マッドマックス フュリオサのレビュー・感想・評価
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爺さんが撮った映画ではない!
マッドマックスは1作目から劇場本公開世代。
サンダードームはなかったことに派。
マッドマックスに魅せられて
一時は中古のフォードファルコンを所有したいと
本気で考えていたガチファンです。
余談ですが当時、カー雑誌で見ましたが
中古のフォード・ファルコンを
インターセプターにカスタムするショップが大阪にあり
金額は400万〜600万(車両込み)でスーパーチャージャーも
ダミーと本起動版が選べたと記憶しています。
前置き長過ぎました。すみません。
いや、最初のスピード感からすごい!
フュリオサママの動きにやられました。
バイクのクラッシュや人の投げ出され方まで本当に美しい。
この奇想天外のストーリーに違和感がないのは
世の中にこの世界観を放った本家のなせる技。
かつての名監督が久々に、という作品は
これまでもいくつもありましたが
ほとんどが残念な作品ばかり。本作は違います。
もうすぐ80の爺さんが撮った映画とは思えない。
最新の技術を熟知した若い監督が撮っても
この爺さんの映画のエネルギーの足元にも及ばない。
無理矢理難点を上げるとすれば
クリス・ヘムズワースが今までの役や
私生活と同じ印象で
愛嬌がありすぎて憎めないことですね。
もっとイヤなやつなら
最期はもっとカタルシスが高いと思いました。
次作、デスロード版マックスの前日譚の構想があるらしいですね。
爺さん、もう一本行きましょう!
追記.1
本作で初めて池袋のグランドシネマサンシャインの
IMAXを利用しました。
IMAXは何度も経験していますが
最初は大きいなぁ!と感じますが
観ていると大きさにも画質にも目がなれてしまい
いまいち価値を感じませんでしたが
ここは別格ですね。
3Dでもないのに最初のIMAXのプロモーション映像で
画面に吸い込まれそうな感覚に。
テーマパークのアトラクションのよう。
もう、他の劇場のIMAXにはお金払いたくないですね。
追記.2
2回目を池袋のグランドシネマサンシャインの
ULTRA 4DXで鑑賞してきました。
3面スクリーンの両脇のものはスクリーンというより
投影可能なカベという感じで少しグレーっぽいのかな。
そのせいで輝度が足りなくて中央メインスクリーンとの差が目立ちました。
それよりも。鑑賞していて感じたのは
3面スクリーンに囲まれた没入感より
両脇のスクリーンがあるせいで気が散ってしまい
センタースクリーンへの集中がそがれることでした。
2回目鑑賞で、単純な展開の映画でよかったです。
アクションが中心の映画なので尺の半分以上は3面使用だったと思います。
揺れ具合はすさまじく、水しぶきもタイミングよく
プログラムは相変わらず良くできていました。
感想のまとめとしては、今後は通常の4DXでいいのかなという感想です。
気になっている方の参考になれば。
これぞマッドマックス
とにかく世界観
前日譚というのがストーリー上の足かせにしかなっていないのが残念
まず、超ミニマルな構成で大成功した前作と大きく違う伝統的な三幕構成にしたジョージ・ミラーのチャレンジ精神に敬意を表したい。そのうえであえて辛口に言うと…
前作でシャーリーズ・セロンが演じたフュリオサと、今作でアニヤ・テイラー=ジョイが演じたフュリオサは、かなり違うキャラクターに感じた。前作では強くてカッコよかったフュリオサが、今作では随分とフェミニンでファッショナブルに。
絵づくりも、前作はスクリーンから砂煙が出てきそうだったのが、今作はやたらクリーンでCGっぽい。CGっぽいのは背景やモノだけでなく主人公の顔も。ただでさえナチュラルにCGっぽいアニヤ・テイラー=ジョイだが、もはや完全にCGキャラにしか見えない。
