ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
全729件中、281~300件目を表示
冒頭のアニメが要約する笑えない冗談
ジョーカーが狂気に歌い嗤う
ガガ嬢も想いの外美しいが、囚われのアーサーは悲しい
私も彼を分かろうともせず、閉塞を破りたいだけの衆愚なのだ
バットマンともハーレイとも会えないんだね
失望した私の考えを一変させたのは、これは気楽な娯楽の殺戮だと気付いたからだ
個人的には良作でした
どこにでもいる不幸を背負った一般男性、世間から見向きもされない透明化された社会的地位の低い弱者男性が、突発的に罪を犯してしまった時に偶々ピエロの格好をしていて、それが偶々民衆に受けて熱狂的に崇められた。
これはそんなジョーカーの話でした。
おそらく皆が期待していた悪のカリスマでは全くないです。
すごく惨めに描かれてました。
でもそこが自分には刺さりました。
アーサーは民衆がイメージするジョーカーを演じるけれど、結局その期待には応えられませんでした。
かつての職場の同僚、小人症のゲイリーが法廷で証言するシーンが印象深かったです。
罪を犯してしまったけれど、アーサーは本来心優しい性格のはず、、、アーサーの事を見てくれていた人は身近にいたんだなあと。
反対にガガの演じるリーは、アーサーの中のジョーカーにしか興味がなくて、ジョーカーに気に入られたくて不幸アピールするけど実は全部嘘だったり、自身の境遇でジョーカーになってしまったアーサーとは正反対のただのヤバい人で上手く対比されていました。
みんなが期待していたジョーカーとは違ったかもしれないけれど、これはこれで良い作品だと個人的には感じました。
色々と考えられていて、こちらも色々考えさせられます。
法廷でアーサーが「ジョーカーはいない」と発言したことで、民衆は失望すると同時に理想のジョーカー像を膨らませて、真のジョーカーが誕生する、、、といった感じでしょうか。
アーサーが引き起こしたジョーカー騒動が引き金になって後にバットマンと対峙することになる、視聴者が期待するようなジョーカーを生み出した。
そういう展開を妄想したりして、鑑賞後も浸っています。
あらすじが間違っている
誤)
理不尽な世の中の代弁者として時代の寵児となったジョーカー
正)
ジョーカーとして時代の寵児となったアーサー・フレック
これを履き違えてる勢がけっこういて賛否両論になってるっぽい。ゴッサムの不満を代弁する形となった彼のカリスマ性に期待が集まりながらも、彼の真の精神をミュージカル調で描写して行くのが本作。
前作が正直リピートする気にならないくらい悲痛で、事件を起こした時のカタルシスがこの作品の中心ではないと思っていたので、今回もそういう趣旨に傾いていたことはある意味安心したというか…。
たとえば本作でまったく説明されてないけど、アーサーが情動調節障害を患ってることは忘れてはいけなくて、彼のその笑いは何の感情なのか慎重に観る必要があるんだよね。
一緒に観た奥さんはミュージカル映画も観るし、しかもレディー・ガガ好きだったのだけど、歌が上手いリーに対してアーサーがそうでもないところが余計に惨めらしさを感じて辛かったとのこと。
that's entertainment
事前評価で大不評なんて聞いていて、確かに批判される感じはよくわかるけど、個人的にはアーサー、ジョーカーのその後として割と受け入れられた印象。
ただこのシリーズはこれで終わりにしてほしいし、そうじゃなきゃ本作を作った意味がなくなりそう。
まぁ評判的にアナザーストーリーとかでも続編等はないか。
「カートゥーンアニメ」
冒頭の何から始まるかと思えばまさかのカートゥーンで前作で起きたことの振り返りかつ、アーサーがジョーカーになった、アニメではジョーカーという影に乗っ取られたのがサクッと表現されていて良かった。
人によってはこの始まり方の時点で今回思ったたのと違うかもと思うかも。
思ってたのと違うとは思わなかったけど、意外な始まりは楽しかった。
「アーサーの初恋」
初恋ではないかもしれないけどそんな感じ。レディガガ演じるハーレークインとのこんな恋愛劇的なものが見させられるとは思ってなかった。アーサーが恋に浮かれてる感じはなんだか、アーサーにも春きたじゃん!良かったじゃん!って気もしたけど…まぁ結末はね…
「ハーレークイン」
ジョーカーの狂った狂気に飲み込まれて利用されていくようなのがハーレークインという印象だったけど、本作ではむしろアーサーが恋心と共に飲み込まれてしまった印象。
レディガガのハーレークインってどうなの?って思ってたけど、なんだか可愛らしい気もして想像よりも良かった。
また歌唱シーンはまぁ言わずもがな流石の歌声でした。
「良くも悪くも本来の自分以上のものになってしまったアーサー」
荒んだ奴らのシンボル的な存在になれたアーサーことジョーカーだけど、支持する人たちの中ではきっとアーサーという名前は認知されてないんだろうなぁ。
そしてジョーカーとしての振る舞いもなんだか前作のような感じはしなかった気がする。
アーサーがなんとか作り上げてるジョーカーというか…
はじめていろんな人に支持され注目を浴びスターのようになったアーサーは途中まで満更でもなかったんだろうけど、狂気を使い果たしてしまったというか…
ジョーカーがこんな形で支持されるなんて想定外だろうし…
どんな形であろうとスターであり続けるのも楽じゃないって事かな?
