ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
全782件中、481~500件目を表示
光と影
ホアキン・フェニックスとレディー・ガガの演技と歌唱はもちろんのことながら、場面一つひとつの隙のない美しさに魅了されました。
光と影がつくる映像が生み出す緊張感とその合間を埋めるあたたかな歌声とハーモニーが、アーサーの心の浮き沈みが落とした影のようでもありました(脱獄を試みたときに歌っていたのは、三谷幸喜さんの「THE有頂天ホテル」でYOUさんが熱唱した曲でした)。
自分を必要とする人に出会えたときの高揚感、それをきっかけとした盲目的な日々、相手が夢を捨てたように見えてしまったときの失望とその失望が生む絶望。
腐った社会のなかで、もがくように必死に生きる男女の出会いからその締めくくりまでをみせられました。
失意の中で起こるウソのような奇跡、それを機に疾走しながら目指すのは当然あの人と約束した場所。そこで待ち受けていたのは思っていたものではなく、また元の暗い影が落ちた生活に戻ることになる。影に操られながら生きているんだと自分を理解させながら過ごしていたときに不意に面会の人が訪れる(もしかしたら面会は作り話か?)。あの時、彼は誰の面会を想像していたんでしょうか。
最後にみせたホアキン・フェニックスの表情は言葉にならないくらい見事でした。
アーサー物語
ジョーカーではなくアーサー。
ふと、ジーザス・クライスト=スーパースターを思い出した。誰も本当のジーザスを知らず、知ろうともせず、祭り上げたかと思えば偽物だったのかと石を投げる。群衆は浅はかで恐ろしい。
アーサーも同じ。
群衆は熱狂的にジョーカーを崇拝する。リーも同様。群衆の熱は簡単には冷めない。ヒーローを信じる事が唯一の希望だから。しかし、リーは違う。もっと冷静だ。
リーはマグダラのマリアではなかった。リーもジョーカーの中のアーサーには気づいていた。弱いアーサーが強いジョーカーとして覚醒するのを最前列でみたかったのだ。群衆よりも遥かにその期待は大きかった。
それ故に最後の階段のシーンは2人にとって切ない。ジョーカーが『誕生』したあの階段でジョーカーは『死んだ』。部屋で銃口を自分に向けていたリーは夢から醒め、リーに決別し、ある意味『死んだ』。ジョーカーに見切りを付けたリーは後にハーレイ・クインが『誕生』したのだろう。
唯一ゲイリーだけが本当のアーサーの一部を知っていた。そして彼の証言が虚勢ジョーカーを元のアーサーに戻した。そしてあの最終弁論に繋がる。
ラストのアーサーの表情。ジョーカーではなく小さな小さなアーサー。悲しく虚しいけれど穏やかにも見えた。
1作目はそんなに好きじゃなかった。ジョーカーは理解不能で猟奇的であって欲しかったから。トラウマがジョーカーを生んだ、というくだりがありきたりでしっくりこなかった。
しかし本作を観てトッド・フィリップスの思惑が見えたようで腑に落ちた。彼はもともとジョーカーに興味はなかったのだ。理解不能な極悪人ジョーカーなんていない。いたのは理解されない普通の人、アーサーだけ。彼の切ない人生の物語。そしてアーサーを通じて我々群衆の恐ろしさを描きたかったのかも。2作品観て良かった。スッキリ。
それを観客が観たかったか。
ミュージカルで観たかったか。
それは話が別。
賛否両論(つまりは酷評)の理由は分かる気がする。
だって観客も群衆であり、リーと同じくジョーカーを求めていたんだから。
※メモ
・採点は『アーサー』として。『ジョーカー』としては★1.5
・裁判所爆破→リーが助けに来る→復讐大量殺戮の始まり…って流れを一瞬でも期待した人いるよね?
