ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
全294件中、41~60件目を表示
期待は満たせなかったがアーサーの物語としてはアリ?
前作と『ダークナイト』視聴済みです。本作視聴直後の評価は終幕で苦笑いしながら星1、改めて考えて演技音楽表現で+1、ヴィランは無理だったけどアーサーを表現しきった点で+1しました。①ヴィラン(ジョーカー)の物語として➁アーサーの物語として2点で感想を述べます。
①まず本場アメリカでの興行収入が伸びない様子。おそらく前作を観たファンが期待するのはジョーカーに覚醒したアーサーがどのようにヴィラン(悪役)として飛躍するのか。これまでのジョーカーのイメージは劇場型犯罪を好む知能犯です。
例えば法廷劇の中で法の目を搔い潜って無罪を獲得する、あるいは脱獄劇で外部の信望者や虜にした看守を利用するといった話、ハーレークインは協力者でジョーカーが理想。
しかし描かれているのは一般人としてのアーサーです。前作で針が振り切れて倫理観や善悪の概念は捨て去っていますがあくまでジョーカーという悪意が突然宿って人格が切り替わったわけでなく正気のままでジョーカーを演じていただけ。だから終盤で「ジョーカーなんかいなかった」(うろ覚えです)そんなセリフが出てしまう。
彼の弁護人が無罪にしようと尽力したりハーレークインや外部の信望者もいて期待のストーリーになるフラグはあったのにあえて全部回避して最後●●?です。前作でバットマン自体がアーサーの空想であるかのような描写ありましたけど●んだら空想も伝えられません。アメリカの方からすると幼いころから知っているヴィランも暴れる前に●んでバットマンも無かったことになるような描写は受け入れがたいのではないでしょうか?
ただ俳優さんの演技力や歌唱力、最新の表現技術は素晴らしいです。ガガはモチロン、ホアキンはタップダンスも踊れるんだと感心。
➁要はアーサー=どん底の男性いう視点からですけどこれは良くも悪くも表現しきったと思いました。前作でどん底を演出しておいて2作目でさらに二番底を用意してくるという徹底ぶり。全てを失った所からジョーカーをあえて演じることで承認欲求の充足や恋人を手に入れた。でもあくまで一般人アーサーの感覚ではジョーカーは続けられないので断念する。終盤で信望者と逃げてヴィランに祭り上げられるとか彼からすると有り得ないのです。
一般人として恋人と自由に暮らしたいのが最後の願いでしたがリーが愛しているのはジョーカーでありアーサーではない。結果彼女も離れていき梯子を外された挙句、再逮捕され●●●エンドでは本当に何の救いも無い。
その罪を考えれば当然と言えますし加害行為は全く共感しません。●しか終着点がなかったとも感じます。ただよくここまでどん底感を表現できたなと思います。
落ち込みますけどあえてどん底を表現しきった先にあるカタルシスなるものは想像できますがそこまで気持ちの整理をつけるには時間がかかりそうです。これは初見の評価なので他の方の評論も参考に理解を深めたいです。
浮遊するような現実感のなさ
ミュージカルは妄想?
もし妄想と現実を行き来する映画だったとしたら、
最後の爆破はホントにあったのか?
そんなことより、リーちゃんはホントに実在していたのか?
全てがわからなくなる。
現実と妄想の境界が見えぬまま浮遊する感覚
あえて「観客の期待を裏切る」という挑戦
一般論として、映画は「登場人物の成長」を描くものだ。
あとは「行って、戻る物語」も定番。
その前提で本作について。
観客が期待する「続編」は、
ジョーカーが脱獄し、彼女と一緒に大暴れして、街を破壊と混乱の渦に巻き込む、
という話だろう。
それは素人でも分かること。
もちろん、監督もスタジオも分かっていること。
でも、それをあえて裏切る、違う物語で攻めたのが本作。
2作で見ると、
1は、優しい男が狂気に堕ちる物語。
2は、狂気に堕ちた男が正気に戻る物語。
つまり、「成長」であり「行って戻る」物語でもある。
しかし、それは主人公ジョーカーの話。
では、もう一人の主人公、ハーレイ・クインはどうか?
