ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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観たい画はわりとみれた。
ジョーカー2観てきた。
ネタバレあり。
首尾一徹わかりやすい映画で、これだけわかりやすいという事が、監督がいかに曖昧さを排して「ジョーカーはいない」というメッセージを伝えなきゃという使命感を持っているのかわかる映画でした。
アーサーは多分あのまま頑張ればジョーカーになれたと思う。
けど、それを阻止したのが、小人症の人の涙や、キスをした囚人青年の死だったのだと思った。
彼らは、アーサーとお同じように周りからバカにされてるけれど、アーサーだけは彼らをバカにしなかったからアーサーを慕ってくれた人たちで、そんな彼らを結果的に傷つけたり死なせてしまった。その罪悪感がアーサーをジョーカーにしなかったのだと思う。
最終的にジョーカーではなく、アーサーの分身のようなモブ囚人に殺される…というのが徹底して「ジョーカーはいない」を貫いているなと。
最後にホアキンがダニエルジョンストンを歌ってるのが、アーサーはジョーカーじゃなく、ダニエルジョンストンだったんだ…と思えて切なかった。
最初の面談のビデオ映像をみてすぐにビリー・ミリガンを思い出し、自分で自分を弁護するのはテッド・バンディを思い出した。
昔仰天ニュースでみたミリガンの面談映像思い出した。
ガガ様とホアキンのダンスも歌もタップも観れたし、観たいものは観た気になった。
面会室でカーペンターズ歌うところはとても良いシーンだった。
ジョーカーを昇華してアーサー
第一作は、ジョーカーの名を借りたレベルの高い心理ドラマだったけど、その救いようのない重さと暗さに、本作品を観るのは正直二の足を踏んでました。ところが、蓋を開けたら、監督のトッド・フィリップスの鮮やかな演出と主役二人のパフォーマンスに圧倒されました。舞台はほぼ刑務所と裁判所という閉塞感、天気は常に雨が降っている陰鬱さ。こんなシチュエーションで、主人公アーサーの心の叫びをまさかのミュージカルで表現するアイデアにビックリしました。さらに自分の理解者リーとの出会いによる内面の高揚感をさらに明るくポップなミュージカルシーンにしていく演出が素晴らしいです。そして、歌唱力には定評のあるホアキンとガガのデュエットはパンチがあって最高です。また、ストーリーにおいても、裁判の過程でアーサーが自分の本当の姿に気づいてしまい、リーから見放されてしまう展開は、あまりにも残酷で呆然とします。賛否両論ありますが、前作のような重厚な心理ドラマの二番煎じではなく、冷たい現実ときらびやかな幻想を織り込んでアーサーの真実を描き切ったトッド・フィリップスの度胸と才能には本当に感服しました。
織田裕二の気持ちがようやく理解できました。
非常に印象深い作品であった「ジョーカー」の続編。
鑑賞前は「あの作品に続編なんていらないのでは?」「レディ・ガガとくっつくジョーカーを見たいのか?」という思いもありました。
が、実際に劇場に足を運んでみると、いやいややっぱり見ていて興奮する訳です。ミュージカル仕立てでストーリーは進み、アーサーは理解者を得て、ジョーカーになることを一旦は決断します。
私自身も裁判所の前の信者たちの如く、「悪の権化」であるジョーカーの復活を待ち侘びてしまっていました。アーサーはジョーカーになり、リーはハーレクインとになり、悪逆非道の道に突き進む、というそんなラストを……。
しかし、物語はそう簡単に展開せず、アーサーに対して、アーサーであることを踏みとどまらせるのです。
「振り返れば奴がいる」というドラマがあります。織田裕二がある種のダークヒーローを演じた傑作です。彼は物語の最後の最後に唐突に殺されます。それはなぜかというと、演じた織田裕二自身が自分の役は「絶対に死ぬべきだ」と強く主張したそうです。
ダークヒーローはどこかでそのツケを支払う必要があるのです。ジョーカーを再度復活させれば非常に魅力的な終わり方として前作の支持者に喝采されたでしょうし、どこかでそれを期待している自分もありました。ですが、それをやってしまうと単なる前作の繰り返しの作品でしかありません。
そのような状況の中、ある種の因果応報をきちんと描き切った製作陣や出演者たちの勇気とケジメの付け方に拍手を送ります。
この映画の違った終わり方をどこかでいまだに求めてるもう一人の自分と向き合いながら、筆を置きます。
違和感の連続からの納得の最期
ジョーカーが裁判にかけられる話。
ハーレイクイン、ハービーデントの参戦!
