「監督が強烈なアイロニーを投げかけているのであれば超傑作」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ えすけんさんの映画レビュー(感想・評価)
監督が強烈なアイロニーを投げかけているのであれば超傑作
「生まれて初めて、俺は1人じゃないと思った」。理不尽な世の中の代弁者として時代の寵児となったジョーカー。彼の前に突然現れた謎の女リーとともに、狂乱が世界へ伝播していく。孤独で心優しかった男の暴走の行方とは?誰もが一夜にして祭り上げられるこの世界…彼は悪のカリスマなのか、ただの人間なのか?(公式サイトより)。
わたしたち映画ファンは「エンターテインメント」がクソみたいな現実を緩和してくれる効力をよく知っているわけだが、前作「JOKER」は、クソみたいな現実を破壊しても、「エンターテインメント」さえ付与すれば免罪されるという完全な倒錯と、クソみたいな現実を破壊できない人びとが人身御供を祭り上げ、自ら煽動されに行く衆愚と、それでも埋めきれない圧倒的な孤独を見事に描ききって、世界的な大ヒット作となった。
今作では「エンターテインメント」に力点を置き、引き続き、「クソみたいな現実」と「孤独」に、副題となっている「フォリ・ア・ドゥ:フランス語で「二人狂い」という意味で、一人の妄想がもう一人に感染し、複数人で同じ妄想を共有する精神障害のこと」というモチーフを加え、前作のテーマを踏襲している。
が、全体をミュージカルテイストにするという謎に果敢な挑戦ゆえに、歌唱力をもつレディー・ガガをキャスティングした意図は理解できるが、これが全体を壊していると言わざるを得ない。残念ながら演技力が極端に低く、目線、立ち姿、表情、振る舞いどれをとっても個が立ちすぎて、二人狂いする相手役としては不十分であるばかりか、下手すれば結末が見えてしまうほどである。要所要所でホアキン・フェニックスの「さすが」という演技で、「さあ、ここからか!?」と期待させるところはあったものの、結局、最後まで肩透かしが続く。
監督が、裁判所前に群がるにわかや生中継を見守るテレビ視聴者と、この映画の観客であるわたしたちを重ね、「お前らは、JOKERにいったい何を期待していたんだい?」と、強烈なアイロニーを投げかけているのであれば超傑作ではあるが、どうやらそうでもなさそうである。