「この続編の作り方しかない」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ ヘルスポーンさんの映画レビュー(感想・評価)
この続編の作り方しかない
前作「ジョーカー」は70年代アメリカンニューシネマらしくマーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」、「キング・オブ・コメディ」の系譜であり、
その続編である本作もやはりスコセッシ監督のミュージカル映画「ニューヨーク・ニューヨーク」に通じるものがある。興行的に失敗しているところまで同じ笑
私は前作「ジョーカー」ではラストで全てがジョークだった(ジョーカーという存在から今までの展開が全て妄想で、最後の精神病院みたいなところこそが現実)という解釈で観ておりました。そういう捉え方になる映画だと思っていましたが、本作は真逆のスタートをしていて前作の妄想部分だと思っていたジョーカーによる5人の殺害事件の罪を問われるアーサーの法廷劇というカタチをとっている。
これはあの「ジョーカー」が社会現象にまでなってしまい、模倣犯やらハロウィンの仮装で凶行に走る人間が実際に生まれてしまったということに対して、改めて製作側から前作のジョークが通じなかった悪のカリスマ信奉者達を現実に叩き落として"ジョーカーなんていない"と言いきる作品になっていたと思う。(看守がやたらと「ジョーク言ってみろよ(前作のあれやってみろよ)」とアーサーに絡むのも、前作はジョークだったんだと再確認する描写である。
ジョークの通じない人達に向ける映画として本作はレディ・ガガとアーサーのピカレスクロマンのカタチを取った。悪のカリスマに恋する人達を代表するハーレイクインとのロマンスに、ジョーカーではなく自分自身を見て欲しいというアーサーの声は届かない。
アニメーションや画角の違いなど映像的にも様々な工夫を凝らしていて、さらに最後はあの階段にて幕を閉じる綺麗な構成になっていた。確かにこれといった見せ場もなく、面白い映画ではないのだが、ラストであの若者がジョークを言いジョーカーのように笑いながらアーサーを刺し殺したことで、ジョーカーというは誰にでも生まれてくる可能性がある人格であるかのような不気味なラストは一作目の清々しさとは真逆でこれはこれで良いと思った。
個人的にはガガ様のハーレイクインをもっとしっかり描いて欲しかったのと、少し成長したブルース・ウェインとの対決という前作よりコミック寄りな描写も観たかったと思う。