夜明けのすべてのレビュー・感想・評価
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すごく優しい映画
すごく優しい映画でした。
気持ちが沈んでる時にこそ、心の傷が癒えるような気持ちよさを伴う内容に非常に感動しました。
上白石萌音演じるPMS(月経前症候群)に苦しむ藤沢さんと、松村北斗演じるパニック障害を抱える山添が共に助け合うという、瀬尾まいこ原作のヒューマンドラマ。
演者二人は朝ドラの「カムカム エヴリバディ」のコンビで今回再び共演していますが、やはり息がピッタリ合ってました。
この映画、精神疾患を抱える男女の関係性を描いてるので一見シリアスになりそうでもある内容です。
確かに、疾患が発病してしまう場面は観てて苦しくはあります。
しかし、決して深刻にならない。それが凄いです!
本作を観て改めて気付かされました。
この手のテーマでは何も過剰にシリアスに描く必要は無いし、過剰にドラマチックに描く必要も無い。男女間の恋愛模様も描く必要も無かったんです。
実際これらを抜いて描くのは難しいです。
ただ、それでも登場人物の台詞や興味深いやり取り等で充分に面白くさせられてるのは、瀬尾まいこが書いた原作小説の力でもあり、監督である三宅唱の力でもあると思います。
また、他の登場人物も決してお飾りだけの機能ではありません。
渋川清彦や光石研演じる二人の上司の人物像等も繊細に描いており、松村北斗演じる山添の彼女の描き方も好きでした。
序盤の山添の人見知りな姿は若干過剰に描いてる気はしましたが、それ以外は特にネガティブなポイントは無く、最後まで満足出来ました。
今作を観て、瀬尾まいこの小説も気になったし、三宅唱監督の他作品も気になりました。
今年ベスト級の傑作です!
互いに寄り添うということ
どんな人でも様々なものを抱えていて、お互いに出来ることで寄り添うということ。
そういう人間模様を決して押し付けがましくなく、とても自然に我々観客目線で映し出されている作品。
そしてりょうさんがりょうさんに見えず良い意味でとても驚いた。
優しい映画
とても優しい映画。PMSとパニック障害という、それ以外の人からはまだまだ認知度が低い症状を抱えた男女のストーリー。安易に恋愛や友情に結び付けない、言わば同志という様な関係性が良いですね。
移動式プラネタリウムを軸にしたストーリーもとても自然で素敵。本当に働き易い会社なのでしょう。物語中、悪意を持った人が1人も出てこないんですよね。現実とは少し違うのかもしれませんが、こういう社会にしたいものです。
上白石萌音さん、こういった等身大で不器用で誠実な役を演じさせると、当代一の役者さんだと思っています。
こういう映画を映画館で観れて幸せでした。
@@症候群は、病気ではなく、個性だ
原作は未読だったが、昨年劇場で、見損なって配信で観た 傑作「ケイコ 目を澄ませて」の三宅唱監督と言う事で、観ました。
現実の人間関係ならば、三角関係に至るが、その部分は気を使って、"あえて"記録フィルムには残されない裏展開なのだろうが、
本作も"そうならない処"は、妙なリアル感あって面白い脚本。
本作は、起承転結がある"小説的物語"というよりも、ドキュメントに近い自然な展開が繰り広げられる映画であり、出演者の演技も、自然で上手かった。
主演が美男美女ではなく、現実の様に もう少し是肉が溜まった ぷよっていて、残念な外見であれば、本作を鑑賞した観衆は、どう感じたのだろうか?
