劇場公開日 2024年5月17日

「こんな王道の時代劇を、バイオレンス過ぎて敬遠気味だった白石監督が撮るなんて驚きだし、感動でもう胸いっぱいです。」碁盤斬り 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0こんな王道の時代劇を、バイオレンス過ぎて敬遠気味だった白石監督が撮るなんて驚きだし、感動でもう胸いっぱいです。

2024年5月19日
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鑑賞方法:映画館

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古典落語『柳田格之進』をベースにした時代劇映画。「孤狼の血」シリーズなどの白石和彌監督にとっては初の時代劇監督作品となります。草彅は『ミッドナイトスワン』以来4年ぶりの主演映画となり、時代劇映画としては2009年の『BALLAD 名もなき恋のうた』以来15年ぶりの出演となりました。

 時代劇が苦境と言われて久しい今日。主題となる義理人情や忠義、互譲の精神は、個人の幸せを求める競争社会では 「弱さ」にも感じられます。本作は型やケレン味を強調した古典的な作品とも、セリフ回しや所作を今風に崩した試行錯誤の作品とも異なります。時代劇の文法に即しながら、現代人の心情にもかなう、いい塩梅に仕上げられた作品です。

●ストーリー
 とある事件のぬれぎぬを着せられ、妻を亡くし故郷の彦根藩を追われた浪人の格之進(草彅剛)は、娘のお絹(清原果耶)と江戸の貧乏長屋で2人暮らしを余儀なくされていました。実直な格之進は、かねてたしなむ囲碁にもその人柄が表れ、嘘偽りない勝負を心がけていたのです。
 ある日いつもの碁会所に立ち寄った格之進は、無類の囲碁好きな商人、源兵衛(國村隼)と出会います。しかし彼の打つ囲碁に表れる誠実な人柄に惚れ込んだ、源兵衛は格之進を度々呼んでは碁に興じ、酒を酌み交わす関係となるのでした。
 しかし源兵衛の家で50両が紛失する事件が起こり、格之進は番頭から窃盗の容疑をかけられてしまいます。激した格之進は武士の誇りにかけて、「金が見つかったあかつきには源兵衛と番頭の頭を貰い受ける」と言ってのけるのでした。
 番頭の徳次郎(音尾琢真)から報告を受けた源兵衛は、無礼を詫びようと格之進の長屋に急ぐものの、家はもぬけのからになっていました。
 実は旧知の藩士梶木左門(奥野瑛太)からかつての冤罪事件の真相を知らされた格之進は、同時に妻を拐かし、死にも追いやった両方にからむ柴田兵庫(斎藤工)を討つために旅に出たのでした。お絹は仇討ちの足かせとなったを盗んだという父の不名誉を晴らすため、格之進の知り合いの吉原の遊郭の女将お庚から、50両用立ててもらい、その身代わりとして店に身請けされてしまっていたのです。

●解説
 落語の人情話を下敷きにした、あだ討ち時代劇。誇り高く激しさを秘めた武士の格之進を、草彅が風格たっぷりに抑制した演技で好演。新境地を見せてくれます。
 碁会所で2人で碁に興じている中、大金盗難の疑いをかけられる。娘と長屋暮らしという身の上もほぼ落語通ですが、過去の遺恨と、それに伴うあだ討ちを絡めたところが新機軸です。
 映画ではここに、格之進が藩を離れる理由となった、柴田兵庫という新たな人物を登場させています。彼も囲碁の達人でありますが、やはり碁に人柄が表れて、彼の対局は自己主張が激しく荒々しいのです。でも序盤の布石は「三連星」という、辺の星に石を3つ並べて打つシンプルな形なのがアンバランスです。
 嫉妬深い兵庫は逆恨みで同僚たちを落とし込んだあげく、それが諸々の仇となって、兵庫は追われる身に追い込んだのでした。この人物像は、三隅研次監督の「座頭市地獄旅」(1965年)で、侍としては優秀だが、将棋の対局では激して我を忘れる十文字純(成田三樹夫)という、とても魅力的なキャラクターを思い出させました。