・ミュージカル場面ちょっと多すぎかな
・キャサリン・キーナーは歳を重ねて雰囲気変わったけどそれがまた素敵
・ホアキンの演技が上手すぎる。最初の歌唱ダンスシーンがお見事
・リーが高らかに歌うほどガガになる。ピアノの弾き語りなどガガそのもの。現実に引き戻される。その意味でミスキャスト。もっと歌唱シーン少ない方がガガがリーになれたかもね
観客の反応に対する作り手の責任
休日のレイトショーにて鑑賞。レイトショーにしては混んでおり、意外とカップルが多く恋愛映画なのかなぁと感じながらの鑑賞スタート。
結論から言うと観たいジョーカーでは全くなかった…
また、何故ミュージカル風にしたのかな…
前作は映画に感化された犯罪が世界各地で多発(日本でも京王線刺傷事件が発生)したこともあり作り手が意図していたものと違った観客の反応になったため、本作では敢えてリアルと引き離すためにもミュージカルベースにし、苦悩する一人の人間としてジョーカーを描いたのではないか。前作と違って本作においてジョーカーの承認欲求を満たすようなシーンは殆ど出てこない
でも、やっぱり狡猾で、知的で、狂気な悪のカリスマとしてのジョーカーを観たかった。
作り手はどこまで観客の反応に配慮すべきなのか、少し考える機会になったということは良かった。
これはもうスモーカー
前日に無印観て予習して、
無印はほとんどアーサーの妄想、空想で構成されてる派の自分からしたら、2もそうなんじゃないかと妄想オチが冷めるタイプなので、不安になってしまっている自分がいた。
joker2をいざみてみると、
もうずっとタバコ吸ってるホアキンフェニックス。
もう2/3のシーンはスモーカーしてたんじゃないかってくらい。
自分も喫煙者だから映画館で吸いたくなってしまう。
きっとミュージカルと喫煙のシーンは、
アーサーの妄想や空想劇の最中なんだろうな。と解釈。
ラストのシーンで、本来何者でもなかったアーサーが、何者でもない青年に刺殺されたのは因果応報で、マーレーを射殺した時とシンクロしてたのは解った。
考察で見た、後のバットマンと対峙したジョーカーは、アーサーではなくこの初代ジョーカーを刺殺し、己の口を裂いた次世代ジョーカー。
この考察はとても好き。
ハロウィン前に上映してどんな影響をもたらすか気になっていたが心配には及ばなそう。
個人的にはジョーカーに大暴れするシーンがひとつやふたつあればもっと満足できたと思う。
無印のラストシーンから勝手に期待してしまった。
勝手にイメージしてしまいテンポも悪くて退屈気味に感じた。少し残念。
映画としての完成度は高い
前作鑑賞済み、たしか前作は大ヒットしたが、今作はいまいち評判がよくないように思えた。
前作により精神病に収監されたアーサー、裁判を待つ身となる。狂気は潜めているよう。タバコをよく吸う、看守にもらったり。死刑を待つ身だが弁護士は精神鑑定で無罪を狙う。
精神病院のプログラムで彼のファンのリーに会い恋に落ちる。アーサーとリーとのJOKERとハーレクイーンとの恋のお話し。
個人的には完成度は高い、好みの映画だった。ときおり入るJOKERの妄想シーンのミュージカルも良かった。妄想の中のかれは狂気と自信をもっているが、現実のアーサーはひどく弱い。
リーはアーサーにではなくJOKERに憧れを抱いている。そのギャップの中でアーサーはJOKERになろうとするが、なりきれなかった。
自分自身を認め、裁判は進む。
ゴッサム・シティの話だからJOKERになりきるのかと思ったが、アーサーのままだった。
惨めなアーサーで死んでいくか、狂気と崇拝のJOKERで死んでいくか。そんなお話しに思いました。
歌唱シーンも音楽、映像どれも好き。ラストも含めて暗い話だから評価は高くないのかと思いました。見応えのある一作。
素晴らしい!
最初は、すべてのシーンに意味があることを読みとれずに批判していましたが、全く違いました。リーは実在していないこと、ジョーカーの話ではなく、アーサー・フレックの話であること、人はゲイリーの目線を持てるかが主題であること、この映画に対する批判すらも織り込んでいること。。暗喩に満ちた、重厚過ぎる(だからこそ一般の人には理解できず、受け入れられない)傑作だと思います。
女の気持ちは難しい
アーサーの涙
感想文にしたらば、長文必至なので、箇条書き。
・『JOKER』でなく、『ARTHUR FLECK』のタイトルにしたら、
誰も文句を言わなかったのに(でも、ほとんど誰も観たがらないなあ)。
・冒頭のアニメで、作品の骨子は説明済み。
ジョーカーの影が独り歩きして、本体だったアーサーことなど、
