「興行的に安全な方向を敢えて捨てた監督の思いきりと勇気に拍手」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ La Stradaさんの映画レビュー(感想・評価)
興行的に安全な方向を敢えて捨てた監督の思いきりと勇気に拍手
前作が世界的大ヒットとなり1500億円もの興収を上げた『ジョーカー』の続編です。うまく人と馴染めないコメディアンが徐々にジョーカーという人格に呑み込まれ人をぶっ殺し始めるという狂気性が強い印象を残した前作を受けての作品。実は、僕には危惧する点がありました。あれだけ強烈な映画の続きとなると、狂気の振り幅をより大きくしてより凄惨な方向に向かわざるを得なくなるのではないか。でも、そうした映画は大抵失敗します。より刺激的により刺激的にと舵を切ると無理に無理が重なり物語が破綻するという事は数々の映画で証明されて来ました。案の定と言うべきか、先に公開したアメリカでは本作への非難が渦巻いているとの評判が聴こえてきました。どこが不興を買ったのでしょう。でも、それも配給会社の宣伝戦略なのかもと身構えて映画館に向かいました。
そして、観終えて納得しました。前作の発展形を期待した人々はこれでは期待外れに違いありません。でも僕は、とてもいい作品だと思いました。今回は、ぶっ殺し場面などは殆どなく、彼は元コメディアンのアーサーなのか、狂気のジョーカーなのか、それが一つの人格の中に眠る「フォリ・ア・ドゥ(いわゆる二重人格)」なのか、或いは演技にすぎないのかが裁判と彼の妄想の中で掘り下げられます。その触媒となるのがジョーカーに憧れるリー(レディ・ガガ)です。場面の殆ど全ては刑務所内或いは裁判所の室内であり、全ての場面でアーサー(ジョーカー)が登場するという閉鎖的・内省的な造りだからなのでしょう、突如ミュージカル仕立てになり意表を衝きます。でも、僕にはそれが不自然には思えませんでした。
作品冒頭のアニメ "Me and My Shadow" (恐らく、アーサーとジョーカーのこと)で作品のテーマを提示し、終盤でオールディーズの名曲 "That's entertainment" と "That's life" で締める造りも狙いが明らかです。この救いの無さは心にザックリ食い込みました。そして、前作の狂気性の拡大を求めて劇場に来たであろう観客をも突き放す意志の強さは見事でした。もう少し切れ味を鋭くして欲しいかなとは思いますが、興行的にはより安全な方向を敢えて捨てたトッド・フィリップ監督の思いきりと勇気に拍手を送りたいと思います。