ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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ガガファン、バットマンシリーズファンは嬉しいけどなんだか単調
ガガの歌&ダンスシーンがてんこ盛りで、体感としては半分くらいガガのミュージックビデオ。
当たり前だけどかっこいい。
その分、話のテンポが悪いので星3。
バットマンシリーズをよく見る人なら、デントとかアーカムの解像度が高くて嬉しいかも。
裁判所爆破されてデントの顔がデントになったとき(笑)
笑ってしまった。
アーサーを見ながら、ものすごく"ジョーカー顔"で笑みを浮かべてた囚人が
ラストシーンで、口裂いてジョーカーになったときも「やっぱそうだよな」とニヤついてしまった。
ここがみんながよく知る大胆不敵でイカれた"ジョーカー"の誕生だと考察。
だれも哀れで弱くて障害を持ったアーサーを愛してくれない。母からさえも「変わった子」と言われていた。
みんなが好きなのは、弱い者が狂いきって怒りを爆発させた"ジョーカー"。
腐りきったゴッサム・シティの代弁者といったところだろう。
まぁー話の内容はよかったけど、ミュージカル部分ちょっと多すぎてくどかったなぁ。
あのエンディングはないよねぇ・・
「外」から「内」へ。ジョーカーからアーサーへ。
前作はジョーカーが外(社会)に向かって、今作はアーサーが内(自分の心)に向かっていると感じ、これは対として2作ペアで完結する物語だと思いました。
前作でヒーローに祭り上げられたジョーカー=アーサーが、今作ではジョーカ=アーサーではないただの孤独な男のリアルが描かれています。
この作品が上映された時に、映画と同様にジョーカーをカリスマ視するような現象が若者の間にあったとアメリカのニュースで見聞きしたことがありました。
これを受けたのかどうかわかりませんが、監督は大量殺人を犯した人への業といいますか、現実を描ききる必要性を感じたのではないでしょうか。ただそれを表現するには直接的ではなく、できるだけ観客に受け入れやすい形で届けたい。
それがミュージカルというフレーム、それを体現できるのはレディガガ演じるリーの存在が必要だった。もちろん、歌唱力という点においても。
賛否両論あるみたいですが、私はこの手法に好意的です。なぜならアーサーの孤独な独白が続けば、またカリスマ化されてしまう恐れがあるためです。彼のカリスマ性が歌で中和されてました。
印象に残ったシーン。
裁判所で証人を演じたゲイリーが「自分に唯一優しくしてくれたのはアーサーだけだった」と発言し、(恐らく妄想シーン)ジョーカーの鎧を被ったアーサーが表情を思わず崩す場面がありました。
彼が孤独じゃないことに気づいた瞬間でした。
時すでに遅し、ですが。
ハーレイ・クインの必要性...
ハーレイ・クインの必要性があるか?と思いました。
前作でアーサーがジョーカーになって行くさまを描き、今作でジョーカーがアーサーに戻っていくさまを描いていますが
ハーレイに関しては、ハーレイ・クインというよりただのジョーカーのファンに見えました。
予告でカッコよく踊っているシーンも
ほとんど回想シーンで、かっこよく歩いてるシーンもただアーサーの裁判の傍聴に向かっているだけでした。
予告編が全てではないとは思いますが
予告とあまりに違う作品でした。
前作の哀愁漂う世界観と
爆破シーンなどあるアクション要素と
少し混同しているのも気になりました。
伝えたい事が分からない訳ではないのだが
少し色々取り込みすぎて情報量が多く、
纏まりが少なく感じました。
前作の続きですが
全く別の作品も分けて考えられる人、
初めて見る人は面白い作品かもしれません。
DCU版『ジキル&ハイド』?
