「ポン・ジュノ監督のモンスター愛が炸裂」ミッキー17 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
ポン・ジュノ監督のモンスター愛が炸裂
【イントロダクション】
近未来を舞台に、宇宙の植民星計画に志願した若者が、人体複製技術によって何度殉職しても新しく生まれ変わる様を描いたブラック・コメディ。
監督・脚本に『パラサイト/半地下の家族』(2019)で第92回アカデミー賞・作品賞、監督賞をはじめ4部門受賞の快挙を成し遂げた韓国映画界の巨匠、ポン・ジュノ監督。原作はエドワード・アシュトンによる『ミッキー7』。
主演に『THE BATMANーザ・バットマンー』(2022)、『TENET テネット』(2020)のロバート・パティンソン。共演にMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)でハルクを演じるマーク・ラファロ。
【ストーリー】
舞台は2054年。ミッキー・バーンズ(ロバート・パティンソン)は未開の惑星“ニヴルヘイム”の氷河の亀裂の下で目を覚ます。落下して即死するはずだった彼だが、奇跡的に一命を取り留めていたのだ。地球からの友人であるティモ(スティーヴン・ユアン)は、ミッキーが携帯していた火炎放射器を回収すると、彼をその場に置き去りにする。
「お前は死んでも生き返るだろ。死ぬのってどんな感じだ?」
数年前、ミッキーはティモの口車に乗り、地球で悪質な高利貸しのダリウス・ブランクから借金をしてマカロン店の事業を始めるも、すぐに経営破綻していた。借金返済の目処が立たず、ダリウスから命を狙われる状況から脱出する為、ミッキーは政治家ケネス・マーシャル(マーク・ラファロ)が主導する宇宙開発計画の乗組員に志願する。
しかし、事前に募集書類をよく読まなかったミッキーの志願した先は、“エクスペンダブル(使い捨て要員)”だった。それは、人体の複製装置によって事前に身体情報や記憶のバックアップを取られ、任務中に死亡した場合、記憶を引き継いで“新しい自分が複製(プリンティング)される”というものだった。
そこからのミッキーは、宇宙船の修理だと騙されて宇宙空間の放射線量調査に駆り出されたり、未開の惑星での細菌感染リスク確認とワクチン開発のモルモットにされたりと、散々な目に遭ってきた。そして、現在存在しているのは17代目のミッキー、“ミッキー17”である。
しかし、ミッキーには宇宙船で出逢った恋人のナーシャ(ナオミ・アッキー)がおり、彼女と過ごす日々が支えとなっていた。
ワクチン開発に成功し、仲間達と共に惑星探索を開始したミッキーは、氷河の下にある空洞で、未知の生物“クリーパー”の襲撃を受ける。銃で応戦する中、仲間の1人であるレッド・ヘアーが氷塊の下敷きになって死亡してしまう。使い捨てでありながら、仲間を犠牲に生還したミッキーをマーシャルは叱りつけ、単独でのクリーパー捕獲を命じる。
再び調査に乗り出したミッキーは、冒頭の氷河の亀裂の下に落下し、クリーパーの中でも一際大きな“クイーンクリーパー”に襲われると思い、死を覚悟した。しかし、クリーパー達はミッキーを担ぎ上げ、氷河の上へと連れて行き送り出したのだ。
再び生還したミッキーは、ふらつく足取りで宇宙船へと帰還し、自室のベッドに倒れ込む。すると、隣にはミッキーの死を確信してリプリントされていた別のミッキーが眠っていた。
かつて、地球で複製技術を悪用し、連続殺人のアリバイ工作の為、同じ人間が複数存在するという事件があった。以降、同じ人間が2人以上存在する事は御法度とされ、最悪の場合全員が殺処分されてしまう。
心の優しいミッキー17に対して、新しく複製されたミッキー18は気性が荒く、反骨精神の強い存在だった。これまでも、代によって泣き虫のミッキーが居たり、知能レベルが低いミッキーが居たりしたが、ミッキー18はその中でも極めて異質だった。
ミッキー18は、自分が殺処分されるのを恐れ、ミッキー17を容赦なく溶鉱炉に突き落として始末しようとする。
しかし、ミッキー17は「協力しよう!これからは食事も半分だが、仕事も半分だ。奇数の僕は奇数の代の、偶数の君は偶数の代にリプリントされれば良い!」
偶然によって、2人に増えたミッキー。やがて彼らはマーシャル達権力者による搾取構造に反旗を翻すことになる。
【感想】
私は、『半地下の家族』をその年のベスト映画に選ぶくらい、監督の前作が大好きであり、未見だがこれまでのキャリアにおいて『グエムル-漢江の怪物-』(2006)でモンスター・パニック、『スノーピアサー』(2013)で権力への反逆を描いてきたポン監督が、これまでの集大成とも言える題材を監督すると知って、本作の公開を心待ちにしてきた。
実際に本作を鑑賞してみて、私が抱いた率直な感想は「なろう小説みたい」だった。
設定からキャラクター描写に至るまで、あらゆる要素が実に日本のライトノベル的な印象を受けるものだった。
