バービーのレビュー・感想・評価
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バービー アンド ケン
仙台の映画館、土曜のレイトショー。
前日予約時は自分で5席目の予約。やはり事前のプロモーションで一悶着あった影響でガラガラなんだなと思い劇場へ。
しかしながら上映時間が近づくにつれて人は増え、最後にはなんと中央以降の席が8割程埋まる客入り。
大半は女性で、カップルや男性ひとりの客の姿もチラホラ。字幕回と言うこともあって、外国人の女性グループなども来ていて予想外の混雑具合に自分のみならず早目に席予約したであろう方からも驚きの声が聞こえてきた。
公開後の評価の高さや実際に観た人の口コミがよい影響を与えた結果なのか、1ヶ月近く経った今になって作品の実評価の声が浸透しはじめた雰囲気を感じた。
かく言う自分自身も、事前のいざこざから何だかつまらなそうというレッテルを貼って観に行く候補から外していたが、何かといい評判を見聞きするようになり映画館へ足を運んだひとりである。
さて、作品の感想に移る。
そもそもバービーに何の思い入れも無い自分であったが、バービーが女性の自尊心や女性と社会の関係に良くも悪くも影響を与えて来た人形、マスコットであったのだなと作品を見進める途上で感じていた。また一方で、バービーの添え物として恋人の様な違うようなケンという存在が、何で居るのか分からない存在として描かれている気がして空虚で主体性の無いケンに嫌悪感すら感じるとともにヘタレな彼への哀れみを感じたし、後に男性の支配欲と馬に目覚めてしまった彼の人間的未熟さに感情移入もしていった。
最終的にケンはケンとしてひとりの存在として認められながら、バービーには選ばれない残酷さは、バービーが人間になる事を選んだ事とともに、個人の自立と選択とは何かという事を多角的に描く演出に思えていいなと思った部分であった。
現実世界での母娘のやり取りやバービーを泣かした娘の痛烈なスピーチは今現在のバービー人形の立ち位置を言い表したと共に、思春期におけるバービー人形の役割りも感じることが出来たように思えて、あの2人の存在ややり取りはこの物語のもう一つの主軸であったと感じた。
たくさんの切り口から、生き方の選び方について考えるきっかけとなるよい作品だと思ったし、いい年した自分のようなおじさんより、思春期真っ只中で色々と迷っている若い世代の人が観たらまた感じるところがあるのではないかと思った映画でした。
モウジョウドウジョウカサハウス
今更観賞して、バービーの行く末や婦人科に行く件を評しても、既に数多のお歴々のレビュアー様が丁寧に解釈されているので、ここはやはりケンの立場からの感想を考えてみたい
『もう充分だ、ケン』というTシャツに制作陣のメッセージが吐露されていることに今作の白眉を受取った マチズモとホモソーシャル、そして優位に立ちたいという本能を揶揄したシークエンスは流石に的確という他はない 私など優位性を保つ能力など皆無なので、今作のそれはブイブイ謂わせている現在の勝ち組に対してのやっかみだと思って貰って結構 全員死滅してしまえばいいんだと思う程だ 人より記憶力がよく、人より理解力が高く、人より自分を騙す能力が優れている人間は、男女関係無く、人を貶める事に快感を覚えることなく、もっと高みに意識をシフトしろ、と云いたい
折角貰ったギフト、何故に下に意識が向くのか、もっと向上心を持てと小一時間説教したいが、ま、聞く耳もたないかw
女性はこれから益々社会を、否、世界を導くメシアとなる そうまるで神の導きのように・・・
さて、男は?・・・・ 種馬(よかったじゃない、馬が好きなんだろw)のみ残されて、劣勢者は駆逐されるのみ 野生の摂理といえばそれまでだ 果してライアン・ゴズリングはどっちなのか、それが今作のメッセージなのだと断言する
あ、自分は、駆逐側ですw
人形の世界と実社会
現代要素を盛り込んだ人形たちの冒険。
昔から長年続く人形たちの遍歴も加え、それぞれの時代ごとに作られたキャラクターも登場させることで、バービー人形で遊んだことのある人には心をくすぐられる点もかなりあるだろう。そしてドールハウスなどを実寸台で作るなどその世界観を上手く描いてる。
あと人形であることを逆手に取った笑いもあり、楽しめる点もあるのだが、やはりバービー人形を通ってこなかった私には親近感が湧かなかった。
ただストーリーには人現代要素をふんだんに取り込んでていまの社会の縮図をポップに描いて共感も呼べる。
「わたし」を作り上げることの難しさ
冒頭「あ~、『2001年宇宙の旅』のパロディだね~、結構そのままだね~」
後半「俺も妻に『ゴッドファーザー』語ってた~。猛省…。」
自分を取り巻く世界から規定された役割から解放されることはとても難しいと思う。私自身、肩書を外した時に何が残るのかというと、答えに窮する。女の子との新しいロールモデルとして生み出されたバービーが「フェミニズムを50年後退させ」たのであれば、エンディングのバービーが彼女自身のロールから解放され、どのような旅を始めるのかとても楽しみだ。そして、自己の旅を始める足掛かりが「婦人科受診」というのも何ともひねりが利いている。まずは自分の体を大切に、ということであろうか。構造主義的に規定された自己の解放という点では、最近の作品だと『ウーマン・トーキング』、少し前だと『トイ・ストーリー4』と親和性のある作品だと感じた。
これからアイデンティティーを確立するであろう若者に見てほしい映画だと感じた。そして10年後、20年後、ここから少しでもよりよくなっていればいいし、自分のそのために何かしなければならないなと感じさせる良作であった。
賛否両論ある作品なのでレビューは正直に。 【気に入らない点】 一旦...
