ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
全289件中、41~60件目を表示
概念としてのジョーカー
ジョーカーのオリジンを描いて世界的大ヒットした前作は、デニーロを出して確信犯的なスコセッシの『キング・オブ・コメディ』の影響が大き過ぎて、今一つ乗れなかった。
ジョーカーのキャラを使って語る物語としての必然が低い様な気がしたし、いっそのこと『キング・オブ・コメディ』のリメイク撮った方がスッキリするとまで思った記憶がある。
確かにアーサーと云う男が、ジョーカーと呼ばれるまでの経過を、観る者に納得させる悲惨な負のスパイラルを無駄なく表す物語ではあった。
しかしそのジョーカー像は、後にバットマンと対峙するジョーカーとは思えないものだったので、ジョーカーになった時の自己の解放にカタルシスは感じなかった。
ただホアキンの演技は凄いし、評価も高く、ベネチア獲ったりオスカーの主演獲ったりしたので、個人的にはこのジョーカーは始祖の話だと勝手に決めて、納得しようとしてた。
バットマンに対するジョーカーはもっとシンプルで絶対悪な存在だと思ってるので。
その続編「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」は、レディ・ガガが参加してのミュージカル仕立てだと聞き、一体何を観せられるんだろう、ガガちょっと苦手だしなぁと重い腰をやっと上げて鑑賞しました。
結果、物凄く納得しました。
ミュージカル風な部分は全く違和感を感じませんでした。
前作の最後で、アーサーが鼻歌を歌う延長だと思うし、そもそも妄想癖のある人物なので。
ただ画一的なリーの人物像と、リーとアーサーの関係もそれほど深く描く気が無いのか、台詞でドラマを作ろうとせずに歌だったのは、リーはアーサーを取り巻く環境の一部だっただけで、
2人の関係性から前作に無かった何かを描こうとしてるとは、思えませんでしたし、もっと短いシークエンスのものをミュージカルで引き伸ばしたとも、とれました。
前作も含めてジョーカーではなく、ずっとアーサーの話だった訳で、結局ジョーカーを否定して自己確立する所で、物凄く納得しましたし、何よりジョーカーは個人では無く、悪意の概念だと示唆してると思うので、素晴らしい落とし所だと思います。
ゴッサムシティに悪の象徴を産んだアーサーは退場したが、概念としてジョーカーがゴッサムに生まれた訳で、これである意味ジョーカーは、不死性を孕んだキャラクターとなったと思います。
監督のトッド・フィリップスが、自分で描いたジョーカー像の落とし前を見事につけてくれたので、とても良かったです。
アーサーに落胆するリーを含めた信者達の姿と、本作を酷評し興業的に失敗したアメリカの人々が被って見える所は狙ってなかっただろうけど、そう言う所も含めて見事だったと思います。
願わくはフォリ・ア・ドゥで描かれた要素を含めて(ミュージカル部分を省いて簡素にして)、前作で1本にまとまって語り尽くされていれば、凄い映画になったのではと思いました。
Close to you
ミュージカルのシーンがよかった。
Close to you 、印象に残った。
彼の夢の中の世界は優しく、現実は暗い。
現れた彼女はジョーカーのマニアだった。
彼はゴッサムシティのヒーローで、街にはファンがたくさんいる。
法廷劇とは思わなかった。
ジョーカー自身が弁護士になり、裁判を進めていくところは面白いのだが、これも彼の夢なのだろうか。
夢の設定で話を進めていくと、どこまでが現実なのかわからなくなる。
ストーリーはあまり上手くなかった。
そこまで音楽に固執しなくてもなぁ
今年一番期待していただけになんか残念やなぁ。
そこまで音楽に固執しなくてもクライマックスでダンスだけでもよかったのではないかなぁ。
結局そのモヤモヤが残ったままだったので、リーには見限られ、刺殺されてしまうというショッキングなラストになるのに感情に入ってこず、すーっと流れてしまったのが非常に残念。
街を混乱・狂乱に導いた「ジョーカー」事件から2年。 アーサー・フレ...
