが全てかと苦悩する。
寡黙な武士が似合う草なぎ剛、奥ゆかしく清楚な清原果耶、心の変化を演じる國村隼らが好演。
非情な商いで有名だった萬屋源兵衛が、店先であらぬ因縁をつけてきた客を追い払ったのに礼金を受け取らない柳田に対して、今後きっとたかってくるだろうと疑う。
しかし、囲碁を通して、柳田の何事も公明正大、正々堂々という信条に感化され改心していく様子に感動しました。
これが、下手な中堅監督だったら、全部セリフで語らせてしまったでしょう。
予備知識なしで観るのが信条なので、今回も観ていて「50両がない」というあたりでおかしいなと思ってみていたら、これは落語(「柳田格之進」)ではないかと気づきました。
観ている最中は、仇討ち話に50両をくっつけたのかと思ったら、その逆でした。
「碁盤斬り」というタイトルも、碁盤の目のようにさいの目に切るとか、分厚い碁盤も真っ二つ(こっちが正しい)という「剣の技の名前」かと思ったら、まさかの”下げ”だったとは。
余談ですが、50両にまつわる落語はたくさんあるので、最後、50両を吉原に届ける途中で、誰かにぶつかってすられたり(「ねずみ穴」20両)、大川に身投げしようとしている人にあげちゃったりしないかと(「文七元結」)ひやひやしました。
全編良かったのですが、どうしても気になるところがいくつかあります。
神は細部に宿るといいます。詰めの甘さが気になります。
そもそも番頭の一声のせいで、今回の騒動になったにもかかわらず(落語だと柳田に効くのは番頭本人)、50両がなくなったときに、そもそも自分のせいだと弥吉をかばうとか、斬りに来た柳田に自分のせいだと立ちはだかるとかが、一切無いので、番頭が呑気な顔して「高砂や~」なんて歌ってると、めちゃくちゃ腹が立ちました。
また、晴れて1日遅れで身請けとなり吉原を去るときに、以前お絹が吉原に来たとき目が合った女郎の反応のカットが一切ないとか。
命を取りに来る座敷に、碁盤がいかにも不自然に、これ見よがしにドーンと置いてあるのが品がなく、もうオチがミエミエで一気に覚める。
もう中盤ですでに出てきているので、横にチラッと見切れている程度で十分で逆に如何にさりげなく画面に入れるか配慮すべきと思いますが、観客を信じてないのが気になりました。
もう一度観に行く!!
素晴らしい作品でした
私は好き
囲碁わからないけど緊張感や登場人物の所作の美しさなど見てて飽きなかった
今度は空いてるであろう朝イチで見に行く!!
今日は混んでて隣のオジサンの加齢臭がちと気になったのでw
この作品は江戸時代の風景が美しく描かれ
現代とは違う価値観など凄く勉強になった
一番好きなシーンは父の切腹を止め、自ら吉原に向かう娘の決意のシーン。
母の仇を取りたいと娘も決意する瞬間だったのかなぁ
父親が娘を自分の身の潔白の為に吉原に売るとか信じられないって思う人も居ると思うけどコレ江戸時代の話しだし、自害した母の真実を知った時に娘も父の仇討ちに加勢するのは武士の娘なら当然だったのでは
50両を父が返す期限が過ぎ、吉原の店に出されると決意した瞬間に父が50両を持って現れる場面も泣いたわ~
その場面でキョンキョンが言うセリフも粋でねぇ♪
格好いい!!
家族の為に売られてきた悲しい過去を背負った遊女達が娘を迎えにきた父の姿に心から喜んでる笑顔も心に染みたなぁ
まず、江戸時代にそんなこと滅多に無いと思うから奇跡を見た瞬間だったんだろうね
格好いいといえば草彅剛
彼はどんどん進化しますねえ
時代劇凄い似合う
横顔が綺麗なんだよねぇ
声のトーンの強弱や間の取り方も絶品
脇を固める役者の皆様も素晴らしい
國村隼はどんな役やっても痺れるねぇ
韓国映画の哭声/コクソンを見た時に改めて天才だと思いましたが今回も上手かったなぁ
中川大志も清原果耶の2人も良かった~
彼女が父の身の潔白を証明する為に吉原に売られたことを知り涙を流す演技なんて私も貰い泣きした
そして何といっても清原果耶!!
娘役に清原果耶を持ってきたのは凄い
本当に良かった
孤狼の血2で大根役者をママ役に持ってきたのを見てガッカリだったので今回もアイドル崩れの大根役者だったらこの作品台無しだったよ
キャスティングが清原果耶ちゃんで本当に良かった
娘にとって最後がハッピーエンドなのもいいよ
また、じっくり見たい!!
音楽も良かった
エンドロールは曲を聴きながら最後まで座ってられました♪
そして白石監督は本当に素晴らしい監督だと改めて思った
是非、劇場で観てほしい作品です
白石監督らしさは希薄
白石監督の過去作にあるようなヒリヒリした緊迫感や凄みはあまり感じられなかった。時代劇らしさを演出するのに精一杯で、彼の持ち味が活かされなかったようにも感じられる。それでいて時代劇らしい味わいはあるような、ないような、良くも悪くも中庸な印象。全てが赦されるラストも、もう少しロジック、または粋なセリフが欲しかった。
鑑賞動機:草なぎ剛4割、清原伽耶3割、白石監督2割、評判1割
國村さんと相対しても見劣りしない佇まいの草なぎ剛。何やっても本当に安心して見ていられる清原伽耶。國村さんは短い時間での心持ちの変わりようがとても説得力があって、自然に思えた。まああなたのせいでとんでもないことになったわけですけどね。
両国からだと3.5km位だから走っていけるか。
髭だけでなく月代もちゃんと伸ばしてあるのね。
ところで最後夫婦になるのだけれど、絶対尻に敷かれるだろうな。
囲碁はふんわりとしかわからないのだけれど、結局「肉を切らせて骨を断つ」的なことでいいのだよね?