ジャックにまったく魅力がない。キャスティングの問題もあるのかもしれないが、まさに「ストーリーの都合のためだけに存在する」キャラになっており、マックスの出がらしのような印象。
三幕構成にしたことにより、アクション映画としての魅力はかなり小さくなった。というか、アクションはそんなに重視していない映画ですね。三幕構成にして、魅力的なお話が語られるかというと、それもやや微妙。「そうでしょうね」という展開しかしない。やはり前日譚というのがストーリー上の足かせにしかなっていない。過去を描くのは難しいね。
というふうに書くと面白くなさそうだけど、そんなことは全然ない。誰もが観に行くべき、非常によくできたアクション大作。前作が本当に凄すぎただけ。
『マッドマックス』シリーズしか見ていませんが、ジョージ・ミラーは天才監督だと思います。
『マッドマックス』がなければ『北斗の拳』はなかったでしょう。
『北斗の拳』がなければパチスロのサミーもどうなっていたかわかりませんし、『ケンシロウによろしく』等の関連作品も存在しなかったでしょう。
どんな作品でも影響を受けるものですが、『マッドマックス』のオリジナリティーと影響力は特別だと思います。
『北斗の拳』にはブルース・リーなど他の作品の影響もありますが、設定やキャラクターの多くは『マッドマックス』から借りているので、最も大きな影響を与えたのは『マッドマックス』だと思います。
『マッドマックス』シリーズのうち、1作目は関連性があるかもしれませんが、2作目と3作目は関係ないと思います。
今回はマックスが登場しない(ほんの一瞬だけ小ネタとして出てきたかもしれません)し、4作目『怒りのデスロード』の前日譚なので、シリーズを見たことがない人でも楽しめるでしょう。
できればこの作品を見た後に4作目(地上波で放送予定)を見ると、より楽しめると思います。
今回の話は『怒りのデスロード』でシャーリーズ・セロンが演じたキャラ、フュリオサが主人公です。
『怒りのデスロード』を見た時、フュリオサがなぜイモータン・ジョーの軍団の隊長なのか、なぜ坊主頭で変な化粧をしているのか、なぜ片腕なのか、なぜ自分の生まれた場所に帰りたがるのかといった疑問がありましたが、この映画でその辺りの疑問が解決しました。
最初から計画されていたのでしょうが、説明的ではなく、見事に一つの映画になっていて素晴らしかったです。
できればフュリオサの役はシャーリーズ・セロンが良かったですが、年齢が高いことや顔が綺麗すぎることから、アニヤ・テイラー=ジョイで良かったのかもしれません。
最初の方に登場する子供時代のフュリオサ役のアリーラ・ブラウンはとても可愛く、『マッドマックス』の世界にはふさわしくない天使のようでした。
周りは怖そうなおじさんばかりで、何か変なことをされそうでひやひやしましたが、そんなにエロいこともなく、暴力シーンも多かったですが、直接的ではなく、うまく演出でカバーしていたので見ていられました。
今回初登場したディメンタス将軍役のクリス・ヘイワースは、かなりふざけた感じで、あまり強そうではなかったのが少し残念でした。
ふざけた台詞が多くて面白くはなかったですが、場の雰囲気は柔らかくなったかもしれません。
個人的にはもっと筋肉隆々でいかつい感じのキャラが良かったですが、主人公が女性でディメンタス将軍と戦ったり復讐したりしなければならないので、少しイケメンで柔らかい感じのキャラにせざるを得なかったのかもしれません。
内容的な見せ場はやはり大平原の砂漠でのカーアクションで、今回も全開マックスで感動しました。
パラシュートを使って空中から攻撃したり、面白い武器や車が次々と登場して迫力がありました。
特に荷物を積んで走るタンクローリーのようなトラックで、次々と襲いかかってくる車やバイクと戦うシーンが面白かったです。