そして信者やファンが増えると期待に応えられなくなった時、恨みを買ってしまうんだなぁ…
「現実とミュージカルの妄想」
前作では現実とアーサーの妄想?の境があやふやでだからこそ、あれこれ考察なんかでも盛り上がったけど、
本作では現実と妄想(脱獄しようとするところは違うけど)の境が妄想や誇張部分はミュージカルで表現されているので、本当のことなのか?という考察の余地がない作品になっている。
また前作であやふやであった部分も法廷で全て答え合わせがされてしまうので、前作のような魅力はなかったのかも。
でもはっきりしているぶん割とスッキリ感はあったかなー
本作ミュージカル映画と言われるけど、分量的にそうなだけで、ミュージカル映画と言われるとなんか違うかなぁという気もする。
「前作の影響力をフィクションの中に収めさせるような作品」
前作は現実社会にも悪い影響を与えてしまうようなエネルギーやメッセージ性が、おそらく想像以上に生まれてしまった作品だったように思う。
ある意味落とし前をつけるではないけど、本作はそのある意味映画というフィクションから飛び出してしまったものを再び劇中に引き戻すような作品だったように感じた。
だからこそ、悪の権化のようなジョーカーやどこまでも落ちていくアーサー、荒れていくゴッサムシティなんかを期待していた場合には、本作はあまりにも期待外れな作品だと思うのも無理はないかと…
おそらく制作側もみんなが見たいジョーカーってこれじゃないと思ってそうだけど…
観客が求めるものじゃないのであれば、別に本作作らなくても良かったのでは?という気もする…
「結局悲劇だったのかも」
前作では人生が悲劇か喜劇なのか、何が正しいのか、自分で考えて決めろといったような感じがあり、そしてアーサーの人生は喜劇だったんだ!となったが、
ジョーカーからみるアーサーの人生は喜劇だったのかもしれないけど、結局アーサー自身の目線からは悲劇だったなぁと…
冒頭のアニメのようにジョーカーという影に乗っ取られてしまった自分をやっと取り返したと思ったらこれだもんなぁ。
でも最後に
「ラストの面会は」
あれは本当に誰かが面会に来ていたんだろうか?来てくれてるんだとしたら、ゲイリーだったらいいなぁ…
でもいつになっても看守が早く来いって戻ってこない事考えると誰も来てないし、看守もナイフ男もグルなのかな…
ナイフ男は次のジョーカーになるのかな…?