❌凄くつまらない今まで最悪の🎥日本映画🎥映画館でも家でも観たら駄目と感じた‼️
日本映画は期待外れが多いので基本的に観ない事にしていたがコレは評価高く草薙つよしが出るので観に来た
序盤って言うか半分くらいずーっと碁を打つシーン
大した話も進まず凄く退屈
そして五十両紛失事件発生
そして疑いをかけられたのはつよししか居なかったからつよしになった
知らないと言うか國村に訳を聞くとかせずに腹を立ててあろうことか娘を吉原に売って五十両作って渡した
これでは自分が盗んで返したみたいになってる❓
少なくとも噂はそうなる感じだ
その後斉藤タクミを探しに行くけど序盤につまらない碁のシーン盛り込みすぎて時間の関係上すぐ見つかる(笑)
で❣️また碁を打ち始めるのでまたまた退屈になる🥱
そして斎藤タクミは負けそうになると刀を振り回す🥷もうめちゃくちゃ
その前に草薙のせいでいろいろな人が苦しい生活になり奥さんも辛くて自害した話の説明がこれまた序盤に碁を打ち過ぎ(爆)たお陰で無くてわからなかった
奥さんはなんで自害かハッキリしなかった
最後は本当に碁盤切ってた
淡々とつまらない話がダラダラと迫力も無く終わり本当につまらなかった
なんで評価高いのだろう❓
あくまでも個人的意見だから反対意見は勘弁してくださいヨー😛
前情報より落語通り。+αの落語ネタ
前情報では、落語「柳田格之進」の世界線で、眩惑にはないストーリー展開がある、という印象だったが、ちゃんと落語のストーリーをしっかり追っていて、そこに昔いた藩での濡れ衣とその復讐劇のエピソードが追加された感じ。
萬屋源兵衛と柳田の出会いや、柳田が源兵衛の商売や生き方に与えた影響なんかは映画オリジナルですね。
お絹ちゃんが遊郭に売られ、期限が来たら店に出すよ!というエピソードは、別の落語「文七元結」から拝借したくだりですね。
これはいいミックスだと思います。
やっぱり今の時代だと、お絹ちゃんの純潔が守られるストーリーの方が安心できますし。
タイトルにもなっている碁盤切りのシーンですが、柳田はただ碁盤を切って、無言で立ち去ってしまいました。
落語では「主従の情を目の当たりにして、刀の切っ先が鈍った…。双方、命は助けて遣わす…!」と許すシーンがあります。
映画でもそのセリフはちょっと欲しかったなぁ。
「落語」そのものにも言えるのですが、昔作られたストーリーなんかは今の時代から見ると「そうはならんやろ〜」だったり、登場人物の言動・決断が唐突に感じたり、どうしてもあります。
その感覚に似た、「ちょっと引っ掛かる登場人物の行動」みたいなものが本作にもチョロチョロあったりして、ある意味落語らしいかな、と(笑)
現代の落語家さん達も、少しずつ納得いく筋書きに微調整はされてたりして、日々進化しています。
落語でもまた柳田格之進、聴きたくなったなぁ!
囲碁以外に頭使って
全体の雰囲気もいいし、俳優たちの演技も良かった。
ストーリーがいくら江戸時代と言えど、納得できない変な展開でモヤモヤ。
囲碁には頭を使うのに、もっと自分の身の振り方や娘を助けることに頭使って欲しい。大きく3つ訳分からんのでもうどうしようもなく共感も感動も生まれない。
1、50両盗んでいないのに娘を身売りさせてお金を返すというのがもう意味がわかりません。
2、借金の期限の大晦日になって50両は結局、出てきたし濡れ衣とわかってまだ扉はしまったばかりなのに、なぜその扉を叩かない。
叩き壊したっていいくらいだ。
娘が身売りされるのになんで首を切ることを優先するのか行動が意味不明。
3、これまで不器用すぎる真面目さが売りだったのに最後は掛け軸をお殿様に返さず自分の懐に。売ったお金を分配するための旅に出たのだろうが、どうもキャラに一貫性がない。そんなに柔軟な性格ならこれまでもっと器用に渡ってこられただろうに。
1番理解出来たのが死んだ妻に対する復習を果たせたこと。よくある時代劇の仇討ちだ。
まあ、普通ならキョンキョン、簡単に許さないよ。翌朝来たって娘は200両でも300両でも見受けするって言う太客もいたんだから、店に出すよね。
スカッとしない展開だったけど、碁盤だけはスパッと切れ味よく切れてたのでまあいいか。
新しい時代劇
傑作です。
エンターティンメント性のある時代劇でありながら、リアルな人々の生活、美しさ、迫力もある、とても上質な空気感あふれる映画でした。
世界に誇れる日本の時代劇が誕生したと思いました。
舞台の江戸時代は、現代とは色々違うところもあるけれど、やはり今と同じ様に、悩み迷いながら人々は生きていたんだと、思いを馳せました。
清廉潔白に生きようとする主人公は、今にも折れそうな人でした。
だけど、そんな主人公を愛して、支えてくれる人たちがたくさんいたことは、素敵なことだと思いました。
正しく生きたいと願っても、誰も理想通りには生きられない世界で、わたしたちは情を大切に文化を紡いできたのだと思います。
これからの世の中、すごいスピードで考え方も変わっていくかもしれない。
それでも、誠実に実直に優しく、思いやりのある、その心根は忘れずにいたいと感じました。
彼の苦しみを分かち合い、少しでも良い空気を、わたしたちも伝えていけたらいいなと思いました。
全111件中、41~60件目を表示