CGも使っているのでしょうが、ほぼそのまま実施しているように見え、スタントマンが何人か亡くなったのではないかと思うほど迫力がありました。
個人的にはケンシロウやラオウ、リンやバッド、ユリアなどが登場することを期待していましたが、小ネタとしてでも登場してくれればもっと面白かったと思います。
ただ、『マッドマックス』がオリジナルなので、そのようなことをすれば逆におかしなことになったかもしれません。
『北斗の拳』にはならないにしても、『マッドマックス』の続編をどんどん作ってほしいですが、次回作はどうなるのでしょうか。
イモータンジョーやディメンタス将軍の過去を描くのかもしれません。
個人的には『マッドマックス』の『木枯し紋次郎』的な要素が好きなので、また別の世界に行って「関わりのないことだ」と言いながら事件に巻き込まれるようなストーリーを見てみたいです。
ジョージ・ミラー監督はけっこう高齢ですが、できる限りこのシリーズを続けてほしいです。
『マッドマックス』シリーズしか見ていませんが、彼は天才監督だと思います。
女が強すぎ。マッドマックス感が消えるほどに強すぎて興ざめした
冒頭から女が強すぎ。一撃で男どもを倒せるようなスーパーウーマンなのだ。
ヒャッハーと叫ぶ男たちが、それを叫んでもいないうちに次々に倒されていくのだ。これではマッドマックス感がない。
マッドマックスと言えば、敵の男どもが強くて、マックスでも勝てなさそうなアウェー感が観客のドキドキハラハラを誘うはずなのだが、それが1ミリもなかった。
敵の男たちにさらわれた少女を、ほとんど筋肉のない細い身体の母親がたったひとりで男どものアジトに乗り込んでいって、少女の救出にあっさりと成功してしまうのだ。緊迫感とかは一切ない。もう笑ってしまうくらいか細い母親は強いのだ。
それなのに娘を連れて逃げる途中の母親は、敵が追跡してくるのを知ると、なぜか娘に最後のお別れをして、なぜかなぜか、そのときだけ弱い女を短い時間だけは演じて、あっさりと娘の見てる前で処刑されてしまうのだ。これは物語の都合上、娘にトラウマを植え付けるために処刑されなくてはいけなかったのだろう。だから母親はその短い時間だけ弱くなる必要があったのだ。
もうこの時点で、僕はあくびが出てしまった。
つまらないのだ。
なんでアメリカでは大ゴケで客が入らないのか、その理由がわかってしまった。
ポリコレであり、フェミニズムのためだろう。
主人公の女の子はフェミニズム的に強い女の部分と長所は描いてもいいが、欠点とかは描いてはいけない。弱い部分とかは物語の都合上で必要ならば描いてもいいが、できるだけ短く、できるだけカッコ悪くならないよう描かないといけない。そんな規制があるかのようだ。
ゆえに主人公は人間として描かれていない。何を考えて、どんな失敗をして悔やみ、挫折して……などのマイナス面がないから、人としての成長がない。いや、もう成長していて最初から完成してしまっているのだ。
だからラスボスとの対戦後、ラスボスひとりがベラベラと勝手に哲学的なことを喋り続けて、主人公の彼女は黙って聞いているだけだったのだ。つまり自分がないのだ。中身がないのだ。だから反論も同意もできない。
彼女の人生はピンチになっても、運が良かったり、男が助けてくれたりする。だけど露骨に男が助けたという印象を持たれないよう、わざとそう見えない変な演出をしてくる。このため、回りくどくてつまらなさが増す。そんな感じで実は過保護に育てられた主人公は中身がなく、ただ強く、カッコいいだけに育つのだ。
そんな主人公に感情移入も共感も出来ていないから、いつものマッドマックスらしいアクションシーンになっても、緊迫感が薄い。なぜかのめり込めない。いつもなら面白いはずなのに、なぜか盛り上がれない。キャラが弱いからだ。そのキャラがピンチになっても、どうせ助かるんだろと、興ざめしてしまった自分がいる。
キャラの視点に同調して、その緊迫感を楽しめず、退屈で寝てしまったのだ。