彼女が愛したのは「狂気の男」であり、「優しい男」ではない。後者を拒絶してしまう。つまり、成長しない。
そしてもうひとり、重要人物。
「狂気」に熱狂した男は、それが裏切られたことで、ジョーカーを殺してしまう。
監督は否定するだろうが、トランプとそれに熱狂する人々を描いたのでは。(否定しても、そう思われることは否定しないだろう)
トランプを熱狂的に支持する人々は、その期待が裏切られたらどうするだろうか?
拒絶するのか?それとも同じく「狂気」に堕ちるのか?
人々の持つ虚像
「期待外れだ」と、思った。
ジョーカーことアーサーはルーという女性と恋に落ちる。二人は奈落の底で情熱的に愛し合う。
人々もジョーカーことアーサーを熱狂的に愛している。
「ジョーカー」ことアーサーにだ。
ルーはアーサーと恋仲になったあと、性行為の前にアーサーの顔にジョーカー特有のピエロのメイクを施す。
ルーは面会の際も、ガラスに口紅を塗り、アーサーをジョーカーに重ねている。
ルーが愛していたのはアーサーではなく、
狂気的で悪魔のような「ジョーカー」だったのだ。
民衆も同じであった。
誰もが彼への愛を叫ぶとき、必ず「ジョーカー」と彼を呼ぶ。
誰も彼も「アーサー」なんて愛しちゃいなくて、
「ジョーカー」という理想像を愛していただけだった。
この映画は軽率な人々の抱く理想像と現実の違いを訴えているのだろう、そう思った。
私は映画鑑賞中、ジョーカーが恋愛をしているのにとても違和感を覚えた。殺人をするシーンが見たかったなぁ、とも思った。
上映終了後、隣の男性がその友達に向かって言った。
「これじゃない感がすごい」と。
私は大きな共感と同時に、水を面に被ったような衝撃を感じた。
この映画を観た私たち、きっと全員がまた、
映画の登場人物と同じく、
アーサーに「ジョーカー」という大きすぎる虚像を見て、押し付けていたのかもしれない。
アーサーだけではない。
私達は知らず知らずのうちに、
悪気なく理想像、虚像を押し付け、誰かを苦しめてはいまいか?
この気づきまでが、この映画の味噌なのだと感じる。
この映画はただのミュージカル恋愛映画ではなかった。
私達の見ている「虚像」すなわち「偏見」に目を向けさせてくれる、美しい傑作だったのだ。
さよならホアキンジョーカー
向かって右がオレンジ、左に青っていうガッツリ分かれたRRRみたいな照明がずっと気になっていて
弁護士が最初にジョーカーに話しかけるシーンでボンヤリ日が差したから「オッこれはアーサーがジョーカーのモードに入るとオレンジの光が差すのですか?」と思ってずーっと光を追ってました。
全然違いました。ジョーカーなんていなかった。
独房に忍び込んだリーが、事に至る前にしっかりジョーカーメイクさせてたところでラストがなんとなく想像できてしまいました。リーはアーサーになんて興味ないんだなと。
その後の華やかな妄想シーンは素晴らしい地獄でしたね。ミュージカルの中の2人が素敵であればあるほど悲しくなりました。そんなことになるわけないのだから早く目を覚まして欲しかった。もはやDC映画としては観てませんでした。ヒューマンドラマすぎます。
弁護士団やキスした囚人はアーサーに寄り添ってたように見えるのが余計に悲しいです。
女性の弁護士ふたりともお母さんみたいな雰囲気なのもグロかったですね。
悲しくて辛い過去と障碍をもったジョーカーなんていないし、いちゃいけない。
素晴らしいストーリーではありましたがやっぱりエグくて辛かったので次のジョーカーはエンタメに振り切ってくれると嬉しい。
よくわからない
ジョーカーのキャラクターは好きなので、もう少しちゃんと深堀りして、悪になっていく所が出来れば良かったのに。
ほぼ裁判の話でよくわからないうちに終わる。
ミュージカル映画が苦手なので、回想が歌詞で表現されているのはかなり嫌い。
見やすさ○
ストーリー○
キャラクター◎
没入感◎
個人的好み○
悪くはない。
このジョーカーはスマートさに欠け、安っぽくて、弱くて、同情できてしまう。自分の思い描くジョーカーとは全く違うためガッカリしてしまった。ジョーカーに対する理想像とかない人はガッカリしないと思う。
ジョーカーの心理は読み解けない方が怖さが増すと改めて実感した。
大衆や女に操られるジョーカーは見てて辛かった。
最後リーを突き落としてJOKERになるみたいな展開を期待してしまった。
ただの模倣犯に殺されるのもなんかもう悲しかった。タイトルはJOKERだけどJOKERではなく、愛に飢えたネグレクト被害者。
好きなシーンはゲイリーだけアーサーを見ていた事が伝わる所です!
