劇場公開日 2024年10月11日

「これはアーサー・フレックという男の魂を救済する映画である。カッコ悪く、ひたすらに惨めで痛々しい。でも後味はそれほど悪くない。」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0これはアーサー・フレックという男の魂を救済する映画である。カッコ悪く、ひたすらに惨めで痛々しい。でも後味はそれほど悪くない。

2024年10月14日
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鑑賞方法:映画館

まず前作とこの作品はバットマンとはあまり関係ない。前作にはブルース・ウェインとその父母、本作にはハービー・デント検事(まだ検事補)が現れるがこれはゴッサムシティの点景というべきものであって、アーサーは街に溢れるピエロ装束の者たちの一人に過ぎず、バットマンシリーズの悪の権化ジョーカーとは別人格である。ただ彼が犯した犯罪(6人殺した)は大きなものであったためヒーローとして祭り上げられてしまった。
一方、前作では、どこまでが現実でどこまでがアーサーの妄想なのか解釈が分かれていた。これについては本作でキチンと整理されており、生放送内のマレー・フランクリン殺害も実際に起こったこととして扱われており、これらの犯罪についての法廷劇となっている。
ところで演出のトッド・フィリップスによると、前作は2019年の作品であり世界はそのあとコロナ禍に見舞われた。企画立案に不自由を強いられるなか、トッド・フィリップスと脚本のスコット・シルバーが気にしていたのは彼らと(そしてホアキン・フェニックスが)生み出したアーサーをこの後、どのように描いていくかであって、コロナの期間、議論を重ねていたとのこと。
法廷では、アーサーとジョーカーの人格乖離があってアーサーには責任能力がないと主張する弁護側と、それを否定する検察側が対立する。ところが不利になることは十分分かっていて、アーサーが弁護士を解任し、ジョーカーのペインティングをした上で自分で弁護を行うことによって法廷は混乱する。さらに、ジョーカーの偶像性を崇拝するリーが関与することによって話はどんどんややこしくなるのである。
だが、最終的には、アーサーが自分のジョーカー性を否定することによってこのストーリーは収れんする。優しく、純粋なこころを持っているアーサーは、偶発的であったり、一時的に怒りをコントロールできなかったりしたとしても、暴力を起こすことに耐えられない。だから恋を失い、クソな世の中に押しつぶされて、最終的に電気椅子に座ることになっても、自分がアーサーであることを選ぶ。トッド・フィリップスらが議論の末たどり着いたアーサーの人生ってそういうものだったのだと思う。
最終シーンは悲しくつらい。ただここでアーサーがジョーカーの扮装をしていないということにはなにか清々しい感じを受けたのである。
〜おまけ〜
裁判所の外側大階段でジョーカーとリーが足を広げたり振り上げたりして踊るシーンは予告編だけのシーンだったのですかね。本編には出て来なかった。ちょっとがっかり。

あんちゃん
talismanさんのコメント
2024年10月20日

あんちゃんさんが書かれているように、この映画でこういう形でミュージカルを入れたのは抵抗なく受け入れられ自然に感じました。そのために必要だったのがレディ・ガがだったのかと思いました。
裁判では検察官がおおらかというか慈愛に満ちていたように見えました。アーサーをいじめ抜くことも嫌みを言うこともなかったような・・・。思い違いかな?

talisman
talismanさんのコメント
2024年10月20日

あと味、悪くありませんでした

talisman
病人28号さんのコメント
2024年10月14日

そういう経緯があるとは知りませんでした。ジョーカーは好かれていても、アーサーの事を好きになる人は誰もいなかったですもんね。

病人28号
サイモン64さんのコメント
2024年10月14日

あのシーンを削ったのはがっかりでしたね。レディガガの存在感が生かされていたシーンだったと思います。

サイモン64