ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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トッド&スコット等なりの『ジョーカー』の終結
2024年映画館鑑賞96作品目
10月14日(月)イオンシネマ石巻
ハッピーマンデー1100円
監督と脚本は『スタスキー&ハッチ』『ジョーカー』のトッド・フィリップス
脚本は『8 Mile』『ジョーカー』のスコット・シルバー
吹替版で鑑賞
前回の続編
冒頭なぜかいかにもアメリカなコメディーアニメーション
ミュージカル映画
吹替だがホアキンとガガの歌う場面はオリジナルで字幕
『メリー・ポピンズリターンズ』の反省か
ホアキンの笑い声もオリジナル
これだけ字幕が多いならいっそのこと字幕版で観た方が良い
ミュージカル色が強いアメリカ映画は吹替は向いていない
本職が声当てでも日本語じゃダサい
しかもガガだし
今の声当てで熊倉一雄とか山田康雄とか石田太郎のようなオリジナル以上の俳優はいないし僕は吹替より字幕の方が好きだ
刑務所と裁判所が主な舞台
裁判所が爆発し脱走するもすぐに逮捕される
アーサーは自分の中にジョーカーはいないと証言する
離れていく恋人リー
最後は若い囚人に殺される
炬燵ライターが書いた記事によるとこの作品は賛否両論らしいが賛否両論なんてどの作品いや世の中の全てにおいて言えることだ
世間では『バックトゥザフューチャー』がつまらないと感じる人がいるくらいだから
そもそも世のなか同じ意見じゃ気持ち悪い
そりゃネット民は気に食わないとすぐにブロックしたり削除依頼したり👎したりするから賛否両論が当たり前だと感じないんだよ
安倍晋三は殺されて当然などと山上徹也を英雄視するような連中にはこの作品は向いていない
自分はそういうタイプの人間ではないので前作とはまた違う味わいで楽しめた
僕は日本の典型的左翼が嫌いなだけで別に取り立てて安倍晋三を支持していたわけではないしダークヒーローに魅力を感じるほど幼くない
他人の意見なんてどうでも良い
自分と違う意見が存在することを熟知していればそれで充分
星5の作品として堂々と身近な人に薦めたい
ぶっちゃっけ星1や2の人に対してこれほど「ざまあみろ」と思った作品は他にない
配役
5人殺し(本当は6人)の受刑者でジョーカーとして崇拝されている元道化師のアーサー・フレック にホアキン・フェニックス(平田広明)
アーカム州立病院の音楽セラピーに参加していた精神病患者のハーレイ・リー・クインゼルにレディー・ガガ(村中知)
ジョーカーを崇拝する若い囚人のリッキー・メリーネにジェイコブ・ロフランド(上村祐翔)
アーサーの弁護士のメアリーアン・スチュワートにキャサリン・キーナー(塩田朋子)
アーサーを死刑にするため責任能力の有無で弁護士と対立するゴッサム・シティの新任地方検事のハービー・デントにハリー・ローティー(山田裕貴)
アーカム・アサイラムのドS看守のジャッキー・サリヴァンにブレンダン・グリーソン(斎藤志郎)
証人として出廷したアーサーの元隣人でシングルマザーのソフィー・デュモンにザジー・ビーツ(種市桃子)
証人として出廷したアーサーの元同僚の道化師のゲイリー・パドルズにリー・ギル(越後屋コースケ)
アーサーの精神鑑定を行い証人として出廷した心理学者のヴィクター・ルーにケン・レオン(前田一世)
アーサーの裁判の裁判長のハーマン・ロスワックスにビル・スミトロヴィッチ(角野卓造)
アーサーにインタビューする人気タレントのパディ・マイヤーズにスティーヴ・クーガン(木下浩之)
アーサーを担当する民生委員のデブラ・ケーンにシャロン・ワシントン(伊沢磨紀)
若い囚人にコナー・ストーリー(福西勝也)
そんなに悪くない
前作が好きな人は…
前作を観た感想は、「面白いが、世間が騒ぐほどか?」というものであった。そんな自分にとっては、今作は前作と毛色がかなり違い、ややエンタメ寄りになったな、という感想で、比較的楽しめた。
個人的には、「ジョーカー」、ではなく、「アーサー・フレック」という男に惹かれていたので、そういう人には好まれるのではないかな、と。
