ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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前が面白くなかった人は面白いかも
前作を観た時は他にもそういう方がいらっしゃいましたが、私はこの程度でジョーカーになってたら世の中ジョーカーだらけだよと思いあまり楽しめませんでした。ただ妙なオッサンが狂っていくだけの映画に見えて気分が悪くなりました。それに対して今回はやっぱそうなるよねと腑に落ちる内容でした。ほとんど妄想と歌なので前作の様に気持ち悪くなる事も無かったし、レディガガがともかく美しかったです。しかしジョーカーを完全にメンタルに問題を抱えたただのオッサンにしてしまった為に、従来のDCファンからは賛否起こっているのではないかと。ダークナイトとは別方向でジョーカーを煮込んだ感じで個人的には好きなクライム映画でしたが、ジョーカーじゃなくてもよかったんじゃね?という事で星4です。
んんーそーゆー系
悩み悩みまくってレイトショーで観てきました。
人がそこそこ居たのでレイトショーも行けました
さて、待ちに待った第二弾ですが
あぁ、そう言うことなんですね
観終わりの憂鬱感や絶望感は今作の方が大きいけれど
やはり前作は何と言ってもジョーカーになったのですから
なったと言うかなった経緯の話ですから
祭り上げられたのだとしても。
今回こそは、アーサーの心の物語との認識で良いのかな。
そう言う思いで鑑賞すると
悲しい人なんだと理不尽な目にばっかりあって、最後まで哀しい。
もう少し不気味さがあっても良かったかなとは思いましたが
ミュージカルの様な歌が多かったので不気味さが陽気に感じた
それはそれなのかな
レディーガガの歌は流石ですが
アリー誕生の様な歌が感動の方が好き
前作のジョーカーの時の様な陰鬱な感動は少なかったし
ガガの歌もアリー誕生の時の様な感動もない。
期待値だけは、その作品よりも上でしたが。
その辺はちょっと残念かな。
ジョーカーちゃうやーん。。。
哀しきアーサー物語。
裁判所の爆破から逃げたあのシーンが山でした。
そこから吹っ切って前作の様になるのかと思いきや〜
逆に吹っ切ったな
それこそが、絶望感のみせどころだった。
重くてつらくて、 かなしい
あと一週間は引きずりそうです
歌のとおり、ザッツエンターテイメント(ジョーカー)
と
ザッツライフ(アーサー)
もう、歌はいいから話をしよう
と言ったアーサーを受け入れなかったリー
ジョーカー推しの大衆もそう
映画館を出て、雲一つない青空で少し救われました
ストーリーというか、気持ちは、本当によく描けていたとかんじました
PG12…?!
1と別の作品だと思って⭐︎3
あとこれPG12で大丈夫なんだ…
心が荒んできた会社員3年目くらいが観て、
世の中クソだよなーとか
誰も自分を見てくれないよなーとか
でもアーサーより恵まれてるからとりあえず今夜何食べようかな、くらいの気持ちになれる映画ではないかと。
ちょうど自分が見た前の席に小学生くらいの子どもたちを連れた大人がいて、見終わったあとに子どもが
あまり残酷じゃなかったね、と言ってたけど
まだまだこの作品の奥の、闇の部分とか、人間の怖さや汚さとか、アーサーの人生を考えるに至るには、きみは単に早すぎるだけなんだと思った。
逆に言えば、この話すら現実ではないファンタジーに映っていてほしい。
たしかにホアキンフェニックスは素晴らしい演技をする俳優で惹かれる。まだ「ヴィレッジ」くらいを観ていて欲しい。
でも、まだ背伸びをしなくていい時もあるはず。
映画を観た感想
前作は僕が今まで観た映画(まあ年齢的にそんなたくさん観たわけではないですが)の中で最も好きな映画だったので、その続編というのもあり、とても楽しみでした。
まあ、この映画を観るにあたり、賛否両論があるというのは聞いていましたが・・。
観終わった感想としては、今作は難しいなって。
例えるなら美術品を観ているかのような難しさ。監督・脚本は前作に引き続き同じ人が担当しているのに、前作とはまるで違いました。
今作は逮捕後の話であって、アーサー(ホアキン・フェニックス)とリー(レディー・ガガ)の物語。最後まで一貫しているので、人によっては物足りなさがあるかもしれません。