賛否両論ある作品なのでレビューは正直に。
【気に入らない点】
一旦女性を下げてからでないと、女性の生き方を肯定できないんですかね?
もうこのタイプのメッセージ性が強い作品は飽きたな、と言うかもう今更だなと思う。
女性でいることの素晴らしさ、息苦しさ、理不尽さは言われなくても理解してる。
さあ!女性も好きに生きてイイんですよ!男になんて負けちゃいませんよ!
言われんでも名だたる女性権利の歴史から学んできたことなんで、説教くさくて敵わん。
※※※ただ本作は日本基準の思想ではなく、グローバルスタンダードの現状をベースにしているので、作品をシリアスに捉えられるかはその国によると思う。(特にキャットウォークは日本にはないしな)※※※
【足りなかった点】
せっかくバービーという最高の女性性を取り上げているのに、”女っぽい楽しみ方”は否定されていた気がする。
別に”スイーツ大好き!可愛いモノ大好き!ガールズナイト大好き!”そんな典型方バービーっぽい人生でも良くない?という肯定がなされなかった。
典型的なバービー=”普通”でいる選択をすることもまたいいんじゃないかな?
いかにも”バービーっぽい”女性も肯定されるべきだった。
AV業界が当事者の有無を言わさず淘汰されそうな現状を見ている気分。
こっちは別に女でいることに困ってねえよ!!勝手に問題視すんな!!って感じです。
他にも時代についていけないオジサンネタだったり、黒人ネタだったり盛り込みすぎのわりに何も回収しないんだよ。テーマを雑に扱い過ぎ。
ことごとくギャグが冷めてた。
【良かった点】
”配役・演技・造形・曲選”においてはなんの違和感もなく、むしろすごく好みの作品だった。
マーゴット・ロビーのプラスチックガールっぽい表情から人間味のある涙まで演技の幅が広すぎる…!
バービーの衣装も世界観もとにかくかわいい!が詰まっていて世界中のピンク塗料がなくなっただけあるなと。
使いまわされた”自分らしく”と言うメッセージ性でも、やっぱり生きにくいよねと言語化してもらったシーンは流石に泣いたな。
”自分らしく”でいいと気がつく前にこの作品を見ていれば評価はかなり変わってきたかもしれない。
【男についての描かれ方】
男ってバカなんですよ~!単純でしょ?と言わんばかりのアホシーンがもう呆れを超えて一周回って面白い。
不遇なケンが男性性に目覚めるのは、こんな世界があったのか!と言うよりも
バービーに相手にしてもらえなかった”現実からの逃避”に思えたのよな。
女も男も平等に馬鹿にしていかないと、一般受けせず評価に偏りが出てきてしまうから過度に男性性を入れてきたんだろうがさすがにやり過ぎ。
男性をバカにすることで均衡を保とうとすんなよ…
【総評】
・この映画にどんな意見を持つかで人となりを判断するのは面白そう
・これが高度な社会風刺コメディ(ブラックコメディ)だとしたら日本人には100%理解できない
・出演者に罪はない
・バービーの歴史は知っていた方がいい
本当に見たかった作品は、バービーが人間界に来ちゃってドタバタ!みたいなファンタジーの方向性で人間の愚かさを批評して欲しかったんだがな…
※※ネタバレ注意※※
【ラストについて】
ラストは企業面接にでも行くと思ったら・・・??