この映画をもっと、不細工で存在感がない エキストラ級の役者さんで、リメイクしてもらいたい。
この種の 症候群は、深刻な病気や障害だと、個人的には考えていない。
特にPMSは、多かれ少なかれ すべての女性に当てはまるのではないかと、バツイチ男の僕には思えてならない。
どれもこれも あくまで、癖であり、個性 なのだと 僕は思から
人間を画一化し、それにそぐわない人を @@症候群 と弾く事は、逆に 人間の個性を否定し、機械化している悪習だと、僕は考えている。
だからこそ、@@症候群に対して、精神科医や精神カウンセラーではなく、いっぱん人が寄り添って、対処する事が、望ましい事だと思うし、監督も そう考えているに違いないと思った。
原作とは、だいぶ違う展開らしいので、原作にも興味を持ちました。
この映画を観たら、見守るという意味では知的障害の兄に寄り添う「レインマン」が頭に浮かんだ。
また、先日鑑賞した「PERFECT DAYS」にも、通じる作品作りでもあった。
触れる優しさ。触れない優しさ。
良い。松村北斗さんがアイドルグループとは知らずに「最近出てくるようになったけど、雰囲気ある人だなぁ」なんて思ってたが、やはり良いね。上白石萌音さんは言わずもがな。二人とも雰囲気殺すのが上手い。そして抜群な人達が集まって作っているので、ドラマチックではないのにずっと観ていられるし、ずっと観ていたい映画。
新人 憎けりゃ 炭酸プシュ!まで憎い
いつもの気晴らし突発レイト鑑賞🚙💨
🙎🏻♀️PMSとパニック障害🤦🏻かー
自分はどちらでもないけれど、思春期以降は結構メンタル面でアンコントローラブルな浮き沈みの波に翻弄され続けてきたので、振り返って見た自分の人生の軌跡も👣… 決してノーマルではないな🐾
この2人も寛解したわけではないけれど、周りで見守る人々も含め、観終わってほっこりする人間模様だった😌
〝 今、自分が居る場所(宇宙)で、小さいながらも光輝く 〟
☆☆☆☆★(暫定)
〝 今、自分が居る場所(宇宙)で、小さいながらも光輝く 〟
原作読了済み。
個人的な事では有りますが、約2年以上を費やした実家終いが、やっと佳境に入りました。
ここ2年余り、映画館にはなかなか行けなく。その間に評判の高かったのがこの監督でした。
今回、三宅監督の作品を初鑑賞した訳ですが。
噂にたがわぬ実力を持った監督で有るのを認識しました。
元々、原作を読んでいて。そこそこの内容にはなりそう…とは思ってはいましたが。内容自体の大筋はそのままでありつつも、幾多の大胆な改定をした脚色の凄さに驚きます。
原作は、(精神的な)病いに苦しむ男女の。それぞれ、今、自分が置かれた立場で発作が起こり。それに対しての苦しみと、周りの人に対する接し方を反省する姿を交互に描写しています。
↓以下、原作と映像化との違い
(1度だけの鑑賞の為に全てを思い出せないので。今後、少しずつ思い出しては書き加えて行きます)
・栗田科学(栗田金属)
原作だと、職員が金物に関しての知識に詳しい職人達…とゆう、ザックリとした設定でした。
それを、映画では主にプラネタリウムに関する製品を製造する会社へと変更されています。
これは(おそらくですが)原作の題名から来る流れから思い付いたのかも知れませんが。これが映画のラスト30分にあたるオリジナル部分として、途轍もない威力を発揮して行きます。
・彼の元上司と、栗田科学の社長との関係
原作だと、彼の元上司の辻本は。原作の最初の方に、彼が昔の職場を回想する場面と。原作後半で、御守りの相手探しを続けていた彼の記憶から。御守りを送って来たのが、元上司の辻本だったのが分かり。お礼のメールからの、(本人からの)返信メールでしか登場しません。
それをこの映像化に於いては。この2人が共に、大事な姉(原作だと後輩社員)と弟。それぞれを〝 失い 〟(精神的に)片翼もぎ取られた感覚を覚えている【同士】として描いているところ。
だからこそ、今、彼がこの会社に居るその意味へと繋がっていました。