街を混乱・狂乱に導いた「ジョーカー」事件から2年。
アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は州立精神病棟に収監されていた。
弁護士のマリアンヌ・スチュワート(キャサリン・キーナー)は、精神疾患による責任能力不在で抗弁しようとしていた。
しかし、アーサー自身は精神疾患を認めない。
そんな折、ハーリー・クインゼル(レディー・ガガ)と名乗る女性が現れ、「わたしは自宅に火をつけ、母にここに入れられた。あなたに会いたかった・・・」とアーサーに告げる・・・
というところからはじまる物語。
前作を受けて、コミックスのファンならば、ジョーカーの恋人ハーレー・クインが現れ、ふたりして街を再び混乱・狂乱に導く物語を期待するだろう。
が、監督のトッド・フィリップスは、そういう期待されるであろう「ありきたりな」続編をあっさりと棄てる。
(脚本はスコット・シルヴァーと共同)
冒頭の「Me and My Shadow」というルーニー・チューンズ風アニメで、独り歩きした影によって本体がひどい目に遭うという内容がその後の物語を語っている。
これは、ジョーカーでなく「アーサーの物語」。
サブタイトルの「フォリ・ア・ドゥ」とは、一方の錯乱した精神が他の一方へ感応する精神疾患に用語で、「ふたり」が誰と誰を指しているかは観る側に委ねられているのだろう。
「ふたり」は、アーサーとハーリーのように見えるが、感応し合うのはアーサーの妄想の世界だけ。
ジョーカーとハーレー・クインのふたりとして。
現実世界でも感応し合っているようにみえるのはミスリード。
ジョーカーの幻影が存在しないことに失望するハーリーは、あっさりアーサーを棄ててしまう。
前作に熱狂した観客が、「現実では認められず、虚構の中でしか自己及び周囲肯定出来ない男の物語」である本作にそっぽを向くように。
それにしても耳に残るのは「ザッツ・エンターテインメント」の曲。
この映画も「エンターテインメント」だと、トッド・フィリップスとスコット・シルヴァーのコンビは言っている。
個人的は、大いに気に入った映画なのだけれど、不満もある。
法廷シーンでのクライマックス。
その意表を突く演出。
(個人的は『ナッシュビル』や『マグノリア』を思い出した)
そして、その後。
観ながら予想したのは次のとおり。
ひとつはアーサーとハーリーが再会し、ジョーカー&ハーレー・クインとなる結末。
前作に熱狂した観客が期待した活躍を予感させるもの。
もうひとつは、冒頭のアニメ同様、アーサーが民衆に殴り殺しにされる結末。
民衆がジョーカーの扮装をしている。
前作に熱狂し、本作に失望した観客におもねる形だ。
そして、本作の結末・・・
前作に熱狂した観客に少しも寄り添わない・・・
どちらかというと常識的な結末・・・
あ、感応し合ったのは、このふたりだったのか!
アーサー美しい
ネタバレみてから鑑賞
またミュージカル、ガガ、鬱好きとしては楽しめた
序盤から重いBGMとともに、わくわくしつつもあぁ始まってしまった…とアーサーの鬱々とした世界に取り込まれる
今回加わったミュージカル要素について
アーサーが最初に歌い出すところはディズニーばりに突然ではないが自然にすっと受け入れられた
というかホアキン歌うまい
ただ歌ってからは突然バリバリに歌いまくる、前回の妄想部分が歌うシーンでとてもわかりやすくなっている
だが、ガガが歌うシーンはこれが現実なのか妄想なのか分からなかった
最後にアーサーがもう歌うのやめてくれといっていたのでやっぱり現実だったのだろうか
ミュージカル要素は賛否両論みたいだが、1は心の休みどころがないほどの絶望的な激重展開ばかりで鬱好きでも相当キツかったが今回はミュージカル部分があって妄想でも気持ちを明るくさせてくれて自分はあってよかったと思う。
アーサーが裁判にかけられるシーンははホアキンのジョーカー、アーサーの演じ分けがとても素晴らしいので見所である。
アーサーは別人格ではなく自分の意思で殺人をしたと認めた。彼は正直に答えたのにジョーカーを崇拝してた連中はそれに冷めてしまう。アーサーは自分を認めてもらいたかったんだろうなぁ
印象に残ったシーンは序盤のアーサーが暗闇の中煙草を吸って牢屋のドアが閉められるのとガガと社交ダンス?のシーンが最高にかっこよかった
アーサーの謎の優雅な舞もまた見れる
配信か映画館かでまたみたい
イオンシネマ3 プレミアム前13G
うれし楽しミュージカル!