と聞いて興奮してたのですが、
思ってた展開とは全く違いました。
カリスマが覚醒していく物語と思いきや、
病院でも裁判所でも前作同様の悲しい扱いを受ける
主人公アーサー。
これまでのバットマン映画のすりこみもあるせいか
ハーレイの言動もなんか気になるし
ジョーカーぽくないなあとも思い、
違和感を抱えながら観てたのですが、
ラスト5分でやっと納得できました。
とは言え前作ほどの興奮は無かったのは残念。
1人の男の人間ドラマとしては
ちゃんと成立してました。
気持ちいいものではないですが。
にしてもガガ歌いすぎじゃないですか?
「もうええわ」って心の中で何回も言ってました。
悪を誘うカリスマとして、担ぎ上げられたピエロ・・・
賛否両論!数々の想いが訴えられるのも納得です。
DC作品の中でも異彩を放った前作「ジョーカー」!本作は、更に異なる様相を現し、また違うジョーカーを見せてもらった気がする。
まるでミュージカル?作品のほとんどを占めるような歌声の数々。
勿論、レディ・ガガの起用も影響しているのかもしれないって言うより、この為に彼女をキャスティングしたのか?
ジョーカーに絡む女性と言えば、ハーレイ・クインが浮かぶんだけど、レディ・ガガが彼女なのか?
妄想シーンで歌い、踊る、二人の姿が見事にエンタメしてます。
この時点で、前作とはかなり雰囲気が違う。
こんなところが賛否両論の要因じゃないかな。結局は好き嫌い?
自分的には満足で、面白かった。ただし、途中で長い瞬きしちゃったけどね。まぁ、もう一度しっかり見てみようとは思ってます。
【ネタバレ。ラストに触れます】
そして、本当に衝撃的だったラストシーン。
まさか、あんなことになるなんて・・・
エンドロール後にオマケ映像でもあるのかと思ったら、そのまま終わってしまった。(これも賛否両論の要因かも)
結局、アーサーは、ジョーカーではなかった?
正確に言えば、バットマンのヴィランとなるジョーカーは、彼の意志を継いだ者だったということなのだろうか?
こっ!これは!!
精神疾患のある個人の妄想が、他者に伝染して同じ妄想を共有していく。。
こっ!これは!!
私の大好きな「パーフェクトブルー」
(今敏監督)でしょうか?!