特に、ナーシャがミッキーに惹かれる要素が全く描写されておらず(ミッキーが惹かれるのは分かるが)、『出会って4秒で合体』レベルの出会って即SEXというのはどうなのだろうか?ライトノベルどころか、エロ漫画の展開である。
ましてや、ミッキーと違いナーシャは宇宙船の警備官であり、所謂イケてる女子である。そんな彼女が、何の取り柄もないミッキーを選ぶ理由が理解出来ないのだ(最近、半年間片思いしていた女性にフラれたので、余計に魅力のない人間が選ばれる展開に嫌悪感があります。ご了承ください)。
キャラクター描写も、皆どれも日本の漫画・アニメ的な“取ってつけた感”が強く、そうした“作り物感”が作品への没入感を阻害していた。
特に、ヴィランにあたるマーシャル夫妻が、ブラックコメディとはいえあまりにも幼稚で愚かしく、「何でこれで政治家(2回落選しているとはいえ)や植民星計画の主導者になれたの?」という印象が強かった。その為、ミッキー達が反旗を翻すクライマックスの展開、特にミッキー18がマーシャルを殴りつけるシーンにカタルシスが感じられなかった。
搾取構造をより際立たせる意味でも、彼らはもっと恐怖心を与える、観客の怒りを蓄積させる悪辣さがあっても良かったと思う。
最も問題あるキャラクターは、カイ・キャッツだ。知らなかったとはいえ、ベイビークリーパーを警備官らと共に銃殺し、ラストで亡くなったはずのレッド・ヘアーをちゃっかりとリプリント(ミッキーのように奇跡的に助かっていた可能性はあるが、そうした描写は皆無)して幸せそうにしている様子には、「どうせ複製装置を爆破するなら、破壊する前に死んだ恋人作っちゃえ」的なノリの軽さ、「ハッピーエンドだから良いよね?」的な製作側のノリの軽さが感じられ、嫌悪感を覚えた。
「何だ!?別れる前にもう一回ヤッとけ的なアレか!?(俺、フラれたばっか!あと童貞!)」と思わずにはいられなかった。
但し、演じたアナマリア・ヴァルトロメイは美しく魅力的な女優だと思った。
そんな本作において、最も愛すべきキャラクターは、クリーパーだろう。特に、ベイビークリーパーの可愛さは格別。まるで『風の谷のナウシカ』(1984)の王蟲(オーム)のような見た目をしており、高い知能を持ち、翻訳機による意思疎通も可能。種は母親であるクイーンクリーパーを頂点に、成獣のジュニアクリーパー、産まれて間もないベイビークリーパーで構成されている。
監督曰く、様々な作品から着想を得ており(勿論、日本のアニメ作品からの影響も)、その発端はクロワッサンとのこと。
ともすれば、監督は彼女らを描く事こそが、本作を手掛けた最大の目的だったのではないかと思える。そのモンスター描写への情熱は、まるでギレルモ・デル・トロ監督作品を観ているかのような感覚だった。
ロバート・パティンソンの熱演は素晴らしく、特に心優しいミッキー17と気性の荒いミッキー18の演じ分け、表情や仕草の違いは本作の白眉。
マーク・ラファロによるケネス・マーシャルのボンクラぶりも、彼がMCUでブルース・バナーという優秀な科学者を演じており、そちらのイメージが強く擦り込まれているからこそのギャップはある。
また、監督は『半地下の家族』でも、ラストで観客へのメッセージを発信していたが、本作でもラストのミッキーの台詞にそれが表れている。
「幸せになっても良いんだ」
それは、搾取構造で成り立つ現代社会を生きる我々に向けた、希望ある真っ当なメッセージだろう。しかし、このメッセージをより一層引き立たせる意味でも、やはりマーシャル夫妻の搾取はより悪辣的、現実的な恐怖心を想起させるものにすべきだったように思う。
【考察】
本作最大の魅力は、複製されたミッキーの代毎の特性の違いについてだ。
好戦的で気性の荒いミッキー18(ナーシャの言葉を借りるなら“ハバネロ・ミッキー”)は、特に他のミッキーとの違いが顕著で、突然変異とも呼べる存在だった。
これまでにも、泣き虫のミッキーが居たり、知能レベルが低いミッキーが居たりというのは、まるでミッキー・バーンズという個人の持つ様々な感情を切り取り、誇張したかのよう。
では、何故ミッキー18があそこまで好戦的な性格なのか。ミッキーは、死亡する毎に記憶を引き継いでリプリントされる。つまり、これまでのミッキーが抱えていたであろう、理不尽に対する怒りや、権力による搾取構造への反骨心が彼の中には無意識のうちに蓄積されていたはずで、その結晶があのミッキー18なのではないかと思った。
【総評】
人体複製というSF設定、クリーパーという魅力的なモンスターの存在から、SFモンスター映画としての魅力は持っている。しかし、予告編でも強調されていた「搾取への抵抗」、キャッチコピーの「逆襲エンターテイメント」としての側面は弱く感じられた。
また、やはりライトノベル的な印象は常について回るので、前作のような名作を期待する事なく、軽い気持ちで適度にライドしながら鑑賞するのがベストなのだろう。