ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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ジョーカーという虚像を打ち砕いた映画!
楽しみにしていた「ジョーカー」の続編。
キャストに新たにハーレイ・“リー”・クインゼル役でレディー・ガガ登場。
はっきり言って、思ってたのと全然違う映画でした。
前作がジョーカーの誕生を描いた映画だとすれば、今作はそれを見事に打ち消した映画となっている。
レディー・ガガを配したからではないだろうが、ミュージカルのようにリーとアーサーが歌う場面が多々あり、その演出には疑問が残る。(ミュージカルは苦手なほうなので^^;)
刑務所で服役するアーサーは毎日精神安定剤を飲まされ落ち着いた模範囚となっている。
ある時合唱の練習でリーに出会い、一瞬にしてお互いに惹かれ合う存在となる。
愛によって希望を見出し、自信を取り戻すアーサー。
リーに薬を飲まないように頼まれ、その影響で気分が高揚し突然笑いだす発作も出てリーが愛するジョーカーに変身してしまうアーサー。
裁判で親身になってくれていた弁護士を首にしてしまい、アーサー自らが弁護することになる。
しかし、ジョーカーメイクでスター気取りのアーサーをテレビで見ていた看守たちはアーサーをボコボコに痛めつけアーサーは意気消沈してしまう。
そして裁判で“ジョーカーなどいない”と証言するアーサー。
その瞬間、傍聴席にいたリーやファンは失望し席を立ち離れていく。
折しも裁判の途中で突然裁判所が爆破され、ファンの助けを借りて逃げるアーサー。
階段でリーに出会うが、もはやリーには愛はなかった。
彼女はジョーカーを愛していたのであって、アーサーには何の魅力もなかったのだ。
愛に希望を見出していたアーサーだが愛に裏切られ、もはや逃げる気力を失い警察に捕まる。
再び模範囚の頃のアーサーに戻ったが、彼を慕っていた若者に刺殺されてしまう。
彼もまたジョーカーの崇拝者だったのだ。
個人的にはこれはこれで面白かったが、前作で誕生した悪のヒーローの活躍(?)を見たかったファンにはがっかりの作品だろう。
逆に前作で悪人であるジョーカーがヒーロー扱いされることに嫌悪感を抱いた人にとって今作は納得できる結末となっているのではないだろうか。
ただし、今作は物語の起伏に乏しく、大半が刑務所と裁判所のシーンなので、それで敢えてミュージカル風にしたりアーサーの空想シーンを挿入したりしているのかもしれないが、裁判所の大爆発シーン以外は人間ドラマがメインとなっている。
北斗の拳のラオウのように愛に敗れても愛などいらぬわ!というくらいの強さがアーサーにあれば不死身のジョーカーが誕生していたことでしょうが、これ以上社会を混乱させてはならないという良心が製作者に働いたのかどうか。
貧しく精神病を患っていた弱い人間だったアーサー・フレックが罪を犯し、ジョーカーとして祭りあげられ、やがてその虚像のせいで愛に裏切られ、殺されてしまうという哀しい物語が今作において見事に完結したのである。
若干退屈だったが、最後の演技には衝撃を受けた
「ダークナイト」と「ジョーカー」、どちらもすごい映画だと思ったが世間ほど絶賛はできなかった。これは完全に好みの問題。でも「ジョーカー」の続編なら観ておきたい。あのジョーカーの物語ではなく、アーサーという男の物語の続編として興味があった。
(後半若干のネタバレがあります)
本作にはレディ・ガガ演じるリーという女性が登場する。アーサーと共感しあい愛しあうことになる女性。彼女とアーサーが歌い踊るシーンが多い。これはもうミュージカルと言っても過言ではない。歌も選曲も文句はないのだが、ジョーカーの映画として観てしまうとどうしても違和感を覚えずにはいられない。アーサーが妄想をこじらせた結果と納得させるしかないのだろうか。