前作終盤の彼は、吹っ切れているように見えて、どこか悲しげにも見え、解釈が別れるな、という印象だったが、今作では彼のパーソナリティが掘り下げられ、解像度が増したため、そこを評価したい。
なので、個人的には全体的に結構楽しめた。
ただ一点、明らかに前作のラスト、カウンセラーと対面しているシーンのジョーカーとはキャラ描写的にも、時系列的にもどうやっても繋がらず、そこだけが気になってしまう…。
アーサーとジョーカーと、レディガガ。
何が「現実」で何が「妄想」なのか、その境界全てが曖昧な作品。華々しいジョーカーの活躍を期待した者は、「熱狂的なジョーカーファン」だったということに気付かされます。
オープニングがいきなりアニメから始まり、面食らいます。
ショーに出るジョーカー、
しかしジョーカーの影が本体をロッカーに閉じ込めて
影がショーに出てしまう……というアメリカのカトゥーンよろしく
ドタバタ劇が始まります。
殺人を犯したアーサー・フレックは隔離病院みたいな場所にいます。
弁護士に会うため、職員が傘をさし、
アーサーがずぶ濡れで歩いて行くシーン。
空を見上げたアーサーを上から見るシーンがありますが
カラフルな傘の色は一体何を意味していたのでしょう。
全体的に1作目の暗く重々しい空気感はやや薄らいでいたけれど
隔離病院の暗さは陰鬱な気分にさせます。
ミュージカル調でリー(ハーレイ・クインゼル)とジョーカーが躍るシーン、
予告編では全く気付きませんでしたが
途中からアーサーの妄想なんだろうなぁ~と気づきました。
リーはどこまでウソをついていたのか、もしかすると全てがウソだったのかも。
そしてリーが興味を持っていたのは「ジョーカー」でありアーサーではなかったこと。
ガールフレンドを作った事がなかったアーサーはそれに気づく事ができず
何とも哀れな中年男だな……と気の毒に思ってしまいました。
最終的にリーはアーサーの元から去ってしまいます。
アーサーは「アーサー・フレック」ではなく
「ジョーカー」として周囲に見られていた事。
「ジョーカー」は熱狂的なジョーカーファンによって
「悪のカリスマ」に仕立て上げられてしまった事。
気弱で精神的に病んでいるアーサーとはどんどんかけ離れていきました。
そしてアーサーは「『ジョーカー』ではなく『アーサー・フレック』として
自分を見て欲しい」と心のどこかで願っていたのかも。
アーサーは「ジョーカー」であることを装っていたけれど
証人として出廷した隣人のソフィー、元同僚のゲイリーは
アーサーを「ジョーカー」ではなく
「アーサー・フレック」として見ていたのかな、と感じました。
元同僚のランドルを射殺した時、
アーサーは「優しくしてくれたから」とゲイリーを逃がしました。
そして今回ゲイリーは「アーサーだけが自分に優しかった」と証言します。
このゲイリーの言葉でアーサーの心が動いたのかなと。
それが「ジョーカーはいない」というセリフに繋がっていったのかもしれないですね。
それによって更なる悲劇が襲い掛かることになってしまいましたが……。
ジョーカーになったアーサーが華々しく脱走して、
これから悪の象徴として君臨していくのかと思っていたら、意外な結末でした。
ある意味裏切られました。
多分、誰もがそう思ったと。
そういう意味では自分を含めこの映画を観た者たちは
「熱狂的なジョーカーファン」だったということですよね。
アーサーは子供の頃から作り話や妄想ばかりしていました。
だから、この話のほぼ全てが隔離病院にいるアーサーの妄想かもしれません。
いや、もしかすると「ジョーカー」になったのもアーサーの妄想話かも。
何が「現実」で何が「妄想」なのか……その境界が全て曖昧であり
観る者の受け止め方や考え方次第でこの作品の評価は随分と変わります。
実際に賛否両論が凄いことになっているみたいですね。
この騒動を俯瞰的に見つめている者がいたとしたら……
仮にそれが「ジョーカー」という男だったとしたら……
自分を含む観客全てが
その者の手のひらで踊らされていたというのか、転がされていたというのか……。
何とも不気味な映画でした。
いろいろと考えさせられる映画でした。
良いと思うけどな。
そもそも、あんなにしょぼい奴がジョーカーになれるはずないと思っていたので、今回の落としどころに納得。
自分はミュージカルが苦手なので、大好きな「JOKER」とはいえ、続編への期待値が限りなく低かったんだけど、とても良かった。
