「驚愕!! 時代劇の主人公でこれだけ〝自分大好き〟で他者への人情味が薄っぺらい人は初めて!」碁盤斬り グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
驚愕!! 時代劇の主人公でこれだけ〝自分大好き〟で他者への人情味が薄っぺらい人は初めて!
時代劇って、ジャンルとしてはほぼ人情ものだと思ってました。水戸黄門をはじめ、殿様系、奉行所系、捕物帖系、必殺系…。人情ものですから、当然、主人公は他者の情感に敏感で、思い遣る気持ちも強い。
ところが、この物語の主人公は、自分本位にもほどがある!と言いたくなるくらい、自分第一なのです。
・清廉潔白!?
ご自身の信念としては大層立派ですが、藩(役所)の中間管理職としては、処罰対象者の更生の道を残すとか、組織として贈賄の根を断つ工夫努力をして再発防止に努めるとかの対処をしていないのはいささか人としての度量が狭いのではないか。ケースバイケースの対応をせずに、自分の価値観に基づく公正さ(正義)に溺れすぎな気がする。
あのラストからすると、斎藤工の言い分にも相当な真実があり、主人公も思い当たることが多々あった、ということだと思うが、左門の協力を得ればいいのに追い返して、ひとりでやろうとするのがどうにも、自分の納得感が優先で本当に追われた人たちのためなのか…
*囲碁はやったことがないので何も知らないのですが、打ち方(棋風?)に汚いとか公正でないという概念があるのでしょうか?目に砂をかけるとか、素手の戦いに武器を持ち込む、みたいな不正が、囲碁の盤上の戦いにおいて存在するという部分の意味がよく理解できませんでした。
・汚名を着せられたのが恥で切腹!?
いやいや、あの場にいたのは他ならぬあなたなのだから、トイレ(厠)に落としたのではないか、途中の廊下や庭に落としていないか、などと記憶を辿って、屋敷内をみんなで捜索するよう進言すればすぐに見つかったのに。やるべきことをひとつも試さないで、武士の名誉を守るとかなんとか。自分の美学に殉じるといえば聞こえは良いけど、やってないという確信が有るのだったら、両替屋の中に犯人、もしくは勘違いした人がいるということなので、両替屋の人たちへの信頼や人情に訴えるという発想がそもそもないということになる。ましてや、汚名を着せられたまま切腹した「恥ずかしい侍の娘」になってしまう娘の立場への配慮も全くないではないか。
・もし、出てきたらお前と主人の首をもらう!?
これってカスハラじゃないですか。
顧客を疑った担当者に苦情を言うのは分かるが、店側に責任があった場合、辞表を書け!分かっているとおもうが、お前の責任者も一緒に辞表を出すんだからな。約束だからな!とあの状況で強要するのはいくら(無実なのに)万引きを疑われた顧客の立場だとしても行き過ぎじゃないですか?というか、時代劇の主人公としては器が小さくないですか。
旧来の時代劇における人情味あふれた主人公であれば、一度は疑われても、相手側が本当に悪辣な連中でない場合には、ちゃんと逃げ道を用意して過ちを正すチャンス(更生機会)を与えてくれます。
・武士の本懐達成と娘の身売りを天秤にかけちゃうんだ!!
囲碁や将棋その他なんでもいいのですが、ある種のゲームにおいて、それなりの達人領域に至った人物であれば、リスクと目的達成の可能性を考えることについてかなりの経験値があるはず。娘の負うリスクに見合うほどの勝算がまったくない旅にそのタイミングで出ますか!?
(未解決の)50両について何らかの落とし前をつけるまでの時間の猶予なら、娘を巻き込むのではなく、あれだけ中身の濃い対局を重ねてきた両替屋の主人(國村さん)に頼めばいいではないか。番頭や周囲の人間の疑いに惑わされないくらい、お互いの人物を分かり合えているのではないか。囲碁が重要なテーマのドラマにしては囲碁の対戦を通じて生じる直感的な信頼関係やそこから生じる葛藤などの描写があまりに薄い。
首ふたつと碁盤を天秤にかけて釣り合わせることになった展開がどうにも空々しくて、これだけの俳優陣の映画なのに、と悲しくなりました。
【あまりにビックリしたので追記】
他の皆さまのレビューは、いつも自分が投稿してから拝読するのですが、この映画に関しての感想がこれほど乖離していることにビックリ!
あまりの違いに、「大丈夫か、自分?」と問いかけるケースがなんだか今年は多い気がする。
今年の自分、本当に大丈夫なのか?
いやいや、私もグレシャムの法則さんとほぼ同意見です。
これだけ娘に苦労と迷惑かけておきながら、娘の婚礼の日に困窮している人を助けに行くんですから。自分だけ幸せに浸っては申し訳ないと思ったのかもですが、娘がかわいそうすぎる。
「自分大好き」というのはほんと私もそう思いました。
安心材料になるかは分かりませんが、自分は圧倒的にこちら側です。
もう途中からは滑稽劇としか見られませんでした。
ちなみに、自分も囲碁は未経験なので打ち筋の汚さは分かりません。
ですが、石を手元でチャリチャリやって集中を乱そうとしてる様子はあったなぁ、と感じました。
(まったくの的外れかもしれませんが…)
共感ありがとうございます。
色々苦難をくぐって来て清濁併せ呑める様になったか? と最初考えてたんですが、やっぱり一人よがりですねー。ただ國村さんに換金を依頼しなかったのは、迷惑かけたくなかったからと思いました。
江戸時代と現在が乖離してるだけですからご心配なく。圧倒的に力が有るのに、侍にはペコペコしなきゃならない商人も忸怩たるものでしょうが、文無しの癖に頭ごなし、上から目線、それが当然! と恫喝する侍、やはり教育ですかねぇ。