感想を書こうかどうか迷う作品でした。という言い方をするとつまらなかったのかと誤解されそうですが、非常に興味深く鑑賞させて貰いました。
冒頭から何故こんな書き出しをするのかというと、個人的に前作『ジョーカー』には続編は要らないと思っていたのと、事前に本国公開で酷評の嵐だったという噂を聞いていたからというのも少しあります。
更に今回は少し変則的な見方をして本作を鑑賞した後に無性に『ジョーカー』を見返したくなり、家に帰って直ぐに(公開時から)2度目の鑑賞してしまい、あらためて『ジョーカー』の凄さに圧倒されてしまったので、見たばかりの本作『フォリ・ア・ドゥ』が既に少し霞んでしまいました。
だからと言って、本作が酷評の嵐になる程の出来の悪い作品では決してなく、単純に個人的期待値と違ったという(アメリカ人の)短絡思考ファンの多さを表しているだけの現象だと思えました。
だから酷評の嵐という噂を聞いても全く信用していなかったし、むしろ私は続編は要らないと思っていた作品がどのように料理されたのかの興味の方が強かったですね。しかし、酷評した人達は続編にどの様な作品を期待していたのかが逆に気になりましたよ。
『ジョーカー』の凄さって「アメコミのキャラを使って、それをリアル世界に当てはめたらどのような人間ドラマが生まれるか?」の一種の変則的な実験的作品であり、それは通常のアメコミ映画のエンタメ要素を排除し、人間ドラマに徹することでこの様な変種の傑作が生まれた凄さでしょ。
なので当然続編もそうあらねばならない訳で、だから個人的には続編は要らないと思っていたのですよ。で、本作を見て同じ監督やスタッフなので当然前作のリアルテイストを守った流れなのだから、必然的にこうなるよなという作品に仕上がっていましたよ。
上記と重なりますが、逆に酷評をした人は本作をどのような作品にして欲しかったのか?それが知りたいです。
私の鑑賞後の個人的な意見としては、『ジョーカー』の続編としては別になくても良かったけど、作るとしたらこのやり方がベストだと思うし、ヘンに方向転換しなくてホッとしました。
ただ、本作のタイトルは『ジョーカー』ではなく『アーサー』にして欲しかったですね。この映画は2作でジョーカーとアーサーの両方の物語を完成したかったような気がします。
言わばDCU版『ジキル&ハイド』として、人間の二面性を同等(同量)に描きたかったのかも知れませんね。
追記.
冒頭のアーサーの瘦せ過ぎた半裸の上半身の後ろ姿が本物なのかCGなのかが凄く気になってしまった。特に(確か左側?)の肩甲骨が気持ち悪いくらいの出方になっていた。
『ジョーカー』の時よりも痩せていたが、帰ってから『ジョーカー』を見直すと同じように左肩甲骨が飛び出ていた。
CGでなく本当に痩せてそうなっているのなら、ホアキン自身の身体の歪みという事になり、あれは整骨院に行って治療しないといけないレベルの身体の歪みだと思える。
あれがCGで演出ならば、ジョーカーとアーサーのバランスの悪さを身体でも表していたのかな?
何か期待してたのとは違う@@賛否吹き荒れる法廷ミュージカル
ホアキンが凄すぎた前作は世界に衝撃!
アメコミ史上初〜アカデミー賞主演男優賞受賞作品の続編
アーサーとジョーカーは別人格なのかが焦点
オープニングのアニメーションで今回は何か違う雰囲気
前作の答え合わせをしながらの現実と妄想入り乱れての法廷ミュージカル
これは賛否も致し方ないですが・・・何か期待してたのとは違う@@
ガガさんの歌唱力
とダークでミステリアスなハーレイは、別のスピンオフもありかも!?
しかし今回もホアキンさんは、☆5つの役作りと演技継続〜素晴らしい!!
ただ私的には、アメコミ題材だけに台詞なくてもいいので・・・
過去にブルースとゴードンを演じた役者さんの誰かが、法廷か群衆の中にいて欲しかったです!