この作品ってミュージカルを否定しているように感じたんだよね。
現実の苦しみから逃げるための「歌」であり、「エンターテイメント」であって、結局現実と向き合おうとしたアーサーが頼るのは、リーの歌ではなく言葉だった。
劇中に歌われる内容は、ほとんど「妄想」レベルのハッピーであって、「ハッピー」という名をつけられて人生が狂ったアーサーにとって「ゲットハッピー」なんてジョークにしてもきつすぎる。(ツインピークスのリーランドが歌った時も痛々しかったけど)
妄想に逃げてもいつか現実は追いついてきてしまうってメッセージなんで、1でアーサー=ジョーカーという妄想を信じていた人たちには評判が悪いんでしょう。
ボーからアーサーになれるホワキンもどっか狂っているのかも、と思わせる肩甲骨。
身体の中心から狂気があふれでるガガもよかった。
1で出てきた人がみんな再登場もうれしかったし、そういえばトゥーフェイスって検事だったよなとかも。
『ゲットアウト』のお母ちゃんとか、『SAW』のダニーグローバーの相棒とか、『イニシェリン島』の壊れたおっさんとか、脇を固めたみなさんもよかったです。
冒頭のアニメが要約する笑えない冗談
個人的には良作でした
どこにでもいる不幸を背負った一般男性、世間から見向きもされない透明化された社会的地位の低い弱者男性が、突発的に罪を犯してしまった時に偶々ピエロの格好をしていて、それが偶々民衆に受けて熱狂的に崇められた。
これはそんなジョーカーの話でした。
おそらく皆が期待していた悪のカリスマでは全くないです。
すごく惨めに描かれてました。
でもそこが自分には刺さりました。
アーサーは民衆がイメージするジョーカーを演じるけれど、結局その期待には応えられませんでした。
かつての職場の同僚、小人症のゲイリーが法廷で証言するシーンが印象深かったです。
罪を犯してしまったけれど、アーサーは本来心優しい性格のはず、、、アーサーの事を見てくれていた人は身近にいたんだなあと。
反対にガガの演じるリーは、アーサーの中のジョーカーにしか興味がなくて、ジョーカーに気に入られたくて不幸アピールするけど実は全部嘘だったり、自身の境遇でジョーカーになってしまったアーサーとは正反対のただのヤバい人で上手く対比されていました。
みんなが期待していたジョーカーとは違ったかもしれないけれど、これはこれで良い作品だと個人的には感じました。
色々と考えられていて、こちらも色々考えさせられます。
法廷でアーサーが「ジョーカーはいない」と発言したことで、民衆は失望すると同時に理想のジョーカー像を膨らませて、真のジョーカーが誕生する、、、といった感じでしょうか。
アーサーが引き起こしたジョーカー騒動が引き金になって後にバットマンと対峙することになる、視聴者が期待するようなジョーカーを生み出した。
そういう展開を妄想したりして、鑑賞後も浸っています。
あらすじが間違っている
誤)
理不尽な世の中の代弁者として時代の寵児となったジョーカー
正)
ジョーカーとして時代の寵児となったアーサー・フレック
これを履き違えてる勢がけっこういて賛否両論になってるっぽい。ゴッサムの不満を代弁する形となった彼のカリスマ性に期待が集まりながらも、彼の真の精神をミュージカル調で描写して行くのが本作。
前作が正直リピートする気にならないくらい悲痛で、事件を起こした時のカタルシスがこの作品の中心ではないと思っていたので、今回もそういう趣旨に傾いていたことはある意味安心したというか…。
たとえば本作でまったく説明されてないけど、アーサーが情動調節障害を患ってることは忘れてはいけなくて、彼のその笑いは何の感情なのか慎重に観る必要があるんだよね。
一緒に観た奥さんはミュージカル映画も観るし、しかもレディー・ガガ好きだったのだけど、歌が上手いリーに対してアーサーがそうでもないところが余計に惨めらしさを感じて辛かったとのこと。
that's entertainment
事前評価で大不評なんて聞いていて、確かに批判される感じはよくわかるけど、個人的にはアーサー、ジョーカーのその後として割と受け入れられた印象。
ただこのシリーズはこれで終わりにしてほしいし、そうじゃなきゃ本作を作った意味がなくなりそう。