・序盤に赤ちゃん人形壊しておいて、妊娠オチはキモすぎる
・「私は恋愛しない」という発言に整合性が取れなくなる
妊娠オチと言われているけど、上記を加味し性器のなかったバービーが初めて婦人科健診をしに行ったとできれば考えたい(笑)
じゃなければジョークに品がなさすぎる…
風刺が満載
バービーをネタにこんな話が語られるとは。
コメディなのかと思いきや、結構社会派な本作。
なかなか深いテーマだった。
バービーというおもちゃが世に生まれ、バービー自体は変わらないものの、それを取り巻く環境が変わっていく。そして、変わっていく価値観の中で、その本質さえも問われていく。
冷静に考えると結構な理不尽だ。
バービーが時代錯誤なのか、それともただの言い掛かりなのか。時代にそぐわないと言えばそれまでだけど、その本質さえ歪めていくのは第三者だ。
声高に主張するその声に、つい耳を傾け同調してしまう。自分自身、洗脳されてしまうから自ずと「自分」がわからなくなる。その時々の価値観に揺さぶられる自我ってのが厄介極まりなく、自分を見失うのも必然かと思われる。
風刺のキツいネタをサラッと見せる脚本も演出も優秀で、架空の世界を維持する美術も照明も色彩もいい仕事してくれてた。
冒頭、全員がバービーなのに強烈な違和感。
いや、恐怖さえ抱く。
全く違う個性なのに平等である事を強いられてるような感じだ。個性を尊重するも個別化されない環境とでも言うのだろうか…正直、不気味だ。
バービーランドが実在してて、人間界と行き来きできちゃうのは良く分からんのだが、ケンズキングダムだかなんだかを奪い返すにあたり、男性を観察する女性目線の的確な事ってったらない。
めちゃくちゃ思い当たる節がある。
話は逸れるが「民主主義は金権主義に簡単に変わる」とかなんとかって台詞もイカしてる。
民の頭の中…本作で言う男社会の大多数が「金」を中心に思考を巡らすからなのだけれども。
その社会の覇権を奪還しようとするバービー達が、ケンにするアプローチがまた適切で…ここの件は好きだなあ。
洗脳されてるバービー達にも、注目してしまう。
女性の社会進出が推奨される昨今ではあるものの、男性と同等の事をやらねばならないってのは、やはり男性社会に進出するからであり…女性にとって、本当の意味での社会進出はまだ成し遂げられてはいないのだろうなぁとボンヤリ思う。
バービーも本来の役割以外の事を付加されていってるような気がしてならない。
多様性と一括りにするのは簡単だけど、その多様性を全てにおいて適応するには無理があって…差別は論外だけど区別はせねばならないと思われる。
まだまだ社会は混迷しているのだろう。
そんな社会に対する問題提起と、無個性や普通は欠点などではなく可能性の塊であると訴える本作であった。
むしろ無個性なんてのは便宜上存在するだけで、実際には存在しないと言わんばかりだ。
結局のところ、自分の行動は自分にとっては普通にやってしまう事なので、それが他者からみてどんなに優れた一面であっても自分では気付きにくい。
自我の確立とは、他人からの干渉を受けつつ形成されるものみたいなので、己に問うだけでは見つけられないものなのかもしれない。
ラストの婦人科も、自分を知る為の一歩なのだろうなぁ。オチとしては捻りが効いてた。
にしても、バービー自体に歴史があるからこそ、そんな多様な価値観を押し付けられてきたんだろうなぁとは思う。バービー側からすると要求なのかクレームなのか微妙なとこだろうなぁと。
クレームが起点だとするのなら…こんなネタでこんな社会派な映画まで撮れてしまう社会の行く末がソラ恐ろしいのである。
まぁ、差別の歴史が色濃く残る国だから、そんなものが反映されてしまうのも無理はないんだろうなぁ。
何かの思想?
最初は良かった。
バービーランドでかわいいピンクに囲まれたバービーたちに、曖昧な恋人?のケン。アラン。
バービー人形たちのファンタジーな世界がワクワク。
人形が人間の世界へ行って真実を知り直面して行く?
死を想像したことで人形に異変が起き、それはそのバービーで遊んだ人間の思いが人形に吹き込まれたことで起きた異変だと分かり、裂け目を閉じるためにその人間と一緒にバービーランドに戻ったら、ケンがバービーランドを支配しており、ケンVSバービーになって、何でか今度はケンVSケンになって、はぁーーーーー?!何かもう分からんってなってしまった。
途中から観るのが辛くなってきたんだけど 何回か観たら分かるんかな。
マーゴット・ロビーめちゃくちゃ可愛くてバービー人形にピッタリだったし、ライアン・ゴズリングのケンもムキムキでかっこいいと思ったけど、何でケンはあんなに影薄い設定なの?
そしてマーゴット・ロビーのバービーは最後なんで人間になるの?えー???
