マッドマックス フュリオサのレビュー・感想・評価
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『怒りのデスロード』への繋げ方が上手い
過去作を全て観た後に劇場へ向かいました。
『怒りのデスロード』の前日談ということで、前作で登場した多数のキャラや小ネタが出てきて嬉しくなりました。
フュリオサが勇敢な戦士になるまでの経緯について描かれており、彼女が経験した辛い過去やジョーとの出会いなど、2時間半の中で沢山の出来事が展開されていました。前作への繋ぎ方も上手く、エンドロールのシーンで2作の物語が一つにまとまったときは職人技のような凄さに驚きました。さらに、映画では珍しく複数のチャプターごとに構成されていました。各章ごとにタイトルがついているので、小説のようにどこの場面まで進んだのかはっきりと表記されていました。
新キャラのディメンタス将軍は、インパクトの強い個性的な人物でした。ソーのような豪快な一面を持ちつつも、バイクで荒野をワイルドに突き進んでいく姿がかっこ良かったです(個人的には、MCUから転生してきたソーにどうしても見えてしまいます)。
全編フュリオサを中心に展開されるので、『怒りのデスロード』を予習しておくだけでも内容を理解できると思います。
ちなみに、今回は池袋のドルビーアトモスで鑑賞しました。劇場内の音響はとても繊細で、カーチェイスの場面では地震かと思うぐらい座席が揺れているように感じました(実際に起きていません)。
もう一度『怒りのデスロード』と併せて見直したくなるぐらい、素晴らしい前日談になっていました。
Remember Me? いや忘れてください。
さあ、前日譚祭りの真打ちの登場だよ!
マッドマックスの魅力は、世界観、カーアクション、個性ありすぎのキャラクター、計算された絵作りは皆が言うとおりだが、オレに関して言うと、メル・ギブソンそして手作り感、カルト臭、北斗の拳といったところ。
「狼よさらば」('74)、「ローリング・サンダー」('77)、「エクスタミネーター」('80)といったB級復讐バイオレンス映画の系譜の中でトップに君臨する第1作('79)、弱肉強食な世界を舞台に、タッてるキャラクターだらけが大人気の第2作(’81)、ハリウッド資本を受け、80年代のスピルバーグ的絵作り、音作り、大作感ありつつも、カルト臭は十分に残して、唯一無二の世界観の拡大に成功した第3作('85)ときて、「怒りのデス・ロード」('15)。
「怒りのデス・ロード」(以下FR)は正直過去3作に比べると、個人的にはそんなに好きではないが、それはメルがいないのと、手作り感が希薄になって、世界観があまり継承されてないのが気に入らないだけだ。(あと地を這うようなカメラワークと正面ドーーーーンが少ない)。(映画自体は長すぎる感はあるが)スピード感満載の、CG臭を上手く消し、ALL実写と勘違いする輩続出の見事な編集とカメラワーク、ゲスな悪役イモータン・ジョー、そして何といってもシャーリーズ・セロンはかっこよく、トム・ハーディも本作においては、十分にマックスだった。(初見時のマックスの去り際が不満だったが、今はあれは素晴らしいと思っている。)
「フュリオサ (ア マッドマックス サガ)」
あえてそうここで書くのはそういうことである。「マッドマックス フュリオサ」とは書きたくない。
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フュリオサの物語は、FR制作時に既にあった、ということで、FRが成功したその流れで制作されたわけであって、本作「作りたくて作れた」作品であることは確かだ。だが、その構想からストーリーや設定がFRが成功したのち、ブラッシュアップされたのかと考えてみるとどうも違うようにみえ、また完成までの期間は、残念な運命、選択肢によって、こうなったとも見える。