マッドマックスの良さを台無しにしてしまった、ポリコレやフェミニズム……今ではゲームの業界でも検閲があり、ポリコレや性的な描写があるとやり直しを命令され、発売延期になるらしい。特にSONYが厳しく、最近は任天堂が緩いらしい。
それらゲーム業界と同じように、ハリウッド映画も検閲の対象となり、マッドマックスなんて暴力のカタマリみたいな映画だから映画会社の首脳陣が検閲で公開延期を余儀なくされるのを恐れ、そうならないようにと自主規制で脚本の段階からいろいろ削っていったとするならば、この主人公がスカスカのキャラクターとして出てくるのも納得できてしまう。しかし、そのつまらないものを見せられる被害というかツケを被るのは観客だ。だから観客はもう信用せず、クチコミでこれがフェミニスト映画だと知ったとたん、映画館に行くのを次々にやめてしまったのかもしれない。憶測だけどね。
最後に面白かったのはラストシーン。前作「怒りのデスロード」につながるラストなんだけど、ここがワクワクする。さあ、ここから「怒りのデスロード」が始まりますよ~って感じで、すごく盛り上がってくるのだ。そんな盛り上がりを見せた中でのエンディング・クレジットのスタート。
やがて観てるうちに、キャストやスタッフの名前が涙で滲んでくる。
そうか……「怒りのデスロード」が作られた約10年前は、まだいい時代だったんだなぁ~と思い出す。
そんな、切なくて哀しくなる映画でした(笑)
切ないバイオレンス
ヒロインのフュリオサ役を務めるアニャ・テイラー=ジョイさんは、「スプリット」や「ラストナイト・イン・ソーホー」でお気に入りの女優さん。当代で目力No.1と思っていますが、本作の寡黙なフュリオサ役は、目の演技中心でバッチリはまっていました。
マッドマックス本編では脇役のフュリオサですから、主人公効果で特別扱いされる訳にはいかず、全体的に辛い展開が続き、アクションものとしては無茶苦茶さと痛快さで本編に劣る印象もありました。ただ、切なさが醸し出す味わいでは勝ります。この点、スターウォーズにおける「ローグ・ワン」と本編シリーズのテイストの違いと似たものを感じました。
逆に、本編の一種のおバカさ、あるいは狂気についていけない場合は、本作を補助線にすれば、少しは身近になるかもしれません。
私は、本編もこちらも、どちらも好き!
本編シリーズの次なる展開があったら嬉しいところです。
世紀末ブームとか、バイクや車がまだアクション、スピード、ファッショ...
世紀末ブームとか、バイクや車がまだアクション、スピード、ファッションの象徴だった時代に作られ、成功した映画がルーツ。現在の感覚においてはその賛否や好き嫌いの差も大きくなっていると思われます。これまでと同じなら「観たら疲れて帰るんだろうな」と思いつつ、「これまでのシリーズ観てきたんだから…」的な半分惰性で映画館へ。
鑑賞後はとにかく美しく、たくましく、強いフュリオサとその母が印象に残り、繰り返され、ダラけやすくなるカーチェイスや戦闘シーンは彼女のBGM(BG…Visual?)でしかなかった。スピンオフだからか、「マッドマックス」にしてはストーリー重視だったし、それで良かった。逆に言えば映画のコピーにもある「トビたい」方には少し効きが甘いかもしれない。
記憶も薄くなった「怒りのデス・ロード」をまた観たくなった。でも、その大きな瞳で演技するアニャ・テイラー=ジョイがフュリオサじゃないとダメなのかもしれない。
(余談)オートバイに乗る方へ
今回もたくさんのオートバイが出てきます。この映画に欠かせない重要なツールでありますし、砂漠を大勢のバイクが疾走する空中映像は美しく、パリ・ダカールラリーさえ連想させます。一方でバイク乗りなら分かる「それはありえん」シーンも散見されます。こだわると映画に入り込めないので(←私)、そこは片目つぶって観ましょう(笑)
黙って劇場で観ておけ!