私に想像力がなかったのか残念な感じでよく分かりませんでした。マーゴット・ロビーは問題なしに可愛かったのでそれだけに星3です。
二者択一かアウフヘーベンするか
昔親の転勤で海外にいってたこともあって人形そのものも知っていたのですが、周りの友人から聞いて何となくみる前~最初は自己肯定感映画なのかなと思いました。
割とそうではなかった。以下はネタバレだが、以下は男女の代名詞ではなく主人公の二名をバービー、ケンとする。
現実世界に行きミソジニーにドン引きするバービーと、バービーに振り向かれず自信喪失していたが現実世界で男性活躍の可能性を信じるケン。そこでフェミニズムとミソジニーが二項対立に走る。ただ、バービー世界の女性陣が持つフェミニズムは男女平等というよりややミサンドリー的な考えの持ち主だという印象を抱いた。また、バービーの世界はフェミニズムが前提であり常識であるから、現実世界にとっては変化をもたらす存在であるが、彼女ら自身は変化(男性優位のケンランド)にたいして抗議した
面白かったのが、持ち主が現実世界で持つ女の生活の矛盾を語るところ。それは私自身が男性との関わりで感じる部分でもあった。ルッキズムから、女はこう振る舞うべきという受動的な行動規範であった。その持ち主は恐らくフェミニストだが、マーベルの社員として活躍しており、ミソジニーに偏ってしまったバービーの世界に提案を試みることろ。娘も次第に打ち解けていくようでよかったです。その人が現実世界にたいして希望を抱いていないためか、より現実的かつ悲観的(ダル着、うつ病など)なイメージを投影するバージョンを上司に提案したのも面白かった。
バービーはケンを励ましたのにも関わらず、特技がないバージョンのバービーであるため、自分を見失ってしまい、創業者に頼んで何者かになれる人間世界に送ってもらった、、?
私としては男女はお互いに影響を受けて振る舞うことは当然だと認識していたので、現実世界=性別に影響されないっていうメッセージがあまり理解ができなかった。
ちなみに同じ映画館の人がこれ日本人向けじゃないよね~って言ってて、割と日本では男女は男女意識が強く、ミソジニーが浸透しており、かつ上昇志向というよりかは周りの影響を受ける傾向にあるのかと我に返った。
確かにキャピタリズムが繁栄した、米国なんかでは、女の人も学歴があり、医師や弁護士、MBAとればキャリアも男性同様なんとかなるきはするが、そうすると最初の現実世界の描写と矛盾するしな。となるとこれはバービー自身が捉えた現実世界なの?監督が言いたいことがあまりわからなかったです。
バッティングセンターに行ったような感覚
映画は、作者が投げかけたメッセージを我々観客が受け取るキャッチボールである。それがなるべく分かりやすく行えた方が良い映画だと思っている。
しかし今回は作者がただボールを投げているだけで、読者が拾いきれない部分も大いに出てきた。そのためバッティングセンターに行っているような感覚に近い。
映画自体に退屈する箇所は全くなく、面白く視聴することはできた。バービーの本気を感じることはできたが、映画としての出来を考えた時にそこが残念に思える。
クスッと笑えるシーンや風刺的な台詞の数々は本当に秀逸だった。しかしバービーランドへの行き方や、後半部分のメッセージ等が曖昧になっている。そこをあと30分ほど尺を使って述べてくれれば、より良いものとなったかもしれない。
前半は凄いが、後半は微妙に感じた!!
出だしはバービーワールドに観客を引き込むのが本当に上手く、ハッピーな気分になりました。バービー遊びあるあるネタや自虐ネタも豊富で、これは★5間違いないと思いました。しかし、人間の母親がお弁舌を述べたあたりから雲行きが怪しくなり、感性が占めた内容は理屈っぽくなり、作り手が変わったのかと思いました。バービーは気力を失ってしまいつまらなく感じ、残念に思いました。FF6のティナを思い出しました。ハツラツとしたマーゴットにすぐ戻ってまた自信を持って解決して欲しかったですし、最後はロスに住むのではなく、人間に愛されるドールというハッピーで普遍的な締め方をして欲しかったです。マテル社の黒服たちも人数が多くて常に圧迫感があり、また爺ばかりで何か不快でした。マーゴットもゴズリングも決して若くはないですが、ドール役を違和感なくこなしていて流石でした。ゴズリングはラ・ラ・ランドで女に捨てられた意趣返しをしているように感じ、興味深かったです。プレイリストも良かったです。男性がバカっぽく描かれていますが、逆にこれくらい女性に甘えても良いのかと、「ボブという名の猫」でも感じましたが気持ちが楽になりました。
リアルの男女の性差はもっと根深いと思うのだけど…
フェミニズムや製造元のおもちゃ会社すら揶揄しているおバカ映画と聞いてみてみた。
確かに、名作のパロディなどは、笑えるものがあった。
しかし、バービーがマテル社で逃げ惑っている時に、何故かマトリックス的に民家のキッチンにバービーが迷い込み老婆が出てくる展開には、頭の中では?しか出てこなかった。
最終的には後半で、老婆はバービーの生みの親の亡霊だとネタばらしされたが、そうすると人形の国が現実世界に介入してあーゆう展開になったのだろうか?