「総括」
作品の評価が芳しくない事は制作側もある程度折り込み済みなんじゃないかなと思う作品。(そんなことあるのか知らんけど)
ただそこまでして(?)ある意味アーサーをジョーカーからある意味救出したのかもしれない。
ただそれはジョーカーファンは望んでなかったんだなぁ…それは劇中の支援者、ハーレークインもしかり。
レビュー全体的になんだかなぁ…というテンションの内容になってしまったけど、1作目でジョーカーへとなってしまった、アーサーという男のその後の話という事だけで言えば、そんなことがあったんだね…って感じで個人的には別に期待はずれでも、嫌いでもない作品でした。
狂気に満ちたジョーカーもそれはそれで魅力的だけど、この物語のシリーズにおいて自分はどちらかと言うとアーサーのことが気になっていたんだろうなぁ。
ジョーカーが見たい人が見ると多分満足は出来ないと思うけど、アーサーの事が気になる人が見る分にはそれなりに楽しめるんじゃないかなと思う。
前作がthat's lifeに対してthat's entertainmentと言って、あくまで前作含めエンタメだから!と言われた感。
酷評する人が多いが
世間では酷評が多いが、私は普通に楽しめた。冒頭のアーサーの裸での後ろ姿からの哀愁。そして、ジョーカーになった時の豹変ぶりは相変わらず恐怖をおぼえる。そして…
まぁ酷評される理由も分からなくもないが、1本の映画としての完成度は間違いなく高い
ミュージカル苦手じゃない人にはオススメ
現実/リアル
(何故かレビューが消えていた為、同じ内容で再投稿しています)
前作を2020.08に鑑賞@飯田橋。それから4年、公開からは5年の歳月が流れ。日本では2021年、ハロウィンにジョーカーコスプレで事件を起こした服部被告が、懲役23年食らうなどし話題となった。
その後のジョーカーの物語。
施設(どうやら精神科病院のようだ)に入所し閉鎖病棟・保護室で暮らすアーサー・フレックことジョーカー。タバコばんばん吸ってるけど、米国では許されているのかな。副流煙で健康被害訴えられたら負けそうだし、タバコだって高かろうに。喫煙者がエグゼクティブではないことが、現代の社会における歪みを感じさせる。
あと映像で描かれる、病院(施設)における職員の暴言・暴力が酷い。デフォルメされているとはいえ、米国ってこんなんなんだろうか?閉鎖空間、変化のない場所で過ごすと、荒んでくるのも分からないではないが。
レディー・ガガ演じるリー(ハーリーン)のジョーカーに対する想いは、hybristophilia(犯罪性愛)の一つなのかな。彼女自身もかなり歪んだ人物として描かれているが、終盤のジョーカーに対する態度、両者の関係性。異性愛者として思うところはある。
アーサー(ジョーカー)の選択、リーの選択、そして、ラスト。そうなるかなとは思うのだけれど(現実/リアルに引き戻すという点で)、できれば別の形の終幕、違うストーリーを観たかった。
皆が望む僕
…確かに俺は悪い奴だよ。だが、俺を裁こうとするあんたはどうなの?。俺を裁く資格あるの?。あんたは、BAT MANか?、あるいはBAD MANか?。どうなの?。キスしてやろうか?。
私にとって、トリックスターと云うか、頭が良すぎる確信犯と云うか。そういう奴なんですよね。あいつは…。
やっぱり私、前作と同じ理由で、この映画を、全面的には支持しません。ジョーカーは、いるんです。解き放たれたジョーカーに、エールが届くのは、今、そこに、ジョーカーがいるからです。何処にいるのか?。もう、お分かりですね。ジョーカーと踊りたがっている歌姫は、スクリーンの中にだけ、いるわけではないよね。
そういえば、市販のトランプには、ジョーカーが普通、2枚いますよね。あれは、きっと…。
ゴッサムは、誰の心の裡にある?。
この映画は、可哀相なヒトの可哀相な映画なのでしょうか。あるいはヒトに寄り添うことができない世界を、バカにする映画なのでしょうか。もっと言えば、この映画の主人公は、アーサーなのか、あるいは、彼の中のジョーカーを見物したがっている私達なのか。どう思います?。
