ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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アーサーかジョーカーか。そして歴代ジョーカーへの敬意が溢れてる気がします。
映画『ジョーカー〜フォリ・ア・ドゥ〜』
評価が賛否両論??そんなバカな!
全米で酷評??どういう事??
気になる、気になる!!
で、観に行っちゃいました。
行ってよかった!確かに賛否分かれそうだ。でも
私個人的には好きです。
前作ジョーカーもダークナイトも、また観たくなりました。
(以下ネタバレとダラダラ感想書いてます)
◆<ネタバレ含みます>◆
前作好評だった『ジョーカー』の続編です。
前作ラストは、「ジョーカー爆誕??」てところで終わってます。
そして今作。なるほどねぇ〜。そうきたか。
酷評の理由は2つかな。
▪️続編にジョーカー誕生を期待していたか、アーサーの物語を期待していたか?
ジョーカー誕生物語を期待していくと期待ハズレかも。
でも私もジョーカー誕生物語を期待していた一人でしたが、観ていくうちにアーサーの物語として納得していきました。この結末しかないように思うし、今までのジョーカーに対しての監督の敬意の表れな気がします。
▪️ミュージカル挿入を受け入れられるか?
ジョーカーファンとミュージカル。
相当相性悪そう。でもこれはマーベル作品ではないし、アーサーの物語だからアリだと思う。アーサーの頭の中をリアルと同時に表現するにはこれがベターなんじゃないかと思うなぁ。ミュージカルでなければ辛すぎるし、余計にわけわからなくなっていた気もする。
アーサーはジョーカーではない、という結論がとてもわかりやすいし、一番良い結論だなぁと感じました。トッド・フィリップス監督すごい!レディー・ガガの使い方も上手い!
マーベル映画ではジョーカーの彼女(ハーレー・クイン)を思わせるリー役で登場するレディー・ガガ。実在しているのかアーサーの妄想なのかと思わせる演技と圧巻のパフォーマンス姿が最高でした。
そしてアーサーを演じたホアキン・フェニックス!
色気がすごい!
感情を押し殺した演技がすごい!
ジョーカー演じている豹変ぶりがすごい!
とにかくすごい!大好きです。
「ジョーカー爆誕」を匂わせる前作ラストだったので、かっこいいジョーカーが観れると期待していましたが、監督の「いやいや、アーサーはジョーカーじゃないでしょ」というメッセージに共感してます。ジョーカーを期待する事は劇中登場するジョーカー狂信者となんら変わらないような気もするし。リーやジョーカー狂信者に担がれ利用されようとするアーサーに「君は違うよ!いい奴じゃん!」ってアーサーに肩入れしながら観てました。
アーサーはジョーカーになれなかった。いや、ならなくてよかったと思う。本物のジョーカーは人間の心なんて持ち合わせていないもっと悪い奴なんだと思う。
前作ジョーカー観た時に、「ジョーカー爆誕はかっこよかったけど、トラウマ抱えているアーサーはジョーカーじゃない気がするんだよなぁ」って思っていたのですっきりしました😊
レディー・ガガである理由がよくわかるミュージカル仕立て
基本的に2シチュエーションで、刑務所と法廷を行き来する展開です。
冒頭、刑務所でのアーサーの体を見た時に、その異形さにギョッとしましたが
ホアキン・フェニックスの役づくりに圧倒されました。
割りかし早い段階でレディー・ガガ演じるリーと出会い、相思相愛になっていくのですが
ラストでリーが愛していたのはジョーカーとの2面性を持っているアーサーであり、
アーサーがそれを捨てた時点でリーとの関係性が終わったことは、なんとも切ない感じでした。
アーサーよりもジョーカーへ憧れていたのでしょうね。
それはジョーカーへの憧憬のある囚人にも同じことが言え、結末はなんとも寂しいものがありました。
クレイジーなジョーカーが恐ろしい反面、アーサーは実に純粋な人間だったのではないかと思いますし、