概念としてのジョーカー
ジョーカーのオリジンを描いて世界的大ヒットした前作は、デニーロを出して確信犯的なスコセッシの『キング・オブ・コメディ』の影響が大き過ぎて、今一つ乗れなかった。
ジョーカーのキャラを使って語る物語としての必然が低い様な気がしたし、いっそのこと『キング・オブ・コメディ』のリメイク撮った方がスッキリするとまで思った記憶がある。
確かにアーサーと云う男が、ジョーカーと呼ばれるまでの経過を、観る者に納得させる悲惨な負のスパイラルを無駄なく表す物語ではあった。
しかしそのジョーカー像は、後にバットマンと対峙するジョーカーとは思えないものだったので、ジョーカーになった時の自己の解放にカタルシスは感じなかった。
ただホアキンの演技は凄いし、評価も高く、ベネチア獲ったりオスカーの主演獲ったりしたので、個人的にはこのジョーカーは始祖の話だと勝手に決めて、納得しようとしてた。
バットマンに対するジョーカーはもっとシンプルで絶対悪な存在だと思ってるので。
その続編「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」は、レディ・ガガが参加してのミュージカル仕立てだと聞き、一体何を観せられるんだろう、ガガちょっと苦手だしなぁと重い腰をやっと上げて鑑賞しました。
結果、物凄く納得しました。
ミュージカル風な部分は全く違和感を感じませんでした。
前作の最後で、アーサーが鼻歌を歌う延長だと思うし、そもそも妄想癖のある人物なので。
ただ画一的なリーの人物像と、リーとアーサーの関係もそれほど深く描く気が無いのか、台詞でドラマを作ろうとせずに歌だったのは、リーはアーサーを取り巻く環境の一部だっただけで、
2人の関係性から前作に無かった何かを描こうとしてるとは、思えませんでしたし、もっと短いシークエンスのものをミュージカルで引き伸ばしたとも、とれました。
前作も含めてジョーカーではなく、ずっとアーサーの話だった訳で、結局ジョーカーを否定して自己確立する所で、物凄く納得しましたし、何よりジョーカーは個人では無く、悪意の概念だと示唆してると思うので、素晴らしい落とし所だと思います。
ゴッサムシティに悪の象徴を産んだアーサーは退場したが、概念としてジョーカーがゴッサムに生まれた訳で、これである意味ジョーカーは、不死性を孕んだキャラクターとなったと思います。
監督のトッド・フィリップスが、自分で描いたジョーカー像の落とし前を見事につけてくれたので、とても良かったです。
アーサーに落胆するリーを含めた信者達の姿と、本作を酷評し興業的に失敗したアメリカの人々が被って見える所は狙ってなかっただろうけど、そう言う所も含めて見事だったと思います。
願わくはフォリ・ア・ドゥで描かれた要素を含めて(ミュージカル部分を省いて簡素にして)、前作で1本にまとまって語り尽くされていれば、凄い映画になったのではと思いました。
Close to you
ミュージカルのシーンがよかった。
Close to you 、印象に残った。
彼の夢の中の世界は優しく、現実は暗い。
現れた彼女はジョーカーのマニアだった。
彼はゴッサムシティのヒーローで、街にはファンがたくさんいる。
法廷劇とは思わなかった。
ジョーカー自身が弁護士になり、裁判を進めていくところは面白いのだが、これも彼の夢なのだろうか。