本作の公開を前に、先月劇場公開された
「ジョーカー」を鑑賞したばかり。
心優しかったアーサーが貧困や差別、母親からの裏切りなどの様々な理由から精神を蝕まれていく。
(それは幼少期から続いた悲劇でもある)
そして衝撃的な殺人事件を起こす。
民衆に煽られ巨大な悪に変貌。。
私は「ジョーカー」でのアーサーの事を、
どーしても"悪のカリスマ"として見れない部分があった。
孤独だが優しかったアーサー。
彼を変えたのは歪んだ社会であり私達だ。
アーサーだからジョーカーになったのではなく、誰でもジョーカーになりうる可能性を秘めていると思えてならない。
だからこそ、彼の意図しない所で勝手に民衆の代弁者として、弱者のカリスマとして崇めたてられたアーサーを、肯定は出来ないのだが、否定も出来ずにいた。
正常な判断が出来なくなるまで追い詰められたアーサーに、むしろ同情してしまう気持ちも大きかった。
そんな
現実と妄想が混在するアーサーの世界を追体験させられた、信じられない語り部であった前作の「ジョーカー」のその後を描いた本作。
冒頭のアーサー(ホアキン)の姿にフリーズした。
痩せこけた、、を通り越す変わりよう。
もう骨と皮だけの背中に涙が出そうになった。
州立病院とは名ばかりの、酷いそこでの生活が想像出来た。
"外"に出れば彼は悪のカリスマだが、
結局は殺人鬼であり、裁判を待つ身。
院内での扱いは酷いものだった。
そんな日々の中リー(ガガ様)と出会い、
愛を知り、止まっていたアーサーとジョーカーの時間が動き出す。。
と、上辺だけすくって観ればあのままなのだが、、違う気がしてならない。。
少し乱暴だが、リーと初めて出会ったシーン。目が合う。
それは現実で、それ以降は全てアーサーの妄想だ!なんて観方も出来る。
(たぶんDTのままだと思う( ; ; )
観客が自分の見たいように都合良く見ているだけで、それは実は自分の内面なのかも、、と思うと怖くなるし、そしてその解釈が実は全てアーサーの妄想なのでは?と思うとかなり戸惑う。
しかし私は、本作は、アーサーが
「ジョーカーなんていない」と言えた事こそに意味があるのだと思った。
注目して欲しいのに!愛して欲しいのに!誰からも注目されず愛されず、底辺で生きてきたアーサー。
殺人鬼ジョーカーとなり神格化されていく過程で皆から注目され崇拝されて
(愛されて)いく皮肉。
正直心踊ったかもしれない。
しかし、アーサー自身がジョーカーと決別出来た事にこそ意味があるのではないか。
(あの彼の証言に泣いた( ; ; )
アーサーだけが僕を馬鹿にしなかった。
その証言の後のアーサーの表情の変化と、より乱暴に振る舞う姿に泣きました。
あれがあったからアーサーは心を取り戻したんじゃないかな)
悪のカリスマとしてのジョーカーが見たかった人からすれば本作は肩透かしだったろう。
だけど、それは少し危険かもしれないなんて思ってしまったのも本音。。
ゴッサムシティのジョーカー信者と同化している?!(否定してません)
SNSを通して良くも悪くも誰しもが、一瞬で世界中から注目される存在になる(なってしまう)世界。
自分の意思とは関係なく勝手に
"造られた自分"が1人歩きしてしまう恐怖。
そんなターゲットになり得る人物の登場を望んでいるのは我々で、そこに勝手に自分の欲求をくっ付けてくっ付けて巨大化させているのではないか。
そして自分の欲求を満たしてくれないのだと分かると一瞬で興味を無くす。
見捨てる。
(いつも見捨てられてきたアーサー。
だから彼の妄想は皆が笑っていても歌っていてもいつも哀しい。。)
それはリーと同様で私達にも当てはまるのではないか。
リーは自身の欲求からアーサーがジョーカーとして"存在し続ける"事を望む。
もはやリーがジョーカーであり、私達もジョーカーなのではないかと、考えると怖くなる。。
所々に差し込まれるアニメーションの意味。
前後のシーンとの関連性ももっと考えたかったのですが、一回だけでは理解及ばずで不甲斐ない( ; ; )
又、ラストの解釈も何通りも考えられる。
私はアーサーは死んだと思う。
それは身も心もアーサーという人物の命が消えたという解釈。
でも気になった事がある。
あの患者はアーサーを刺した後、ナイフを何度も舐めているように見えた。
最初は彼はジョーカー信者だから、ジョーカーの血を舐めているんだと思った。
だけど。ん?ってなって。
口裂けってジョーカーのシンボル?的な意味がありますよね?
だからあれって口裂いてた?!?!