そやしていいやら、そしっていいやら
タイトルの「Folie à Deux(フォリ・ア・ドゥ)」は
単純に訳せば「二人狂い」だが、
「感応精神病。精神障害の妄想性障害の一つ」とも書かれている。
五人を殺害(実際は自身の母親を含め六人)し
精神病棟の監獄刑務所に収監された『アーサー(ホアキン・フェニックス)』。
裁判を待つ身も、その体は骨が浮き出るほどに瘦せ細り、
周囲への反応も鈍く、生ける屍のよう。
しかし囚人たちの中には、『ジョーカー』を熱狂的に支持する者は居る。
また、世評も、彼の行為は幼い頃の虐待が影響している、と
同情的に見る向きもある。
『リー・クイン(レディー・ガガ)』は『ジョーカー』の強烈な崇拝者。
策を弄し、彼に会ったことで、二人の間に恋愛感情は芽生え
『アーサー』は生気を取り戻す。
妄想ではない、生身の女性との初めてのふれ合い。
彼女は彼を自身が望む形の『ジョーカー』として蘇生しようとし、
また『アーサー』もそれに応える。
法廷での場面は象徴的。再びピエロのメイクをして現れた『アーサー』は
うってかわって傲岸不遜に。
傍聴席の『リー』もそれを見てほくそ笑む。
相互依存の関係は次第にエスカレーション。
二人だけの世界に酔いしれる。
これがタイトルの指し示すところだろう。
しかし裁判が進み、多くの証人の声を聴くに連れ、
彼の心は揺らぎ出し、『ジョーカー』の仮面は剝がれて行く。
それを目の当たりにした彼女は『アーサー』を拒み、
悲しい結末へと繋がる。
前作は、主人公の造形を含め〔キング・オブ・コメディ (1982年)〕をなぞるように描かれた。
ただ最後に、「スタンダップコメディアン」としての名声が、
『ジョーカー』として名を馳せることにすり替わる。
当初は誇大妄想狂だった『ルパート(ロバート・デ・ニーロ)』が
「キング・オブ・コメディ」の名声を得(妄想かもしれぬが)、
こちらの世界では大物芸人の『マレー』として殺害されるのは寓意に満ちている。
『マレー』の決め台詞「That's life!」が、
本作では「That's Entertainment!」に置き換わる。
劇中に流れる〔バンド・ワゴン(1953年)〕で使われた一曲も、
この歌詞が本作の至る所に偏在する。
賛否両論の評価になりそうも、
劇中の裁判に対する両極の世評が
まさに現実世界でも体現されるよう。
「ミュージカルなど観たくは無かった」との声も上がるだろうが、
本作は{ミュージカル}には非ず。
それらの場面は全て二人の、とりわけ『リー』の妄想であり、
やはりタイトルに帰結する。
ラストシーンに集約される
全ての夢が破れた悲しい男のドラマが実態なのだ。
いたって古典的
制作側がエンタメとして作っていない、カタルシスのない物語の終わり
自分は、ジョーカー1が、苦痛の多い人生でもなんとか倫理的境界を越えずにいた社会的弱者が、福祉なども届かないまま社会的にむやみに虐げられることによって境界を越えてしまいジョーカー(現代社会でいう無敵の人)に変化してしまうということ、そして彼を虐げていた層こそが、まさにジョーカーを崇拝するという物凄い皮肉を叩き付けていた故に傑作だと思ってたんですよね。
ただ必死に生きていた人が怪物に変わってしまう、現実にもあり得るような薄ら寒さ。そしてそれを生んだ社会はその自覚がない致命的な現代という風刺。
薄暗い演出と主演の締め付けられて崩壊していく演技。そして守るべき倫理の抑圧から解放された主人公のカタルシス。前作は間違いなく星5でした。
でも今回は、見終わった後に…それで?という感想になってしまいました、残念ながら。
ミュージカルの良し悪しは置くにしても、そもそも主人公が苦しんで苦しんで、そこから何もない。1であったはずのカタルシスがない。ただただ、そりゃ現実ならそうなるでしょうね、というエンタメではないリアルを視聴者に叩き付けただけ。
制作陣はジョーカー1で、ジョーカーを肯定して崇拝したり同じような無敵の人になりそうな層が出てきてしまったので、その人たちに向けて現実をわからせるために作ったらしいとかそのようなことをだれかが書いているのを見て(ソース不明なので本当かどうかわかりません。)確かにそれならこの本作の意味が通じるなと思いました。
制作側は1をあくまで社会的風刺・皮肉の文脈で作ったのに、視聴者の中でそれを理解せず悪役(社会的なテロや殺人の象徴)を肯定する者が出始めてしまったので、ジョーカーを模倣するような者を出す前に目を覚まさせたい、ジョーカーの模倣が出たとしても2の人間に戻ったアーサーは君たちの目指すカリスマではない、という制作側の意思を明確にする、そのために2を作ったというなら納得です。
監督はもうこれ以上の続編意欲は無く、DCから撤退といっているようですし、そういうことなんですかね。
エンタメとしての「楽」を考えられていない、見ている人を楽しませようという意識がないと感じたので、自分は星2評価になりました。ただ、映像としての演出と、ホアキンの演技はとても素晴らしいです。そこだけ抜き出して評価するなら星5でした。
エンタメとして視聴するのはお勧めしません。
裏をかくチャレンジャブルな設定は評価したい
ジョーカーはDCのスーパーヴィランであり無慈悲な悪のカリスマという鑑賞者の強い固定観念を真っ向から否定してみせ、賛否覚悟で誰も思いつかなかった新解釈で表現しようとした意欲的な作品。
タイトル通りハーレクインとは妄想を共有する関係になるのだが、ジョーカーが徐々にズレ?を感じはじめ、最後はリアルな自分を見せようとして彼女や熱狂的な信者達に見限られてしまう。
まさにこれってトッド・フィリップスが我々に仕掛けた罠であり、ハーレクインはじめ殺人鬼ジョーカーの支持者達を我々鑑賞者の目線と同じにする事で、我々もがっかりし裏切られたという感情を共有させられる。
予定調和の安心感も良いが、全く想像できなかった展開も刺激があって良いと思う。
ただ歌と長尺なのは緊張感を持続しにくいため、もう少し何とかならなかったのかとは思った。
スタイリッシュな分、ドラマの書き込みが圧倒的に足らない。
疑問!