ここで少しネタバレしますが、とある人物の証言で、この映画のジョーカーは、沈黙します。あの沈黙は、誰に宛てたものだと思いますか?。欲しくても、手に入れられないもの、手に入れていたのに、気づかなかったもの、そこまでして、皆が望む僕であろうとした理由…。
あの沈黙を引き受ける覚悟、皆様はお持ちですか?。
それとも、ジョーカーが抜けたトランプ、皆様はごみ箱に棄てますか?。
追記
この映画、評判悪いそうですね。知らなかった。前作大ウケ、本作大コケの理由は、皆様方の方が、良くご存知のようなので、ここは個人的なジョーカー観を…。
J.ニコルソンや、ヒース.レジャーに自分の裡のジョーカーを託したことのある方なら、等身大のジョーカーに、納得するわけないよね。つまり、皆が望む僕(皆が望むジョーカー)でないことを知ったうえで、ホアキン兄さんは現れたことになります。ジョーカーは、喝采の対象なのか、哀れなるものなのか?。そもそも人生は、舞台であり、エンタメであるとすれば、誰もが皆、ジョーカーのようなもの。憧れのジョーカーを追いかけ、ありのままのジョーカーに背を向けるのは、ヒトとして普通です。たださ、ヒトは、普通であることに耐えられない。この映画を観た皆様は、普通のままでいるのか、その先の世界を見るのか、今、鏡に写る、貴方と同じ顔をしたジョーカーが決めることになります。覚悟してね。
この作品を一言でいえば「キツイ」
最初に、今回の評価は見終えた瞬間の気持ちを
そのまま表している為、変わるかもしれない
改めて感想: キツい
日本公開から5日経過して遅めの鑑賞
公開前から多くの酷評から「酷いなら当日に観なくてもいいか」と思い、正直結末も観る前に知ってしまった。それでもどんだけ酷いのか、そこまでの結末がどんな流れで終わりに向かうのか、そうした気持ちでの満を持しての鑑賞
もしかしたら皆が思う「酷い」と訳が違うかも
結論で言うととんでもない問題作であった。
・本作冒頭やミュージカルの多さ等
「うん?何を観させられてるんだ??」と言わんばかり
「ジョーカー」としての面
・前作さながら重すぎるBGMから繰り広げる「アーサーフレック」としての心情や行動
これらによって「思っていた酷さ」と全く異なった躁鬱を直に体験しているかのような138分であったと思う。
もしかしたらジョーカー/アーサーフレックの心の入れ替わりは作品のように動いているのではないか、だからこそ観客を置き去りにしていたのかもしれない。
私は鑑賞直後にこうして感想を綴っているが書いている時点でも思考停止したかのような呆然が続いている。
こんなに心を引き裂かられたような映画は「プライベートライアン」以来ではないだろうか、
今年公開された「哀れなる者たち」でもかつて観たことない表現からポップコーンを食べるのを止めてしまう程であったが、今考えればあれは絵画みたいな物であり、一周回って清々しい気持ちになっていたと改めて感じる。
プライベートライアンのようにそれまで見たことないグロテスク要素であり、これまた実際に起きた戦争を基に映し出していた為心を引き裂かられただろう。今作は要素として全く異なるがあの作品を見た時と似たような「ジョーカー/アーサーフレック」の心情を感じ取るように、躁鬱のような気持ちで見終えたのは間違いない。
改めてこの映画は本当に問題作であったと思う。
公開前からの酷評も含めて私が思っていた本当につまらない「酷さ」ではなく、強制的に呆然とさせられ心の心情としての「酷い」そして今作を一言で表す「キツイ」
私は前作を人にオススメしたいほど高校生の時に鑑賞した時に「ジョンウィックのような人を軽く殺すよりも今回の重々しく人を殺す」ようなとてつもない衝撃を感じていた
前作と比べ毛色が相当異なっているが、鑑賞する者に鬱を与えるような問題作であったと改めて考える。
最後の最後に
この作品が良くも悪くも主演のホアキンフェニックス・
レディガガは普通の人には感じ取れない心境で作ったのではないだろうか。彼らに大きな賞賛を贈りたい。
何故ミュージカルに???『ムーランルージュ』と『シカゴ』を混ぜたよ...