アーサーのジョーカーは死んだけど、悪のジョーカーは絶えない!引き継がれる!って意味なのかなと思うと、嫌なラストだな、だけど、ある意味リアルだな、と、恐ろしくなりました。
でもやっぱり私では一回見ただけでは読めませんでした。
もっと仕掛けがあるのだろうに、たぶん全然わかってなくてごめんなさいw
そしてガガ様やミュージカル、音楽についても何も触れていなくてごめんなさいw
ここまで書いて力つきました( ̄∇ ̄)
スケジュール的にいけたので、エマちゃんと連続鑑賞しようかな〜( ・∇・)とか一瞬でも思っていたバカな私。
いや、頭パンクするわ我慢して正解!
自分のキャパを知る女で良かった。
遅くなったが、エマちゃん。明日観っから♪
賛否あってヨシ!
トッド・フィリップス監督の描いた
「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」
私は好きでした。
大人の事情
1が大好きだったので、2が作られると知ったとき、正直不安だった。でも興行として考えてみれば、2を作れば確実に客が入るのだから、作らない選択肢は無いですよね。結果、不安は的中し、モヤモヤ感たけが残った。監督は、「悪のカリスマなんて居ませんよー、皆さん目を覚ましてー」と仰りたいのでしょうが、なんだかそれって、説教臭く有りません?私たち映画ファンは、説教されるために、時間とお金をかけて映画館に向かうのでは無いのてすよ。ミュージカルも微妙だった。基本、他のミュージカル映画ば大好きなのだけれど、この映画のミュージカルシーンは全然乗れなかった。裁判シーンもカタルシスが無く、全然乗れなかった。ゲイリーの演技が良かったというコメントも見かけるが、私は、なんだかわざとらしい演技に見えた。1で登場した、片思いの彼女が、今作では、実は、あのときはこんな気持ちだったと語るのは、正直、1への冒涜、聞きたくなかった。
というわけで、私としては、2は無かった、1で完結、と思ってこれこら生きていこうと思います。
”ジョーカーが何をするか”にしか興味がない我々に突きつけられた、社会から見捨てられた男の物語
前作は”バットマン最大のヴィラン、ジョーカー”の誕生を描いた物語として見ることが出来たが、2作を一連の作品としてみると、アーサーという哀れな男が狂気と正気の間で振り回され、もがいた様子を映し出した作品であった。現実というメタ視点でもジョーカーはとてつもなく人気のヴィランであるし、とても強力でまばゆい力を持っている。そういうあまりに強力な概念としてのジョーカーにアーサーは殺された被害者のようにも感じた。作品の低評価からもわかるように世間は「ジョーカーらしさ」を求めてるんだろうなあと思う。実際自分も鑑賞直後はなるほどねーくらいの感想しか持たなかったわけだし。
さて、最初のカートゥーンでジョーカーの影が本体をクローゼットに閉じ込めて独り歩きするシーンがあるが、まさにそれが今回の映画のすべてだと思う。アーサーが「ジョーカー」という自らが作り出した幻影にすべてを奪われていく物語だった。
弁護士は「ジョーカーという別人格が起こしたことだといいなさい」といい、取材に来たテレビクルーはジョーカーについてばかり聞きアーサーは「今の私について聞いてくれ」と叫ぶ。ハーレイと惹かれ合うが、ハーレイ側は”素敵なジョーカー”に会うために嘘までつく。
TVショーという非現実の舞台の上ではジョーカーという役回りを演じられても、法廷という現実ではただのアーサーでしか無く精神的にも問題を抱えていて学もない彼は無力であり、見ていて悲しくなるほど滑稽であった。そんななかで裁判の最後にでてきた小人症のゲイリーが「君だけは僕を馬鹿にしなかった」といった相手はアーサーであり、それで重荷を捨ててようやく本人はアーサーとして振る舞えたわけだが、それでも結局一般人やハーレイなど周りが求めているのはジョーカーでしか無いというのが哀れに思う。
ジョーカーの魔力がなくなったアーサーは最後にはあのような結末を迎えて、ただただ悲しい物語だった。弱者男性という言葉が流行ったが、その言葉を想起せずにはいられなかった。
追記:制作側から観客に向けて「君たちはジョーカーが何をしでかすかに興味があるだけで、このアーサーという男には何の興味もないだろう?」と突きつけられているように思う。それが映画内と現実とで二重構造になっており、社会から見捨てられた人間の辛さ、孤独さ、悲しさが一層胸に刺さる。
鑑賞直後から時間をおいて考えれば考えるほどいろんな感情が出てくる作品だと思う。
ジョーカーになりきれなかった男
まず最初に言っておきます。作品としての出来は傑作だと思います。
では何故酷評が多いのか?それは求めていた物語ではなかったから。
落胆して拒否反応で批判的な感想が多かったのでは?