まぁ評判的にアナザーストーリーとかでも続編等はないか。
「カートゥーンアニメ」
冒頭の何から始まるかと思えばまさかのカートゥーンで前作で起きたことの振り返りかつ、アーサーがジョーカーになった、アニメではジョーカーという影に乗っ取られたのがサクッと表現されていて良かった。
人によってはこの始まり方の時点で今回思ったたのと違うかもと思うかも。
思ってたのと違うとは思わなかったけど、意外な始まりは楽しかった。
「アーサーの初恋」
初恋ではないかもしれないけどそんな感じ。レディガガ演じるハーレークインとのこんな恋愛劇的なものが見させられるとは思ってなかった。アーサーが恋に浮かれてる感じはなんだか、アーサーにも春きたじゃん!良かったじゃん!って気もしたけど…まぁ結末はね…
「ハーレークイン」
ジョーカーの狂った狂気に飲み込まれて利用されていくようなのがハーレークインという印象だったけど、本作ではむしろアーサーが恋心と共に飲み込まれてしまった印象。
レディガガのハーレークインってどうなの?って思ってたけど、なんだか可愛らしい気もして想像よりも良かった。
また歌唱シーンはまぁ言わずもがな流石の歌声でした。
「良くも悪くも本来の自分以上のものになってしまったアーサー」
荒んだ奴らのシンボル的な存在になれたアーサーことジョーカーだけど、支持する人たちの中ではきっとアーサーという名前は認知されてないんだろうなぁ。
そしてジョーカーとしての振る舞いもなんだか前作のような感じはしなかった気がする。
アーサーがなんとか作り上げてるジョーカーというか…
はじめていろんな人に支持され注目を浴びスターのようになったアーサーは途中まで満更でもなかったんだろうけど、狂気を使い果たしてしまったというか…
ジョーカーがこんな形で支持されるなんて想定外だろうし…
どんな形であろうとスターであり続けるのも楽じゃないって事かな?
そして信者やファンが増えると期待に応えられなくなった時、恨みを買ってしまうんだなぁ…
「現実とミュージカルの妄想」
前作では現実とアーサーの妄想?の境があやふやでだからこそ、あれこれ考察なんかでも盛り上がったけど、
本作では現実と妄想(脱獄しようとするところは違うけど)の境が妄想や誇張部分はミュージカルで表現されているので、本当のことなのか?という考察の余地がない作品になっている。
また前作であやふやであった部分も法廷で全て答え合わせがされてしまうので、前作のような魅力はなかったのかも。
でもはっきりしているぶん割とスッキリ感はあったかなー
本作ミュージカル映画と言われるけど、分量的にそうなだけで、ミュージカル映画と言われるとなんか違うかなぁという気もする。
「前作の影響力をフィクションの中に収めさせるような作品」
前作は現実社会にも悪い影響を与えてしまうようなエネルギーやメッセージ性が、おそらく想像以上に生まれてしまった作品だったように思う。
ある意味落とし前をつけるではないけど、本作はそのある意味映画というフィクションから飛び出してしまったものを再び劇中に引き戻すような作品だったように感じた。
だからこそ、悪の権化のようなジョーカーやどこまでも落ちていくアーサー、荒れていくゴッサムシティなんかを期待していた場合には、本作はあまりにも期待外れな作品だと思うのも無理はないかと…
おそらく制作側もみんなが見たいジョーカーってこれじゃないと思ってそうだけど…
観客が求めるものじゃないのであれば、別に本作作らなくても良かったのでは?という気もする…
「結局悲劇だったのかも」
前作では人生が悲劇か喜劇なのか、何が正しいのか、自分で考えて決めろといったような感じがあり、そしてアーサーの人生は喜劇だったんだ!となったが、
ジョーカーからみるアーサーの人生は喜劇だったのかもしれないけど、結局アーサー自身の目線からは悲劇だったなぁと…
冒頭のアニメのようにジョーカーという影に乗っ取られてしまった自分をやっと取り返したと思ったらこれだもんなぁ。
でも最後に
「ラストの面会は」
あれは本当に誰かが面会に来ていたんだろうか?来てくれてるんだとしたら、ゲイリーだったらいいなぁ…
でもいつになっても看守が早く来いって戻ってこない事考えると誰も来てないし、看守もナイフ男もグルなのかな…
ナイフ男は次のジョーカーになるのかな…?