シリーズ最新作にして、前作に登場した女戦士フュリオサを主人公に据えた本作。当然のことながら期待値爆上がりで、公開2日目にIMAXで鑑賞してきました。その期待を裏切らない完成度に大満足です。
ストーリーは、暴力が支配する荒廃した世界にあって、ひっそりと平和な集落で暮らしていた少女フュリオサが、ある日、あたりで略奪を続けるディメンタスが率いる軍団に連れ去られ、救出に向かった母親も殺され、対抗勢力のイモータン・ジョーに取引の材料として引き渡されながらも、復讐と帰郷を心に誓い、不屈の精神で生き抜く姿を描くというもの。
上映時間148分と長い作品でしたが、全く長さを感じません。開幕早々に作品世界に引きずり込まれ、時間を忘れて見入ってしまいました。前作公開が9年前で記憶も曖昧だったため、前日にアマプラで再鑑賞して臨んだのですが、その必要はなかったです。前作の前日譚ということもあって予備知識は不要ですし、なんといっても迫力の映像が全てを物語っており、これ以上ない説得力となっています。初見でも全く問題なく楽しめます。
本作を楽しむ上で欠かせないのが、この絶望感な世界観です。水と食料と資源を奪い合い、暴力がすべてを支配するという混沌の世界。その中で、それを絶好の機会と捉えて己の欲望のままに突き進む者、強者に尻尾を振ることで己の身を守ろうとする者、それでも優しさや穏やかさを持ち続けようとする者など、本性をさらけ出した人間の姿が赤裸々に描かれます。“あなたはどんな生き方を選ぶのか”と究極の選択を迫られているかのようです。
そんなぶっ壊れた世界の中で、少女フュリオサがいかにして戦士フュリオサとなったのかが、鮮明に描かれています。前作よりストーリーがはっきりしていて、フュリオサの成長譚としても見応えがあります。特筆すべきは少女時代を演じたアリーラ・ブラウンで、かわいらしい顔つきの中で放つ目力は、強者に屈することなく、どんな状況下でも諦めず、信念を決して曲げない意志の強さを物語っているようです。彼女の創り上げるフュリオサ像が、シームレスに戦士フュリオサへと引き継がれます。
フュリオサは、前作のシャーリーズ・セロンからアニヤ・テイラー=ジョイにバトンタッチされており、線の細さを感じる部分もありますが、こちらも見事に演じ切っています。ただひたすらに復讐の炎を燃やし続けるフュリオサの激しい怒りと深い悲しみが、ひしひしと伝わってくるようです。激しいアクションシーンも淡々と冷静にこなす姿は、まさに戦士といった感じです。
そんなウリのアクションもすさまじい迫力で、IMAXとの相性もよく、あまりの臨場感に何度も声が出そうになります。そのアクションを支える、さまざまな改造やギミックを施されバイク、車、武器、その他のガジェットも、本作の見どころの一つです。荒廃した世界の中で残された資材をかき集めて、具現化された斬新なアイデアがおもしろいです。
そんな感じで大満足なのですが、ディメンタスがちょっとだけ中途半端に映ります。マントと配役のせいでソーとかぶり、娘の面影を追ってしまっているような面もあって、イマイチ冷酷な悪党に見えません。もちろん、ふてぶてしい言動とゲスそのもののやり口のおかげで、イモータン・ジョーの統治の方がましにも見えるし、その最期に溜飲が下がる思いはしますが、もっと人間性のかけらもない男として描いてもよかったのではないかと思います。でも、ひょっとしたら、彼もまた世界に絶望して闇堕ちしたかわいそうな男として描かれていたのかもしれません。
主演はアニヤ・テイラー=ジョイで、彼女の新たな魅力が感じられる圧巻の演技です。脇を固めるのは、クリス・ヘムズワース、トム・バーク、アリーラ・ブラウン、チャーリー・フレイザー、ラッキー・ヒューム、ジョシュ・ヘルマン、エルザ・パタキーら。
優しい
相変わらずの疾走感!