とても面白かった。前作の「ジョーカー」がマーティン・スコセッシの「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」を足して二で割ったような作品で、ヴェネチア映画祭金獅子賞を獲るほど高評価なのにはビックリした。本作はミュージカルで、往年の名作へのオマージュが嬉しい。初っぱなのアニメパートからミュージカルの傑作「サマー・ストック」でジュディー・ガーランドが歌って踊る「ゲット・ハッピー」が流れ、壁にはこれまた傑作「バンドワゴン」のポスターが垣間見れた。実写パートになっても「ゲット・ハッピー」が歌われ、囚人たちが鑑賞する映画は「バンドワゴン」で、火災になるシーンでは「ザッツ・エンターテイメント」のダンスシーン。アーサーが出所するシーンはフランスの傑作ミュージカル「ロシュフォールの恋人たち」のカラフルな傘の俯瞰シーンをオマージュしているのだろう。最後にアーサーが偶像化に歯止めが掛からず裏切られたと失望する信者に刺されるシーンは、ケン・ラッセルが映画化したTHE WHOのロックオペラ「Tommy/トミー」を彷彿とさせる。いずれもミュージカル映画への愛の賜物だろう。レディー・ガガのキャスティングの意味が理解出来た。続編で1作目のタッチを期待するファンのお思いをスルリとかわす大胆さは、本作の内容とリンクした確信的な監督の狙いなのだろう。お見事です。
ダークナイトみましょう!
前評価を聞いた上、尚且つ前作のファンであり、続編に対してあまりいい印象を持ってない私でしたが、この作品を太宰治の「人間失格」のような堕落モノだと思ってみると結構おもしろかったです。ただ、主人公は人を6人殺してる点がどうしても気になり、見る人によっては感情移入が難しくだいぶ好みが別れると思います。また主演俳優の精神異常の演技が生々しく、言動を含め、見てて苦しい場面が多々ありました。その上「僕の気持ちをわかってくれよ!」と言わんばかりにミュージカルをしてくるのでうまく雰囲気が掴みづらい方もいるかもしれません。
前言撤回します。この作品クソつまんないです。全てが不快です。例えると胡椒が効いてない腐ったハンバーグを口いっぱいに放り込んだような気持ちです。ただでさえ賛否両論だった「弱い人間性を持ったジョーカー」と言う要素をあろうことかワーナーは猛プッシュしてしまい、誰も感情移入できないこんな駄作を作り上げてしまいました。私はただただ前作で描ききれなかったジョー力一の華麗なる大犯行をハーレと一緒にやってくれるかと思いましたが、ジョーカーがやったことといえば自分をバカにした奴(バカにしてなくても気に食わなかったら◯す)を妄想の中でぶっ◯したり、銃を模した手で他の囚人や監守を打つフリして気を晴らしたりとかでした。厨二病の中学生かよ!それでも有名なアメコミ悪役がすることなのかよ!クソが!
