「人間として現実世界に生きるという選択」バービー talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
人間として現実世界に生きるという選択
色々と苦労はあるのかも知れないけれども。
理想郷(バービーランド)に隠(こも)るよりも、一人の人間としてのバーバラ・ハンドラーとして生きることを選んだということですよね。
結局のところ、定番のバービー人形だった彼女は。
実際には、いわゆる「リアル・ワールド」なる人間界というところで暮らしていると、色々と気苦労も多いことではありますけれども。
世界的な人気を博し、世界中の少女を虜(とりこ)にして、彼女らを、まだ観ぬ大人の女性という夢の世界へと誘(いざな)ったバービー人形―。
しかし、人形ならぬ人間として現に生きている訳ですから、そのことをちやんと意識・正視して、日々の生活を組み立てなさいということでしょうか。
バービー人形として、世の少女たちに「大人の女性となることの夢を売ること」と、「実際に大人の女性になること」との間には、途方もない懸隔(けんかく)があることには、多言を要しないことと思います。
彼女が婦人科を訪れたということも「バービー人形としての女性」であれば経験することがないけれども、「人間の女性」であれば多くが経験する、出産ーそして、そのために必要な、いわば「事前作業」(?)として毎月、経験しなければならない―といった女性に特有の生理的現象が(人間となった)バービーも訪れたことを象徴していたのでしょう。
意外と良作ではあったのたも知れません。そんなことにも思いが至ったということであれば。
評論子の鑑賞力不足による思い過ごしではないことを祈りつつ、良作と評しておきたいと思います。
<映画のことば>
女でいるって、苦行よね。
あなたは美しいし、頭もいいのに、劣等感に苦しむなんて、おかしい。
女は、常に素敵じゃないといけない。
でも、なぜかうまくいかない。
スリムでも、痩せすぎてはいけない。
「痩せたい」は禁句、言うなら「健康的になりたい」。
でも、スリムでなきゃ、ダメ。
お金は持つべき。
でも、ガツガツしちゃあダメ。
偉くなれ。でも、偉ぶるな。
リーダーになれ。
でも、下の意見を聞け。
母親業は楽しめ。
でも、子供自慢はダメ。
キャリアは持て。
でも、周りの世話もしろ。男のワガママに付き合え。
でも、指摘すれば、文句扱いされる。
美しくいろ。
でも、やり過ぎるな。
男にモテすぎると、女友達に脅威を与える。
目立っちゃダメ。
常に感謝すること。
世の中は不公平だけど、それは飲み込んで感謝しろ。
老(ふ)けちゃダメ。
失礼なのも、気取るのも、自己中も、怖がるのも。はみ出すのもダメ。
苦行だし、矛盾してる。
でも、評価も感謝もされず、結局うまくいかなくて、女が悪いせいにされる。
もう、ウンザリ。
自分だけじゃなく、あらゆる女性たち全員が人に好かれようと苦労するのを見たくない。
(追加)
架空のバービーランドを舞台に設定した、架空の物語とは見せながら、どうして、どうして、ジエンダー問題については、俄(にわか)には侮(あなど)りがたい洞察を含む一本と見ました。評論子は。
その意味では「ジェンダー論の先にある人生の生き方」を描くという、bionさんの評は、正鵠を得ていると思います。
本作のレビューの投稿について、大いに参考にさせていただいたことについて、ハンドルネームを記(しる)して、お礼としたいと思います。
<映画のことば>
ケンたちは、ここからよ。
いつか、彼らも、もっと力を持つでしょう。
人間界の女性のように。
<映画のことば>
普通のバービーを作るの。
大統領じゃなくていい。
母親でも、そうでなくてもいい。
夢は何でもいい。「母親」だけでも。
「母親兼大統領」でも、どっちもイヤでもいい。
似合う服を着て、自分でいることが幸せって思えればいい。
<映画のことば>
「人間には、たつた一つの結末しかない。
架空の存在は永遠。でも、人間は違う。
人間が男社会やバービーを作るのは、過酷な現実を乗りきるため。」
「それでも、人間として、生きる意味を見つけたい。空想されるよりも、したい。」
「何が待ち受けているかも分からずに、背中は押せない。」