誰も気にかけていないよ。でも、権力に潰されるのはアーサーだけ。
影は、次のジョーカー役を探せばいいんだよ。
・映画(That’s Entertainment)も、外の世界(That’s Life)も言うことは一緒。
社会のせいにするんじゃないよ。個人責任だろう、と。
ジョーカー的な問題の根源(貧困、格差…etc.)をアーサー個人の問題に狭めようぜ。
・ジョーカー的な存在が生まれざるを得ない社会システムは現前に在る。
アーサーは、たまたま、ジョーカーの役に当たっただけ。犯罪統計学の問題。
何でもかんでも、個人の責任に押し付けるのは無理筋。
・小人さんのゲイリー・パドルズに「君だけはぼくをバカにしなかったのに」と
なじられて、涙ぐんだ時点で、アーサーはジョーカー失格。
ゲイリーは可愛かった。ガガより可愛かった! (★1~2個はゲイリーの分)
・ジョーカー(役)の自己否定。ガガはハーレイ・クインになり損ね、
ハービー・デントは一介の検事のまま(顔は焼けるけど)。DCU全否定w
おやすみ、アーサー
アーサーかジョーカーか
誰かに愛されたい。というアーサーが、
惜しくもジョーカーという側面だけ愛されてしまった。
その結果、裁判所は爆破され、アーサーは殺されてしまう。
リーや民衆、そしてジョーカーを期待した映画鑑賞者も加害者になり得るだろう。
リーがアーサーに薬をやめさせたが、歌によってジョーカーの登場を助長させていた。
ジョーカーが出てくるタイミングを思い出すとその多くがミュージカルが引き金になっていたと思う。(うろ覚え)
私もミュージカルがやりすぎだと感じたが、それはリーによる狙いだったのだと最後の階段のシーンで感じた。
リーがミュージカルを始めようとしたが、アーサーは拒否。
アーサーはアーサーで、ジョーカーではなくなったので拒否ができたのだろう。
歌とタバコがこの映画での重要な役割だと思った。
リーに会う前はタバコも吸っていなかった。
薬もやめ、タバコも吸い、ジョーカーとしての自分を自信づける歌が始まり映画は進んでいく。
ざっと他の方のレビューやコメントを見ると、
良いレビューは、アーサーという人間の映画としてみた人
悪いレビューは、ジョーカーとしての物足りなさ、そしてミュージカルの嫌悪感。
下記は私のかなり偏った意見だが、
ジョーカーとしての物足りなさを訴える方は極端な話社会に不満を持っていて、ジョーカーに代弁でもしてもらいたいのかと思ってしまう。アーサーを心配する余裕がないともとれる。
ゲイリーの話から、
「ジョーカーになり得てしまう人には必ず理解者が必要である」
というメッセージ。
囚人を絞め殺した看守が、最後アーサーに会釈(仕事を続けられている)する話から、
「現代社会には変えられない闇が一定数存在する」
というメッセージ。
この映画を見終わってエンドロールの時間で、
自分の周りの人間でジョーカーになり得てしまう人がいないか頭の中で探してしまった。
好きな傾向の映画ではないけど面白かった
前作のような雰囲気を求めて行くと正直ガッカリするけど、映画としてはかなり良い出来だと思います。
前作の社会的な影響を考えると、あの終わり方にせざるをえないし、下手に犯罪者万歳みたいな終わり方だけにしなかったところは英断だったように感じます。(ただ洋画で爆発オチ使われるとは思いませんでした。笑いどころじゃないのに笑ってしまった)
ミュージカル調が合わない人もいるかと思いますが、ラストのあの終わり方にするための「溜め」だと考えると良い舞台装置だったなぁ、と個人的には推したい。(最初のアニメもそう言う感じにするよ、って前フリ入れてくれてたし)
ただ、なんも知らないで見に行った率直な感想は、「なんか知らんが汚いララランド始まったな」でした。いや、拒否反応はなかったんですが。
けど、結局あの映画の主軸が「ジョーカーは死刑を回避できるか(脱獄できるか)」なのか「アーサーはジョーカーになれるか?」なのか、そこら辺がよくわかりませんでした。でもサブタイを考えると「リーと幸せになれるか?」なのか…?わからん…。
有識者コメントくれると助かります。
ついてこれるか否か……
冒頭のホアキン・フェニックスの背中が全てを物語っている。この映画は決して穏やかではない、と。
あの背中のシーンだけで震えた。
では、なぜ低評価なのか。
①求めているジョーカー像の相違
②求めているハーレイクインの相違
このどちらかではないだろうか。
①について。前作ではミュージカル調のシーンはなかったのに、なぜ今回はたくさん出てきたのか?