結局みんなジョーカーと言う現象が好きなだけでアーサーのことは誰も興味ないんだっていうことがこの映画も伝えたかったことみたいだったけど、それもう前作の時点で十分描けていることだからくどくてしんどかったよ!この映画のメインテーマにするほどじゃねーよ!てか、前作オマージュ多すぎだろ!新鮮味薄くなっちゃうじゃないか!新しいジョーカーが見たかったのになんで前使ったセットばかり登場させるんだ!てか、前作は楽しかったのにこの作品のアーサーのジョーカー見てて全然楽しくないよ!何で作ったんだよこの作品!お金儲けのためだけにゴミみたいに扱ったファンを欺くとどうなるか。今から教えてやる。報いを受けろこのクソ野郎。
レビュー見てから観て良かった
色々なレビューや考察を見てから映画を観に行きました。
私は楽しめました。
元々ミュージカルが大の苦手です。急に歌い出したり踊り出したりする主人公の感情に全く着いていけず自分だけ置いてけぼりくらった感じになるからなのですが、この映画は大丈夫でした。
逆に、ミュージカルにする事で登場人物のイカれ具合が絶妙に助長されて素晴らしい相乗効果になっていたとも思えました。
面白くない、と思う意見が分からないほど「アーサー」の全てを感じた映画でした。
考察を色々見てから観た為、少しでも「ジョーカー」を観たいという目線で観ていたら面白くないと感じたかもしれません。
悲しいシーンでは笑ってしまうところは前回観たアーサーそのままでとても切なかったです。
そして素直な感想なのですが、リーは好きなように精神科に入ったり出たりができ、さらには精神科の学位を持っているとの事でしたが、メイクも異常だし考え方もやばいし放火もするしで、リーも充分精神異常者。なので急に歌い出したり踊り出したりするのもアーサー同様全然違和感無く観ることが出来ました。
可哀そうなアーサー
低評価が多い理由もよくわかるが、個人的には好きだった。
前作は当然良作だったが、少し重く観ていて疲れる内容である。
しかし、今作はミュージカルパートが多くその分話が進まないので、内容的には薄いため観ていて疲れることはない。
「ジョーカー」という偶像で見られる精神疾患者が、自己とその偶像の乖離で苦しむ話だと理解した。
ハーレーにはアーサーという自己は全く愛されず、ジョーカーという偶像しか愛されない。
前作に引き続き可哀そうなアーサー。
裁判でアーサーはジョーカーの姿になるが、まったく持って空回り。共感羞恥のように観ていられない。
悪のカリスマであるはずのジョーカー像が崩れ去る瞬間である。
「DCコミックスのジョーカー」を観に行った人は後悔するだろうが、「トッド・フィリップスのジョーカー」を観に行った人なら、別にそんな悪い映画ではないだろうと思う。
とりあえず、ハーレーはエーリッヒ・フロムの「愛するということ」でも読めば良いと思った。
実際の殺人件数は果たして6人...なのか?
前作の補習かつ心酔者への説教という点に関しては、まさに旧エヴァ劇場版を思い出しましたね😅
ただ、どちらもそこに託けて前作への補完を仕込んでいるため、謎が解明してスッキリした快感✨はありました。
↓ネタバレ
【今作で判明したのは、前作から通じて、ほぼ全編アーサーの妄想だということです】
最期に口から流れた血は、明らかに冒頭の髭剃りミスによる乾きかけの血でした。
髭剃り後におばさん弁護士👩が唾を付けて拭き取ってくれましたが、そんなことをするはずもなく、これはアーサーの理想の甘ママ像を妄想している証です。
冒頭でTV📺に映っていた「ペペルピュー」が、最期直前のTV📺にも映っていました。
生中継中裁判所爆破💣→逃亡🏃という大騒動がありながら、最期直前では冒頭と同様に、囚人達がアーサーに無関心です。
つまり、冒頭の髭剃りと最期だけが現実で繋がっていて、後は全て妄想ということでしょう。
これで、前作で謎だった妄想⇔現実の境界は、母親殺し以外は全編妄想だったんだと、個人的に合点が行きました。
アーサーは大量殺人🔫を犯しておらず、世間でジョーカー騒動🤡も起きていなければ、そこから派生する色恋沙汰💘も裁判🔨も、全てが妄想です。
ミュージカル🎵シーンをベタな妄想ぽく見せているのは、その他を現実だと錯覚させるフェイクなのでしょう。
裁判では母親殺し以外を裁かれていましたが、これは逆に、現実では母親殺しのみの裁判が行われていると考えられます。
最後に母親殺しを暴露し、ジョーカーではないと吐露したのは、現実の裁判で母親殺しの責任能力を認めた反映なのでしょう。
げに哀しきは、あの真に迫る😢ゲイリーの証言も、実はアーサーの「本当の自分を見てくれているのは彼だけだ」と思い込みに過ぎないということです。
ところで、原作でハーレイクインはハービー・デント検事補=トゥーフェイスの娘を身籠ります。
爆破💣シーンでもきちっと、検事補の顔半分が焼け爛れていました。
今回リーが身籠ったのも、ジョーカーに会うためにデントを抱き込んだ結果の妊娠でしょう(という妄想でしょう)。
つまり、自分を見ていないと分かりつつも、ジョーカー🤡の仮面をして美女👩に筆おろししてもらったものの、そいつはライバルの子を孕んでいたという...まさにNTR妄想で捗っていたわけです(笑)
結局、アーサーを刺した🔪ヒース・レジャー似のニヤケ顔は2代目ということではなく、彼こそがオリジン🤡ジョーカーであり、アーサーはその快楽殺人の最初の被害者だったというオチになります。
前作でもわざわざブルース🦇とアーサー🤡の世代差を描いていましたから、端から「このジョーカー🤡は全て妄想であり、真のジョーカー🤡オリジンではない」という壮大なジョークだったということでしょうね...