残念な選択肢、あるいは運命のひとつは、ジョージ・ミラーがアニヤ・テイラー・ジョイを見つけてしまったことだ。シャーリーズ・セロンはこの前日譚に興味を持っていたようだが、ミラーは本作をそのタイミングで撮る気はなかったらしい。その間にアニヤを見つけ、
本作に抜擢。
実際、アニヤは素晴らしい役者だが、あのFRのフュリオサには繋がらない。額に黒塗りで目が映えるのは彼女以上の存在はいないだろう。目で語る必要のある役でもあるため、その素質は十分に発揮されたと思う。
だが、FRの、オレが魅了されたフュリオサはセロンの、たくましく大きくかつ美しくもある体躯、美しさを隠せる演技力、体を使ったアクション、シューティングの美しさ、サマになる、説得力のある画はセロンだからこそ。
たとえ、本作は少女時代だったとしても、170cmのアニヤではやはり厳しい。(派手に男と格闘するなど、キャシャな体躯でも許されるアクションに限定はされてはいたが。)
残念な選択肢、あるいは運命のもうひとつは、クリス・ヘムズワース。彼の本作での存在が本作の最もダメなほうへけん引している。
彼を使わざるを得ない等の事情もあったりするかもしれないが、この役ディメンタスが圧倒的に魅力がない。これはもともとの設定なのか、ヘムズワースに合わせたものなのか、とリあえず、つまらない。「エンドゲーム」でやっちゃってるから、イケメンのギャップも自虐ギャグにもならず、ただの二番煎じに。(そういや、隣にロキみたいなのもいたな)。
退屈だけなのはまだ許せるが、この存在のおかげで、イモータン・ジョーがイイヤツに見えてしまう構造が決定的にまずい。これだと、イモータンの前日譚が見たくなったが、わざとなのか。オレ自身はフュリオサよりイモータン・ジョーの前日譚のほうが絶対面白くなる、と思っている。(が、それだとカーアクションにはならないが、V8崇拝の理由など、ならなくはないか)
そして、母殺しの復讐の相手はイモータンじゃなかったんだと呆気にとられてしまった。
FRの、重傷を負いながらも、自身でイモータンに近づきの、「Remember me?」こそ、復讐を遂げる最高の決め台詞だったろうし、FR鑑賞時は、相当イモータンに恨みがあったと思わせる、FRの最もアガるシーンが台無し。
あと、フュリオサの左手。なんだ、ただの「1」のオマージュじゃん。手の地図を失ったために、FRでは緑の地にたどり着けなかったわけではないので、失う意味が軽すぎてもともとないことを忘れてしまってたわ。
映像面でいうと、今回CGと実写の差がはっきりしすぎて気持ち悪い。FRは早送りやカット割りで実にうまく隠せていたのに、どうしたものか。犬までCGなのはさすがに泣けた。
また、ガスタウンのありえなさは、どこの「スターウォーズ」なのかとか、緑の地のところとか、どこの「ワンダーウーマン」なのか、とか、物語もより寓話化された分、よくある話で、全く新味なし。「DUNE2」は興味なくて見てないが、砂漠は似たり寄ったりなのか?
むしろ、FRを見ていないほうが楽しめる。だから、おバカ映画でよく言う、「頭空っぽにして見に行け!」とは前作のことはすっかり忘れてしまえ、というのが正解である。
追記1
バッキバキのCG映画なのだから、若返りCG、この程度のアクションスタントならセロンで撮れるだろうし、アニヤもCGで体形作ればよかったのに。(直立の姿はちょっと似てたけど)
運命、タイミングは本当に残酷だ。
追記2
オッサンホイホイの前日譚祭りはこれにて、いったんお開きか。
ここまでは「オーメン ザ・ファースト」の圧勝。
名撮影監督ジョン・トールの不在を嘆く。
自分にとっての最大の収穫はディメンタス将軍! 居丈高で暴力的で、それでいて小心者であることを隠そうともせず、「ベン・ハー」の戦車みたいなバカげたバイクで精一杯去勢を張る。ほぼトークで進む異様なクライマックスがグレーなまま成立しているのも、この複雑でみっともない極悪党がいてくれたおかげではないか。また、冒頭のひたすらにプラクティカルなチェイスシーンも素晴らしく、ジョージ・ミラー翁の剛腕にひれ伏す。