アーサーの頭の中と現実が交互に描かれているので、そこも人によってはごちゃごちゃしていると思うかもしれません。
このアーサーの頭の中がミュージカルで、やはり道化師として、コメディアンに対する未練のようなものがあるのかもしれません。ただ、そのミュージカルも人を楽しませるのではなく、自分が楽しむものですが。
後、ここはさすがレディー・ガガだなと、歌声がとても迫力があって聴き応えがありました。観るなら字幕版の方が良いと思いますね。
そして最後の結末を観て、続編はあるのかないのか、なんとも言えないなと。パート3を制作できなくもないような感じでしたが、これで終わりって感じもしました。
ただ、個人的には前作だけで完結してても良かったのではないかなとも思いました。それだけ前作の出来は良かったし、前作が良すぎたから、その期待が大きすぎて、結果としてちょっと期待はずれ的な感想を抱いてしまったのかもしれません。
全作は納得
映画論とかそういうものは無く、ただ興味があるものを見ています。
本が読めない(じっくり活字に向かっていられない、何か始めちゃう)
人間なので、映画館でその時間に浸からないと最後まで物語を完結できない
そういう映画ファンです、多い時は月3本くらい見ています。
で前作は「差別貧困病気いじめ等、日本でもありうるドロップアウト物語」
として納得できる映画☆4.3評価でしたが、その後の裁判や神格化した応援者
などになるとさすがに・・・。特にミュージカルが苦手なので、妄想とミュージカル
両方入ってきて支離滅裂になっちゃいました。ただ終盤10分~のシーンはさすがに
映画として引き込まれました。なので3.5の評価です。レディガガと気が付いたのは
映画が始まってしばらくたってからw
期待度◎鑑賞後の満足度○ 『JOKER,』とはあるindividual を指していたのではなく、伝播する「狂気」「妄想」というphenomenon を指していたというオチの付け方。
①DCコミックスの「ジョーカー」というのは誰もが知っている確立したキャラクターなのに、あんな最後を迎えさせるとは誰も予想していなかっただろうから、もうトッド・フィリップ監督は確信犯というしかないだろう(前作から意図していたかどうかは分からないけれども)。
後から思うと、冒頭のアニメはこういう結末になることを暗に示していたのかも。
②映画としては、ミュージカルという体裁にしたせいかドラマ的に前作ほどの緊迫感はなくややタルい(前半はまだましだけれども)。
ただ、大好きな『Bewitched, Bothered and Bewildered』をアーサーが歌うシーンには感激したし、『(They Long to Be) Close to You』はどのシーンで使われるのかと思っていたらあそこで使ったのもなかなか良かった。
で、★★★⭐が妥当かと思ったが、上記のシーンの他、『That's Entertainment 』『There Is No Business Like Show Business』『Get Happy(どうしてもジョディ・カーランドが歌い踊るシーンが脳裏に蘇ってしまう) 』等懐かしいミュージカルナンバーがそこかしこで流れるので⭐一つオマケ。
③「狂気」というショーを始めた者がそのショーから降りた時に訪れる末路の姿と、それでも一度始まった「狂気」というショーは続いていく、ということを描いた映画だと思うが、もう少し穿った見方をすれば、あのラストはアーサーの役目(ショーを始める)はショーが始まったのでもう必要なくなり用済みとなった姿であり(結局アーサーに戻ってしまったし)、『JOKER 』という「狂気」の虚像によるショーが止まらなくなった(裁判所の爆破シーンが、その切り替わりを象徴するシーンだと思う)、誰もがJOKERになる、なれる世界が始まったということだと思う。
④も一つ想像を働かすと、リーが生んだ子どもが本当の「JOKER」になるのかも。
更に深読みすると、彼女は実はアーサーの種(DNA)が欲しくて近づいたのかも、つまり本作は“HARLEQUINE=JOKER=JOKERの母 ”の話なのかもしれない。
⑤鑑賞しながら思ったこと。ミュージカルという形態にしたのも悪くないな、と。だって私達の日常もミュージカルみたいなもの、音楽に溢れてるでしょう。少なくとも私にとってはそう。何かするのも大概鼻歌交じりでやってるし。仕事中でも時々鼻歌歌ってます。おおびらっにしないのは一応職場ではやらない方が良いという一般社会通念に合わせてるだけ。許されるなら時々踊りたい。