ハーレイ・クインも私たち観客達も「ジョーカー」を期待していた
だけどアーサーはそれになる事を降りた。
だから彼女も観客達も彼のもとを離れてしまったのだろう。
ジョーカーというよりジョーカーになりきれなかった男の話
物語はほぼ妄想ミュージカルと法廷劇
「Folie à Deux」(フォリ・ア・ドゥ)はフランス語で「二人狂い」という意味
文字どおりアーサーはハーレイ・クインとの妄想に思いを巡らす
法廷では証人として前作の登場人物たちが証人として出廷
裏で母親がアーサーをどのように言っていたか等、
アーサーが知らぬ現実を突き付けられ精神が崩壊していく・・・
精神を保つ為に、自らジョーカーになるが・・・
ある1カットで俺には容易にラストが想像出来てしまった。
実際に想像どおりになった。
このカットは要らなかったと個人的には思いました。
(どの1カットかは分かる人には分かる)
ホアキン・フェニックス
相変わらずの上手さ!狂気!飛び抜けている!素晴らしい!
レディー・ガガ
ワザと下手に歌ってくれと監督に言われた
それでも歌唱力は抜群!演技も素晴らしかったです!
もっと評価されてもいいのでは!?
純粋に作品として楽しめれば
前作程ではないけど、個人的には傑作だと思います!
ただ「ジョーカー」を期待して行く人にはお勧め出来ないかも?
追伸:全編IMAX撮影だと思ってたけど、
妄想ミュージカルの部分だけがIMAX撮影で
他のシーンは下部が黒くマキシングされています。
ラストが意味することとは
まさかこんなミュージカル映画とは思わなかった。
ガガが出演するならいっぱい歌ってもらいたくなる気持ちはわかるけど(笑)
ラストでアーサーが刺されて死ぬのは
刺した男が『ジョーカー』を乗っ取ったってこと?口裂いてたけど。
それともアーサーの『殺されるシリーズ』の妄想オチ?
どっちだろ?どっちでもないのかな?
モヤモヤするー
モンローよりセクシー、ノーマ・ジーンよりさびしがりや
ジョーカーについては、何となくの知識しかなく鑑賞。
ジョーカーのモデルはマリリンモンローかと思いましたね。
アーサーは、ヴィーナスの肢体を持つ悲劇の少女ノーマ・ジーン。
悲惨な少女時代への復讐のように、手段を選ばず国家権力にまで近づく、マリリンモンローというセックスシンボルが巨大になるたび、心優しい少女ノーマ・ジーンは、ボロボロに傷ついていく。
ただ、貴女を救うためだけに現れたのに。
大衆からの愛?そんなもん、彼女が夢に現れて歓迎しない男はいないだけの話し。
モンローが愛した男達は、ノーマ・ジーンの前から去って行く。
涙で化粧がはがれ、素顔の少女に戻るとき、男達の怨情の刃が彼女を貫き続けるのだ。
今さら清らかな乙女に戻らせやしないぜと。
これは...
やってしまっている。
なぜミュージカル、なぜガガ。
終始ガガが邪魔している。
これはハーレイではなく、ガガ。
ジョーカーの変貌ぶりはさすがだと思うけど、ホンマにガガがいらん過ぎた。
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