「総括」
作品の評価が芳しくない事は制作側もある程度折り込み済みなんじゃないかなと思う作品。(そんなことあるのか知らんけど)
ただそこまでして(?)ある意味アーサーをジョーカーからある意味救出したのかもしれない。
ただそれはジョーカーファンは望んでなかったんだなぁ…それは劇中の支援者、ハーレークインもしかり。
レビュー全体的になんだかなぁ…というテンションの内容になってしまったけど、1作目でジョーカーへとなってしまった、アーサーという男のその後の話という事だけで言えば、そんなことがあったんだね…って感じで個人的には別に期待はずれでも、嫌いでもない作品でした。
狂気に満ちたジョーカーもそれはそれで魅力的だけど、この物語のシリーズにおいて自分はどちらかと言うとアーサーのことが気になっていたんだろうなぁ。
ジョーカーが見たい人が見ると多分満足は出来ないと思うけど、アーサーの事が気になる人が見る分にはそれなりに楽しめるんじゃないかなと思う。
前作がthat's lifeに対してthat's entertainmentと言って、あくまで前作含めエンタメだから!と言われた感。
酷評する人が多いが
現実/リアル
(何故かレビューが消えていた為、同じ内容で再投稿しています)
前作を2020.08に鑑賞@飯田橋。それから4年、公開からは5年の歳月が流れ。日本では2021年、ハロウィンにジョーカーコスプレで事件を起こした服部被告が、懲役23年食らうなどし話題となった。
その後のジョーカーの物語。
施設(どうやら精神科病院のようだ)に入所し閉鎖病棟・保護室で暮らすアーサー・フレックことジョーカー。タバコばんばん吸ってるけど、米国では許されているのかな。副流煙で健康被害訴えられたら負けそうだし、タバコだって高かろうに。喫煙者がエグゼクティブではないことが、現代の社会における歪みを感じさせる。
あと映像で描かれる、病院(施設)における職員の暴言・暴力が酷い。デフォルメされているとはいえ、米国ってこんなんなんだろうか?閉鎖空間、変化のない場所で過ごすと、荒んでくるのも分からないではないが。
レディー・ガガ演じるリー(ハーリーン)のジョーカーに対する想いは、hybristophilia(犯罪性愛)の一つなのかな。彼女自身もかなり歪んだ人物として描かれているが、終盤のジョーカーに対する態度、両者の関係性。異性愛者として思うところはある。
アーサー(ジョーカー)の選択、リーの選択、そして、ラスト。そうなるかなとは思うのだけれど(現実/リアルに引き戻すという点で)、できれば別の形の終幕、違うストーリーを観たかった。
皆が望む僕
…確かに俺は悪い奴だよ。だが、俺を裁こうとするあんたはどうなの?。俺を裁く資格あるの?。あんたは、BAT MANか?、あるいはBAD MANか?。どうなの?。キスしてやろうか?。
私にとって、トリックスターと云うか、頭が良すぎる確信犯と云うか。そういう奴なんですよね。あいつは…。
やっぱり私、前作と同じ理由で、この映画を、全面的には支持しません。ジョーカーは、いるんです。解き放たれたジョーカーに、エールが届くのは、今、そこに、ジョーカーがいるからです。何処にいるのか?。もう、お分かりですね。ジョーカーと踊りたがっている歌姫は、スクリーンの中にだけ、いるわけではないよね。
そういえば、市販のトランプには、ジョーカーが普通、2枚いますよね。あれは、きっと…。
ゴッサムは、誰の心の裡にある?。
この映画は、可哀相なヒトの可哀相な映画なのでしょうか。あるいはヒトに寄り添うことができない世界を、バカにする映画なのでしょうか。もっと言えば、この映画の主人公は、アーサーなのか、あるいは、彼の中のジョーカーを見物したがっている私達なのか。どう思います?。
ここで少しネタバレしますが、とある人物の証言で、この映画のジョーカーは、沈黙します。あの沈黙は、誰に宛てたものだと思いますか?。欲しくても、手に入れられないもの、手に入れていたのに、気づかなかったもの、そこまでして、皆が望む僕であろうとした理由…。
あの沈黙を引き受ける覚悟、皆様はお持ちですか?。
それとも、ジョーカーが抜けたトランプ、皆様はごみ箱に棄てますか?。
追記