何故ミュージカルに???『ムーランルージュ』と『シカゴ』を混ぜたような演出が、あの衝撃的な前作の続編として相応しかったのか疑問。ガガのキャスティングはこのためだったのかとやや苦笑。あと、ベタな選曲にもちょっと興醒め。『ザッツ・エンターテインメント』はあのフレッド・アステアの明るいイメージが強すぎるし、『遥かなる影』『ラヴ・サムバディ』『魅せられて』なども、まぁ内容には合ってますけど…って感じ。『ゲット・ハッピー』を狂人が歌うのは、あの『ツイン・ピークス』へのオマージュなのか?あと、法廷シーンで"お願いだからここでタップを踏まないで…!"と思っていたら、法廷内ではなかったがそのすぐ後にタップがあって驚いた。やりたいことは分かる気もするが、何か違う。ボブ・フォッシーの『シカゴ』や『オール・ザット・ジャズ』のようなセンス、カッコ良さが感じられない。ラズベリー賞の対象にならなければよいけど…。
監督自ら
アーサー、ジョーカーを殺したんだと感じます
前作から5年を経てあまりに影響が大きい存在になったジョーカーを葬った。ケリをつけたとも取れます。
ジョーカーはあのジョーカーではなかったという結末ですね。 アーサーはアーサーを取り戻したとも。
全編にわたって妄想だった(髭剃りの出血から刺されて殺されるまで)という解釈もできます。
1番悪いやつはリーだった、これは本作にもっと悪い事をしでかすジョーカーを望んだ観客を揶揄する人物だったのかも。。
ただ、ミュージカルパートがありすぎる!彼の言葉を歌で表現するのはわかるが、彼からのセリフでパンチラインとして見たかった。
まぁ酷評するのもわかる気がしてますw
かつてジョーカーと呼ばれた、人間アーサーの話。
多すぎるBGMとミュージカル的な展開に終始戸惑う。特にアーサーの下手な歌と上手すぎるハーレークインのギャップは、没入感を妨げるものだった。
鑑賞後の帰り道。ひとり反芻でふと思いついたのは、ハーレークインの存在や脱獄、法廷劇そのものがアーサーの妄想、すなわちミュージカルという仮説。
前作では妄想由来の破壊衝動だとすると、今回は妄想による恋愛劇。そのキッカケはクスリ。妄想が真逆に転じた。
その対象はハーレークイン。なるほどねぇー。
ファナティックな彼女は法廷を取り囲む群集の、言わば代表。アーサーの最終弁論での発言により洗脳から醒めたハーレークイン。残酷にも簡単に気持ちが離れていく。妄想でも気持ちが踏み躙られ、群衆からも走って逃げおおせる。
ミュージカルパートを除けば、単なる模範囚のアーサー。今やジョーカーは伝説状態で、カリスマ感は皆無。そのかつてジョーカーと呼ばれたアーサーを仕留めることで新たなジョーカーが・・・、プロローグとエピローグを繋げるだけでも十分に成立する。
前作はepisode.0的な位置付けなので、今作はヒースレジャー越えのジョーカーを期待してしまうのは世の必然。トッドラングレンとホアキンはその期待を淡々と裏切りながらも、1作目のコンセプトを貫き徹底して人間アーサーを描いたのではないだろうか。今作では誰も殺していないにも関わらず、オーディエンスはジョーカーを求め、メディアや看守には蔑まされ続けられ、八方塞がり。そんな状態で迎えるエンディングのカタストロフィ。
法廷劇の結末。アメリカ合衆国議会議事堂襲撃そのもの。あの時の恐怖が蘇る。
観たい画はわりとみれた。
ジョーカー2観てきた。
ネタバレあり。
首尾一徹わかりやすい映画で、これだけわかりやすいという事が、監督がいかに曖昧さを排して「ジョーカーはいない」というメッセージを伝えなきゃという使命感を持っているのかわかる映画でした。
アーサーは多分あのまま頑張ればジョーカーになれたと思う。
けど、それを阻止したのが、小人症の人の涙や、キスをした囚人青年の死だったのだと思った。
彼らは、アーサーとお同じように周りからバカにされてるけれど、アーサーだけは彼らをバカにしなかったからアーサーを慕ってくれた人たちで、そんな彼らを結果的に傷つけたり死なせてしまった。その罪悪感がアーサーをジョーカーにしなかったのだと思う。
最終的にジョーカーではなく、アーサーの分身のようなモブ囚人に殺される…というのが徹底して「ジョーカーはいない」を貫いているなと。