夢の設定で話を進めていくと、どこまでが現実なのかわからなくなる。
ストーリーはあまり上手くなかった。
そこまで音楽に固執しなくてもなぁ
今年一番期待していただけになんか残念やなぁ。
そこまで音楽に固執しなくてもクライマックスでダンスだけでもよかったのではないかなぁ。
結局そのモヤモヤが残ったままだったので、リーには見限られ、刺殺されてしまうというショッキングなラストになるのに感情に入ってこず、すーっと流れてしまったのが非常に残念。
タイトルなし(ネタバレ)
街を混乱・狂乱に導いた「ジョーカー」事件から2年。
アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は州立精神病棟に収監されていた。
弁護士のマリアンヌ・スチュワート(キャサリン・キーナー)は、精神疾患による責任能力不在で抗弁しようとしていた。
しかし、アーサー自身は精神疾患を認めない。
そんな折、ハーリー・クインゼル(レディー・ガガ)と名乗る女性が現れ、「わたしは自宅に火をつけ、母にここに入れられた。あなたに会いたかった・・・」とアーサーに告げる・・・
というところからはじまる物語。
前作を受けて、コミックスのファンならば、ジョーカーの恋人ハーレー・クインが現れ、ふたりして街を再び混乱・狂乱に導く物語を期待するだろう。
が、監督のトッド・フィリップスは、そういう期待されるであろう「ありきたりな」続編をあっさりと棄てる。
(脚本はスコット・シルヴァーと共同)
冒頭の「Me and My Shadow」というルーニー・チューンズ風アニメで、独り歩きした影によって本体がひどい目に遭うという内容がその後の物語を語っている。
これは、ジョーカーでなく「アーサーの物語」。
サブタイトルの「フォリ・ア・ドゥ」とは、一方の錯乱した精神が他の一方へ感応する精神疾患に用語で、「ふたり」が誰と誰を指しているかは観る側に委ねられているのだろう。
「ふたり」は、アーサーとハーリーのように見えるが、感応し合うのはアーサーの妄想の世界だけ。
ジョーカーとハーレー・クインのふたりとして。
現実世界でも感応し合っているようにみえるのはミスリード。
ジョーカーの幻影が存在しないことに失望するハーリーは、あっさりアーサーを棄ててしまう。
前作に熱狂した観客が、「現実では認められず、虚構の中でしか自己及び周囲肯定出来ない男の物語」である本作にそっぽを向くように。
それにしても耳に残るのは「ザッツ・エンターテインメント」の曲。
この映画も「エンターテインメント」だと、トッド・フィリップスとスコット・シルヴァーのコンビは言っている。
個人的は、大いに気に入った映画なのだけれど、不満もある。
法廷シーンでのクライマックス。
その意表を突く演出。
(個人的は『ナッシュビル』や『マグノリア』を思い出した)
そして、その後。
観ながら予想したのは次のとおり。
ひとつはアーサーとハーリーが再会し、ジョーカー&ハーレー・クインとなる結末。
前作に熱狂した観客が期待した活躍を予感させるもの。
もうひとつは、冒頭のアニメ同様、アーサーが民衆に殴り殺しにされる結末。
民衆がジョーカーの扮装をしている。
前作に熱狂し、本作に失望した観客におもねる形だ。
そして、本作の結末・・・
前作に熱狂した観客に少しも寄り添わない・・・
どちらかというと常識的な結末・・・
あ、感応し合ったのは、このふたりだったのか!