この改定には思わず唸ります。
・俺(彼)私(彼女)
同じ薬を服用していた事から、お互いの辛さに共感する2人。元々はいがみ合いに近い関係でした。
「何かしてあげられる事はあるのか?」
その優しさから、お互いを理解しようとします。
彼の部屋の中にはエアロバイクが有って、彼はそのエアロバイクを漕いでいました。
原作には無い、この何気ないワンカットですが。このカットだけで、彼が優良企業の優秀な社員で、日々の体力作りに励んでいたのが分かる場面です。
しかし今は、(外では乗り物には乗れないので)家の中でしかバイクは漕げない。
外では電車にすら乗れず、コンビニにすら行けない彼は。家と会社を徒歩で往復する日々が続いていました。
映像化でも描かれる散髪場面。
勿論、床屋にすら行けない彼は、自分で散髪をしようと考えます。
するとそこに、パニック障害で苦しむ人のプログを読んだ彼女が、自転車を持って来ます。
外では乗れない彼は断りますが。「何か自分に出来る事は何か?」…と考えた彼女は、替わりに彼の髪の毛を切ると言うのです。
実は原作だと。彼女は、いきなり彼の髪の毛を切りに彼の家へとやって来ます。
この改定自体も実に腑に落ちるのですが。この自転車が、映画後半で(原作共に)〝 大事な人の為に(自分が)何とかしなければ 〟…と、意を決して一心不乱に自転車を漕ぐ場面へと繋がるのですから、原作以上にしっくり来る場面です。
(原作だと、電車に乗るも一駅で苦しくなりレンタルサイクルで彼女のところに駆け付ける)
※ この自転車自体が《或る惑星》へと繋がるキーワードでも有りました。
・母親の病い/元カノ/ボヘミアンラプソディー/その他
映画では彼女の母親は身体が悪くなり、彼女は介護の為に転職を考えます。
この母親の介護に関わる展開は、完全に映画オリジナルにはなるのですが。それ以外にも、(原作だと)彼の元カノは。彼の病気に耐え切れず、彼の傍から去って行き、以後登場する事は無いのですが。映像化に於ける元カノは、絶えず彼の病気を案じる優しい彼女として描かれていました。
元々の原作では。元カノは、彼の回想での1場面にしか登場しないので。読みながら、どうしても2人の恋愛模様の進展を意識して読んで行きます。
そんな(原作での)恋愛関係に発展するのか?…と思わせる描写が。『ボヘミアンラプソディー』を観た彼女が映画を観て興奮し(映画館へは行けない)彼の家に、映画のサントラを買って押し掛ける描写。
ここが原作だと1番盛り上がる場面なのは、原作を読んだ人なら共通の思いだったのではないでしょうか?
この1番盛り上がる場面を、映画化では完全に切り捨てていたのには驚きました。
観ながら「マジか?」…と、少しは思ったのですが。考えてみれば、(映画本編では)ほぼ全ての登場人物の人達は、優しさに満ちて居る人ばかりでした。
元カノは(まだ)彼の事を見捨ててはいないのですから。彼女との恋愛も発展させる訳には行かない…とも言えるのです。
また原作自体も、2人の関係の発展には至らず終わるだけに。読みながら、どことなく(恋愛模様を期待した為に)中途半端気味に感じたのは事実でした。
だからこそなのか?原作で、彼女が盲腸で入院してしまい。慌てた彼は自転車で駆け付けるのですが。元カノとの関係性も有り。大事な人では有るものの、映画本編では、盲腸の話は完全にカットし。中途半端気味に終わる原作の【その後】を大胆に脚色して作り上げたのでしょう。
・ラスト30分の完全オリジナル
2人の関係は発展せずに原作・映画共に終わるのですが。少なくとも映画本編を観たところ。実は、完全にそうとは言い切れないところがこの映画の素晴らしいところでした。
勿論、2人の関係性は恋愛関係には発展しないのはご存知の通りです。
原作だと、盲腸で入院した彼女のところに、何とかレンタルサイクルで駆け付けるのですが。映画本編では、↑に記した様に。彼女が彼の家に置いて来た自転車を彼が使い、発作が始まった彼女のところに駆け付けます。
この時の描写が本当に素晴らしかった!