最後にホアキンがダニエルジョンストンを歌ってるのが、アーサーはジョーカーじゃなく、ダニエルジョンストンだったんだ…と思えて切なかった。
最初の面談のビデオ映像をみてすぐにビリー・ミリガンを思い出し、自分で自分を弁護するのはテッド・バンディを思い出した。
昔仰天ニュースでみたミリガンの面談映像思い出した。
ガガ様とホアキンのダンスも歌もタップも観れたし、観たいものは観た気になった。
面会室でカーペンターズ歌うところはとても良いシーンだった。
ジョーカーを昇華してアーサー
第一作は、ジョーカーの名を借りたレベルの高い心理ドラマだったけど、その救いようのない重さと暗さに、本作品を観るのは正直二の足を踏んでました。ところが、蓋を開けたら、監督のトッド・フィリップスの鮮やかな演出と主役二人のパフォーマンスに圧倒されました。舞台はほぼ刑務所と裁判所という閉塞感、天気は常に雨が降っている陰鬱さ。こんなシチュエーションで、主人公アーサーの心の叫びをまさかのミュージカルで表現するアイデアにビックリしました。さらに自分の理解者リーとの出会いによる内面の高揚感をさらに明るくポップなミュージカルシーンにしていく演出が素晴らしいです。そして、歌唱力には定評のあるホアキンとガガのデュエットはパンチがあって最高です。また、ストーリーにおいても、裁判の過程でアーサーが自分の本当の姿に気づいてしまい、リーから見放されてしまう展開は、あまりにも残酷で呆然とします。賛否両論ありますが、前作のような重厚な心理ドラマの二番煎じではなく、冷たい現実ときらびやかな幻想を織り込んでアーサーの真実を描き切ったトッド・フィリップスの度胸と才能には本当に感服しました。
織田裕二の気持ちがようやく理解できました。
非常に印象深い作品であった「ジョーカー」の続編。
鑑賞前は「あの作品に続編なんていらないのでは?」「レディ・ガガとくっつくジョーカーを見たいのか?」という思いもありました。
が、実際に劇場に足を運んでみると、いやいややっぱり見ていて興奮する訳です。ミュージカル仕立てでストーリーは進み、アーサーは理解者を得て、ジョーカーになることを一旦は決断します。
私自身も裁判所の前の信者たちの如く、「悪の権化」であるジョーカーの復活を待ち侘びてしまっていました。アーサーはジョーカーになり、リーはハーレクインとになり、悪逆非道の道に突き進む、というそんなラストを……。
しかし、物語はそう簡単に展開せず、アーサーに対して、アーサーであることを踏みとどまらせるのです。
「振り返れば奴がいる」というドラマがあります。織田裕二がある種のダークヒーローを演じた傑作です。彼は物語の最後の最後に唐突に殺されます。それはなぜかというと、演じた織田裕二自身が自分の役は「絶対に死ぬべきだ」と強く主張したそうです。
ダークヒーローはどこかでそのツケを支払う必要があるのです。ジョーカーを再度復活させれば非常に魅力的な終わり方として前作の支持者に喝采されたでしょうし、どこかでそれを期待している自分もありました。ですが、それをやってしまうと単なる前作の繰り返しの作品でしかありません。
そのような状況の中、ある種の因果応報をきちんと描き切った製作陣や出演者たちの勇気とケジメの付け方に拍手を送ります。
この映画の違った終わり方をどこかでいまだに求めてるもう一人の自分と向き合いながら、筆を置きます。
違和感の連続からの納得の最期
ジョーカーが裁判にかけられる話。
ハーレイクイン、ハービーデントの参戦!
と聞いて興奮してたのですが、
思ってた展開とは全く違いました。
カリスマが覚醒していく物語と思いきや、
病院でも裁判所でも前作同様の悲しい扱いを受ける
主人公アーサー。
これまでのバットマン映画のすりこみもあるせいか
ハーレイの言動もなんか気になるし
ジョーカーぽくないなあとも思い、
違和感を抱えながら観てたのですが、
ラスト5分でやっと納得できました。
とは言え前作ほどの興奮は無かったのは残念。
1人の男の人間ドラマとしては
ちゃんと成立してました。
気持ちいいものではないですが。
にしてもガガ歌いすぎじゃないですか?