この映画、評判悪いそうですね。知らなかった。前作大ウケ、本作大コケの理由は、皆様方の方が、良くご存知のようなので、ここは個人的なジョーカー観を…。
J.ニコルソンや、ヒース.レジャーに自分の裡のジョーカーを託したことのある方なら、等身大のジョーカーに、納得するわけないよね。つまり、皆が望む僕(皆が望むジョーカー)でないことを知ったうえで、ホアキン兄さんは現れたことになります。ジョーカーは、喝采の対象なのか、哀れなるものなのか?。そもそも人生は、舞台であり、エンタメであるとすれば、誰もが皆、ジョーカーのようなもの。憧れのジョーカーを追いかけ、ありのままのジョーカーに背を向けるのは、ヒトとして普通です。たださ、ヒトは、普通であることに耐えられない。この映画を観た皆様は、普通のままでいるのか、その先の世界を見るのか、今、鏡に写る、貴方と同じ顔をしたジョーカーが決めることになります。覚悟してね。
この作品を一言でいえば「キツイ」
最初に、今回の評価は見終えた瞬間の気持ちを
そのまま表している為、変わるかもしれない
改めて感想: キツい
日本公開から5日経過して遅めの鑑賞
公開前から多くの酷評から「酷いなら当日に観なくてもいいか」と思い、正直結末も観る前に知ってしまった。それでもどんだけ酷いのか、そこまでの結末がどんな流れで終わりに向かうのか、そうした気持ちでの満を持しての鑑賞
もしかしたら皆が思う「酷い」と訳が違うかも
結論で言うととんでもない問題作であった。
・本作冒頭やミュージカルの多さ等
「うん?何を観させられてるんだ??」と言わんばかり
「ジョーカー」としての面
・前作さながら重すぎるBGMから繰り広げる「アーサーフレック」としての心情や行動
これらによって「思っていた酷さ」と全く異なった躁鬱を直に体験しているかのような138分であったと思う。
もしかしたらジョーカー/アーサーフレックの心の入れ替わりは作品のように動いているのではないか、だからこそ観客を置き去りにしていたのかもしれない。
私は鑑賞直後にこうして感想を綴っているが書いている時点でも思考停止したかのような呆然が続いている。
こんなに心を引き裂かられたような映画は「プライベートライアン」以来ではないだろうか、
今年公開された「哀れなる者たち」でもかつて観たことない表現からポップコーンを食べるのを止めてしまう程であったが、今考えればあれは絵画みたいな物であり、一周回って清々しい気持ちになっていたと改めて感じる。
プライベートライアンのようにそれまで見たことないグロテスク要素であり、これまた実際に起きた戦争を基に映し出していた為心を引き裂かられただろう。今作は要素として全く異なるがあの作品を見た時と似たような「ジョーカー/アーサーフレック」の心情を感じ取るように、躁鬱のような気持ちで見終えたのは間違いない。
改めてこの映画は本当に問題作であったと思う。
公開前からの酷評も含めて私が思っていた本当につまらない「酷さ」ではなく、強制的に呆然とさせられ心の心情としての「酷い」そして今作を一言で表す「キツイ」
私は前作を人にオススメしたいほど高校生の時に鑑賞した時に「ジョンウィックのような人を軽く殺すよりも今回の重々しく人を殺す」ようなとてつもない衝撃を感じていた
前作と比べ毛色が相当異なっているが、鑑賞する者に鬱を与えるような問題作であったと改めて考える。
最後の最後に
この作品が良くも悪くも主演のホアキンフェニックス・
レディガガは普通の人には感じ取れない心境で作ったのではないだろうか。彼らに大きな賞賛を贈りたい。
タイトルなし(ネタバレ)
何故ミュージカルに???『ムーランルージュ』と『シカゴ』を混ぜたような演出が、あの衝撃的な前作の続編として相応しかったのか疑問。ガガのキャスティングはこのためだったのかとやや苦笑。あと、ベタな選曲にもちょっと興醒め。『ザッツ・エンターテインメント』はあのフレッド・アステアの明るいイメージが強すぎるし、『遥かなる影』『ラヴ・サムバディ』『魅せられて』なども、まぁ内容には合ってますけど…って感じ。『ゲット・ハッピー』を狂人が歌うのは、あの『ツイン・ピークス』へのオマージュなのか?あと、法廷シーンで"お願いだからここでタップを踏まないで…!"と思っていたら、法廷内ではなかったがそのすぐ後にタップがあって驚いた。やりたいことは分かる気もするが、何か違う。ボブ・フォッシーの『シカゴ』や『オール・ザット・ジャズ』のようなセンス、カッコ良さが感じられない。ラズベリー賞の対象にならなければよいけど…。
