プーチンより愛を込めてのレビュー・感想・評価
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ドキュメンタリーではあるが、、、
映画は1999年の大晦日、ソ連崩壊後のロシア大統領だったボリス・エリティンが突然辞任し、プーチンを後継指名。翌年大統領選挙を経てプーチンが権力の基盤を掌握するまでの1年間を、選挙活動や広報用に撮影された素材を使ったドキュメンタリー。
ちょうど大学生から社会人になる頃のことだったので、なんとなく覚えている。もうエリティンがレームダックで、チェチェンは泥沼でロシア通貨危機が起き、ついに世紀末が訪れる。そんな暗い時期に40歳代でロシアを背負うプーチンは、頑張るな〜、という印象でした。ほんと、エリティンがダメダメだった印象です。
「プーチンって元々もこんな人柄だったんだぜ」という反プーチンとして観ることもできるし、当時のことを思い出しながら観ると「プーチンもえらいもの背負ってしまったんだな」とも観れる。ギリギリ、マイケル・ムーアのドキュメンタリー「風」プロパガンダ映画にはなっていないのが幸いです。
プーチンの人たらしの真髄、怖さ/恐ろしさ、手強さが満載
ロシア政府から指名手配され入国禁止のビタリー・マンスキー監督・脚本・撮影による2018年製作(102分)のラトビア・スイス・チェコ・ロシア・ドイツ・フランス合作映画。
原題:Putin's Witnesses、配給:NEGA。
大統領選挙の時にプーチンの当選を祝ってくれた多くの身内の人間たちが、映画には長時間映し出されていた。その内、リュドミラ夫人は離縁、そしてメドべージュ以外は皆、反体制派に転じたり(exグレブ・パブロフスキー)、亡くなったり(exミハイル・レシン: 鈍器による頭部損傷)、体調不良に陥ったり(exアナトリー・チュベイス: 手足の痺れで入院)、投獄されたり、海外脱出と、後日クレムリンの側近ではなくなったことが伝えられる。怖い、恐ろしい。ライバルになり得る人間は事前に消し去るヤクザ映画のストーリーみたいだが、後日明らかとなる事実なのが何とも恐ろしい。
市民を恐怖に陥れ、無名だったプーチンがテロへの断固たる姿勢で人気を得ることに繋がった爆破テロ事件は、状況証拠から自作自演が示唆されていた。市民の命を犠牲にして平気、権力得るためには手段を選ばぬ策略に、神を恐れぬ鋼鉄の意志を感じてしまう。
後継の大統領としてプーチンを指名したのが健力闘争に打ち勝ちソ連を葬った英雄エリツィン。プーチンの大統領当選を我がことの様に喜び、プーチンに電話をかけるが、その恩人の電話に出ないプーチン。権力を得た瞬間から手のひら返しを行うプーチンの冷徹さや計算高さが印象付けられた。そして静かに、淡々と反エリツィン政策、ソ連への回帰や報道機関の国有化を推し進めていく。
エリツィン大統領は政権末期、酒浸りで正常ではなかったとの報道も見聞きしたが、映像からはそうは全く見えない。プーチンへの大統領移行に関し、20人以上と多くの候補者の中からセレクトし、嫌がる本人を熱心に口説いた結果引き受けてくれたと、嬉しそうに語って入た。後の方では赤呼ばわりしてたが、言わば禅譲時は随分とプーチンを気に入りかっていたことが映像から伺えた。恩義/貢献や人の命を何とも思わない奴だが、プーチンは凄い人たらしでもあるらしい。英国首相や米国の歴代大統領も騙されたらしく、敵として実に手強い相手であることを再認識させられた。
監督ビタリー・マンスキー(ロシアのドキュメンタリー映画監督、2014年からラトリアの首都リガ在住)、脚本ビタリー・マンスキー、撮影ビタリー・マンスキー、編集
グンタ・イケレ、ナレータービタリー・マンスキー。
出演
ビタリー・マンスキー、ウラジーミル・プーチン、ミハイル・ゴルバチョフ、ボリス・エリツィン、トニー・ブレア、アナトリー・チュベイス、ベロニカ・ジリナ、ライサ・ゴルバチョフ、ミハイル・カシヤノフ、ミハイル・レシン、ドミトリー・メドベージェフ、グレブ・パブロフスキー、クセーニャ・ポナマロワ、ウラジスラフ・スルコフ。
プーチンという人物の周到さがよく分かる
まず、この映画の元となったのが2000年から2001年に撮影された密着取材の映像であること、映画の公開は2018年であることは理解しておかなければならない。
その上で、プーチンという人物が実に周到であること、自身の考えは絶対に正しいと信じ、目標の遂行のためにはあらゆる障害を排除することに躊躇しないということがよく分かる映画である。
もちろん、ロシアの政治情勢については一般的に報じられている程度のことしか知らないので一部意味不明な点もあるが、それでもプーチンの不気味さはよく伝わってきた。
エリツィンは20名ほどの候補の中からプーチンを後継者に指名したと語っている。選んだ基準については明言されていなかったが、優秀であることはもちろん、民主化を継続してくれそうな人物であることも理由の一つだったのではないだろうか。だが、結果的にそうはならなかったと思う。例えば、国歌をソビエト連邦時代のメロディーに戻したこともそうだ。共産主義国家から民主国家に移行し、ソ連時代の自由が制限された社会から自由が認められる社会へ脱皮しようとしている中で、国歌の先祖返りはそうした流れを逆行させることに他ならない。プーチンの大統領当選が確実になったとき、選挙参謀の一人であるマスメディアのトップが報道の自由を守ってくれと言ったのに対し、プーチンが言葉を濁したのが印象的だった。その後のプーチンのやり方を見ていると、権力を握ってしまえば後はどうにでもなるという考え方がこのときからすでに現れていたのではないか。
ソビエト時代を懐かしんでいたという女性のエピソードがあった。プーチンは彼女に対して、過去には戻れないが今をよくすることはできると言ったという。一見素晴らしい答えに見えるが、プーチンが言う「今を良くする方法」とはソビエト時代と同じような統治手法をとると言うことだ。それをうまく言い換えて(決して共産主義に戻るとは言わずに)、相手を説得する手腕は見事だとは思うが。
それでも、見事に国内を統治しているという評価はあるだろう。どういう統治の仕方をしようが、それはプーチンの自由であるし、そんな彼を20年以上大統領の座に据え続けるのもロシア国民の自由だ。だが、それはロシア国内だけのことにしてほしい。他国に軍事侵攻してまでやることではない。
それにしても、最初の大統領選の時の選挙対策グループの内、ほとんどのメンバーが野党に入ったり亡くなったりしていて、与党に残っているのがメドベージェフだけというのもすごい話だ。プーチンから離れた人々の考えも聞いてみたいものだ。
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