アーサー美しい
ネタバレみてから鑑賞
またミュージカル、ガガ、鬱好きとしては楽しめた
序盤から重いBGMとともに、わくわくしつつもあぁ始まってしまった…とアーサーの鬱々とした世界に取り込まれる
今回加わったミュージカル要素について
アーサーが最初に歌い出すところはディズニーばりに突然ではないが自然にすっと受け入れられた
というかホアキン歌うまい
ただ歌ってからは突然バリバリに歌いまくる、前回の妄想部分が歌うシーンでとてもわかりやすくなっている
だが、ガガが歌うシーンはこれが現実なのか妄想なのか分からなかった
最後にアーサーがもう歌うのやめてくれといっていたのでやっぱり現実だったのだろうか
ミュージカル要素は賛否両論みたいだが、1は心の休みどころがないほどの絶望的な激重展開ばかりで鬱好きでも相当キツかったが今回はミュージカル部分があって妄想でも気持ちを明るくさせてくれて自分はあってよかったと思う。
アーサーが裁判にかけられるシーンははホアキンのジョーカー、アーサーの演じ分けがとても素晴らしいので見所である。
アーサーは別人格ではなく自分の意思で殺人をしたと認めた。彼は正直に答えたのにジョーカーを崇拝してた連中はそれに冷めてしまう。アーサーは自分を認めてもらいたかったんだろうなぁ
印象に残ったシーンは序盤のアーサーが暗闇の中煙草を吸って牢屋のドアが閉められるのとガガと社交ダンス?のシーンが最高にかっこよかった
アーサーの謎の優雅な舞もまた見れる
配信か映画館かでまたみたい
イオンシネマ3 プレミアム前13G
うれし楽しミュージカル!
とても面白かった。前作の「ジョーカー」がマーティン・スコセッシの「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」を足して二で割ったような作品で、ヴェネチア映画祭金獅子賞を獲るほど高評価なのにはビックリした。本作はミュージカルで、往年の名作へのオマージュが嬉しい。初っぱなのアニメパートからミュージカルの傑作「サマー・ストック」でジュディー・ガーランドが歌って踊る「ゲット・ハッピー」が流れ、壁にはこれまた傑作「バンドワゴン」のポスターが垣間見れた。実写パートになっても「ゲット・ハッピー」が歌われ、囚人たちが鑑賞する映画は「バンドワゴン」で、火災になるシーンでは「ザッツ・エンターテイメント」のダンスシーン。アーサーが出所するシーンはフランスの傑作ミュージカル「ロシュフォールの恋人たち」のカラフルな傘の俯瞰シーンをオマージュしているのだろう。最後にアーサーが偶像化に歯止めが掛からず裏切られたと失望する信者に刺されるシーンは、ケン・ラッセルが映画化したTHE WHOのロックオペラ「Tommy/トミー」を彷彿とさせる。いずれもミュージカル映画への愛の賜物だろう。レディー・ガガのキャスティングの意味が理解出来た。続編で1作目のタッチを期待するファンのお思いをスルリとかわす大胆さは、本作の内容とリンクした確信的な監督の狙いなのだろう。お見事です。
ダークナイトみましょう!