 また囲碁が重要な要素となっているのも好感。実はわたしも高校時代は囲碁部。なので物語の主軸に対局シーンがからむ展開を楽しめました。特に詰碁でしかお目にかかれない奇手が伏線となり、クライマックスの圧巻を飾ることには感動しました。
 近年の将棋人気と比べると、囲碁の存在感はもう一つ。勝負の展開が分かりにくく映像映えしないせいか、囲碁を題材とした映画もとんと見かけません。しかし本作では、囲碁の奥深さと格之進の複雑な内面を重ね、碁を知らなくても盤上の緊迫感が伝わる作りなのです。折しも本因坊戦五番勝負の真っ最中。本格時代劇としても囲碁映画としても、見応え十分。皆さんもこれを機会に碁会所の門を叩かれてはいかがでしょうか。

 斬新な作品を撮って評価され続けてきた白石監督だけに、白石組の実力も確かなものです。精緻で緩みのない加藤正人の脚本を土台に、美術の今村力、録音の浦田和治らベテランの力量が支えました。とりわけ、歳時記を思わせる撮影が素晴らしいです。山笑う春を起点に、薫風の夏、すすきの秋、小雪舞う冬、そして、春を告げる梅の季節へ。格之進の歩みと日本の四季が響き合います。特に吉原に満開の桜を咲かせた映像は秀逸。遊郭ならではの爛漫な春を再現していました。
 但し、全体的な色調が暗めなのは、当時の街や室内の明るさを意識したからでしょうか。ろうそくなどの光による室内のリアルに近い暗さと、張り詰めた演出は秀逸です。そんな障子越しの柔らかな光が、父娘のつましい暮らしを際立たせます。
 さらに灯火がゆらめく月見の夜。名所を望む晴れた日の水辺、格之進と源兵衛が様々な趣向で楽しむ対局シーンも風情がありました。

 演技面では草彅ばかりでなく、吉原遊郭の女将お庚役の小泉今日子、賭場を仕切る親分役の市村正親ら助演級も時代劇のイメージはないが、限られた登場シーンで存在感がたっぷりありました。

●感想
 やはりなんといっても注目は、タイトルの所以となった50両が見つかったことを話し詫びるシーンです。無口な格之進が激高し、約束通りその首頂戴するとなったとき、映画ではどうなるのかご注目ください。あの緊迫感は、名シーンだと思います。

 ところで窃盗の濡れ衣を着せられた格之進は、武士の体面を重んじるあまり、断腸の思いで娘を犠牲にしようとします。果たしてそれは、正しく汚れのない道だったのでしょうか。実直な囲碁に表れていたものは、格之進の融通の利かなさという負の面ではなかったのでしょうか。そんな自問をにおわせ格之進の悔恨に思い馳せるラストでした。大団円とは異なる幕切れには、白石監督ならではの鋭利さを残していると思います。

 また実直な格之進の影響か、金にうるさかった源兵衛が次第に温厚に変わっていく変化も見どころです。源兵衛は後半で、壁に掛ける家訓を「不得貪勝」(則れば勝利は得られない)に改めます。これは碁の心得「囲碁十訣」のひとつです。囲碁愛好者なら、戦術が絡んだシーンが要所にちりばめられているので注目してください。
 さらに殺陣や立ち回りといった派手な場面もありますが、最後は武力ではなく、頭脳戦の囲碁で仇敵に向かい、勝敗を決するところに新味を感じました。そこにドラマチックな妙手がからむとなるとなおさらです。

●最後にひと言
 まな娘絹の縁談といった小津映画的なモチーフを、裏稼業の人々、アンチヒーローを得意とする白石監督が描くところが味わい深いと思いました。恥、情けといった徳が健在でホツとします。とにかくこんな王道の時代劇を、バイオレンス過ぎて敬遠気味だった白石監督が撮るなんて驚きだし、感動でもう胸いっぱいです。
 新たな風が吹き込むことで、時代劇も再び活気づいてほしいものですね。

流山の小地蔵
トミーさんのコメント
2024年5月19日

面白かったです! シリーズ化が最初から織り込まれている「鬼平」とは覚悟が違った。

トミー