「何が「現実」で何が「妄想」なのか、その境界全てが曖昧な作品。華々しいジョーカーの活躍を期待した者は、「熱狂的なジョーカーファン」だったということに気付かされます。」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ kazさんの映画レビュー(感想・評価)
何が「現実」で何が「妄想」なのか、その境界全てが曖昧な作品。華々しいジョーカーの活躍を期待した者は、「熱狂的なジョーカーファン」だったということに気付かされます。
オープニングがいきなりアニメから始まり、面食らいます。
ショーに出るジョーカー、
しかしジョーカーの影が本体をロッカーに閉じ込めて
影がショーに出てしまう……というアメリカのカトゥーンよろしく
ドタバタ劇が始まります。
殺人を犯したアーサー・フレックは隔離病院みたいな場所にいます。
弁護士に会うため、職員が傘をさし、
アーサーがずぶ濡れで歩いて行くシーン。
空を見上げたアーサーを上から見るシーンがありますが
カラフルな傘の色は一体何を意味していたのでしょう。
全体的に1作目の暗く重々しい空気感はやや薄らいでいたけれど
隔離病院の暗さは陰鬱な気分にさせます。
ミュージカル調でリー(ハーレイ・クインゼル)とジョーカーが躍るシーン、
予告編では全く気付きませんでしたが
途中からアーサーの妄想なんだろうなぁ~と気づきました。
リーはどこまでウソをついていたのか、もしかすると全てがウソだったのかも。
そしてリーが興味を持っていたのは「ジョーカー」でありアーサーではなかったこと。
ガールフレンドを作った事がなかったアーサーはそれに気づく事ができず
何とも哀れな中年男だな……と気の毒に思ってしまいました。
最終的にリーはアーサーの元から去ってしまいます。
アーサーは「アーサー・フレック」ではなく
「ジョーカー」として周囲に見られていた事。
「ジョーカー」は熱狂的なジョーカーファンによって
「悪のカリスマ」に仕立て上げられてしまった事。
気弱で精神的に病んでいるアーサーとはどんどんかけ離れていきました。
そしてアーサーは「『ジョーカー』ではなく『アーサー・フレック』として
自分を見て欲しい」と心のどこかで願っていたのかも。
アーサーは「ジョーカー」であることを装っていたけれど
証人として出廷した隣人のソフィー、元同僚のゲイリーは
アーサーを「ジョーカー」ではなく
「アーサー・フレック」として見ていたのかな、と感じました。
元同僚のランドルを射殺した時、
アーサーは「優しくしてくれたから」とゲイリーを逃がしました。
そして今回ゲイリーは「アーサーだけが自分に優しかった」と証言します。
このゲイリーの言葉でアーサーの心が動いたのかなと。
それが「ジョーカーはいない」というセリフに繋がっていったのかもしれないですね。
それによって更なる悲劇が襲い掛かることになってしまいましたが……。
ジョーカーになったアーサーが華々しく脱走して、
これから悪の象徴として君臨していくのかと思っていたら、意外な結末でした。
ある意味裏切られました。
多分、誰もがそう思ったと。
そういう意味では自分を含めこの映画を観た者たちは
「熱狂的なジョーカーファン」だったということですよね。
アーサーは子供の頃から作り話や妄想ばかりしていました。
だから、この話のほぼ全てが隔離病院にいるアーサーの妄想かもしれません。
いや、もしかすると「ジョーカー」になったのもアーサーの妄想話かも。
何が「現実」で何が「妄想」なのか……その境界が全て曖昧であり
観る者の受け止め方や考え方次第でこの作品の評価は随分と変わります。
実際に賛否両論が凄いことになっているみたいですね。
この騒動を俯瞰的に見つめている者がいたとしたら……
仮にそれが「ジョーカー」という男だったとしたら……
自分を含む観客全てが
その者の手のひらで踊らされていたというのか、転がされていたというのか……。
何とも不気味な映画でした。
いろいろと考えさせられる映画でした。