前作同様、アーサーは自分の思いとは別のところでジョーカーとして熱狂的な支持を得てしまう。勝手に心酔して、英雄視し、勝手に幻滅する、現実社会でもあり得る現象だ。結局、ジョーカーという悪のヒーローが誕生する物語ではなく、あくまで6人を殺害したアーサーという男の物語で終わった。
前作でバットマンとなるブルースが登場していたが本作では全く出番なし。DCのバットマンとは違うということらしいが、子どものブルースとアーサーが戦うことに違和感があったのもたしか。ところが、本作でアーサーの子どもがリーのお腹に宿ってしまった。彼の息子がリーによってジョーカーとして育てられ、ブルースと戦うことになるという未来を妄想してしまった。他にもフォロワーが生まれ、ジョーカーという存在が生き残っていくことが示唆された。ジョーカーのフォロワーたちが生まれた物語でもあるということだ。
正直、中盤は退屈してしまった本作。でも、裁判が始まってからはかなり引き込まれたし、最後のホアキン・フェニックスの演技には衝撃を受けた。やはりこの人はすごい。これを観るだけでも意味のある映画だと思う。
ラストシーンが………
収監されていたアーサーが、リーという魅惑的な女性との交流により、再度ジョーカーとして覚醒していく物語
覚醒する過程や覚醒したあと裁判所の中で
まるでショーのように振る舞うジョーカーのあたりはとても面白かったし、最後それでもやっぱりアーサーに戻ってしまうところも良かった
その後リーにも見捨てられるとこも別に良かったのだけど、最後、衝撃のラストにしちゃうよ!って感じで、誰やねんっていう囚人に殺害されてしまったのでラストが「雑」と感じてしまいました
評価が難しい作品
好きではあるけど、今ひとつ腑に落ちない作品でした。
アーサーは人生の負け組で凶悪犯罪者でありながらも、一部の熱狂的な信者からはカリスマと崇められて、リーという彼女はどんな悪行も認めてくれる。
ダークナイトのジョーカーは息を吸うように悪事を働き、悪人からも尊敬されている純粋な悪というのが私の認識ですが、このシリーズのジョーカーは人生で負けまくっている人が吹っ切れて、社会の秩序をひっくり返す事で、逆転して勝ち組になるというキャラクターだと思っています。
前作のラストでは悪意が町中に伝播して都市が大混乱に陥るが、それは現実だったのか?妄想だったのか?という内容で、ジョーカーの活躍を描きつつも、現実味のある展開で納得できたのですが、今作はジョーカー側に救いがなさすぎた点が不満でした。
裁判の終盤で、アーサーは過去の過ちを反省して後悔するのですが、そこからは罪は重いわ、彼女には見捨てられるわ、最後には刺されるわでいいとこなしで終わります。
あの終わり方なら、逃げるチャンスがあった場面で、最後までジョーカーに成り切れば良かった。
日本的な考え方ですが、一度決めてジョーカーになったなら戻ろうとして欲しくなかったな。
救いのない終わり方が社会へのメッセージかもしれませんが、せっかくのハーレイクインもいるし、妄想オチでもいいからもっと狂気を魅せて欲しかった。
それでも前作も込みで星4つ。
違和感
大好評で受賞も数々の前作。
その続編を作ると言うことから、
元はバットマンの敵役であるからにして、
行く行くはバットマンと対峙するのでは❓
という妄想を抱きながら、
何故にフライヤーにデカデカと○○様が載ってるんだ❓
と違和感を感じて不安多めで鑑賞。
前作ってそんなに歌ってましたか❓
てくらい終始アーサーとリーが歌いまくる。
ミュージカルなの❓
いやそれにしては周りは全然歌わない。
監督もミュージカルでは無いと言い切っている。