ただ、「デス・ロード」への橋渡し的な役割のせいで、世界観が狭まってしまった残念さはある。結局イモータン・ジョーがただの為政者に見えてしまったし、ウォーボーイズもちっちゃいカルトのみなさんという感じ。そしてアクションシーン以外の絵が、「デス・ロード」に比べて非常に弱くなってしまったのではないか。人物を複数名入れる引きのショットの気の抜けた感じがひたすらもったいなく、これは名撮影監督ジョン・トールがいなくなってしまったせいではなかろうか。
前日譚かつ成長物語としての制約ゆえに前作超えはならず
ご多分に漏れず「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(2015)を最高に楽しんだクチなので、フュリオサの若き日を描く「マッドマックス フュリオサ」も大いに期待して鑑賞に臨んだ。「デス・ロード」の世界観に再会できて、そうそうこの感じ、と初めのうちは喜んでいたのだが、次第に物足りなくなっていき、前作の圧倒的な映像体験には残念ながら及ばない気がしてきた。
ジョージ・ミラー監督が1985年のシリーズ第3作「マッドマックス サンダードーム」から30年の時を経て発表した「デス・ロード」は、撮影技術の進歩も相まって、シリーズの再創造とでも呼ぶべき破天荒なビジュアル、スリリングでダイナミックなアクションシークエンスで観客を楽しませた。近未来の荒廃した砂漠の地で、3日間という限られた時間枠の中で逃げる大型トレーラー(ウォーリグ)と追う改造車群が繰り広げるバトルをリアルタイムで目撃しているかのようなライブ感(火を噴くエレキギターの弾き手と太鼓叩きたちを乗せたサウンドシステム搭載車もバカバカしくて最高)。もともと対立する立場のマックス、フュリオサ、ニュークスが手を組む展開もシンプルに盛り上がる要因だった。
一方の「フュリオサ」は、タイトルロールの彼女が10歳で連れ去られ母を殺されてから約20年(「デス・ロード」の中で「7000日以上過ぎた」という台詞があった)もの年月にわたるサバイバル、成長、そして復讐の闘いを描くストーリー。観客の心持ちとしては、前作の立て続けに起きる出来事を目撃し疑似体験するような感覚に比べると、どうしてもフュリオサの成長を俯瞰して見守るような、傍観者のような感じが優勢になってしまう。警護隊長ジャックとフュリオサの関係性は、前作のマックスとフュリオサの関係を一部踏襲しているものの、演じるトム・バークが前作の主演トム・ハーディに比べスター性が足りないことも含め、エピソードとしてやや弱い。
そして本作主演のアニャ・テイラー=ジョイ。アクション場面で健闘したとは思うが、前作でトム・ハーディと互角に渡り合ったシャーリーズ・セロンに比べて見劣りするのは否めない。これも成長物語ゆえの制約で、フュリオサが「強くなるまでの過程」を見せる映画であるため、アニャが演じる若きフュリオサが強すぎないこともいわば必然なのだが、肉弾戦で相手をぶちのめす痛快さが足りないと感じてしまうのも観客の自然な反応ではなかろうか。
興収面で北米でも世界でも前作に比べ不振で、前日譚の第2弾「Mad Max: The Wasteland」の製作にワーナー・ブラザースが慎重姿勢を見せているとの報道もある。何とか次で「デス・ロード」を超える大傑作を送り出してほしいのだが。
相変わらずの衝撃とカタルシス
瞬間風速を更新しながら爆走し続けた前作と違い、今作はフュリオサの半生を描く上でストーリー重視であることは明白。だがやがて我々が脳天かち割られるほどの衝撃で気づくのは、そういった比較すら無意味だということだ。前作の成功がなければ本作は存在しないし、本作というストーリーの発端がなければ前作は生まれえない。つまり互いが爆発的なエンジンとなって支え合う間柄と言える。さらに本作は各章が唯一無二の舞台、展開、ヴィークル、轟音、炎、オイル臭さ、オレンジ色の砂塵にまみれた体感的アクションを提示して観客を熱狂の渦へ叩き落とす。その計り知れなさ。容赦のなさ。つくづくミラーのバイタリティは怪物の域を超えている。そして何より刻々と凄みを増すアニャ・テイラー=ジョイの寡黙なれど執念たぎる表情は至高の極みだ。観た後すぐデスロードを見たくなる、その後またすぐフュリオサを観たくなる。飽くことなき無限ループの始まりである。