私の中にもJOKERは居るみたい。
2024年のワースト
アーサーが可哀そうすぎて…。
暗いなりに不思議とカタルシスがあり、そこが怖いところでもあった前作ですが、続編のこちらは前作以上に暗い。「何見せられたんだろう…」という鬱状態になる映画でした。
前作が悲惨な境遇の男がダークヒーローにのし上がる話なら、こちらはダークヒーローが悲惨な境遇の男に戻る話。ミュージカル仕立てで、お祭り騒ぎのような場面が随所に挟まれている分、現実に戻った時の落差がえぐい。ラストシーン付近で、「歌はもういい」というセリフがありましたが、視聴しているこっちの気分がまさにそれ。
ジョーカーから逃げようとしても逃げようとしても、逃げられず、最後はあっけなく殺されてしまうところからの、「これが人生」と歌い上げるアップ調のミュージックとエンドロール。自分の人生から逃げず、チャレンジを促すような明るい歌詞が、ストーリーに対する皮肉っぽく聞こえて本当にしんどかった。アーサーのような境遇だと、チャレンジもできない、人生に立ち向かうこともできないと思うので…。
夢と虚構、現実がまじりあうストーリー構成は悪くないと思ったのですが、支援の手を伸ばしてくれた人がいるにもかかわらず、大衆にそそのかされるようにジョーカー像にしがみついたあげく、結局耐え切れなくなって味方が誰もいなくなってしまうアーサーがひたすら可哀そうな映画でした。旧作の証言してくれた同僚があいかわらず素直ないい人で、唯一の癒しだったかも。
※話はやや脱線するけど、Xシリーズのパールなんかは、異常性まるごと愛してくれるパートナーと添い遂げているので、周りがジョーカーしか見てくれなかったアーサーと比べれば割と幸せな生涯だったんだなと思った。
音楽と妄想
映画冒頭ホアキン・フェニックスのガリガリの身体を見て役作りのためにこんなに痩せて命懸けで演じたアーサー役をしっかり見なくては…と背筋が伸びる。
1.映画開始30分後くらいに黒のスカンクのアニメを観てるシーンからミュージカル要素が出てくる。ミュージカルの場面を見た瞬間「ああ、これはアーサーの妄想だな」と感じる。
2.その後のミュージカルや音楽が流れるシーンは全てアーサーの都合のいい妄想。現実逃避と解釈。
3.後半の長い階段のシーンでレディーガガ演じるリーが歌い出すシーンでアーサーは「もう歌いたくない、歌わないでくれ」と言う。その言葉の意味は「君を妄想にしたくない。妄想じゃない現実の君と話したい」という意味なのかなと思い少し切なくなる。
4.その後、警察に連行され留置所に戻ったシーンで1の場面と同じ黒いスカンクのアニメを観ているシーンに。映画を見た私は「もしかして今まで見せられていたものって全て妄想?」と思う。本当は1の場面から時間は進んでいなくて今まで見ていたものはアーサーの頭の中で自分が幸せになるための妄想だったのかと。
アーサーは自分の頭の中で妄想した世界の中でも幸せになることはできずにいたのか。自分が幸せになる想像ができなかったのか。幸せになるためのやり方が分からなかったのか。自分はジョーカーではなく社会的弱者で頭が悪くて誰にも好かれないと言うことを心のどこかで理解していたから妄想の中でもその要素が出てきてしまったのか。
私には難解すぎて分からない要素がとても多かった映画でした。
最後の絶命したアーサーの顔は笑っているように見えてジョーカーのメイクをしていないのにジョーカーに見えたのが怖かった。
納得
この続編は必要だった?
この内容だったら、いらなかったんじゃないかと思ってしまった。
裁判での証言を聞いて、アーサーが『自分を信頼してくれた人を裏切って傷つけた加害者だった自分』に気づくシーンがあって。
結果、彼は自分がやったことを認めて責任をとる覚悟をするんだけど…え?で、これ??
本来、語られるべき物語はその後にあるじゃないのか?と思った。
祀り上げられて、共同幻想に巻き込まれて、自分でも勘違いして…でも自分の責任に気がついて…そこからどう生きるかが問題じゃないのか?
うーん、勘違いするとこまでは前作で伝わったと思うけどな。
あとはハーレイクインが好きじゃなかった。
病院に火を点ける?え?逃げられない人とかいない?拘束されてる人とか?