最も賛否があるポイントだと思う。
それは前作は三人称、本作は一人称だから。
元々アーサーの頭の中に音楽が溢れているタイプの人間。前作は三人称のため、そこがあまりフィーチャーされていなかったが、本作では一人称のため目立った。だから比較すると、全く違う印象になる。面白くないと感じた人は、ついてこれていないのだろう。
映画はそもそも観る人の感じ方が全てだから、褒めるもけなすも自由。
制作側はウケる映画を作りたいのか、分かる人に分かればいいのか、どちらかを選ぶ。
トッド・フィリップスとスコット・シルヴァーは後者を選んだ。
だから私は、単純にそのようなジョーカー目線に共感できただけなのだ。
②について。ここも賛否が分かれるところ。私はどちらかというと、こちらが否になるかと思う。
ハーレイ・クインを象徴する天真爛漫な性格を観たかった。元々アンニュイなキャラだと思ってみると、レディガガはすごく当たり役だと思うが、明るいキャラのハーレイをジョーカーがいかに取り込んでいくのかを観たかったと言わざるをえない。その相違がなければこの映画は今年一番ぐらいの評価をしていたかもしれない。
ひとまず続編に期待というところか。
前が面白くなかった人は面白いかも
前作を観た時は他にもそういう方がいらっしゃいましたが、私はこの程度でジョーカーになってたら世の中ジョーカーだらけだよと思いあまり楽しめませんでした。ただ妙なオッサンが狂っていくだけの映画に見えて気分が悪くなりました。それに対して今回はやっぱそうなるよねと腑に落ちる内容でした。ほとんど妄想と歌なので前作の様に気持ち悪くなる事も無かったし、レディガガがともかく美しかったです。しかしジョーカーを完全にメンタルに問題を抱えたただのオッサンにしてしまった為に、従来のDCファンからは賛否起こっているのではないかと。ダークナイトとは別方向でジョーカーを煮込んだ感じで個人的には好きなクライム映画でしたが、ジョーカーじゃなくてもよかったんじゃね?という事で星4です。
んんーそーゆー系
悩み悩みまくってレイトショーで観てきました。
人がそこそこ居たのでレイトショーも行けました
さて、待ちに待った第二弾ですが
あぁ、そう言うことなんですね
観終わりの憂鬱感や絶望感は今作の方が大きいけれど
やはり前作は何と言ってもジョーカーになったのですから
なったと言うかなった経緯の話ですから
祭り上げられたのだとしても。
今回こそは、アーサーの心の物語との認識で良いのかな。
そう言う思いで鑑賞すると
悲しい人なんだと理不尽な目にばっかりあって、最後まで哀しい。
もう少し不気味さがあっても良かったかなとは思いましたが
ミュージカルの様な歌が多かったので不気味さが陽気に感じた
それはそれなのかな
レディーガガの歌は流石ですが
アリー誕生の様な歌が感動の方が好き
前作のジョーカーの時の様な陰鬱な感動は少なかったし
ガガの歌もアリー誕生の時の様な感動もない。
期待値だけは、その作品よりも上でしたが。
その辺はちょっと残念かな。
ジョーカーちゃうやーん。。。
哀しきアーサー物語。
裁判所の爆破から逃げたあのシーンが山でした。
そこから吹っ切って前作の様になるのかと思いきや〜
逆に吹っ切ったな
それこそが、絶望感のみせどころだった。
重くてつらくて、 かなしい
あと一週間は引きずりそうです
歌のとおり、ザッツエンターテイメント(ジョーカー)
と
ザッツライフ(アーサー)
もう、歌はいいから話をしよう
と言ったアーサーを受け入れなかったリー
ジョーカー推しの大衆もそう
映画館を出て、雲一つない青空で少し救われました
ストーリーというか、気持ちは、本当によく描けていたとかんじました
PG12…?!
1と別の作品だと思って⭐︎3
あとこれPG12で大丈夫なんだ…
心が荒んできた会社員3年目くらいが観て、
世の中クソだよなーとか
誰も自分を見てくれないよなーとか
でもアーサーより恵まれてるからとりあえず今夜何食べようかな、くらいの気持ちになれる映画ではないかと。
ちょうど自分が見た前の席に小学生くらいの子どもたちを連れた大人がいて、見終わったあとに子どもが
あまり残酷じゃなかったね、と言ってたけど
まだまだこの作品の奥の、闇の部分とか、人間の怖さや汚さとか、アーサーの人生を考えるに至るには、きみは単に早すぎるだけなんだと思った。
逆に言えば、この話すら現実ではないファンタジーに映っていてほしい。
たしかにホアキンフェニックスは素晴らしい演技をする俳優で惹かれる。まだ「ヴィレッジ」くらいを観ていて欲しい。
でも、まだ背伸びをしなくていい時もあるはず。
映画を観た感想
前作は僕が今まで観た映画(まあ年齢的にそんなたくさん観たわけではないですが)の中で最も好きな映画だったので、その続編というのもあり、とても楽しみでした。
まあ、この映画を観るにあたり、賛否両論があるというのは聞いていましたが・・。
観終わった感想としては、今作は難しいなって。