そのアーサーが結局は報われないことに、何とも言えない悲しみを感じましたね。
そこが描きたいがためにつくった本作ではないかと思います。
したがい、1作目とはかなり趣が違うことから、賛否分かれても当然かなと感じますね。
宇野惟政さんのMovie Driverによると、レディー・ガガは、あえて下手な歌い方をしているそうです。
なるほど、聴いてみて納得・・というか、歌い上げる歌唱法はとっていないですね。
ソロで歌うときは本気で歌っているなと感じる場面はありましたけれど。
ただ、この役を演じられるのはレディー・ガガがベストだと思いました。素晴らしかったです。
というわけで、私はこのつくりあがりには満足ですし、面白く鑑賞することができました。
機会があれば1作目と続けて観るとより味わい深いように思います。
想像していた物語ではなかったが・・・
フォリ・ア・ドゥの意味を知ってから鑑賞しても良かったかも。
前作で誕生したジョーカーが人々を恐怖の世界に引きずり込むような内容と思っていた。
実際にはアーサーが生み出した「ジョーカー」という妄想に社会に不満を持つ民衆が感染していく。
もっともジョーカーを崇拝するのがリー(レディー・ガガ)である。
アーサーとジョーカーが対峙し、新たなクラウンのリーがジョーカーを煽る構図。
派手なアクションがあるのかと思っていたけれど、物語は地味に暗く進んでいく。
まぁ、想像していたシナリオではなかったので、落胆し評価が低くなるのもわかる。
地味だし、暗いし・・・
冒頭のアニメーションが全てで、これを丁寧にアーサーの心情とともに描いていく。
ジョーカが登場しての裁判所でのシーンが切ない。
ここにアーサーの心情が全て現れているのではないこと思う。
もうホントに可愛そう。精神を削られた。
ジョーカーは何か?ということを描きたかったのかということでは私は好きな映画。
最後に
前作でアーサーとブルース・ウェインの年齢差が気になっていた。
バットマン登場時にジョーカーはおじいちゃんになってない?
これが解決されたことにすっきりした。
舞台も主役たちも整っている、あとは緊張感と脇役たち
序盤のアーサーの表情と、背中、所作を観て、「あっ、これは好きな映画かも」と感じ、
さらにリーの目をみて確信めいたものにかわる。
賛否両論と言われていたが、
刑務所と裁判所のシーンだけでも構わない、
ミュージカルであっても気にならない、そこはマイナス要素にならない。
でも...好きな映画かもと思わせておいて少々、裏切られた
なぜかと、帰り道に考えて、なかなか答えが見つからなかったけど、
自分から見て足りなかったものを見つけた。
1つ目は緊張感。
最初にアーサーを観ていたときの緊張感がなくなり、
何が起きても、妄想の範囲。現実世界でもアーサーの行動に特段、ドキドキするようなことは無い。だんだんあくびが出てくる。
2つ目は脇役たち。
検事も、弁護士も、囚人たちも何か記号のよう。キャラクターが立っておらず
いてもいなくてもいい感じ。
思わせぶりのようで、何も起きず。最後の出来事もとってつけたよう。
1~2人の証人が多少は存在感を示していたけど。
んー、舞台もホアキンもガガも音楽も空気感も好きだったんだけどね...
現実はこんなもんだ!(苦笑)
米国で、酷評全開で興行成績も悪いとネットで騒がれ、逆に興味惹かれ鑑賞。
感想・・・全然悪く無いんですが。(笑)寧ろ正統続編の良作では?
まず個人的に1作目と観た感想と評価が、ほぼ一緒です。「バットマンのジョーカー」では無いんですよ。
1作目を観た感想が、「障害持った社会の底辺のオッサンが、ブチギレて馬鹿にしたヤツブッ殺す話です。(笑)」
2作目が、「悪のカリスマ演じてたけど、スンマセンでした、罪認めます。で、信者に殺される話です。(笑)」
米国で、評価悪いのは、「さあ、ジョーカーの活躍が観れるぜ。」と思ってた所に、活躍なく罪認めて、しかもアッサリ殺されたからでは?