パニック障害の為に日々の移動は徒歩のみだった彼。
眩しい光を浴び、風を感じながら、スムーズに移動出来る。人の為に自分が生きる道を歩んでいると感じる喜び・そして幸せ。
思わず目頭に熱いモノが溢れ溢れて来ました。
そして、映画は。その熱いモノを搾り取りに、更にもう一つダメ押しされてしまうのです。
ここで、原作の栗田金属が。栗田科学へと変更された事での、最大の要因が遺憾なく発揮されていました。
子供や社会貢献の為にプラネタリウムを製造する栗田科学。
新たなプロジェクトとして、彼、そして転職前の彼女はこのプロジェクトに邁進します。
北斗七星を表現する台詞を考える彼に、彼女は一言「ありきたりじゃない!」…と言います。
そこで探し当てた〝 或るモノ〟
そこには、この栗田科学にとって、なくてはならない【遺産】が残っていたのです。
この【遺産】を基に作り上げたのが、彼女の口から発せられる言葉だったのです。
映画本編に登場した殆どの人を、プラネタリウムの施設を最大限に発揮し、同じシーンへと導いて登場させるその周到さに思わず感動し、感涙の涙を溢れさせられてしまいました。
※ 北斗七星は。光り輝く星の位置情報を、人間が勝手に線を引いて、それを1つの星座として認識したモノに他なりません。
しかし、元々の7つの星達は。本当は数千万光年もの距離が離れている星達に他ならない筈なのです。
(知識が無いので実際の距離間までは分からないのですが)
単なる点の惑星を《線》で繋ぐ事で大きな意味を持たせ、壮大な想いに馳せるのが天文学と言えるでしょうか。
彼女の為に自転車で駆け付けた彼の姿こそは、北斗七星の星々を、線で繋ぐ心の奥の想いの表れだった…とも。強引にこじ付けて想いを馳せる事も可能とも言えるのです。
(とんでも無いくらいに強引ですが💦)
〝 今、自分が居る場所(宇宙)で、小さいながらも光輝く 〟
1人1人がそれぞれの能力を発揮し、単なる点に過ぎない【個人としての惑星】で有ったとしても。線で繋がる事で、1つの《宇宙》として形成する事は可能なのです。
そんな想いを感じさせてくれたのがこの作品でした。
ちょっと、あり得ないくらいに飛躍した意見になってしまいましたが。観て本当に良かったです。
素晴らしい作品だったと思います。
市井の人々の日常を切り取った感じで締め括る、エンドクレジットの何気ない描写も、映画の余韻を増してくれる。
そして、劇伴が素晴らしかった事も一言添えて置こうと思います。
2024年3月3日 TOHOシネマズ錦糸町楽天地/スクリーン10
とても良かった、上手く言葉にできないけれど。
PMSによる月に1度のイライラを抑えられない藤沢さんと、パニック障害を抱える山添くん。小さな会社で同僚として過ごす二人を中心に描かれるお話。
とても良かったけれど、具体的に良かった所を説明するのが難しい。劇中で、学生の職場インタビューで会社の良いところを聞かれて、良いところがたくさんあるのに何も具体的には挙げられない社員の皆さんと、きっと同じ気持ち。
優しく理解のある人ばかりの職場環境や、藤沢さんと山添くんの関係は、理想的すぎてファンタジーなのは分かります。でも、生き辛さと苦しみと自己嫌悪を抱えてどうにかこうにか生きている人にとって、どうか少しでも、理解のある人や場所に巡り会えますようにと、そんなことを思いました。
藤沢さんと山添くんが二人でいるときの空気、二人を気遣う人たちとの関係、職場での社員同士の距離、描かれる全てがとても心地良く、好きでした。
92点 心が洗われました。感謝しなきゃな…!