なぜ、クライマックスで、アーサーがジョーカーを否定する展開としたのか。
心変わり、きっかけが全く描かれていない。
やっぱり…。
「ジョーカー」が、ガガに乗っ取られてしまった。
アーサーが、リーに乗せられてしまった展開と同じ、。
リーに踊らされて舞い上がってしまい、信者も増え社会現象となり、一大ブームに。
アーサーは、それは「ジョーカー」であって、自分じゃないと考えて、ジョーカーをやめた。
映画自体も、現実に真似した犯罪が起きる恐れがあるから、ジョーカー賛美にしなかったのだろうか。
妄想シーンがユージカルなのはイイ。
どのシーンも良かった。
フェニックスもカッコよかった。
見せ場なので、久々にIMAXフルサイズで堪能できた。
ただ、スーパースターのガガ出演ありきでは、必然的に歌とダンスが増えるのはいいが、その分ドラマの時間が圧倒的に足りていない。
最後は、アーサーが夢をあきらめてしまうから、リーにあっさり捨てられる。
半分はリーがメインだから、彼女を尊重しているのに、アーサーにこだわった理由がわからない。
興味本位と変わらなかったのか。
せっかくガガに忖度しているのに、描写が足りないから、リーが何を考えていたのかわからない。
どこまで本気で「二人で山を作りたかった」のか。
アーサーが夢をあきらめた理由は、ジョーカーではなくあくまでもアーサーでありたかったから。
なぜか、突然正気に戻った。
アーサーをリアルな人間に引き戻して終わらせたかったということだろうとは思う。
あのまま二人で突き進んでいくラストで良かったのに。
それだは単純すぎる、普通過ぎるからやめたのか。
前作で昇華したラストを、すべて帳消しにしてしまうカタルシスを狙ったのか?
本作のラストは酷すぎる。
悲しい。
コレじゃない
俺たちが観たいのはこういうのじゃないんだよ、、笑
前作はすごく良かったから、前々から楽しみにしていたのに、見事に期待を裏切られました笑
なぜミュージカルっぽくしたんだ!?
別にレディーガガは良いんだよ!アリーでも演技上手かったし。でも、本作では歌がしつこく、いちいち話がストップしてテンポ悪くなるんだよ!
場面もずっと変わらず飽きるし、さっさと脱獄でもなんでも外に出ろよ!
その後でジョーカーが悪の権化としてどう活躍するかが観たいんだよ!
一応、なんとなく話の意図は分かった気がします。
カリスマなんて周囲が勝手に持ち上げてるけど、実際の姿は普通の人。むしろ弱々しい冴えないおっさん。ジョーカーの華々しい姿が、全て妄想なのも面白いと思います。
期待していた自分もジョーカーという偶像に踊らされていたんだなと複雑な気分。
ハーレイもただのミーハーだったということ。キスする時、ジョーカーのメイクさせるなんてひどいですね笑
しまいには、冷めたら捨てるとは笑
最後のオチも、え?っとなる終わり方ですが、冷静に考えると前作と対比させた終わり方でした。小人症の彼の言葉に揺らいだところを見ると、結局アーサーは、あれ以上ジョーカーになれなかったんだと思いました。
ジョーカーというのはあくまで役で、誰かに引き継がれていくものなんでしょうね。前作でブルースとの年齢が合わないのも、そういうことかと。劇中だけでなく、人の心にあるもの、バットマンシリーズのジョーカーという役、いろいろな意味で。そういう感想でした。
監督の意図することも、役者の演技もよく出来てます。
悪人をヒーローとして観たいと思う観客へのアンチテーゼでしょうか。決して駄作ではないです。
でも、もう一度言う。コレじゃないんだ!