ならばコレは何だろう❓
アニメでは偶に観る事があるな。
ん、アニメ❓
冒頭のアニメがフリだったのか❓
オレはアニメを観ていたのか⁉️
ジョーカーになって裁判やってる時点で、
もうコレはアニメだな‼️
アーサーの時々発作的に出る笑い。
こちらまであの笑いが出てしまうくらい、
脳内バグったまま終わり、
結局バットマンも出て来ず、
(ハービーデントはちょっと嬉しい)
「white room」も流れない、
○○様が高らかに歌い上げるかと言うと
そうでもない。
物議を醸して次作に繋ぐのか❓
でもあのラストは・・・
次作こそ
ダークナイト登場をお願いしたい。
ゴードンレビットあたりで🙏
◆追記
「アリー スター誕生」に
トッドフィリップスがスタッフにいた😱
そーゆーことか😳
残酷な現実
結末も含めて前作は完璧だった。
それだけに続編が必要なのか疑問だったし、続編をどう作るのか興味もあった。
結果的に、今作は長々と語って元の場所に戻って来たなという感じ。
本作では序盤からアーサーの人物像に違和感を感じた。そして終盤、その違和感は制作者の意図したものであり、そのメッキが剥がされるまでを描いたのが、本作だったことに気づく。
結局アーサーは我々が知ってる前作のアーサーと変わっていなかった。
ある意味それは残酷な現実で、観客にとっても、アーサーに感情移入していればなおのことその現実は受け入れがたいものになった。
バットマンに出てくる"後のジョーカー"の誕生を期待し、そのカタルシスを待ち望んでいたら、突然冴えない現実に放り出されてしまった気分だ。
ジョーカーはいない。本作でも言われたメッセージ。前作ではジョーカーは生まれてしまった(かのように描かれた)。生まれたまま放置されて終わってしまった。
その危険な状態に一区切りをつける必要があったのだろう。それが続編を作った意味なのだと解釈した。
ある意味エヴァンゲリオンの「まごころを、君に」に似たものを感じる。
観客の姿をスクリーンに映して見せ、最後に「気持ち悪い」の一言で熱狂を沈静化させようとしたあの感じだ。
夢で逢いましょう
ジョーカー フォリ・ア・ドゥ。社会現象を引き起こし俺はジョーカーだ!と感化されたバカまで生み出した前作。今回はミュージカルサスペンス。監督のジョーカーといかアーサーへのスタンスは変わらず。妄想部分はミュージカルにし現実との違和感は無し。ガガはハーレークイーンと思いきや全く関係なし。病んでる系。
監督自らが、もう続編は無い!と言わんばかりな悲しいラスト。そりゃ冷静に考えたら6人殺し精神疾患がなく自らを省みる能力があれば、ヴィラン誕生や悪のカリスマなんて無理な話。賛否両論だけど自分は夢が覚めた続編でアーサーなホアキン・フェニックスを堪能出来た!
ホアキン・フェニックスいい役者だな
賛否色々あるのは分かりつつの鑑賞
結論、なんでそんな酷評されるか分かんない
見応えありの良き続編でした
妄想なのか現実なのか、精神疾患なのか正常なのか
アーサーは残忍な罪人だけど、それと同じぐらいクレイジーな世の中
最後の最後、結局一番まともなのはアーサー?
みたいな..
束の間の愛を感じられたアーサーは、ほんのわずかでも幸せだったのか
きれいゴトで終わらないのもありだなと
個人の感想です
アーサーのような悲劇をどう捉える?
メッセージ性?そんな陳腐な投げかけでもないのが
現代的かな..
人生はエンターテイメントじゃない
前作の終わり方だと、みんなが知ってるジョーカーの過去はこんな風だったんだ‥と思ってたけど、今回のであのジョーカーとは全く別なんだ、コレはジョーカーになりきれなかったアーサーの物語なんだ…
最初に出てきたホアキン・フェニックスの背中があまりにも骨ばってて小さくてびっくりしたんだけど、あれってCG?違うよね?