シリーズのこれまでを知らずとも、少女の成長譚として単体で楽しめる
熱狂的なファンは信じられないほどに熱狂するマッド・マックス・シリーズ。正直、私自身はそこまで熱くはなれず、このオーストラリア映画を一歩引いたところから眺めている感じ。でも、新作が出れば一応観ておこうという気にはなる。
本作はシリーズ前作の『怒りのデス・ロード(Fury Road)』でシャーリーズ・セロンが演じていたキャラクター「フュリオサ」に焦点を当てた前日譚。本作は故郷である緑の大地で生活していたフュリオサの少女時代から物語が始まる。
シリーズのこれまでを知らずとも、一人の少女の(かなり過酷な)成長譚として単体で楽しむこともできる作りになっている。
異様な造形と荒唐無稽な世界観、そして次から次へと繰り出されるハードなアクションと改造車などを生理的に受け入れられない人はきっといるだろうな、とは思うが、マッドマックスは平たく言えば「グループ間で貴重な資源の取り合いをしている」というだけの物語りだ。
それは現実社会においては、資源を奪い合うために紛争や戦争という、一歩引いた目で見れば実に荒唐無稽で馬鹿げた行為を実際に国同士がやっていることをカリカチュア的に描いているに過ぎない。そこにエコロジーやジェンダーのスパイスを効かせることで物語が構成されている。
生理的に無理でなければ、大きな画面を観ながら爆音を体感するための作品なので、テレビ画面や、ましてやスマホ画面などではなく、劇場で鑑賞するのがお勧め。
期待しすぎた感もあったけど
緑の地で暮らしていた少女フュリオサが、ディメンタス将軍の一味にさらわれ、追ってきた彼女の母が殺されてしまう。やがてフュリオサは、取引によりイモータンジョーのところに移る。やがてフュリオサは、ジャックと共闘し。
序盤の星型エンジンを搭載したバイクの登場で、今回も突き抜けた魔改造ぶりのマシン軍に期待しました。が前日譚のためか、前作ほどではありませんでした。それでもとんでもないマシン多数、ぶっ飛んだアクションも健在。ジャックは、ちょっと存在感が薄くて残念。マックスらしき人物と、インターセプターはチラッと登場。期待しすぎた感もあったけど、もう一回観よう。
足を咥えてる犬が出てきて、あれは黒澤明の「用心棒」かと。あっちは手を咥えていたけど。
樹木ソー
「朽果てていくこの世界で、どう狂気に抗えと?」冒頭賢者が観客に問う意味深な言葉。ラテン語で“狂気”を意味するディメンテス(クリス・ヘムズワース)に母親を殺されたフュリオサ(アニャ・テイラー・ジョイ)の15年にわたる復讐譚である。ヒロインの名前通り、狂気に対して“怒り”を持って抗えば、その者もやがて狂気にのみ込まれる。ニーチェではないけれど、認知症のバイデンに対して下々の怒りを煽って大統領の座についたトランプもまたその危険性をはらんでいるということだ。
映画冒頭に登場する“知恵の木”、そして映画ラストの“生命の木”から察するに、例によって旧約聖書ベースの物語なのかと思いきや、ヴィラン役のヘムズワースの姿かたちは誰がどう観ても(新約聖書の)“イエス・キリスト”。賢者はフュリオサのことを“第五の騎士”に例えたりするし、白→赤→黒と衣装の色を変えて闇堕ちするディメンテスが、四騎士のもたらす災い(支配→戦争→飢饉)をなぞっているような気がしないでもない。ピンチに陥った警護隊長ジャックをフュリオサが助けにいくシーンでは、背面に炎にまかれた十字架さえ登場する。
が、ジョージ・ミラー監督がどこまで聖書ネタに忠実であろうとしたかは甚だ疑問だ。むしろ、オーストラリアに広がる赤い砂漠で、フュリオサを主人公にした“新黙示録”を撮ろうとしたのではあるまいか。過去シリーズのセルフオマージュを要所要所にぶち込みながら再構築された世界観は、前作『怒りのデスロード』のようなフェミニズムよりに転ぶことなく、メル・ギブソンを主役に据えたシリーズを彷彿とさせるバイオレンス・アクション盛り沢山で、ロカタン好きーな方々もそれなりに満足のいく作品に仕上がっている。