なんとも、ご都合主義の描きたにしか見えず、私はそこまでこの映画に入りきれなかった。
男女の性差(男は女を従えたい生き物といった描き方)も、アリーmyラブのように、現実のセクハラ訴訟や職場の問題を出された方が、何となく実感が湧くが、この映画にはそういったリアリティがなかった。
その分、見終わったあとはどうも肩透かしを食らったような感覚しか生まれなかった。
現実のジェンダー問題って、もっと複雑ですよ…。
最後のシーンが深い
バービーはプラスチックの人形で、下はツルペタ。
最後のシーンで婦人科に行ったのは、人間になる事を選び最初に女性という自分の体を知る為=自分をきちんと理解してケアする。というメッセージだったのかな。
サンダル履いてたから、てっきり妊婦健診かと思ったけど違うみたい。
人間は死があるがゆえに人生は一度きり=人間の生に対する喜びをバービーは感じたかった。か、興味本位か。
鑑賞後しばらくレビューを書けずにいた。
それは、あまりにも女性が強すぎる内容だったから。
私は女性だから、理解できる部分は沢山あった。
でも、あまりにも女性本位に見えた。
ケンが弱々しかったからかな、、、
男女共に手を取り、助け合い、切磋琢磨するパートナーとして描かれていない。
私は私。あなたはあなた。女性や権力をお飾りにしなくても、あなたはあなた自身で十分。バービーはケンに伝える。
あるポッドキャストで男性が言ってたのは、「女性は社会から離され家事育児をしていた。男性がいざ社会から切り離されたら何が残る?女性はその孤独に耐え頑張っている。男にそれができるのか」みたいな内容だった。
ケンは身一つで立ち上がらなければならない。
だけど、「あなたはあなたでいい」がアバウト過ぎて、突き放された感覚。
久しぶりにネガティブな事書いてしまったが、
世界観はとても可愛らしく徹底されている。
ファッションもステキだし、バービーの悩みながらもポジティブな姿がマーゴット・ロビーによって完璧に表現されていると思う。
センシティブな内容だけど、笑いどころ満載で、鑑賞後に自分らの考えや気づきをディスカッションするきっかけになる映画。
Netflixの「ボクらを作ったオモチャたち」で、バービーの歴史や登場するキャラクターを知る事ができるので合わせて観るのがおすすめ。
ガル・ガドットのバービーも見たかったなー✨
おもしろ…い?
まず世界観が合わなかった。あのバービー世界のピヨピヨした感じが受け付けなくてなかなか情報が頭に入ってこなかったけど『まぁバービーの世界だし…』と思って観ていた。そして定番バービーが死を考え始めたところからグッと興味を惹き始めたが、その後の人間世界に行ってからが微妙だった。バービーの世界は振り切った世界なのはわかるけど、人間社会まで割とデフォルメされた世界観でバービー世界の単純さに対して人間世界はもう少しリアリティを持って描かれないと対比としての面白さがないのでは…?と思ってしまった(女社会と男社会という対比にはなっていたと思うけど)
また、人間社会でも一部の人間にバービー社会が認知されていたり、あの世界そのもののルールがよくわからなかった。役員秘書の女性のバービーってことはわかったけど、定番バービーは現実世界に無数に存在しているはずなのに、バービー社会では一人しかいないのは何故だろうか?また、後半はほとんど言葉で主張を繰り返すばかりになっていて観ていてうんざりした。
女性の生きづらさや困難を描くのであれば、もう少し上手いやり方はあったのではないだろうか?ケンが支配する世界で洗脳されたバービー達を洗脳から解いて、元の世界に戻す。でも、以前の自分達の振る舞いも反省してケンにも歩み寄るってなるけど、ケンが自分も判事になりたいと言っても了承はしない。そして、アランという中立、中性的なキャラクターは都合の良いお世話キャラクターとして描かれているのは都合が良くないだろうか?また、現実世界のバービーを作っているメーカーは女性をターゲットにしながら重役は全員男性で差別的だ。もし世の中の男女格差を批判するのであれば、彼らが報いを受けなければいけなかったのではないだろうか?男性社会でも既得権益についていて、男らしさを増長させているのは彼等の存在が大きいはずだ。一口に男性と言っても権力の世界から爪弾きにされて、その辺縁にいる利益を得られづらい男性も多くいる。そして、そんな所謂弱者男性は自分が得られなかった利益の理由を自分より社会的立場の弱い者達に向ける(そして彼らがミソジニーやインセルになる)
人種問題などは社会の構造批判になるが、男女問題の時に男性の存在そのものが攻撃対象になることがうんざりするぐらい多くなる。それは、実際にある男女の格差を縮めることはなく、むしろ対立を激化すると思う。女性は溜飲を下げ、男性は言葉を失うがそれは一時的なもので裏ではより深い対立を産んでいると思う。
