「〝ジョーカー〟は何処へ?」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ MitsuKiさんの映画レビュー(感想・評価)
〝ジョーカー〟は何処へ?
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〝我々含め、皆がジョーカーの存在を期待する。〟
という仕組みがこの作品の本質だと思う。
悪のカリスマたるジョーカーはとても好きなキャラなので、また彼に劇場で会えることに胸を膨らませて映画館へ向かった。
しかし、前作で誕生した〝ジョーカー〟はこの作品では登場しない。
作中の世界で放送されているというドラマやアーサーの頭の中の妄想に、〝彼の〟片鱗は感じるものの、何かがずっと物足りない。
そうして迎える、アーサーという一人の人間の呆気ない最期。
ああ、アーサーはジョーカーではなかったんだ。
我々はアーサーに、自分の中のジョーカーを投影していただけだったんだ。
リーがジョーカーに恋をしたように、前作でジョーカーに恋をした私のような人間には、酷く期待外れな映画に映るだろう。
しかし、それこそがトッド・フィリップス監督の狙いだとしたら。
「普段、平穏に、当然のように、社会的な生活をしているあなた達も、ジョーカーの誕生、その存在に期待していたんだろう?残念、アーサーは違いました!」
「一杯食わされた、アッパレ!」
私はそう言わざるを得ない。
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