『デスロード』でフュリオサを演じたシャーリーズ・セロンが降板、グラマラスなボディには定評のあるジョディ・カマーの名前も上がったらしいのだが、結局フュリオサ役はアニャ・テイラー・ジョイに決定。華奢なボディを危惧する輩の予想を見事に吹き飛ばしてくれる身体を張ったアクションにはオジさんも大納得だ。台詞の量わずか30行という寡黙な役柄ながら、その分内に秘めた野獣性が目力の強い大きな眼から迸っていたのである。アニャの非力を全く感じさせない演出は、やはりミラー監督だからこそなせた技だろう。
惜しむらくは、暴力シーンがてんこ盛りのわりには、ラブ&エロシーンが皆無だったこと。警護隊長ジャックとせっかくいい雰囲気になりかけていただけに、馴つきすぎた飼い猫じゃあるまいし、オデコとオデコをくっつけあってどうすんねん、といった感じなのだ。インタビューによれば、どうもフュリオサにはジョージ・ミラー監督自身の母親のイメージが被さっているらしく、フュリオサが獣のような大男たちに嬲りものにされるようなシーンは生理的にパスだったのではないか。意外と硬派なミラー監督なのでした。
世界観が素晴らしい!
前作の怒りのデスロードの前日譚になってます。怒りの戦士フュリオサがどうして生まれたのかの謎解きの要素も詰まってる所が良いです。前作を観てから観ることをオススメします。そして前作からの世界観も同じ。アクションは言うまでもなく凄いですし最初から最後まで全く飽きさせない!円盤を買ってメイキングとかも観て観たくなりますね。
『フュリオサ』!!!期待していたけど、微妙といえば微妙だった???
マッドマックス・シリーズって、異色アクション映画の金字塔だね、『怒りのデス・ロード』を観た後、しばらくあの戦慄と狂気の世界から抜け出せられなくなった人は多いと思う、
イモータン・ジョーの得体のしれない存在感、砂漠を爆走する改造車や改造バイク、火を噴くエレキギターほか、目に焼きつくというか脳内に刻まれるインパクトあるシーンの数々は、未体験の驚きだった、絶望的な近未来世界において、唯一の希望はマックスとフュリオサだけというとこもいいよね、にしても、偉大なるジョージ・ミラー監督って、もはや80歳なんだよね!!!
ということで、『フュリオサ』だけど、結構微妙だったので、その原因について考えてみた、
① アニャ・テイラー=ジョイはもちろんいい俳優だ、『ラストナイト・イン・ソーホー』と『ザ・メニュー』は、彼女の存在感なしには語れない、『フュリオサ』の宣伝でパンクなメークは嫌でも期待値を上げてくれたよね、インスタもがんばっている、そこでは女優さんというかモデルさんだよね、
② クリス・ヘムズワース演じるディメンタスがもう一人の主役と言ってもいいが、ソーのキャラから抜け出せない感もあって、熱演すればするほど、悪役を演じているおしゃべりな人気ハリウッド・スター感を醸し出していた、スタッフやキャストからは好評だったみたいだけど、
③ その流れで、存在感の強烈なイモータン・ジョー率いる白塗りウォー・ボーイズたち、指南役兼恋人の警護隊長ジャックの存在感が薄くなり、あげくは砂漠を暴走する壮絶なカー・チェイスも減ったというか地味になったという印象、
以上だが、前作と比べて単純なストーリー展開ではなく、物語の積み重ね的なとこがあって、見せ場が絞り切れていないのは仕方ないとしても、いろいろな意味合いがあるキャラ設定とのディメンタスだけど、目立ち過ぎのクリス・ヘムズワースの出番は半分くらいでも、、、悪役をやや過剰気味に怪演する人気スターより、黙っていても不気味なメークや異様な衣装だけで圧倒的な存在感を放つ問答無用な悪役のほうがよかったかもしれない、
あっ!クリス・ヘムズワース・ファンの皆さん、ごめんなさい!!!
もちろん、次回作の公開も待ち遠しいです!!!
もっと狂ってほしかった。
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