ジョーカーになる事で、世の中への怒り、不満を吐き出すことができてヒーローにさえなれたアーサーだけど、それはアーサーが本当になりたかった姿ではなく、虐げられた人々の作り上げた偶像に過ぎないところが悲しかった…
最愛の人と思っていたレディガガ(ごめんなさい役名忘れちゃった💦)さえも…。
あの終わり方は賛否両論あると思うけど、私はとても人間臭くて好きでした
決して駄作じゃないです
拒否反応起こしてる人は、ミュージカル的な演出のせい?
でも、ダンサーインザダークを彷彿とさせるそれらのシーンは、あくまでも
ジョーカー自身の記憶や憧憬や恋心を表現したものであって、決してミュージカルではなく、一個の人間としての彼の心と同期するには最適な手法だと思います。
かつ、監督が敬愛するワンフロムザハートに於ける音楽の使い方や、色合いや照明の変化も見て取れて、ロマンティックでさえありました。ラスト近くの階段のシーンの街灯なんて、もろそれでした。
とても余談ですが、長い間ワンフロムザハートは自分の中でも最高の映画のひとつだと思いながらも、誰も賛同してくれなかったんだけど、ここにきてようやく報われた気がします。
悲劇は喜劇
ジョーカーとなってしまった男アーサーが堕ちる所まで堕ちる姿が面白かった。
ジョーカーの化粧がみるみる剥がれ落ちていくようにアーサーは終盤になるにつれ心身ともにボロボロ、初めての彼女ができて調子に乗るけどボコボコ、さぁ次はどんな転落が待っているのかと身構えると最期にあの結末、逆張り展開大好き捻くれ野郎の私はいい意味で予想を裏切られ笑ってしまいそうになった。
彼の人生は主観では悲劇そのものであるが、観客から客観的に観たこちらからすれば喜劇の様な映画。
アーサーの人生が道化そのものであったのが皮肉が効いてて楽しかった。
ただこれがジョーカーとしての映画でやる意味があると言われればそうでもないし、かといってジョーカーだからこそ笑えると言う複雑な気持ちはある。
ジョーカーなのかアーサーなのか
ジョーカーとして世間から神格化されたアーサー。
レディーガガ演じる女性も急接近して絶好調で裁判をのらりくらりと立ち回るまさに道化師。
今作には前作のような、虐げられたものの覚醒を描いた痛快感も全く無いからとにかく鬱。
それでミュージカルというか、歌唱シーンが多い。がこれが正直面白くない。
終盤、裁判の証人で出てきた同僚。
誰も彼もがアーサーを見捨てたわけでは無いこと、皆んながジョーカーとして見てる中、彼だけアーサーとして見てくれていること。この人の存在があったからこそ、最後は
アーサーとして生きることになったから、あまりのやるせないラストではなく、まあ良かったんじゃないかと思えた。
ピエロはあくまでもピエロ
あくまで個人的な想像にすぎませんが、ハーレイ・クインと出会い恋に落ち、あれから更に悪のカリスマとして磨きがかかっていくという続きを勝手に想像していましたが、今作はあくまでアーサーという1人の哀しき男の物語で、私たちの知っている、明るく元気に悪いことをするジョーカーは妄想上でしか出てきません。
でもその本当は心優しく、何も言えない、そんなところがアーサーなのです。
でもみんなそんな優しいアーサーを見ようとしない。
そして、みんなのヒーロー、そしてリーのヒーローであろうと、アーサーもジョーカーになりきって過ごそうとしますが、本人も自分自身の影=ジョーカーに翻弄され、最後は自分とは何なのか、そんな哀しい終わりでした。
でも、ここでアーサーは死に、ジョーカーが生き残りました、とかなら個人的にはゾクゾクしたけど、ただ可哀想なだけ……
結論、ただの可哀想な男の話すぎる…………
あーこれは確かに評価が二分するわw