この監督は、(トッド・フィリップス監督)は、実にしっかりと「ジョーカー」ではなく、アーサーと言う冴えない男の結末を描いていると思います。周り(囚人達)に崇えられ、カリスマにしようとする民衆やマスコミに振り回される(女も出来たし(笑))しかし、かつての同僚の言葉で、正気に戻り罪を認めたら、周りが勝手に白けて(女も去り)収容所で刺される。
裁判所での言葉「誰も俺を見ていない、見ているのはジョーカーだ!」だったかな?
あの言葉が全てで、社会の歪さ(ハーレー・クインの身勝手さ(笑))をしっかりと描いているかと。
自分で言葉にしているのにジョーカーを演じてしまうアーサーの脆弱さ?とか。
とは言え、「う〜む」と思う所も。
まず話が、進んでないんですよ。1作目の犯罪の裁判がメイン、なので収容所と裁判所を行ったり来たり、そこに妄想ミュージカル挟むから、ややこしくやり、しっかり観ていないと分からなくなります。で、そこにしっかり上映時間全部使うから、少し冗長に感じるかも?
要は人物を描く事に注力しているので、(しかも冴えないオッサンの人物像に(笑))話の展開が無いのです、しかし、そこはハーレー出したりして(若干くどいが。)上手く纏めているので個人的には、問題なかったです。
とまあ、色々書いてますが、個人的には、先に書いた通り、質の高い続編だとは思うんですが、な~んで評判悪いのかな?活躍しないから?
ジョーカーと言うキャラクターからすれば、確かに全否定している作品だとは思いますが、周りが勝手に作り上げた虚像に付き合わされた哀れな男、アーサーと言う人物の物語ならば、見事な着地点かと。(救いは無い話ですが。)
ただただ退屈な二時間半
前作視聴済み。
そもそもあの名作の続編は蛇足にしかならないのでは?
と思ったら蛇足になった、そんななんとも言えない作品。
前作はストレスを受けていつ爆発するか分からないアーサーが
作品に緊張感をもたらしてくれて最初から最後まで飽きずに見られた。
しかし、今回そういうギミックはなくひたすら単調な、
「アーサーが刑務所に入って裁判やるならまあこうなるだろうね」
という予定調和のストーリーが冗長に展開されて時折低クオリティのミュージカルが差し挟まれる。
前作はアーサーが自己の気持ちを表に出さない為
感情を推し量るのが楽しい作品でもあったのだが今回はかなり分かりやすい為そういうのもない。
よくジョーカーを期待するとガッカリかも知れないと言われるが、
ジョーカーなど微塵も期待せずアーサーの物語を期待した自分でも
退屈で仕方ない辛いと思ったのでこれは相当なものだと思う。
退屈なストーリーはわざとしているような節もあるしそこに込められた意図もうっすら読み取れなくもないが
そんなことをやってなんになる。
つまらないものをつまらなく描いたらつまらないものになった。
というだけの駄作ができあがっただけだ。
何よりも二時間半の映画が最初の冒頭アニメ5分でほぼ要約されている徒労感!
不満点は二つ。
・アーサーにジョーカーやらせたらこうなるよねという意外性のない話
(衝撃のラストと言われるが前作公開時に今後の予想でよく言われた定番のひとつである)
・それらをただダラダラと単調かつ冗長に描いている
ジョーカーという神格化された存在に振り回される社会やアーサー、
というテーマは面白そうなだけに非常に残念だった。
とりあえず前作の虚実入り交じってるが故に色々と考察・妄想したくなる作品の
虚実のメッキを全て剥がして丸裸にするというマイナスを越えてまでやるべき話だったかというとはなはだ疑問
名作すぎる前作からの続編という高すぎるハードルを越えられるか? と思ったら無理でした。そんな映画である。
・・口汚いことを言えば、高尚な映画で、意図が、意味が、メッセージがと考えたくなるが
正直そういう「あの前作の監督ならすごいものを作るんじゃ?」という期待感を抜きにして素直に映画だけを見た感覚を思い返して考えると
もうあんまりやる話なんてない中無理やり二作目をでっち上げることになって
少ないやるべき話をミュージカルとかで水増ししたスカスカの作品でしかないんじゃないの?