今まで思ってたキャラとは倫理観が違いすぎてついていけなかった。
歌わないで、語りたいんだ、というのを聞いてもらえないアーサーは切なかった。
必要だったかなぁ
1を観返そうかな
日曜日にイオンシネマで
朝9時35分始まり
公開すぐに観ないと変な時間で組まれてしまう
もちろんover55 シニア料金
ありがとうございます
5年前の今頃に前作を鑑賞し絶賛
その後世の中はコロナで大変なことになった
監督は続編を作るつもりはなかったが
ガガ様がハーレイ役ということで翻意したとか
ガガ様はいい役が続くなぁ
アニメスタートでどうなることかと思いきや
前作のテイストに戻った いやぁ重厚だった
アニメの楽屋の壁のデニーロ肖像画はチト笑えた
アメコミとかティムバートンの世界とは異なる
現世と地続きのジョーカー
徹底的にカッコ悪くて惨め
ファムファタールにいいように翻弄される
こっちが断然いい
アカペラで歌い出して音楽が重なるのがたまらない
こういうナチュラルミュージカルもありだなと
タップダンスのシーンが一番好きだ
あいつは最初から後ろの方で異常な目つきしてたな
なんかしでかすとは思っていたんだ
実はこの2時間半は彼がいまわの際で観た走馬燈だった
という解釈もできるかと
あえて復習はしていなかったのだが
1を観返そうかなという気になった
1のオラのレビュー再録しとこ
絶賛で結構いっぱい書いていたんだな
ほぼちょうど5年前で改めてびっくり
imaxで観たらしい 全然覚えていなかった…
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20191014
映画館でおひとりさま
トーフォー(14)の日と祝日が重なりラッキー
この映画館 なんだかんだで結構観ているので
シネマイレージカードをついに導入
クレジットで買い物すると年会費は無料になると…
ケチケチのオラが動いた
で本作 絶対観たかった一作
この間のタラ作同様IMAXでしかも同じ席をインターネット予約
映画秘宝特集号を購入したのも同じ
ハングオーバーの監督だし
タクシードライバーとかキングオブコメディを
敷きにしているというし ロバートデニーロが出てるし
見ない理由がない
あとマーベルより好きなDC絡みだし
ホアキンフェニックスはリバーフェニックスの弟
町山レビューで初めて知った
今や兄貴を知らないヒト忘れたヒトも多かろう
スタンドバイミーの主役じゃ
で これ 最高
この間のタラ映画とどっこい 短い分こっちに軍配か
好きな世界 ダークだが描かれるのはコメディ
超長い階段
よれよれのブリーフ
妄想と現実が適当に混じっている
・シングルマザーとのロマンス
・デニーロ番組出演
お洒落なのは
設定が70~80年代なのに 現在の社会状況にリンクさせつつ
なおDCの世界にピタッとはめこめるところ
続編がダークナイトでも不自然でないと思う
ジャックニコルソンほど明るくなく
ジャレッドレトほどポップでない マーゴットロビーに惚れられない
クリストファーノーランのヒースレジャージョーカーの誕生譚
ジョーカービギニング ブルースウェインとの邂逅
(あら ノーランバットマンは過去ブログに書いていない)
これがアカデミー賞を獲ったら
同じダークヒーローが複数回受賞なんていう珍事だ
助演と主演で さすがにそれはないか
監督とホアキンフェニックス素晴らしい
同年代 うれしい
松本人志が笑いは悲しみと表裏みたいなことを言っていたなぁ
貧乏とかいじめとかリストラとか失恋とか…あとカウンセリングも
映画館を出たら自分がジョーカーになった気分になった
いい映画を観たあとの傾向だ
追記
酔っぱらったら さらにジョーカー度が増した
フニャフニャしたDance 自分に重ねてしまう
あと ジョーカー=冗談いう人なんだな
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(ここから映画と無関係)
終了後は映画と真逆の青空
公園ベンチで家から持参の缶ビール
自作弁当でhappy
等身大
鑑賞前から全米から異様に評価が低かったので逆に気になって見たくなりました(笑)
評価の別れる理由はこれがDCコミックのジョーカーとして見ると物足りなくて役不足で幻滅してしまいます。ただアーサー・フレックの等身大の物語として視点を変えて見ると面白いかなっと思いました。
アーカムで知り合ったハーレーの影響でアーサーら自分はとてもカリスマ性があって影響力があって偉大な人物だと思い込みます。
現に裁判のシーンでは裁判官やデントや弁護士をおちょくり混沌としていきます。