この映画はまさにその象徴のように感じた。誰が利益を得ているのか、もう一度考えた方が良いかもしれない。
むしろ男こそ見るべき傑作
・女性の母性性を地面に叩きつけ、輝かしく自立した女性へと生き方が変わることを意味したシーンからスタート。2001年宇宙の旅のオマージュ。
・バービーランドでは妊婦のバービーが廃盤になっている。
・バービーには性器がない。
そういった感じで、女性は子供を産むためだけに生きてるんじゃない!女性には女性としての美しい生き方がある!何にでもなれるんだ!というステレオタイプなフェミニズムを表しているようなバービーランドから物語は始まる。
けれどそれは男を軽視した社会。
また女性に対しても、老化や死やありのままの不完全さを受け入れないプレッシャーがある。女性に対してある種の強迫観念を与えている。それこそまさにヒールの高さで表現されている。踵を下ろすのを許容しない。ありのままは許容されない。
そこから物語はマトリックスのオマージュを経て、真逆の現実世界を提示する。
セクハラは蔓延、会議は男だらけ。
両極端の比較で問題点が自然と浮き上がる。
そういう物語は大抵中庸の結論に至ると決まっていて、バービーでも男女お互いを尊重しようというところに当然ながら終着する。
女性としても、母としての女性か自立した女性かの0か100かの両極端の2択ではなく、うまく両立できるだろうと。そういう両立を許容していくべきだろうと。そうやってバービーだって性器を得るために婦人科へ行く。
そういうストーリーの大枠のシンプルさはコメディテイストとの相性がやっぱり良いなあと感じる。
イエスマンとかプラダを着た悪魔とかと同じようなパターン。
ありのままの不完全さをを受け入れようというテーマは偶然最近見たガーディアンズオブギャラクシーとも重なる。全く毛色の違う作品が同じ結論に至るのはそれこそが今の時代だからなのでしょう。
人間界の母が演説するシーンは全員が見るべき超重要シーン。道徳の授業で流すべきだし、Twitterでバズるべき。
そして個人的に特筆すべきな点として!
この作品の痛快なところは、男への皮肉(フェミニズムに対しても皮肉っているが)。
男は女を自分の歌で気持ち良くさせたいし、機械や映画の知識を披露したいし、戦うときだってそれは大義などなく自尊心のためのダンスでしかない。
僕がこのレビューで、偉そうにあれは何のオマージュだとか言ってるのすら皮肉られているわけです。
痛快すぎる!!
シャイニングだとかジャスティスリーグだとかゴッドファーザーだとか意識的に男が好きそうな映画を話題にしているのも狡猾な罠のよう。
オズの魔法使いやウェスアンダーソン作品の影響も語りたいのに...!
これを見た映画好き男性は急所を刺されたように苦しみ、けれどその鋭さが痛快なんです
そんなこんなを経て、最終的に物語は男女の共存の難しさを説いた上でお互いの尊重の重要性に至る。
そしてそれだけでなくそれぞれの実存的な話にまで至る。
毎日同じような生活の中で死に向かって何をするか、何を考えるか。
自分にしかない唯一無二なものなどない中で、いったい自分は何のために生きるのか。自分は自分をどうやって認めるのか。自分の存在意義とは。
Ken is me! こう叫ぶことは決して簡単ではない。
傑作だが、日本では受けにくいかも
個人的嗜好としては、ばっちぐー、大傑作。
狂気も悪意も詰め込んだ、『ピノキオ』的なすごい寓話でした。
大筋・メインテーマが素晴らしかったし。
小ネタ満載なギャグ寄りコメディなのもよかったし。
冒頭、『2001年宇宙の旅』パロ「人類の夜明け」風のシーンと曲からスタートした時点で、「そういうバランスね」と理解して大笑い。
他の(配給の)ワーナー作品や、バービー版権元のマテル社すらネタにしていて。
今のマテル社への批判まで盛り込みつつ、創業者にしてバービーのデザイナーのルース・ハンドラーについてまで言及。
だいたい売れずにすぐ廃版になった、レアなバービーや他の人形をネタにしてるあたりに、悪意と愛の両方を感じました。
(だったら、日本で失敗した、バンダイ版バービーも出して欲しかったなw)
あと、ケンをライアン・ゴズリングに配役したのは、かなりの量の歌や踊りがあったからなのと、無駄な胸筋と乳首アピールのためかな、と納得。
ただ、日本ではこれ受けにくいだろうなぁ。
祝日で、首都圏はそこそこ客が入ってましたが、地方では少ないのではと予想。
まず日本にはリカちゃんがいて、バービーのシェアが低く、浸透しなかったこと。
次に例の原爆ネタとコラボしてSNS的に炎上、しくじっちゃった件でマイナスイメージが付きまとうこと。
アイロニカル
エブエブみたいだった。──というのもエブエブは派手な見た目だったが母娘の和解と“君は特別な存在なんだ”ということが描かれていて、バービーも派手な見た目だったが母娘の和解と“君は特別な存在なんだ”ということが描かれていた。──ような気がしたから。
