「That's das◯ku.」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ マラサイさんの映画レビュー(感想・評価)
That's das◯ku.
前作はジョーカーの復讐劇に勝手に「自分も社会の被害者だ」と思わせ、観客自身に「俺もジョーカーだ」と自己投影させたところが面白かったし、ブラックユーモアも満載にあり、"鬱"娯楽大作として大変良い作品だった。
しかし今作はというと、、、
なぜか急にやりだしたミュージカル。意味わからん。レディー・◯ガの宣伝のために無理くりに捩じ込んだとしか思えない。
なぜならミュージカル描写が、この映画に必然だとする根拠が劇中明示されたようには思えないからだ。
また前作(期待し過ぎた私も悪いが)は哀れな男の鬱憤がたまりに溜まって徐々に徐々に爆発していき、最後の最後で大爆発するというエンターテイメント性があったが、今作では途中「お?とうとう来るか?狂気爆発か?」と思わせる描写はあったものの、最後の最後まで不発に終わり、私と同じように今作を"つまらない"と下した観客のように「報いを受けろ」とアーサーを刺してお終い。
特に裁判は何回も開かれ、ジョーカー爆発のチャンスが幾度となくあったのにもかかわらず、これまたそれほど変化は起こらず。
申し訳ない言い方だが、今作を個人的に一言でまとめると、
「いつ面白くなる(前作のような狂乱爆発)かな?と思って見ていたら、特にこれといって何も起こらず2時間半が過ぎていた。」
という感想になった。
確かに現実(ジョーカーはただの人間であり、それを発言したアーサーに失望した人々=今作を駄作という観客)を見せられた我々もまたジョーカーに踊らされた、あるいはジョーカーの一部なのかもしれないし、制作側もそれが狙いだったのかもしれない。
しかし少なくとも私は、制作側の
「この映画を駄作という者もまたジョーカーに期待し過ぎた劇中に出てきた傍聴人や群衆ジョーカーと同じなんだよ。はは笑。やっぱり僕たちの狙い通り、前作のジョーカーに期待し、落胆してくれたね。読み通りだ。」.....といった彼らの自己満足のためにお金を払ったのではないのだが(それにしてもIMAXで見るとかなり高くつくのは初めて知った。ぶっちゃけそこまで違いが分からなかっただけ尚更金がもったいなかった).....