監督自ら
アーサー、ジョーカーを殺したんだと感じます
前作から5年を経てあまりに影響が大きい存在になったジョーカーを葬った。ケリをつけたとも取れます。
ジョーカーはあのジョーカーではなかったという結末ですね。 アーサーはアーサーを取り戻したとも。
全編にわたって妄想だった(髭剃りの出血から刺されて殺されるまで)という解釈もできます。
1番悪いやつはリーだった、これは本作にもっと悪い事をしでかすジョーカーを望んだ観客を揶揄する人物だったのかも。。
ただ、ミュージカルパートがありすぎる!彼の言葉を歌で表現するのはわかるが、彼からのセリフでパンチラインとして見たかった。
まぁ酷評するのもわかる気がしてますw
かつてジョーカーと呼ばれた、人間アーサーの話。
多すぎるBGMとミュージカル的な展開に終始戸惑う。特にアーサーの下手な歌と上手すぎるハーレークインのギャップは、没入感を妨げるものだった。
鑑賞後の帰り道。ひとり反芻でふと思いついたのは、ハーレークインの存在や脱獄、法廷劇そのものがアーサーの妄想、すなわちミュージカルという仮説。
前作では妄想由来の破壊衝動だとすると、今回は妄想による恋愛劇。そのキッカケはクスリ。妄想が真逆に転じた。
その対象はハーレークイン。なるほどねぇー。
ファナティックな彼女は法廷を取り囲む群集の、言わば代表。アーサーの最終弁論での発言により洗脳から醒めたハーレークイン。残酷にも簡単に気持ちが離れていく。妄想でも気持ちが踏み躙られ、群衆からも走って逃げおおせる。
ミュージカルパートを除けば、単なる模範囚のアーサー。今やジョーカーは伝説状態で、カリスマ感は皆無。そのかつてジョーカーと呼ばれたアーサーを仕留めることで新たなジョーカーが・・・、プロローグとエピローグを繋げるだけでも十分に成立する。
前作はepisode.0的な位置付けなので、今作はヒースレジャー越えのジョーカーを期待してしまうのは世の必然。トッドラングレンとホアキンはその期待を淡々と裏切りながらも、1作目のコンセプトを貫き徹底して人間アーサーを描いたのではないだろうか。今作では誰も殺していないにも関わらず、オーディエンスはジョーカーを求め、メディアや看守には蔑まされ続けられ、八方塞がり。そんな状態で迎えるエンディングのカタストロフィ。
法廷劇の結末。アメリカ合衆国議会議事堂襲撃そのもの。あの時の恐怖が蘇る。
観たい画はわりとみれた。
ジョーカー2観てきた。
ネタバレあり。
首尾一徹わかりやすい映画で、これだけわかりやすいという事が、監督がいかに曖昧さを排して「ジョーカーはいない」というメッセージを伝えなきゃという使命感を持っているのかわかる映画でした。
アーサーは多分あのまま頑張ればジョーカーになれたと思う。
けど、それを阻止したのが、小人症の人の涙や、キスをした囚人青年の死だったのだと思った。
彼らは、アーサーとお同じように周りからバカにされてるけれど、アーサーだけは彼らをバカにしなかったからアーサーを慕ってくれた人たちで、そんな彼らを結果的に傷つけたり死なせてしまった。その罪悪感がアーサーをジョーカーにしなかったのだと思う。
最終的にジョーカーではなく、アーサーの分身のようなモブ囚人に殺される…というのが徹底して「ジョーカーはいない」を貫いているなと。
最後にホアキンがダニエルジョンストンを歌ってるのが、アーサーはジョーカーじゃなく、ダニエルジョンストンだったんだ…と思えて切なかった。
最初の面談のビデオ映像をみてすぐにビリー・ミリガンを思い出し、自分で自分を弁護するのはテッド・バンディを思い出した。
昔仰天ニュースでみたミリガンの面談映像思い出した。
ガガ様とホアキンのダンスも歌もタップも観れたし、観たいものは観た気になった。
面会室でカーペンターズ歌うところはとても良いシーンだった。
全736件中、281~300件目を表示