前評価を聞いた上、尚且つ前作のファンであり、続編に対してあまりいい印象を持ってない私でしたが、この作品を太宰治の「人間失格」のような堕落モノだと思ってみると結構おもしろかったです。ただ、主人公は人を6人殺してる点がどうしても気になり、見る人によっては感情移入が難しくだいぶ好みが別れると思います。また主演俳優の精神異常の演技が生々しく、言動を含め、見てて苦しい場面が多々ありました。その上「僕の気持ちをわかってくれよ!」と言わんばかりにミュージカルをしてくるのでうまく雰囲気が掴みづらい方もいるかもしれません。
前言撤回します。この作品クソつまんないです。全てが不快です。例えると胡椒が効いてない腐ったハンバーグを口いっぱいに放り込んだような気持ちです。ただでさえ賛否両論だった「弱い人間性を持ったジョーカー」と言う要素をあろうことかワーナーは猛プッシュしてしまい、誰も感情移入できないこんな駄作を作り上げてしまいました。私はただただ前作で描ききれなかったジョー力一の華麗なる大犯行をハーレと一緒にやってくれるかと思いましたが、ジョーカーがやったことといえば自分をバカにした奴(バカにしてなくても気に食わなかったら◯す)を妄想の中でぶっ◯したり、銃を模した手で他の囚人や監守を打つフリして気を晴らしたりとかでした。厨二病の中学生かよ!それでも有名なアメコミ悪役がすることなのかよ!クソが!
結局みんなジョーカーと言う現象が好きなだけでアーサーのことは誰も興味ないんだっていうことがこの映画も伝えたかったことみたいだったけど、それもう前作の時点で十分描けていることだからくどくてしんどかったよ!この映画のメインテーマにするほどじゃねーよ!てか、前作オマージュ多すぎだろ!新鮮味薄くなっちゃうじゃないか!新しいジョーカーが見たかったのになんで前使ったセットばかり登場させるんだ!てか、前作は楽しかったのにこの作品のアーサーのジョーカー見てて全然楽しくないよ!何で作ったんだよこの作品!お金儲けのためだけにゴミみたいに扱ったファンを欺くとどうなるか。今から教えてやる。報いを受けろこのクソ野郎。
レビュー見てから観て良かった
色々なレビューや考察を見てから映画を観に行きました。
私は楽しめました。
元々ミュージカルが大の苦手です。急に歌い出したり踊り出したりする主人公の感情に全く着いていけず自分だけ置いてけぼりくらった感じになるからなのですが、この映画は大丈夫でした。
逆に、ミュージカルにする事で登場人物のイカれ具合が絶妙に助長されて素晴らしい相乗効果になっていたとも思えました。
面白くない、と思う意見が分からないほど「アーサー」の全てを感じた映画でした。
考察を色々見てから観た為、少しでも「ジョーカー」を観たいという目線で観ていたら面白くないと感じたかもしれません。
悲しいシーンでは笑ってしまうところは前回観たアーサーそのままでとても切なかったです。
そして素直な感想なのですが、リーは好きなように精神科に入ったり出たりができ、さらには精神科の学位を持っているとの事でしたが、メイクも異常だし考え方もやばいし放火もするしで、リーも充分精神異常者。なので急に歌い出したり踊り出したりするのもアーサー同様全然違和感無く観ることが出来ました。
可哀そうなアーサー
低評価が多い理由もよくわかるが、個人的には好きだった。
前作は当然良作だったが、少し重く観ていて疲れる内容である。
しかし、今作はミュージカルパートが多くその分話が進まないので、内容的には薄いため観ていて疲れることはない。
「ジョーカー」という偶像で見られる精神疾患者が、自己とその偶像の乖離で苦しむ話だと理解した。
ハーレーにはアーサーという自己は全く愛されず、ジョーカーという偶像しか愛されない。
前作に引き続き可哀そうなアーサー。
裁判でアーサーはジョーカーの姿になるが、まったく持って空回り。共感羞恥のように観ていられない。
悪のカリスマであるはずのジョーカー像が崩れ去る瞬間である。
「DCコミックスのジョーカー」を観に行った人は後悔するだろうが、「トッド・フィリップスのジョーカー」を観に行った人なら、別にそんな悪い映画ではないだろうと思う。
とりあえず、ハーレーはエーリッヒ・フロムの「愛するということ」でも読めば良いと思った。
実際の殺人件数は果たして6人...なのか?