アーサー フォリ・ア・ドゥ
カートゥーンアニメから始まりタイトルロールまで期待が高まる出だしでワクワクしながら勝手に観る側が"ジョーカー"になったアーサー・フレックを想像しながら何も起こらない展開、ジョーカーにはならない、なれない、ならなかった、なれなかった←全部意味同じ?アーサーが何者でも無かった現実を非現実の中で描く残酷性??
そりゃ自分の指を切断して玄関のドアに打つける『イニシェリン島の精霊』でのブレンダン・グリーソンの方がイカれてる、アーサーとレディー・ガガの関係性は普通の男女が恋愛をする関係性と何ら変わりはなく、薄情過ぎる女と空気が読めないウブな男性が傷付いて。
仮にアーサーがジョーカーならやはりバットマンの存在があってこそ生きる意味を保つジョーカーな訳でツッコミのバットマンが何者かではあるがまだ子供だし役不足、どっかにジョーカーはいるんだろうなぁ、アーサーでは無かっただけで、御丁寧にハービー・デントまで登場させるんだから。
盛り上がった前半戦がまるで無かったかのような後半からの終盤戦、でも酷評では無いかな、嫌いにはなれない。
期待と違った
情報は見聞きせず期待を込めて観に行ったが、期待外れだった。
ミュージカル映画は基本苦手で観ないくちなので、その類の映画の進み方と、物語がどうにも納得できないまま時間だけが過ぎていた。
ガガ演じるリーとの絡みで、脱獄してゴッサムシティを混乱させていくような話かと思たら、胸糞悪いと思った奴を殺してくれたと崇めるリーと、好いて貰える事で日和ってしまうジョーカー(アーサー)に冷めてしまって、殺されちゃう・・・なんという流れ。
ピンポイントで見ると「おおっ」って思うシーンはあったけれど、全編を観ると期待外れとしかいいようがない。
裁判所が爆破された先にリーが立っていて、街へ出て・・・と思ったら、逃げてたどり着いたあの階段で三行半を突きつけられ、あえなく逮捕されて・・・
様々な意見、観方があるだろうから他の方の感想に茶々を入れるつもりはないので、私の感想もそんな一つの感想です。
裏目裏目のソシオパス
人生なんてこんなもんなんだなっていう映画
終始ミュージカル調の音楽が彩っていたが
死ぬ時は無音だった
何かのボタンの掛け違いで犯罪になり
失恋をし成功や希望が近くにあるのに全てうまくいかない
笑わせていると思っていたら笑われていただけで自分の意図とはかけ離れる人生
ジョーカー役のホアキン フェニックスはそんな役柄が最近多いような気がする
レディーガガはあまり好きじゃないけど 役柄にはハマってたと思うそれなりに
そこまで魅力的ではないが裏切り方も凡庸で
、すごい二人なように見せて実はただの弱い男と女なのね
見終わって悔しくもなければ悲しくもない 怒りもなければ面白くもない
見てるこっちとしては無表情になってしまう終わり方だった。
でもそれがアーサーの人生らしくて良かったと思う。
できたらバットマンとホアキンジョーカーの絡みも欲しかったな。
この世界線でバットマンと絡むのはアーサーじゃないジョーカーなんだろうけど。
ミュージカル映画
第1作の連続殺人の容疑でアーカム州立病院に収容された「アーサー・フレック」(ホアキン・フェニックス)。向精神薬で凶暴な「ジョーカー」の性格が抑えられ、気の弱いアーサーとして過ごす。弁護士「メアリーアン・スチュアート」(キャサリン・キーナー)は、アーサーが幼少期の悲惨な境遇から多重人格となっており、凶行はあくまで別人格ジョーカーの仕業なのだと主張する弁護方針を立てる。だが、音楽療法サークルで知り合った「ハーレイ・『リー』・クインゼル」(レディー・ガガ)は、何者にも縛られないジョーカーに憧れており、ジョーカーこそが本来のあなたなのだとそそのかす。アーサーのなかで、アーサーとジョーカーが葛藤をはじめて――といったストーリー。
この葛藤のシーンがミュージカル仕立てになっている。アメリカ人には刺さるだろうが、日本人にはいま一つピンとこない演出だ。
最後、アーサーはジョーカー崇拝者に刺される。死んだという確証はないが、死んだのだとしたらバットマンとの対決の可能性がなくなってしまう。これもいささか不評な理由だろう。
期待していたのとは…
最初の方で歌唱シーンが長いなと思っていたら、7〜8割くらいジョーカーかリー、もしくは2人で歌っている映画でした。ミュージカル映画が好きな人は大丈夫かも⁉︎
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