「あえて「観客の期待を裏切る」という挑戦」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ みっくさんの映画レビュー(感想・評価)
あえて「観客の期待を裏切る」という挑戦
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一般論として、映画は「登場人物の成長」を描くものだ。
あとは「行って、戻る物語」も定番。
その前提で本作について。
観客が期待する「続編」は、
ジョーカーが脱獄し、彼女と一緒に大暴れして、街を破壊と混乱の渦に巻き込む、
という話だろう。
それは素人でも分かること。
もちろん、監督もスタジオも分かっていること。
でも、それをあえて裏切る、違う物語で攻めたのが本作。
2作で見ると、
1は、優しい男が狂気に堕ちる物語。
2は、狂気に堕ちた男が正気に戻る物語。
つまり、「成長」であり「行って戻る」物語でもある。
しかし、それは主人公ジョーカーの話。
では、もう一人の主人公、ハーレイ・クインはどうか?
彼女が愛したのは「狂気の男」であり、「優しい男」ではない。後者を拒絶してしまう。つまり、成長しない。
そしてもうひとり、重要人物。
「狂気」に熱狂した男は、それが裏切られたことで、ジョーカーを殺してしまう。
監督は否定するだろうが、トランプとそれに熱狂する人々を描いたのでは。(否定しても、そう思われることは否定しないだろう)
トランプを熱狂的に支持する人々は、その期待が裏切られたらどうするだろうか?
拒絶するのか?それとも同じく「狂気」に堕ちるのか?
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