尻すぼみ感が…
ジョーカーことアーサーが精神病院に隔離されたその後の物語。舞台が主に病院(監獄だと思った)と法廷なので、画面は地味で暗め。ミュージカル形式を取り入れたのは、そもそも娯楽映画としてのエンタメ性を高める狙いもあるのだろう。
使用される楽曲はほとんどがスタンダード調で、前作のようなロックテイストがなかったのは、個人的に残念。
ホアキン・フェニックスは、この前の「ボー」では小太りの中年おやじになりきっていたのに、今作ではまたしても肩甲骨を尖らせて、本当に体のことが心配になるくらい。レディ・ガガは、素顔だとあまりオーラを感じない。
展開としては、弁護士を解任してジョーカーの扮装で悪態をつくあたりから一気に振り切れるのかと期待したが、最終弁論で自分はジョーカーではないと吐露したり、リーとの別れ方もずいぶんあっさりしていて、尻すぼみ感がぬぐえなかったのが正直なところ。
ラスト、アーサーを刺した男、もしくは(本当かどうかわからないが)リーが身ごもった子供が、次のジョーカーになるというのもありかな。
そっちに行ったらあかん。がっかり。
監督さんが一作目と同じ方だったから、あの世界観をさらにエゲツなく展開いただけるものかと思い、楽しみにしていました。結果、私は完全に裏切られました。ミュージカル仕立てだから、とか、設定がとかではなくて、ジョーカーに一番向かってほしくなかった方向に印象としては結構あっさりと向かわれてしまったから。ここは男女の愛とか云々とか振り切って、どうせなら狂乱の愛憎物語に突っ走ってくれたら、さらに周囲をそのうねりに巻き込んで、ふっとばしてくれたらここまでの評価にはならなかったと思う。一緒に鑑賞した奥様には、私がレディーガガより失望してガッカリしているようだと指摘され、その通りだと思った。
混沌と絶望
「 ジョーカー 」( 2019 )の続編。
州立病院の患者として過ごすアーサーをホアキン・フェニックスが怪演。リバー・フェニックスの弟さんだとは … 。身に纏った悲壮感が半端ない。泣き笑いのように笑う姿が切なさを誘う。
アーサーと院内で出逢う女性リーをレディー・ガガが熱演 👄 レディー・ガガの圧倒的な歌唱力に魅了された。
ガラス越しにアーサーとリーが対面する映像が美しい。
ホアキン・フェニックスの怪演と、銀幕の歌姫レディー・ガガの熱演を是非スクリーンでご覧下さい。
映画館での鑑賞
我々の世界と極めて近い世界線のジョーカー
骨が浮き上がってみえるほどのガリガリの体、走り方を見れば一目瞭然で運動能力の低さがわかる主人公。少年らに暴行をうければ、なすすべなく固まるだけ。正直知能も高いとは言えない。ジョーカー1で彼が見せた残忍な殺人の数々は何の超人的なものでもなく、そんな彼でも実現可能な範疇で描かれていた。正直当時から少し違和感は感じていた。
そして先日ジョーカー2を鑑賞。刑務所に収監され、一度脱獄未遂は起こすものの今作では誰1人として人を殺めることはしなかった主人公(妄想の中ではたくさん殺したが)。当たり前といえば当たり前だが、うちに秘めた凶暴性はあるとはいえ虚弱で前作とは違い武器を所持していない彼が警備や監視も厳しい刑務所や裁判所で何か犯行を起こすことは不可能だし、せざるを得ない状況も強烈な動機もなかった。
これは私の独断だがこの物語はバットマンの物語と同姓同名のキャラクターは登場するものの、その世界とは違う、極めて私達の住む世界に極めて近い世界線のパラレルワールドなんじゃないかと思う。