「もうええわ」って心の中で何回も言ってました。
悪を誘うカリスマとして、担ぎ上げられたピエロ・・・
賛否両論!数々の想いが訴えられるのも納得です。
DC作品の中でも異彩を放った前作「ジョーカー」!本作は、更に異なる様相を現し、また違うジョーカーを見せてもらった気がする。
まるでミュージカル?作品のほとんどを占めるような歌声の数々。
勿論、レディ・ガガの起用も影響しているのかもしれないって言うより、この為に彼女をキャスティングしたのか?
ジョーカーに絡む女性と言えば、ハーレイ・クインが浮かぶんだけど、レディ・ガガが彼女なのか?
妄想シーンで歌い、踊る、二人の姿が見事にエンタメしてます。
この時点で、前作とはかなり雰囲気が違う。
こんなところが賛否両論の要因じゃないかな。結局は好き嫌い?
自分的には満足で、面白かった。ただし、途中で長い瞬きしちゃったけどね。まぁ、もう一度しっかり見てみようとは思ってます。
【ネタバレ。ラストに触れます】
そして、本当に衝撃的だったラストシーン。
まさか、あんなことになるなんて・・・
エンドロール後にオマケ映像でもあるのかと思ったら、そのまま終わってしまった。(これも賛否両論の要因かも)
結局、アーサーは、ジョーカーではなかった?
正確に言えば、バットマンのヴィランとなるジョーカーは、彼の意志を継いだ者だったということなのだろうか?
こっ!これは!!
精神疾患のある個人の妄想が、他者に伝染して同じ妄想を共有していく。。
こっ!これは!!
私の大好きな「パーフェクトブルー」
(今敏監督)でしょうか?!
本作の公開を前に、先月劇場公開された
「ジョーカー」を鑑賞したばかり。
心優しかったアーサーが貧困や差別、母親からの裏切りなどの様々な理由から精神を蝕まれていく。
(それは幼少期から続いた悲劇でもある)
そして衝撃的な殺人事件を起こす。
民衆に煽られ巨大な悪に変貌。。
私は「ジョーカー」でのアーサーの事を、
どーしても"悪のカリスマ"として見れない部分があった。
孤独だが優しかったアーサー。
彼を変えたのは歪んだ社会であり私達だ。
アーサーだからジョーカーになったのではなく、誰でもジョーカーになりうる可能性を秘めていると思えてならない。
だからこそ、彼の意図しない所で勝手に民衆の代弁者として、弱者のカリスマとして崇めたてられたアーサーを、肯定は出来ないのだが、否定も出来ずにいた。
正常な判断が出来なくなるまで追い詰められたアーサーに、むしろ同情してしまう気持ちも大きかった。
そんな
現実と妄想が混在するアーサーの世界を追体験させられた、信じられない語り部であった前作の「ジョーカー」のその後を描いた本作。
冒頭のアーサー(ホアキン)の姿にフリーズした。
痩せこけた、、を通り越す変わりよう。
もう骨と皮だけの背中に涙が出そうになった。
州立病院とは名ばかりの、酷いそこでの生活が想像出来た。
"外"に出れば彼は悪のカリスマだが、
結局は殺人鬼であり、裁判を待つ身。
院内での扱いは酷いものだった。
そんな日々の中リー(ガガ様)と出会い、
愛を知り、止まっていたアーサーとジョーカーの時間が動き出す。。
と、上辺だけすくって観ればあのままなのだが、、違う気がしてならない。。
少し乱暴だが、リーと初めて出会ったシーン。目が合う。
それは現実で、それ以降は全てアーサーの妄想だ!なんて観方も出来る。
(たぶんDTのままだと思う( ; ; )
観客が自分の見たいように都合良く見ているだけで、それは実は自分の内面なのかも、、と思うと怖くなるし、そしてその解釈が実は全てアーサーの妄想なのでは?と思うとかなり戸惑う。
しかし私は、本作は、アーサーが
「ジョーカーなんていない」と言えた事こそに意味があるのだと思った。
注目して欲しいのに!愛して欲しいのに!誰からも注目されず愛されず、底辺で生きてきたアーサー。
殺人鬼ジョーカーとなり神格化されていく過程で皆から注目され崇拝されて
(愛されて)いく皮肉。
正直心踊ったかもしれない。
しかし、アーサー自身がジョーカーと決別出来た事にこそ意味があるのではないか。