自分の悩みはちっぽけなんだなと感じた作品でした。
自分の周りにはパニック障害や病気持ちの人が居ないですが(実は知らないだけで病気持ちの人は居るかもしれない)物凄く悩んだり、不安になったり大変なんだなぁと。
まあとにかく観ろ作品です。
周りに理解してくれる人が居るだけで幸せなんですよね。
(主人公の職場もそうですし同僚)
相手について知らないだけで、なにかの病気持ちかもしれないし大切な人が亡くなって居るかもしれない。それでも人々は生きている。生きているだけで幸せじゃんって言いたくなりましたね。
オーディオコメンタリー
UDCastのコメンタリーを聴きながら
2回目観てきました
この映画が好きな人には奥行きが広がる内容でした
大画面で観るフィルム作品の街の風景があらためて心地よく
作品の良さを再認識しました
松村北斗さん、上白石萌音さんどちらも素晴らしい
コメンタリー無しでもう一回観ると思います
生きるのが楽になった
PMSとパニック障害に悩まされる2人が主軸となって進むお話に、観る前は少し躊躇する気持ちがありました。つらく苦しい思いをするのではないかと。ですが、見終わったあとは知らず知らずのうちに背負っていたあれこれがなくなって、肩の荷がおりた気分になりました。特段病名があるわけではなくても、全員が等しく抱える生きずらさを全部肯定してくれる映画でした。人に、自分に優しくなれると思います。素敵な作品でした。
めちゃくちゃ良かった
好きなシーン⇨
•藤沢さんが山添くんの髪を初手で切りすぎた時に、切った髪をまずポケットに入れて隠そうとしたところ
•ドキュメンタリー撮影に来てる中学生男子が「だめ!」ってNG出すところ
•夜があるおかげで地球の外の世界があることを知れる、という亡くなった弟の肉声
•山添くんの元上司をプラネタリウムきてくださいと誘ったら不意に上司は泣いてしまって、上司のお子さんがスマートにハンカチを出すとこ
•早退した藤沢さんの家へ山添くんが自転車で向かう時のシーンで、坂道の入り口でちょうど日向と日陰が分かれている道があって、山添くんがそこから日陰が続く坂道を登る前に一度足を止めるとこ
•2人の職場の時間の流れを光の角度が徐々に変わっていくところでタイムラプス的に映していたとこ
必要な夜とは
映画館じゃないと見終えることができないタイプの映画があって、個人的にはこの映画の冒頭の10分くらいの主人公が周囲の人と馴染めずにはみ出していくシーンたちがつらすぎてきっと配信などで観ていたら停めてしまっていたと思う。
この映画には意地悪な人や悪意のある人は出てこないある意味ファンタジーなんだろうけど、そういう舞台の映画の中にも地獄があって、冒頭の10分は自分にとってかなり刺激の強いシーンだったけど、映画館でだからこそじっと見続けることができて、結果とても良かった。
そのあと、自死した家族がいる残された人たちの互助会のシーンから主人公の男性が発作を起こすシーンまで、もう何故かわからなくなるくらい涙が止まらなくなった。
つらい本人たちとその人を心配している周りの人たち、残された人たち、それらを説明することなく見事に描いていたからだと思う。
あなたのことを理解して心配している、と言葉(セリフ)ではなく2時間かけて映像で表現していく、まさに映画でしかできない作品だった。
映画としてとてもスマートで、あぁこの映画はとても好きだなと思ったのは、冒頭のカフェのシーンで主人公の女性が履歴書を書いているシーン、隣の人が立って席を離れて、次のカットでおそらく主人公の女性が自分の飲み物をこぼして机がびしょびしょになっているシーン。
この省略、描かれていないシーンが、この映像の先を我々観客に想像させて、つまりこの映像以外にもこの人たちは存在すると思わせてくれる。
この映画に出てくる人たち、全ての人たちを好きになるし、この映画が終わった先も大変な時は多々あると思うけどどうか幸せを感じながら過ごしていて欲しいと心から思った。
そういった意味でも、ラストのクレジットのシーンが会社の一コマの長回しシーンであることがとても嬉しかった。
映画の力を存分に感じることができた傑作でした。
素晴らしかった。
「夜明けの全て」はPMSとパニック障害の映画だった
テーマとして疾病を扱いながらも、しみったれた感じはしない映画だった。
小難しい作品ではなかった。
PMSとは月経前症候群。