例えるなら美術品を観ているかのような難しさ。監督・脚本は前作に引き続き同じ人が担当しているのに、前作とはまるで違いました。
今作は逮捕後の話であって、アーサー(ホアキン・フェニックス)とリー(レディー・ガガ)の物語。最後まで一貫しているので、人によっては物足りなさがあるかもしれません。
アーサーの頭の中と現実が交互に描かれているので、そこも人によってはごちゃごちゃしていると思うかもしれません。
このアーサーの頭の中がミュージカルで、やはり道化師として、コメディアンに対する未練のようなものがあるのかもしれません。ただ、そのミュージカルも人を楽しませるのではなく、自分が楽しむものですが。
後、ここはさすがレディー・ガガだなと、歌声がとても迫力があって聴き応えがありました。観るなら字幕版の方が良いと思いますね。
そして最後の結末を観て、続編はあるのかないのか、なんとも言えないなと。パート3を制作できなくもないような感じでしたが、これで終わりって感じもしました。
ただ、個人的には前作だけで完結してても良かったのではないかなとも思いました。それだけ前作の出来は良かったし、前作が良すぎたから、その期待が大きすぎて、結果としてちょっと期待はずれ的な感想を抱いてしまったのかもしれません。
全作は納得
映画論とかそういうものは無く、ただ興味があるものを見ています。
本が読めない(じっくり活字に向かっていられない、何か始めちゃう)
人間なので、映画館でその時間に浸からないと最後まで物語を完結できない
そういう映画ファンです、多い時は月3本くらい見ています。
で前作は「差別貧困病気いじめ等、日本でもありうるドロップアウト物語」
として納得できる映画☆4.3評価でしたが、その後の裁判や神格化した応援者
などになるとさすがに・・・。特にミュージカルが苦手なので、妄想とミュージカル
両方入ってきて支離滅裂になっちゃいました。ただ終盤10分~のシーンはさすがに
映画として引き込まれました。なので3.5の評価です。レディガガと気が付いたのは
映画が始まってしばらくたってからw
期待度◎鑑賞後の満足度○ 『JOKER,』とはあるindividual を指していたのではなく、伝播する「狂気」「妄想」というphenomenon を指していたというオチの付け方。
①DCコミックスの「ジョーカー」というのは誰もが知っている確立したキャラクターなのに、あんな最後を迎えさせるとは誰も予想していなかっただろうから、もうトッド・フィリップ監督は確信犯というしかないだろう(前作から意図していたかどうかは分からないけれども)。
後から思うと、冒頭のアニメはこういう結末になることを暗に示していたのかも。
②映画としては、ミュージカルという体裁にしたせいかドラマ的に前作ほどの緊迫感はなくややタルい(前半はまだましだけれども)。
ただ、大好きな『Bewitched, Bothered and Bewildered』をアーサーが歌うシーンには感激したし、『(They Long to Be) Close to You』はどのシーンで使われるのかと思っていたらあそこで使ったのもなかなか良かった。
で、★★★⭐が妥当かと思ったが、上記のシーンの他、『That's Entertainment 』『There Is No Business Like Show Business』『Get Happy(どうしてもジョディ・カーランドが歌い踊るシーンが脳裏に蘇ってしまう) 』等懐かしいミュージカルナンバーがそこかしこで流れるので⭐一つオマケ。
③「狂気」というショーを始めた者がそのショーから降りた時に訪れる末路の姿と、それでも一度始まった「狂気」というショーは続いていく、ということを描いた映画だと思うが、もう少し穿った見方をすれば、あのラストはアーサーの役目(ショーを始める)はショーが始まったのでもう必要なくなり用済みとなった姿であり(結局アーサーに戻ってしまったし)、『JOKER 』という「狂気」の虚像によるショーが止まらなくなった(裁判所の爆破シーンが、その切り替わりを象徴するシーンだと思う)、誰もがJOKERになる、なれる世界が始まったということだと思う。
④も一つ想像を働かすと、リーが生んだ子どもが本当の「JOKER」になるのかも。
更に深読みすると、彼女は実はアーサーの種(DNA)が欲しくて近づいたのかも、つまり本作は“HARLEQUINE=JOKER=JOKERの母 ”の話なのかもしれない。
⑤鑑賞しながら思ったこと。ミュージカルという形態にしたのも悪くないな、と。だって私達の日常もミュージカルみたいなもの、音楽に溢れてるでしょう。少なくとも私にとってはそう。何かするのも大概鼻歌交じりでやってるし。仕事中でも時々鼻歌歌ってます。おおびらっにしないのは一応職場ではやらない方が良いという一般社会通念に合わせてるだけ。許されるなら時々踊りたい。
私の中にもJOKERは居るみたい。
全782件中、481~500件目を表示