(あの彼の証言に泣いた( ; ; )
アーサーだけが僕を馬鹿にしなかった。
その証言の後のアーサーの表情の変化と、より乱暴に振る舞う姿に泣きました。
あれがあったからアーサーは心を取り戻したんじゃないかな)
悪のカリスマとしてのジョーカーが見たかった人からすれば本作は肩透かしだったろう。
だけど、それは少し危険かもしれないなんて思ってしまったのも本音。。
ゴッサムシティのジョーカー信者と同化している?!(否定してません)
SNSを通して良くも悪くも誰しもが、一瞬で世界中から注目される存在になる(なってしまう)世界。
自分の意思とは関係なく勝手に
"造られた自分"が1人歩きしてしまう恐怖。
そんなターゲットになり得る人物の登場を望んでいるのは我々で、そこに勝手に自分の欲求をくっ付けてくっ付けて巨大化させているのではないか。
そして自分の欲求を満たしてくれないのだと分かると一瞬で興味を無くす。
見捨てる。
(いつも見捨てられてきたアーサー。
だから彼の妄想は皆が笑っていても歌っていてもいつも哀しい。。)
それはリーと同様で私達にも当てはまるのではないか。
リーは自身の欲求からアーサーがジョーカーとして"存在し続ける"事を望む。
もはやリーがジョーカーであり、私達もジョーカーなのではないかと、考えると怖くなる。。
所々に差し込まれるアニメーションの意味。
前後のシーンとの関連性ももっと考えたかったのですが、一回だけでは理解及ばずで不甲斐ない( ; ; )
又、ラストの解釈も何通りも考えられる。
私はアーサーは死んだと思う。
それは身も心もアーサーという人物の命が消えたという解釈。
でも気になった事がある。
あの患者はアーサーを刺した後、ナイフを何度も舐めているように見えた。
最初は彼はジョーカー信者だから、ジョーカーの血を舐めているんだと思った。
だけど。ん?ってなって。
口裂けってジョーカーのシンボル?的な意味がありますよね?
だからあれって口裂いてた?!?!
アーサーのジョーカーは死んだけど、悪のジョーカーは絶えない!引き継がれる!って意味なのかなと思うと、嫌なラストだな、だけど、ある意味リアルだな、と、恐ろしくなりました。
でもやっぱり私では一回見ただけでは読めませんでした。
もっと仕掛けがあるのだろうに、たぶん全然わかってなくてごめんなさいw
そしてガガ様やミュージカル、音楽についても何も触れていなくてごめんなさいw
ここまで書いて力つきました( ̄∇ ̄)
スケジュール的にいけたので、エマちゃんと連続鑑賞しようかな〜( ・∇・)とか一瞬でも思っていたバカな私。
いや、頭パンクするわ我慢して正解!
自分のキャパを知る女で良かった。
遅くなったが、エマちゃん。明日観っから♪
賛否あってヨシ!
トッド・フィリップス監督の描いた
「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」
私は好きでした。
大人の事情
1が大好きだったので、2が作られると知ったとき、正直不安だった。でも興行として考えてみれば、2を作れば確実に客が入るのだから、作らない選択肢は無いですよね。結果、不安は的中し、モヤモヤ感たけが残った。監督は、「悪のカリスマなんて居ませんよー、皆さん目を覚ましてー」と仰りたいのでしょうが、なんだかそれって、説教臭く有りません?私たち映画ファンは、説教されるために、時間とお金をかけて映画館に向かうのでは無いのてすよ。ミュージカルも微妙だった。基本、他のミュージカル映画ば大好きなのだけれど、この映画のミュージカルシーンは全然乗れなかった。裁判シーンもカタルシスが無く、全然乗れなかった。ゲイリーの演技が良かったというコメントも見かけるが、私は、なんだかわざとらしい演技に見えた。1で登場した、片思いの彼女が、今作では、実は、あのときはこんな気持ちだったと語るのは、正直、1への冒涜、聞きたくなかった。
というわけで、私としては、2は無かった、1で完結、と思ってこれこら生きていこうと思います。
全729件中、281~300件目を表示