という思いがぬぐえない。つまりそれくらい話が何も動かない作品である、ということである。
あとよく前作のヒットでジョーカーに憧れるジョーカー予備軍を産んでしまったので
彼らに対するアンサー作品、ジョーカーになどなっても不幸になるぞと言ってる作品である、
という話がされるがそんなメッセージは込められてないと思う。
それならアーサーを殺したジョーカー予備軍が真のジョーカーになっちゃいけないし、
作中のジョーカー予備軍が裁判所爆破とかやりたい放題で報いを受けるシーンがないのも駄目だし、
何よりジョーカーになれ(るなら)ば幸せになれる、なんてジョーカーを肯定する話は絶対してはいけない。
むしろ不幸な生い立ちでも健気に生きる前作前半のアーサーを肯定したり応援すべきなのにそんな話は一切ない。
「熱狂して偶像を作り上げて実態を無視する無責任な大衆よくない」という
前作のヒットを受けてのことかシンプルな注意は受け取れるのでそういう話ではないかな。
後は前作で虚実入り交じるアーサーを丸裸にすることそのものが目的なのかなとも。
ただし終盤の旧友ゲイリーとの会話、
ジョーカーを捨てたただのアーサーが僕を見て欲しいという切なる吐露、
この辺りはジョーカー映画ではなくアーサー映画として楽しかった。
こういうシーンがもっとあれば……。素直にエンタメして欲しかったなと思わずにいられない。
映画史に残る作品。
ホアキン・フェニックスとレディ・ガガの演技が圧巻❗️
ジョーカーに続いて今回もアメコミのバッドマンのジョーカーのイメージをなくして観た。
ストーリーはラストに関しては突っ込みを入れたいが、ストーリー以上に上回ったのがホアキン・フェニックスとレディ・ガガの演技だった。圧巻だし素晴らしかった。
ジョーカー役のホアキン・フェニックスの役作りが素晴らしかった。
賛否が日本でも見事に分かれた作品だが、私は賛をとる。
ジョーカーもそうだが、今回の作品もアメコミのバッドマンのジョーカーのイメージを捨てて観るとむしろいいのかもしれない。
違うよなー
裁判ばかり
前作と比較するとテーマがよく分からない
一作目は傑作だが、続編の出来が微妙な映画やドラマって多いが、今作もそういった映画だった。
前作は社会的弱者が殺人を契機にダークサイドに堕ちていき、悪のカリスマへと変貌するテーマでよくまとまっていた。今作はというと、レディー・ガガ演じるリーとの出会いがストーリーの肝になるが、それを通じて何を描きたいのかよく分からなかった。監督としては、孤独な人生を送ってきたアーサーに対して真に理解を示し、寄り添ってくれたリーとの恋愛を通じて、初めて彼の中に芽生えた希望を描きたかったのかもしれない。しかし、サイコパス同士の歪んだ恋愛関係以上のものを感じず、そもそも彼女を出す必要があったのかさえ疑問に思ってしまった。途中でしばしば出てくるアーサーとリーのミュージカルも、それ単体で見れば魅力的なものの、必要性に関しては疑問だった。
他にも気になる点があった。まず、アーサーがジョーカーのメイクをして出廷するところ。ジョーカーの姿が、失うものが無い人間たちのシンボルとなり、大勢の暴徒を生み出すことにつながっているのに、そのメイクでなぜ出廷を許されるのが疑問だった。しかも裁判というよりは、ただのジョーカーのパフォーマンスの場になっている。また、普通の裁判よりも多分警備が強化されているはずなのに、裁判所の爆破を成功させられる点も、リアリティを感じなかった。以上の点から、前作と比較して大きく劣る内容に感じられた。
ただ、刑務所の退廃的な雰囲気や音楽など、演出面に関しては前作同様に良かったので☆+0.5。
観たかったのはこれじゃないガッカリ感
裁判とミュージカルが大半を占める2時間18分。ジョーカーのさらなる暴走を期待して劇場に足を運んだので、盛大な肩透かしにがっかりした。