観た。ひとつ言えるのだが、これは娯楽作品ではない。はなからエンターテインメントを求めて観たらハシゴを外されるのは確実。
まぁ社会から阻害され、スピンアウトした人間を描く社会派作品として意識高い系で見れば有り。刑務所と法廷劇要素も多いし。ただしラストが非常に凡庸。意外性もひねりも無く、誰でも思いつくような幕引きがガチで残念。
一方、ジョーカーと言うビランをダークヒーローとし、一種のピカレスクロマンを期待して何らかのカタルシスを求めるなら、確実に期待はずれになる残酷仕様です(笑)終盤の裁判所爆破で一瞬期待しちゃってもホントそれだけだから。特にDC大好きッ子なんかは観ちゃダメだぞ、泣くか怒るぞw
観客がどっちを求めるかで評価が決まる感じなのも納得。…短くまとめるとそんな感じ。てかぶっちゃけ前作の衝撃は上回れず、その程度の作品ってことで了。
あ、レディーガガは残念ながら今回はハマり役というところまでは至ってはおらず。別に演技が悪い訳でもないが、他の女優でも無難にこなしたろうね。歌えるから起用されたってとこもあるんだろう。てーことで、話題作り出演の域を出ておらず。
非公開のミュージカル
Joker: Folie a Deux
脱獄は成功していない。だから、予告編で盛り上がりを期待したカットのほぼ全ては、ミュージカルのシーンだ。現実には公開されていない。
思えばずっと動いていたのは周りで、開いた閉じていたものが、また戻っていく。アーサー自身、人格は、本当は何も変化していない。
法廷に化粧を連れ出しても、支離滅裂さで狂気を演出するには、まともなことを話すガイドの存在も隣に必要だ。マレーがそうだったように。だからジョーカーを続ける上では、アーサーは弁護士を解雇すべきではなかった。それはそうなのだが、ジョーカーが消え、判決が下った後のいつもの笑いも(それこそが)、十分に狂気的に見える。
化粧が消えかかったアーサーの表情が新たな始まりを示唆しているようで、息子と面会者という言葉を残し、しかし幕は下ろされる
共演して間もなく、笑いのフリとはいえ、ジョーカーは銃で撃たれている。これもタイトル通り伝染した妄想だとするなら、アーサーの心理状態を再考したくなる。
ミュージカルとタバコの映画
評価が分かれるのも納得の作品だが、私は好みだった。ミュージカル仕立ての構成に最初は戸惑うが、現実と妄想が曖昧で虚構の自家中毒に苦しむジョーカーことアーサーの内面を表現するのに最も適してた表現ではなかったか。
アーサーは裁判の最後に「本当の僕を見て!」と叫ぶが、アーサーの思う僕と他人から見えているジョーカーの僕と、そもそもアーサーが統合失調症の疑いが濃い(弁護人はそれを立証し無罪を勝ち取ろうとしていた)ことを踏まえると、彼にとってはミュージカルや歌が本当の自分なのかもしれない。そう思わせるだけの演出があり、個人的には楽しめた。
次に面白いと思ったのがタバコの描写である。
令和の映画とは思えないほど、みんなタバコを吸っている。作中は1980年代前半がモデルらしいので、電子タバコは当然ない。よって、紙タバコをガンガン吸う。喫煙者は嫌なやつか、何か病んでる人ばかりで、もちろんアーサーもそのひとりだ。屈辱的な扱いを受け、ジョークを言った褒美に看守からタバコを分けてもらい、美味そうに吸う。
レディガガが演じるリーと鉄格子越しでキスをしていると、接触禁止だと注意され、その代わりに吸った相手がタバコの煙を吸い込む。もしかしたら、唾液の交換よりも煙の交換の方が脳に直接響くのかもしれない。僕は筋金入りの喫煙者だが、この演出でめちゃくちゃタバコが吸いたくなってしまった。
喫煙者がぐっと減った現在では、この演出がどこまで理解されるかわからないが、ニコチン中毒者は精神が乱れてる時に深くタバコを吸い込むと脳に直接ニコチンが注入されているような感覚に陥ることがある。その心理が映像を通じてとても伝わってきた。ヤニカスで良かったと思う映画である。