前作の補習かつ心酔者への説教という点に関しては、まさに旧エヴァ劇場版を思い出しましたね😅
ただ、どちらもそこに託けて前作への補完を仕込んでいるため、謎が解明してスッキリした快感✨はありました。
↓ネタバレ
【今作で判明したのは、前作から通じて、ほぼ全編アーサーの妄想だということです】
最期に口から流れた血は、明らかに冒頭の髭剃りミスによる乾きかけの血でした。
髭剃り後におばさん弁護士👩が唾を付けて拭き取ってくれましたが、そんなことをするはずもなく、これはアーサーの理想の甘ママ像を妄想している証です。
冒頭でTV📺に映っていた「ペペルピュー」が、最期直前のTV📺にも映っていました。
生中継中裁判所爆破💣→逃亡🏃という大騒動がありながら、最期直前では冒頭と同様に、囚人達がアーサーに無関心です。
つまり、冒頭の髭剃りと最期だけが現実で繋がっていて、後は全て妄想ということでしょう。
これで、前作で謎だった妄想⇔現実の境界は、母親殺し以外は全編妄想だったんだと、個人的に合点が行きました。
アーサーは大量殺人🔫を犯しておらず、世間でジョーカー騒動🤡も起きていなければ、そこから派生する色恋沙汰💘も裁判🔨も、全てが妄想です。
ミュージカル🎵シーンをベタな妄想ぽく見せているのは、その他を現実だと錯覚させるフェイクなのでしょう。
裁判では母親殺し以外を裁かれていましたが、これは逆に、現実では母親殺しのみの裁判が行われていると考えられます。
最後に母親殺しを暴露し、ジョーカーではないと吐露したのは、現実の裁判で母親殺しの責任能力を認めた反映なのでしょう。
げに哀しきは、あの真に迫る😢ゲイリーの証言も、実はアーサーの「本当の自分を見てくれているのは彼だけだ」と思い込みに過ぎないということです。
ところで、原作でハーレイクインはハービー・デント検事補=トゥーフェイスの娘を身籠ります。
爆破💣シーンでもきちっと、検事補の顔半分が焼け爛れていました。
今回リーが身籠ったのも、ジョーカーに会うためにデントを抱き込んだ結果の妊娠でしょう(という妄想でしょう)。
つまり、自分を見ていないと分かりつつも、ジョーカー🤡の仮面をして美女👩に筆おろししてもらったものの、そいつはライバルの子を孕んでいたという...まさにNTR妄想で捗っていたわけです(笑)
結局、アーサーを刺した🔪ヒース・レジャー似のニヤケ顔は2代目ということではなく、彼こそがオリジン🤡ジョーカーであり、アーサーはその快楽殺人の最初の被害者だったというオチになります。
前作でもわざわざブルース🦇とアーサー🤡の世代差を描いていましたから、端から「このジョーカー🤡は全て妄想であり、真のジョーカー🤡オリジンではない」という壮大なジョークだったということでしょうね...
尻すぼみ感が…
ジョーカーことアーサーが精神病院に隔離されたその後の物語。舞台が主に病院(監獄だと思った)と法廷なので、画面は地味で暗め。ミュージカル形式を取り入れたのは、そもそも娯楽映画としてのエンタメ性を高める狙いもあるのだろう。
使用される楽曲はほとんどがスタンダード調で、前作のようなロックテイストがなかったのは、個人的に残念。
ホアキン・フェニックスは、この前の「ボー」では小太りの中年おやじになりきっていたのに、今作ではまたしても肩甲骨を尖らせて、本当に体のことが心配になるくらい。レディ・ガガは、素顔だとあまりオーラを感じない。
展開としては、弁護士を解任してジョーカーの扮装で悪態をつくあたりから一気に振り切れるのかと期待したが、最終弁論で自分はジョーカーではないと吐露したり、リーとの別れ方もずいぶんあっさりしていて、尻すぼみ感がぬぐえなかったのが正直なところ。
ラスト、アーサーを刺した男、もしくは(本当かどうかわからないが)リーが身ごもった子供が、次のジョーカーになるというのもありかな。
全294件中、41~60件目を表示