マッドマッククスフュリオサが全編クライマックスで期待以上の興奮をもたらしてくれたのと、つい比べてしまう。
ジョーカーは精神異常なのか正常なのか? この評価で量刑が大きく変わる。本作の主軸はここ。ただ、裁判だけで一本の映画はもたないから、ジョーカーとレディーガガの妄想ミュージカルで隙間を埋めたように感じた。
そして結論は、ジョーカーは悪のカリスマじゃなくて、どこにでもいる小心なおやじだった。失望したハーレクイン(レディーガガ)に愛想を尽かされ、ジョーカーに憧れていた受刑者から滅多刺しにされて死んでしまう。
クライマックスの前に、とってつけたような裁判所爆破シーンがあるが、そこに至る伏線もなく唐突すぎるし、結局、ジョーカーは再び捕まり収監される。
現実はそうだとしても、エンタメを期待して見に来た客に「妄想はやめて現実に目を向けろ」と言わんばかりの展開に唖然とした。
考察好きな映画ファンにはしばらく味がする作品だろうけど、単にエンタメを楽しみたい僕のような客層には不向き。
ただし、ジョーカーの続編じゃなくて、いち連続猟奇殺人鬼の妄想と現実という映画だとしたら、それなりに楽しめたと思う。
ガガファン、バットマンシリーズファンは嬉しいけどなんだか単調
ガガの歌&ダンスシーンがてんこ盛りで、体感としては半分くらいガガのミュージックビデオ。
当たり前だけどかっこいい。
その分、話のテンポが悪いので星3。
バットマンシリーズをよく見る人なら、デントとかアーカムの解像度が高くて嬉しいかも。
裁判所爆破されてデントの顔がデントになったとき(笑)
笑ってしまった。
アーサーを見ながら、ものすごく"ジョーカー顔"で笑みを浮かべてた囚人が
ラストシーンで、口裂いてジョーカーになったときも「やっぱそうだよな」とニヤついてしまった。
ここがみんながよく知る大胆不敵でイカれた"ジョーカー"の誕生だと考察。
だれも哀れで弱くて障害を持ったアーサーを愛してくれない。母からさえも「変わった子」と言われていた。
みんなが好きなのは、弱い者が狂いきって怒りを爆発させた"ジョーカー"。
腐りきったゴッサム・シティの代弁者といったところだろう。
まぁー話の内容はよかったけど、ミュージカル部分ちょっと多すぎてくどかったなぁ。
あのエンディングはないよねぇ・・
「外」から「内」へ。ジョーカーからアーサーへ。
前作はジョーカーが外(社会)に向かって、今作はアーサーが内(自分の心)に向かっていると感じ、これは対として2作ペアで完結する物語だと思いました。
前作でヒーローに祭り上げられたジョーカー=アーサーが、今作ではジョーカ=アーサーではないただの孤独な男のリアルが描かれています。
この作品が上映された時に、映画と同様にジョーカーをカリスマ視するような現象が若者の間にあったとアメリカのニュースで見聞きしたことがありました。
これを受けたのかどうかわかりませんが、監督は大量殺人を犯した人への業といいますか、現実を描ききる必要性を感じたのではないでしょうか。ただそれを表現するには直接的ではなく、できるだけ観客に受け入れやすい形で届けたい。
それがミュージカルというフレーム、それを体現できるのはレディガガ演じるリーの存在が必要だった。もちろん、歌唱力という点においても。
賛否両論あるみたいですが、私はこの手法に好意的です。なぜならアーサーの孤独な独白が続けば、またカリスマ化されてしまう恐れがあるためです。彼のカリスマ性が歌で中和されてました。
印象に残ったシーン。
裁判所で証人を演じたゲイリーが「自分に唯一優しくしてくれたのはアーサーだけだった」と発言し、(恐らく妄想シーン)ジョーカーの鎧を被ったアーサーが表情を思わず崩す場面がありました。
彼が孤独じゃないことに気づいた瞬間でした。
時すでに遅し、ですが。
ハーレイ・クインの必要性...