ただ証人喚問でアーサーの過去を知る隣人のソフィーや同僚のゲイリーの登場で少しずつジョーカーからアーサーに戻り始め、調子乗ったアーサーを看守が3人かがり暴行しリンチされた時はもう元のアーサーに戻ってしまい罪を認めてしまい信者やハーレーを幻滅させて、しまいには最後、盲信していた若い囚人にめった刺しにされて息を引き取ります。
個人的な見所はゲーリーの証人喚問のシーンで「みんな馬鹿にしたけどアーサーだけは優しくしてくれた」と言ってアーサーが正気に戻るシーンが印象的で虚勢でジョーカーを演じて罪悪感があったんだなって思いした。
見た人の評価がかなり分かれる作品なので興味ある人は是非
代弁者だったのに。
女に弱い、ただのオジサン。そんな印象しかなかった。俺を丸ごと受け止めてくれると
喜んでいたアーサー。でも、リーも私と同じように、アーサーではなくジョーカーを求めていたように思う。そんなレディガガも、どこかのインタビューで、ファンの代弁者でいる、と言っていた。そう、私も負け組中の負け組だった。理不尽な世の中で微々たる力でやってきた私としては、弱々しいアーサーが狂気の最中としても、ジョーカーとして産声を上げるあの瞬間、私は心の中で歓喜の声をあげたのだ。大袈裟ではなく。私たちの代弁者としてジョーカーに狂気の沙汰で大いに暴れて欲しかった。
映画だけでも。映画だけでも、弱い奴がヒーローになってもいいじゃないかと。
でもアーサーは、最後はアーサーでしかなかった。痩せ細った、疲れ切ったオジサン。
まるで負け組は負け組で終わっとけよといいたげに作られたこの映画。
こんな映画を作るために、頑張った監督さん、お疲れ様。
アーサーフレックの物語
カウンターカルチャーとしてのミュージカル
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」、とても良かった。傑作。アイデンティティーの確立に失敗した「ハウルの動く城」みたいな話だった。よく出来ていた。
想像以上に誠実な作りでびっくりした。ジョーカーによる表面的な破壊はあまり見られない作品だろう。だがジョーカーは破壊している。何を?常識、それにまつわる社会や世界を。それも示唆による破壊である。つまりこの映画はジョーカー(=アーサー)の話を聞く作品である。
「ダークナイト」や「ジョーカー(1)」よりも僕は好きな作品である。この作品に〝ジョーカー〟を求める事はアーサー自身のアイデンティティーを認めない事に繋がる。アーサー=ジョーカーの話を聞きたい人には満点の映画である。
欲を言えば、アーサーにもう少し分が有っても良いと思う。そんなに神様は理不尽なものなのだろうか…。そういう点では一作目でのシナリオ構造上の問題が二作目で露呈しているとも言える。それに対して二作目はより誠実に(過度に真面目に)なったと思われる。僕は誠意のある映画が好きなので評価する。
「誰の中にもジョーカーがいる」というよりも、「誰の中にもアーサーがいる」と思った方が良いと感じる。
レディー・ガガさんが過度にハーレクインを演じていないところも演出として正解だったと思う。ハーレクインという存在にガガさん自身の近い部分を寄せていった印象。
ミュージカルもよかった。カウンターカルチャーとしてのミュージカルとしてよく出来ていた。
比率として、
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」度:3
「ショーシャンクの空に」度:1
「カッコーの巣の上で」度:1
「カラマーゾフの兄弟」度:1
「新約聖書」度:3
「マクロス」度:1
アメリカンニューシネマで始まり、アメリカンニューシネマで終えたような作品だった。
(そういう意味では)至極真っ当な作品だったと思う。
今作には隠れたテーマとして紛争、戦争の事も入っていると感じた。
1人の人間の心の平安の無さが、世界にどれだけの不安定を齎すのかというメッセージを想う。
余談を書けば、「ジョーカー2」はつまり「1」と「2」で綴られた〝ジョーカー〟の話で無くても良いという事だと思う。つまりは、ホアキン・フェニックス版〝ジョーカー〟の話であって、〝ジョーカー〟という存在は、街や世界で認められなかったアイデンティティーの集積値の存在なのだと思う。
冒頭のアニメーションも分かりやすく表現されていた。(影を無くした)ピーターパン症候群であり、アダルトチルドレンの問題から暴走した影によって自身が翻弄されている(されていた)表現であり、この問題はアーシュラ・K・ル=グィンの「ゲド戦記」などに見られる〝自己確立〟の課題と重なります。