4DXを初めて体感した時、「これは絶対にマッドマックスで観るべきだ!」と心に誓い、今回無事に成就してきました♪
それにしても、マッドマックスのあの世界観に浸ってしまうと完全にハマって抜け出せなくなりそうで、恐ろしくなります💦
前作も見返したくなりました♪
世界観にひたひたに浸る
面白かったけど。。。
期待通りの出来ではあった。
アニャテーラージョイの目力ですべてを持って行った感じ。
もう少し筋肉が付いていればもっと説得力が増したハズ。ちょっと華奢過ぎた。
ストーリーは前半はもう少し短めでも良かった。
逆に後半はジャックとフェリオサのバレットファームでの戦いは良かったけど
砦の軍とディメンタス軍の激突が欲しかったし
フェリオサとディメンタス将軍の会話が冗長だった気がする。
一番残念だったのはフェリオサの子役の顔がAIでの合成映像だった事。
これをやってしまうと役者の価値が無くなってしまうと思うのだが。。。
普通に最高です。
フューリーロードが120点だとすると、比べるものではないとわかっていても比べてしまう…85点。
ハッキリいって充分に面白い作品。
よくまぁいろんなアイデアが思いつくなと関心した。
またフューリーロードでは話の中だけであった畑もちゃんと見せてくれたのは流石だなと思いました。
前半は1や2の雰囲気も感じられて古参のファンサービスも忘れてない。
ここまでやってくれたら文句を言うべきじゃない。
しかし、やや気になるとこが無くはない。
一度しか観ていないので何ともだが…
屈強な男どもは皆がみんな自らが統治し"民に分け隔てなく与えよう"が目的であったが結果はただの独裁者になっている。それは世の常。
イモータンジョーは宗教観を利用しウォーボーイズを上手くコントロールしてる。
一方でディメンタスはただのボンクラ感があって部下をコントロールしきれなかった。
宗教的洗脳を使わないなら恐怖で屈服させコントロールすると思うが、あんなに反乱が起こるまでになってるのはやり方がただ雑過ぎたって事なのかな?
それにディメンタスは仇役としては愛嬌があり過ぎる。
ジョージミラーの事だから何か意図があるはずだと思う。普通復讐ものなら悪役を憎々しく描くもの。
ロボコップのギャングなんかはあれだけ悪い奴らだからカタルシスが生まれた。
でもディメンタスは世界が崩壊した時に家族が殺されている。希望は持つものじゃない。
マックスと内面のプロセスは似ている。
壊れた先のアウトプットが陽キャ、陰キャ。仲間を作る、1人で行動する。常に足りてない、もう何も要らない。外へ吐き出す、内に籠る。
マックスとは陰陽の関係にあると思った。
誰もがこうなる可能性があると。
ここまで何処か憎めないキャラにしたのはそれ以外に何かあるんだろうか?
フューリーロードではイモータンジョーを残虐に殺した。台詞のニュアンスとして感じたのはジョーに直接的に何かされたような印象があった。
その辺が明らかになると思ったが、ジョーからは直接被害を受けてない。
しかし直接的な加害者のディメンタスの方が少々緩めなのが何でだろとノイズになった。
子供の頃は守られてる部分や強くなる為にある種のメンター的な部分もあったのだろうか?本人もラストで殺すのを躊躇してるように見えた。
じゃイモータンジョーがそんなに恨まれる理由はなんなんだ…
今回マックス的なメンターが別にいたが、彼の死も直接は描いていない。後でまた登場するとか?