白眉だと思ったのは母グロリア役のアメリカフェレーラが現世界のしがらみを演説するところ。
ケイトマッキノンが演じるやさぐれバービーのところで打倒ケンランドしようとするときバービーがわたしなんかぶさいくなのよと泣き言をぬかしはじめたので激励する場面だった。
グロリアは世の中何をやっても余計なことをいう奴がかならずいて出る杭は打たれてしまうのだ──という話を熱弁したのだった。
長い台詞だったので覚えていないがSNSにつくコメントとして考えると解りやすい。(たとえば)痩せているとふくよかなほうが健康的とかいわれる。太るとデブよばわりされる。儲けていると守銭奴だのがめついだの言われる。子育てしていると子育てアピール乙とか言われる。リーダーをやると上から目線だといわれる。きれいでいようとすると媚びだと言われる。何をやっても茶々を入れられる。なにをするにもバランスをとらないとできない。そういうがんじがらめな世界なので嵌まるようにじぶんを押し殺す。──というような話だった。
たとえば先般、畑違いのボディメイクコンテストに出場したとあるカーリング選手の外観の変化に対しネットで盛んにコメントがついた。そのほとんどが「元のぽちゃ体型のほうがすきでした」というものだったが、いやいやおまえの意見なんかきいてないし、他人様の向上心を摘むような発言は黙っとけよ。──という話。
バービーは姿形の理想値を人形で具現化することにより、ボディイメージによる差別を助長してきたといえる。そのことを自戒というか自虐ネタにしたセルフパロディが映画バービーというわけ。
ガーウィグとバームバックの夫婦チームが書いた脚本でアイロニーの切れ味はさすがだった。
フェミ映画だと言っている人がいたがフェミ映画ではなく多様性への応援歌になっていてバランスを保ちながら生きることを推奨している。
きみの個性も自己肯定感もわかったし気持ちの上ではそれで生きていい。だけどその個をモロ出しにしちゃうと社会との間に軋轢が生じるからスピードを緩めて2位くらいにしといたほうがいいぞ、と提案している。
Mr. Incredible(2004)のラストで“ダッシュ”が出ている運動会を家族で観戦しているシーンがあったでしょ。
で、ダッシュは速すぎるので父ちゃんのインクレディブルが「スピード出し過ぎんなよ」てな感じで応援しながらもセーブしろってややこしい声援を送るシーンあったでしょ。
あれがこの映画の縮尺。“みんなちがってみんないい”という理想郷標語があるけど、ほんとの標語は“みんなちがってみんないいけど工夫しないと自殺することになるぞ”だ。映画バービーが言っているのはそういう話だった。
IMDB7.4、RottenTomatoes88%と83%。
前述のごとくアイロニカルなのでにやける場面多数だが、にやけながらも意味を解ったうえでにやけているのではなく、なんとなくにやけていることを自覚していた。
とはいえこの映画のおもしろさはわかるしアメリカでウケてるのもわかるが、じぶんはノれなかったというのが正直な感想。
英語圏でバービーやケンと過ごしてきたという来歴がなければ映画バービーの真髄はわからないのではないか──と個人的には思った。
だいたい多様性を言うなら防空ずきんをかぶってもんぺをはいて竹槍をもった銃後バービーや特攻服に日の丸はちまきをした神風ケンがいてもいい。かれらがLAのビーチに上陸してほしがりませんかつまではとかばんざいとか絶叫しながらバービーやケンと白兵戦をやるというならいざしらず、およそ生活環境にバービーがある文化圏向けの映画という印象は否めなかった。
演技陣では人形的な演技に徹したせいでロビーにもゴズリングにも魅力を感じなかったが、マッキノンはバービー世界にもかかわらずマッキノンだったし、ガーウィグだろうがバームバックだろうがいつでもどこでもウィルフェレルはウィルフェレルだった。
まとめるが映画バービーが言いたいことはバービー以後に湧いたバービーわかる感を出してくるインフルエンサーに対して無理すんなというツッコミをいれないでやんわりと彼または彼女のバービーわかる感を認めてあげなさい──ということだ。ひるがえってバービーのテーゼとは他人様が出してくる我(が)や生き様にいちいち茶々入れんなということだ。
場違い
私以外は昔の少女たちばかり。
疎外感が半端なかった。
そもそもバービー自体には何の興味も思い入れもない。
娘たちもどちらかと言えばリカちゃん派だったような。
子供映画同様、まともにレビューしていいのか悩むところ。
だが、一応対象は大人のはずだし、
心が女と強引に主張すれば女子トイレにすら入れてしまうおかしな時代、
少女映画にじじいが場違いなコメントをしても許されてしかるべき?