余談の余談になるものの「ハウルの動く城」で宮崎駿さんがやりたかったのは男女の恋愛を介しての「ゲド戦記」だったのだと思う。ハウルは大きな魔力を手に入れる為に心臓と自己を二分させながら行先の見えない戦いをしています。ソフィーという存在がハウルの自己認識の根源を見つけることで癒します。
(おそらく)宮崎駿さんの中には〝一人の人間の中の呪解がもたらす世界の平和〟という考えがあります。
それは僕も最もな考えだと思います。
「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」に於いては、一人の人間の呪解は…、という形です。
これは東洋的思想かもしれませんが、「ハウルの動く城」を超えた作品では無かったのは、監督に力量が無かった為では無いと思います。宮崎駿さんが異次元に行っているだけだと思います。
寄り添うように誠実に作られていました。
あとあのキスは何だったのかという事ですね。あれは自己統一性が保てないまま愛を持って生きようとしたアーサーの影の暴走ですね。人との境界が分からないまま愛を大事にしようとしたアーサーの影による行動です。
それは序盤のオープニングアニメでも描かれていますね。
終盤の階段を登るシーンはゴルゴダの丘なのでしょう。
贖罪の物語でしたね。
ハーレクインについて。彼女がアーサー、ジョーカーに求めたのは彼の持つエンターテイメントです。なのでアーサー自身がジョーカーをやめる、ピエロをやめるという事に絶望した訳です。アーサーはエンターテイメントよりも自己のアイデンティティーを優先しました。(それ自体は)正しい判断でした。
これは編集による為なのか、元々の脚本や撮影が多かった為なのか分からないのですが、ハーレクインは逆にアーサーのどこに可能性を感じていたのでしょうか。生き延びる可能性です。あのまま影の暴走を願っていたのでしょうか。それにはアーサーは強過ぎました。
リー、つまりハーレクインがアーサーにジョーカーのメイクをするシーンでは映画「ブレイブハート」のような革命戦士を思わせます。彼女が望んでいたのはジョーカーが世界に伝染することだったのでしょう。しかしアーサーはそれを拒みました。傷ついた幾人ものジョーカーを生み出す事はしませんでした。
この物語ははっきり言って悲劇です。
終わり(結末)には悲しみがあります。
しかし何故悲しみがあるのかの理由は、アーサーが二作目において英雄的決断(と言ってもいい)をしているからです。それは罪を認め、自己のアイデンティティーに向き合う事を選んだからなのです。物語の中の唯一の希望です。
ジョーカーが助かる方法がひとつだけありました。それは「アイドル」になることです。無責任の象徴であるピエロに対して責任的象徴として人を楽しませる存在、それは「アイドル」です。仮にジョーカーの逆転劇、生存戦略として可能性があった方法としては自分自身のアイドル化です。そこにはアイデンティティーの回復に伴った形で支援を募る状態でありつつ、自身だけに収まらない世の理不尽を利他の精神で訴えながら愛される戦略です。
ただひとつの方法です。
僕はその可能性が作品内に残されていたことを示唆します。
ジョーカー史上1番彼の人間性にフォーカスされた作品だったと思う。
〝ジョーカー〟は何処へ?
〝我々含め、皆がジョーカーの存在を期待する。〟
という仕組みがこの作品の本質だと思う。
悪のカリスマたるジョーカーはとても好きなキャラなので、また彼に劇場で会えることに胸を膨らませて映画館へ向かった。
しかし、前作で誕生した〝ジョーカー〟はこの作品では登場しない。
作中の世界で放送されているというドラマやアーサーの頭の中の妄想に、〝彼の〟片鱗は感じるものの、何かがずっと物足りない。
そうして迎える、アーサーという一人の人間の呆気ない最期。
ああ、アーサーはジョーカーではなかったんだ。
我々はアーサーに、自分の中のジョーカーを投影していただけだったんだ。
リーがジョーカーに恋をしたように、前作でジョーカーに恋をした私のような人間には、酷く期待外れな映画に映るだろう。
しかし、それこそがトッド・フィリップス監督の狙いだとしたら。
「普段、平穏に、当然のように、社会的な生活をしているあなた達も、ジョーカーの誕生、その存在に期待していたんだろう?残念、アーサーは違いました!」
「一杯食わされた、アッパレ!」
私はそう言わざるを得ない。
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