「残酷な現実」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ kenichiさんの映画レビュー(感想・評価)
残酷な現実
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結末も含めて前作は完璧だった。
それだけに続編が必要なのか疑問だったし、続編をどう作るのか興味もあった。
結果的に、今作は長々と語って元の場所に戻って来たなという感じ。
本作では序盤からアーサーの人物像に違和感を感じた。そして終盤、その違和感は制作者の意図したものであり、そのメッキが剥がされるまでを描いたのが、本作だったことに気づく。
結局アーサーは我々が知ってる前作のアーサーと変わっていなかった。
ある意味それは残酷な現実で、観客にとっても、アーサーに感情移入していればなおのことその現実は受け入れがたいものになった。
バットマンに出てくる"後のジョーカー"の誕生を期待し、そのカタルシスを待ち望んでいたら、突然冴えない現実に放り出されてしまった気分だ。
ジョーカーはいない。本作でも言われたメッセージ。前作ではジョーカーは生まれてしまった(かのように描かれた)。生まれたまま放置されて終わってしまった。
その危険な状態に一区切りをつける必要があったのだろう。それが続編を作った意味なのだと解釈した。
ある意味エヴァンゲリオンの「まごころを、君に」に似たものを感じる。
観客の姿をスクリーンに映して見せ、最後に「気持ち悪い」の一言で熱狂を沈静化させようとしたあの感じだ。
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