全体的にストーリーはあってなきがごとし。
人間界に行ったときには現実の親子との絡みやカーチェイスもあってちょっと期待したが、
すぐにバービーランドに戻ってしまい幼稚な展開に。
バービーの発案者が登場してきっと感涙モノのことを言っているのだろうが、
じじいには全く入ってこず。
いつもはエンドロールの終わりまでみるのが礼儀だと思っているのだが、
耐えきれず途中で退席した。
苦しかった・・・・・。
吹き替えも良かった
1回目吹き替え、2回目字幕で鑑賞。
2回見て思った以上に吹き替えのテンポの良さからくる軽妙さ耳から入る情報量の差で吹き替え寧ろ悪くなかったぞ!となりました。ちなみに歌のシーンは字幕仕様です。
1度目はユーモアと皮肉、ライアン・ゴズリングのケンは彼しかありえないってハマりっぷり最高って気持ちと、人形の世界の再現度の高さ、そしてもちろんバービーの可愛いさとファッションのキラキラ感、おもちゃの世界の嘘くささを最大限生かしつつ安っぽくならない隙のないクオリティにやられて満足。
2度目は同じ要素を楽しみに行った筈が、自分の楽しむポイントに変化が起こっていてより味わい深く楽しめました。現実世界を初めて目にしたバービーが涙するシーンとかが泣けてきちゃって。
ほぼ同年代、同じ価値観、落ち込む人なんて居ない、みんな同じテンションでずーーーっとハッピーな世界との対比に、落ち込んだり怒ったり良い事以外も一緒に存在してる世界を見て良し悪しなんて関係なくただ違うものが同居している事に美しく感じるステップから入ったのは染みる。
物語の中で度々出てくる「バービーにも責任がある」「私は定番タイプのバービーだから」ってセリフの持ってるバービー側への痛烈な皮肉も2度見すると意味がハッキリとしてきて、「らしさ」の呪縛が色々なところに散りばめられているので探すのも面白いです。
お母さんが女性の大変さについて語るシーンは名台詞でサイッコウ!でしたけど、その女性が振り払いたいあるべき姿ってのを最大限に理想化したのがバービーランドのバービー達であり彼女らの輝きは男性を脇に置くことで発光しているのも面白くて、人形に込められた夢ってめちゃくちゃパーフェクトで貪欲じゃんて。
ラスト近くの「定番品だから出来る事が何もない」ってセリフもより感慨深く聞こえました。
唯一1人しか居ないって事実だけで、アイデンティティが確立されているアランが居心地悪そうなのも「同じ」という幻想と同調圧力の中での少数派の立場が出ていて良いキャラだよね。
これはほんと良い映画だと思う。
バービーの世界、人と人間は違うけど
永遠に歳を取らない、ハッピーなピンク色に囲まれた生活、暮らし、貴方はそんな生活を望むのかと聞かれたら大抵の人間の答えは分かりそうな気がする。
多分、イエス、はいと答えるだろう、でもこれって人生経験の差、現在の状況も関係していると思うのだ。
生活、全てに満足している人は永遠の幸福を約束しますと言われたらどう思うか、反対に今の状況に不安、満足していない人なら藁にも縋りたい気持ちになるかもしれない。
いつもと同じ生活、その繰り返しに不満を抱くこともなく生きているバービーに突然、異変が起きた、それは人間と繋がっているから。
映画の冒頭のシーンで少女達がバービーを見て驚いて(ショック)今まで自分達が可愛がっていた人形を捨てるシーンは一見、残酷に見えるけど、これは少女、女の子なら普通じゃないかと思ってしまうのだ。
自分の異変を改善、治すために人間界に行くのだけど、このとき恋人のケンも同行する、このとき色々なものを見て聞いて、驚いて何を感じたのか、男女の差もあるのかな。
ケンの変わりよう、元の世界に戻したいと考えるバービー、バービーを作った人間達の姿は真面目で真剣、時に滑稽に見えてしまうのは自分だけかなと思ったり。
バービーが出した答えと選択は全ての人間と人形が求めた答えではないと思う、ケンは残るし、他のバービー達は見送ることはするけど自分から外に出て行こうとはしない。
でも、それは今だけかもしれない。
ランドが永遠に幸せの姿を保って有り続けるという保証はないからだ。
バービーを作った人間も歳をとる、意識も変わるだろう。
人は歳をとり老いていく、人形は劣化し、壊れていく。
似ているようで違う、でも、永遠という言葉は二つの世界にはないのだ。
最期の別れ、老女とバービーは親子、母と娘みたいで、生まれてくる子は女の子かもと思ってしまったのです。
たくさんの女性の代弁者?
まずバービー役の人がすごく綺麗!
ダンスや衣装、歌にはいいと思うところがあるけれど少しくどく感じてしまう所もあり、、、
ストーリーとしては可も不可もなくって感じでした。女性には響くかも?って感じ。バービーを通して、娘との絆を取り戻すところやケンとの仲違い?も上手い所に収まったと思う。ただ、ファンタジー要素と現実的要素を交えながら進めてるから、訳か分からないことや理解できないとこもしばしば、、、
バービー(女性)もケン(男性)もアランも色々考えてるよ!悩んでるんだよってことで。
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