ハーレイ・クインの必要性があるか?と思いました。
前作でアーサーがジョーカーになって行くさまを描き、今作でジョーカーがアーサーに戻っていくさまを描いていますが
ハーレイに関しては、ハーレイ・クインというよりただのジョーカーのファンに見えました。
予告でカッコよく踊っているシーンも
ほとんど回想シーンで、かっこよく歩いてるシーンもただアーサーの裁判の傍聴に向かっているだけでした。
予告編が全てではないとは思いますが
予告とあまりに違う作品でした。
前作の哀愁漂う世界観と
爆破シーンなどあるアクション要素と
少し混同しているのも気になりました。
伝えたい事が分からない訳ではないのだが
少し色々取り込みすぎて情報量が多く、
纏まりが少なく感じました。
前作の続きですが
全く別の作品も分けて考えられる人、
初めて見る人は面白い作品かもしれません。
DCU版『ジキル&ハイド』?
感想を書こうかどうか迷う作品でした。という言い方をするとつまらなかったのかと誤解されそうですが、非常に興味深く鑑賞させて貰いました。
冒頭から何故こんな書き出しをするのかというと、個人的に前作『ジョーカー』には続編は要らないと思っていたのと、事前に本国公開で酷評の嵐だったという噂を聞いていたからというのも少しあります。
更に今回は少し変則的な見方をして本作を鑑賞した後に無性に『ジョーカー』を見返したくなり、家に帰って直ぐに(公開時から)2度目の鑑賞してしまい、あらためて『ジョーカー』の凄さに圧倒されてしまったので、見たばかりの本作『フォリ・ア・ドゥ』が既に少し霞んでしまいました。
だからと言って、本作が酷評の嵐になる程の出来の悪い作品では決してなく、単純に個人的期待値と違ったという(アメリカ人の)短絡思考ファンの多さを表しているだけの現象だと思えました。
だから酷評の嵐という噂を聞いても全く信用していなかったし、むしろ私は続編は要らないと思っていた作品がどのように料理されたのかの興味の方が強かったですね。しかし、酷評した人達は続編にどの様な作品を期待していたのかが逆に気になりましたよ。
『ジョーカー』の凄さって「アメコミのキャラを使って、それをリアル世界に当てはめたらどのような人間ドラマが生まれるか?」の一種の変則的な実験的作品であり、それは通常のアメコミ映画のエンタメ要素を排除し、人間ドラマに徹することでこの様な変種の傑作が生まれた凄さでしょ。
なので当然続編もそうあらねばならない訳で、だから個人的には続編は要らないと思っていたのですよ。で、本作を見て同じ監督やスタッフなので当然前作のリアルテイストを守った流れなのだから、必然的にこうなるよなという作品に仕上がっていましたよ。
上記と重なりますが、逆に酷評をした人は本作をどのような作品にして欲しかったのか?それが知りたいです。
私の鑑賞後の個人的な意見としては、『ジョーカー』の続編としては別になくても良かったけど、作るとしたらこのやり方がベストだと思うし、ヘンに方向転換しなくてホッとしました。
ただ、本作のタイトルは『ジョーカー』ではなく『アーサー』にして欲しかったですね。この映画は2作でジョーカーとアーサーの両方の物語を完成したかったような気がします。
言わばDCU版『ジキル&ハイド』として、人間の二面性を同等(同量)に描きたかったのかも知れませんね。
追記.
冒頭のアーサーの瘦せ過ぎた半裸の上半身の後ろ姿が本物なのかCGなのかが凄く気になってしまった。特に(確か左側?)の肩甲骨が気持ち悪いくらいの出方になっていた。
『ジョーカー』の時よりも痩せていたが、帰ってから『ジョーカー』を見直すと同じように左肩甲骨が飛び出ていた。
CGでなく本当に痩せてそうなっているのなら、ホアキン自身の身体の歪みという事になり、あれは整骨院に行って治療しないといけないレベルの身体の歪みだと思える。
あれがCGで演出ならば、ジョーカーとアーサーのバランスの悪さを身体でも表していたのかな?