この作品はフューリーロードの10数年前からの話だと思うが、故郷はその間に砂漠になってしまった。手前にあったオアシスも水が汚染されてと言っていたが…あの豊かな故郷がどうして…
あと、これはどうしようもないが、目で役者を選んだのは理解した。でもアニャさんは可愛い過ぎる。
シャーリーズセロンの演じた人間としての芯の強さが美しさになっているものとは、やっぱり違う。比較しちゃいけないのはわかってるが、気になるものは気になる…
「ディメンタスの挑戦」という良作アクション
長文読んでられない方にお伝えしたい結論: 世紀の大傑作から普通の良作へ
そもそもの話として、フューリーロードの体験をもう一度というのは無理な話で。
シリーズ作を見てはいても、あの体験は「自分はどこへ連れて行かれるのか」「ていうか何を見ているんだ」という未知のド迫力体験だった。
そして20-30分見た段階で「こんなの後2、3回はドでかスクリーンの大音響で観るに決まってんだろオラァ!」という歓喜の叫びを心の中で上げていた。
そういうスペシャルな作品の続編は当然難しいが、とりわけ前日譚というのは更に誤った選択だったと思う。
ただでさえ全てが目新しく新鮮な刺激のカタマリだった前作と違い、同じ世界同じキャラクター同じデザインがずっと映るわけで。「シリーズ作だからこその世界観の統一」ではなく、全く同じものが。
しかも着地点が決まっているからこそ、辻褄合わせとか前作への目配せとか、そういう不要なポイントに制作側も観客側も無駄に意識を割かされる事にもなり、前作の超純粋化アクションには無かった不純物が混ざらざるを得なくなった。イモータンジョーという作中最大の悪役も放置せざるを得ないので消化不良感も保証済みだ。
章立てにしたのも悪手だったと思う。そもそもどんなプラスの効果があったのか良く分からない割には「先の展開を観客に予想させる」というマイナス効果しか無かったように思う。
とにかくそれら引っくるめて前作の「体験」から「鑑賞」という普通のフィールドに落ち着いちゃったというか、「理に落ちちゃった」のが何とも残念。
そんな弱点だらけのこの映画を救ったのは、今作のブラボーな悪役、マイティソーことクリス・ヘムズワースが嬉しそうに演じるディメンタスだ。
最初にその身につけたクマチャンを見た時は、バカっぽい狂ったキャラクターを表すには分かりやすすぎるアイテムだなぁと鼻白んだが、自分の子供の形見だと口にされた時点で、ちょっとコイツは違うぞと。
幼いフュリオサを酷い拷問にかけて実りの地の場所を吐かせようとするとか、何なら殺してしまう機会は幾らでもあった筈なのに、大事に育ててしまうあたり、明らかに失った我が子を重ねていたのであろう。結局ジョーに渡してしまうが、フュリオサがあくまでディメンタスを母の仇として忌避する言動をとったので、あれはああする以外無かっただろう。ぬいぐるみをむしり取るディメンタスの表情が印象に残った。
イモータンジョーのような絶対理解不能なカリスマではなく、「半裸姿でチャリオットみたいなバイクを操るアホでマッチョな見た目と異なり、意外と小知恵が回って人間臭いリーダー」というキャラクター性が狂気に満ちた世界観にスポリとハマっていたと思う。
ラストの「お前は俺と同じだ」というセリフが全てを表していて、彼はフュリオサでもあり、またマックスでもあったのだろうと思わされる。むしろこの映画の主役はフュリオサではなく、有り得たかも知れないマックスの姿でもあるディメンタスだろうと思う。
最後に、この映画本国では近年の反ポリコレの潮流に飲まれて散々な興行成績だという。
たしかに私も昨今のディズニー始めハリウッドのポリコレゴリ押しは創作を殺すと思うので大いに反対だ。だが今作見てみれば分かるが明らかに「ディメンタスの挑戦と落日」がメインで描かれていて、フェミ描写など殆どない。前作の方が余程その辺の描写はあった。それも全く不自然でない形で。
数少ない日本の洋画鑑賞者の皆さんは是非この明らかに間違った判断をせず良作アクションを観に行って欲しいと思う。過度な期待は禁物だが普通に面白いので。これが誤解からとはいえ大ゴケ映画として歴史に名を残すのは間違っている。
全649件中、421~440件目を表示