物語は自己演出したアーサーの裁判ショーが不発に終わるところ、突然の爆破テロで裁判が無くなり、リーとの関係も終わり、最後はジョーカーファンの若者に刺されて終わる。
結局はアーサーそのものに誰も関心がなく、唯一、「本当の僕」を理解しようとしてくれた小人症のゲイリーとも決別する。アーサーはゲイリーの訴えを聞いて自己演出を止めたはず。そしてそれを見て、リーは去る。
その後リーの拳銃自殺を仄めかすシーンがあり、まさか…と思ったが、リーは死んでなく、髪を切り、彼女もまたジョーカーファンの自分と決別したのだろう。リーが拳銃で撃ち抜いたのはジョーカーに傾倒していた自分だったんじゃないか、というのが僕の感想だ。
結論は凡庸な映画かもしれないし、人々が求めていたジョーカーの続編ではないのかもしれない。しかし、暗いながら音楽の演出がよい。動画配信されたら案外何回も見たくなるようなタイプの映画かもしれないなと思った。
画面の隅まで見逃すな!
最後のあいつがピントが合ってない奥で何をやっているのか
それに気付いた人間かそうでないかで大きく評価が変わると思う
もちろん前作から通じてアーサーという人間の悲劇=喜劇をテーマにした物語もなかなかに重厚であると思う
ジョーカーはそこにいてどこにもいない
たしかにちょっとミュージカル要素が多すぎ、ハーレイの割合多すぎで途中少々軸がぶれている様相はあった気はするがそんなに頭ごなしに酷評すべき出来でもなかったと思う。
十分に楽しめました。
とにかく、冒頭に書いたことに尽きると思う。
前作のオトシマエ的な?
前作上映後の間抜けな騒ぎやら昨今の世界の状況を踏まえて作られた映画なのかな?
前作を観てもろに影響受けてしまった純真な観客が思ったより数多くいて、こりゃ不味いと思ったのだろうか監督さん。
映像全体は素晴らしく、主演二人の歌も素敵で特にホアキンの歌声は頭にこびりついて落ちません。
でもカリスマの否定なら最後まで殺さない方が良かったのかな?とも思うが。
純真に前作に多幸感を感じた人は好きな映画じゃなさそうですが、私は大好きな映画でした監督さんの作話意図に感動です。
まあこれでこの「ジョーカー」は終わり!後は「バットマン&ロビン」の続編をお願いいたします。
歌がね、残念。ガガ様ごめんなさい。
本作はジョーカーよりアーサー・フレックのストーリを描きたかったんだよね、それはわかる。
なんだけど、ミュージカル仕立てにしたのが解せない。リーとアーサーが本作で歌にする意義みたいな、そこが感じられない。で、もうね、肝心な台詞も歌っちゃうから入ってこないんだよ〜〜泣。
辛うじて、ジョーカーらしく次なにか起こすんじゃないかという静かな恐怖が随所に感じられたので星3.5。因みに精神の安定した昼の鑑賞をオススメします。
??????
なにを見せられたんだろう?
ジョーカーが無双する所が見たかったのに、急に歌いだしたり、踊りだしたり……
配信で「異世界スーサイド・スクワッド」を見てたから、ジョーカーに惚れる女の子がハーレイ・クインである事しか分からなかった。
ジョーカーとハーレイのコンビで「悪のカリスマ」に駆け上がる話なのかと思ったら、裁判で「ジョーカーなんて居ない」とか言い出すし…
しかも、唐突な場面の変更ばかりで本気で訳わからなくなる。
あのラストは、もうジョーカーが出る事は無いのか…
役者を変えるのか…
いきなり歌い出す所の吹き替えがどうなってるのか、吹替版でもう一度見てみたいけど、この、盛り上がらない微妙な気持ちに変化は有るのだろうか…
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