何か期待してたのとは違う@@賛否吹き荒れる法廷ミュージカル
ホアキンが凄すぎた前作は世界に衝撃!
アメコミ史上初〜アカデミー賞主演男優賞受賞作品の続編
アーサーとジョーカーは別人格なのかが焦点
オープニングのアニメーションで今回は何か違う雰囲気
前作の答え合わせをしながらの現実と妄想入り乱れての法廷ミュージカル
これは賛否も致し方ないですが・・・何か期待してたのとは違う@@
ガガさんの歌唱力
とダークでミステリアスなハーレイは、別のスピンオフもありかも!?
しかし今回もホアキンさんは、☆5つの役作りと演技継続〜素晴らしい!!
ただ私的には、アメコミ題材だけに台詞なくてもいいので・・・
過去にブルースとゴードンを演じた役者さんの誰かが、法廷か群衆の中にいて欲しかったです!
そやしていいやら、そしっていいやら
タイトルの「Folie à Deux(フォリ・ア・ドゥ)」は
単純に訳せば「二人狂い」だが、
「感応精神病。精神障害の妄想性障害の一つ」とも書かれている。
五人を殺害(実際は自身の母親を含め六人)し
精神病棟の監獄刑務所に収監された『アーサー(ホアキン・フェニックス)』。
裁判を待つ身も、その体は骨が浮き出るほどに瘦せ細り、
周囲への反応も鈍く、生ける屍のよう。
しかし囚人たちの中には、『ジョーカー』を熱狂的に支持する者は居る。
また、世評も、彼の行為は幼い頃の虐待が影響している、と
同情的に見る向きもある。
『リー・クイン(レディー・ガガ)』は『ジョーカー』の強烈な崇拝者。
策を弄し、彼に会ったことで、二人の間に恋愛感情は芽生え
『アーサー』は生気を取り戻す。
妄想ではない、生身の女性との初めてのふれ合い。
彼女は彼を自身が望む形の『ジョーカー』として蘇生しようとし、
また『アーサー』もそれに応える。
法廷での場面は象徴的。再びピエロのメイクをして現れた『アーサー』は
うってかわって傲岸不遜に。
傍聴席の『リー』もそれを見てほくそ笑む。
相互依存の関係は次第にエスカレーション。
二人だけの世界に酔いしれる。
これがタイトルの指し示すところだろう。
しかし裁判が進み、多くの証人の声を聴くに連れ、
彼の心は揺らぎ出し、『ジョーカー』の仮面は剝がれて行く。
それを目の当たりにした彼女は『アーサー』を拒み、
悲しい結末へと繋がる。
前作は、主人公の造形を含め〔キング・オブ・コメディ (1982年)〕をなぞるように描かれた。
ただ最後に、「スタンダップコメディアン」としての名声が、
『ジョーカー』として名を馳せることにすり替わる。
当初は誇大妄想狂だった『ルパート(ロバート・デ・ニーロ)』が
「キング・オブ・コメディ」の名声を得(妄想かもしれぬが)、
こちらの世界では大物芸人の『マレー』として殺害されるのは寓意に満ちている。
『マレー』の決め台詞「That's life!」が、
本作では「That's Entertainment!」に置き換わる。
劇中に流れる〔バンド・ワゴン(1953年)〕で使われた一曲も、
この歌詞が本作の至る所に偏在する。
賛否両論の評価になりそうも、
劇中の裁判に対する両極の世評が
まさに現実世界でも体現されるよう。
「ミュージカルなど観たくは無かった」との声も上がるだろうが、
本作は{ミュージカル}には非ず。
それらの場面は全て二人の、とりわけ『リー』の妄想であり、
やはりタイトルに帰結する。
ラストシーンに集約される
全ての夢が破れた悲しい男のドラマが実態なのだ。
全749件中、501~520件目を表示