PMSって生理の別の呼び方かと勘違いしていたが、違うらしい。生理時の症状が重い場合にPMSと診断されるみたいだ。
PMSの主人公ひどい月経前症候群で、そのせいでたまに自分をコントロール出来なくなってしまう。
そして新卒で入社した会社でもうまくいかず、自分から辞めてしまうのだ。
そしてティッシュ配りを始める彼女。
「職業に貴賎なし」とはいうけれど「なんてもったいない」と思ってしまう。そう思わせるシーンだ。
その主人公もやがては中小企業を見つけて再就職する。それがプラネタリウムのミニキットの会社だ。
パニック障害の男
プラネタリウムの会社には彼女の次に、新人の男が入社してくる。
めちゃくちゃ無愛想で「俺はこんなところにいる男じゃない」的なことを思いながらやるせなく働いているのだ。
だがこの男はパニック障害で、電車にも乗れないし、生活範囲がめちゃくちゃ狭くて美容室にも行けない。
恋愛物語ではない
二人の主人公である女と男は近づくが、恋愛関係にはならない。
お決まりの恋愛話には落ちなかった。
個性
「病気」だから云々、とか言うけど、
それすら言えない人も居る。
「病気」じゃないとダメなのか❓
そもそも先天的な方は「病気」ではないよね。
そういう人として接するでしょ。
それが個性でしょ。
でも「これ個性なんで云々」て、自分では言いにくい。
個性に代わる言葉があると良いな。
渋川さん、こんな役やるんだ。
丸くなったねー、良かった👍
他の演者も良かった。
今となっては、
冒頭のナレーションが少し煩かったかな。
誰にでも夜明けは訪れる
PMS(月経前症候群)やパニック障害について色々と知ることが出来たというだけでも本作を観た甲斐があったように思う。幸い自分の周りには藤沢や山添のような病気を抱えた人はいないが、もし偶然街中で遭遇したら…と思うと、決して他人事のようには観れない。現代は特にストレス社会である。精神的に疲弊してしまう人は多いのではないだろうか。そういう意味では、非常に現代的なテーマを扱っているように思った。
ただ、作劇上、気になる点が幾つかあった。
まず、藤沢や山添の周りに悪人が一切いないという点である。現実にはここに出てくる以上にシビアな状況があると思うのだが、それらが意図的にオミットされているような気がした。
山添の恋人の退場の仕方も取って付けたようでいただけなかった。むしろ描かないことで物語に余白を残しておいた方が、観る方としても色々と想像できて良かったのではないだろうか。
演出面でひっかりを覚える個所もあった。藤沢のモノローグで始まるオープニングシーンである。おそらくPMSの症状の解説という意味があったのかもしれないが、いささか安易な処理で個人的には余り感心しない。
監督、共同脚本は「ケイコ 目を澄ませて」の三宅唱。本作には同名小説(未読)の原作があるが、これが原作準拠なのか、それとも監督のアイディアなのか分からない。しかし、少なくとも「ケイコ~」の三宅氏であればもっとスマートな演出が出来たのではないか…と落胆させられた。
色々と不満を書いてしまったが、だからと言って本作が凡作と言うつもりはない。むしろこれらの不満点を補って余りある点もたくさんあったので述べておきたい。
まず、藤沢が山添の散髪をするシーンがとても印象に残った。ここで山添は初めて笑みをこぼし、それまでの暗く鬱屈したキャラに一気に朗らかさが加味され印象がガラリと変わった。この演出は見事だと思う。
山添の元上司も良い役所だった。特に、後半のレストランのシーンは見ているこちらも思わずホロリとさせられてしまった。余計な言葉など一切ない。その表情だけで感動を引き出す演出が素晴らしい。
そして、本作の最大の美点は、藤沢と山添の関係を安易に恋愛に発展させなかったことだろう。他人には理解しづらい特別な病を抱える者同士。困った時には助け合い、時には厳しいことを言い合い、まるで人生の盟友のように並び立つその姿を見て何だか羨ましくなった。
この”近からず遠からず”の距離感にも納得しかない。他者と深く関わらないことで傷つかない人生を送って来たであろう二人のバックストーリーが想像できた。
クライマックスはかなりベタな展開ではあるものの、ここでの藤沢の朗読の内容も素晴らしかった。人生における金言と言ってもいいだろう。映画のタイトルの意味が噛み締められた。
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