主人公が以前の人生でいくら渇望しても手に入れられなかったもの。それが暴力によって予期せず手に入れることができた。気分もよかった。世間から浴びせられる無責任な甘い言葉。しかし最後に彼の心の奥底に届いたのは元同僚の一言だったんじゃないかと思う。
宣伝ポスターで階段でハーレークイーンと嬉々として踊るジョーカー。そちらの結末を選ぶこともできた。しかし彼は最後に世の中から求められたジョーカーではなく、何もいいことがなかった以前の自分であること選んだ。アーサーは誰よりも優しいただの人間だった。
ちなみに今作ではミュージカルシーンが多かったが夢想癖のあるアーサーの強烈な恋心をあらわすのにピッタリの演出だと思いました。
ミュージカル映画だけじゃなかった!
アーサーの人生をミュージカル映画にしなかったらきっと映画館出る頃はメンタル急降下でした…虐げられ続けた先にジョーカーが生まれ、愛を知る喜びも束の間だけなんて哀し過ぎるorz アーサーの裁判の判決に集中していたのでゴッサムシティーでの出来事だったのを思い出した衝撃!!
クリストファーノーラン監督のあのジョーカーに続く為のラストとは…ホアキンは怪優だわ、本当に凄い‼︎監督も尊敬‼︎
アーサーの悲しくせつない物語
自分はミュージカルが大好きなので楽しめました
冒頭でシェルブールの雨傘のオマージュがあり
ワクワクしました
でもミュージカルが苦手な方には酷な作品ですね
急に歌い出すことに違和感を感じられる方もいらっしゃると思います
しかも恋愛要素が強いのもどうでしょうか
自分はとても嬉しかったのですが
ホアキン版ジョーカーは自分的には感情移入しやすくて好きです
ゲイリーの登場も良かったです
悪のカリスマジョーカーを期待していた方には
肩すかし的でかなり残念な作品なのでしょうね
ラストシーンはやばかったです
せつないな
全てが妄想だったのかな
煙草の煙の美しさ
※前作を観る前に
先にフォリアドゥを観ました。
今年観た映画の中で一番考えさせられる点の多い映画だった。
ミュージカルシーンはアーサーの本心が見えるシーンで良かったと思う。
また作中に出てくる煙草の煙が美しく印象に残った。
観る人によって感想はかなり変わる映画だろう。
恐らく自己肯定感が高い人には響かない映画なのでは。
刑務所、裁判などのシーンの連続のため
全体的にトーンは暗いが、
一つ一つで面白くないシーンはなかった。
だが何よりもラストシーンが辛い。
評決後の爆破で思いがけない展開となった所から
リーとの別れは哀しいものの納得できたのに、
あのラストシーンで一気に気持ちが落ち込んでしまった。
「ジョーカー」としてでしか他人に認められず、
幼少期から辛い思いをしてきたアーサーへの救いが
結局なかったため、とても後味が悪く感じてしまった。
殺人は許されることではないものの、
ありのままのアーサーを受け入れてくれる人が見つかって欲しかった。
アーサーはジョーカーとなる事で
抑圧されていた気持ちが解放されるが、
アーサーの場合のメイクのような「何か」が
自分だけの武器となるような気持ちはよく分かる気がする。
自分も(知らぬ間に)他人を見下しているかもしれない。
そういう歪みがジョーカーを生み出し、
そして他者に神格化されてしまった。
ありのままの自分を分かってもらえなかったアーサーの辛さが心に刺さる映画だった。
全289件中、41~60件目を表示